カテゴリ「ゲーム」の4件の記事 Feed

2012年2月24日 (金)

千六百三十八: 金という駒について

こんにちわ。

将棋の金(きん)という駒について考える機会がありました。
金は攻めにも守りにも強い駒として知られています。

他の駒も
   
    「その駒であらねばならない。その駒に取って変わる機能がない」
   
という働きを持っているのも棋士の人々はよく知っているかと思います。

しかし、今日は、特に金について考えてみたいと思います。
歩(ふ)は、一歩前に進むだけだったり、桂馬は二歩手前の斜めに進めることが知られています。
しかし、この金は自分の周囲の六方向に一歩進むことが許されています。
玉は自分の周囲の八方向のいずれか一歩に進むことが出来ますが、金の場合は、自分の駒から見たら、斜め左下の二方向に進むことだけが許されていません。
金の駒の特徴は、「自分の真下に一歩進むことが出来る」という特徴です。
銀の場合は、金とは違って、自分の斜め左下の二方向に一歩進むことが出来ます。
しかし、真下に進むことが出来ません。
将棋の駒で、「自分の真下に進むことが出来る」という機能を持つのは、この金と飛車と玉の三つのみです。

角とかも下に進むことが出来ますが、銀のように、ずっと斜め下に進むことが許されています。
ですから、意外に将棋の中で、自分の背後を守ることの出来る駒は、金と飛車と玉の三つになるのです。
このうち、玉は捨て駒になることは出来ないので、本当の意味で捨て駒や攻め駒になることが出来るのは、金と飛車の二つのみになります。
それだけ、自分の真下、つまり、背後を直接、守る駒は少ないのです。

角という駒は敵陣に入って、成り駒として、馬(うま)という駒になることが出来ます。
正しい名称は龍馬(りょうま)ですね。
この馬は真下に引けるようになりますから、『馬は引く手に好守あり』という将棋上の格言があります。
しかし、『金底の歩、岩よりも固し』という格言があったことは覚えています。
まだ他にもあったかと思うのですが今、頭に思い浮かびません。

それほど、自分の真下や背後を直接、守る駒は意外に将棋の上で少ないのです。
ですから、この場合、金という駒を上手く使える人は、まるで、自分の背後を上手く考えることが出来るような気がします。
---------------------------------
銀の場合は、自分の斜め左下に進めたりしますが、真下には引けません。
また、自分の真横にも移動することが出来ません。
ですから、将棋の最中に意外に、相手に取られてしまうことも多いです。
---------------------------------
角も大駒として知られていますが、真上や真下や真横に進むことが出来ないので、これも意外に将棋の最中に敵に取られてしまうことが飛車に比べて多いと思います。
---------------------------------
人間は自分の前を常に見ています。
しかし、自分の背後を見ることは苦手です。
ですから、人が日常生活の中で、自分の背後を見る時は、鏡を使います。
また、車でも後方を見るために、サイドミラーとかルームミラーを使っています。

そして、特に、人間は自分の延髄(えんずい)部分を見るためには、鏡を二枚使わないと自分の延髄を見ることが出来ません。

ですから、人は自分のバックを考えたり、守ったりすることが意外に難しいとわかります。
---------------------------------
しかし、この金の駒は、直接、自分のバックを守る駒として知られています。
それだけ、重宝がられる駒です。

また、大駒である飛車と角を除けば、全ての駒は敵陣に入って、成駒となると、成金(なりぎん)と言って、全て、金になります。
それだけ、金という駒は攻めにも強力なのですね。
---------------------------------
また、上にも書いた、『金底の歩、岩よりも固し』という諺にもあるように、自分の背後を守ることが出来ますから、自陣の中では、よく守りの駒として使用されています。
---------------------------------
自分の背後を守る。
これはどんな人でも、実生活において大事なことかと思います。
それが、この金という駒に現されていると思います。

また、この金という駒は、「自分の背後(バック・グラウンド)も大事だよ」と、教えてくれていると思うのです。
---------------------------------
ですから、将棋の棋士の人達も、将棋の駒を見て、人の人生の在り方をよく考えることがあるのではないかと、私は推測します。
だから、将棋の世界では、よく駒について格言が生まれていると思うのです。
『角の頭は丸い』とか、『桂馬の高跳び、歩のえじき』とか、『玉の早逃げ、八手の徳』とか、色々とあります。

その将棋の格言も、意外に、人の人生に応用できることに気が付くのです。
今の自分の状態は金なのか、角なのか、桂馬なのか、玉なのか、と色々と状況判断して、それらの格言を思い出し、人生行路を渡っていくことができるかもしれません。
将棋の格言も人生の格言として使える機会が多々あるかと思います。
将棋は面白いですね。Img7d92617ee53f

                坂本  誠

2011年9月22日 (木)

千二百七十七: 将棋の駒について

こんばんわ。

将棋の駒について考える機会がありました。
最近、将棋の駒の記事を幾つか書いています。
千二百二十八:飛車と角について 』の飛車とか角についてですね。
また、『千二百四十三:歩』で「歩」という詩も作りました。

将棋を知らない読者のために書いているのですが、この将棋には、色々な動きをする駒があります。
「歩」ならば、ただ一歩進むだけ。Img7d92617ee53f
飛車は十文字の動きを、角は斜めに十文字の動きをします。
香車ならば、ただ一直線に進むだけ。
桂馬は前方に二つ分進んだ個所の二つに別れた場所のいずれかに跳んでゆけます。
銀ならば、自分の前のマスの3か所のいずれかと、斜め後方の二つのうちのいずれかです。
玉、つまり、王様の駒は自分の周りの8方向のいずれかに移動できます。
金は、その玉の動きに似ていますが、自分の斜め下の二つの方向には移動できません。

で、この将棋の駒のいずれも素晴らしい動きをしているのです。
例えば、「歩」はたった一歩前に進むことしか出来ないのですが、それが実はこの駒の素晴らしいところなのです。
それ自体が素晴らしい動きなのです。
また、香車はひたすら、前に進むだけの駒なのですが、このような駒が無いと困るわけです。
「全ての駒が飛車と角だったら良いではないか」と思われる人もいるかもしれませんが、実は将棋の駒はそれぞれが適材適所の配分が与えられているので、将棋は面白いことに気付きます。
仮に、もし全ての駒が飛車と角の動きしかしないのだったら、ここまで、将棋は面白さを持たなかったかもしれません。20110921162858

適材適所という考えも、実に味があって、面白いことだと思います。
               
               
                坂本  誠

2011年8月29日 (月)

千二百二十八: 飛車と角について

こんにちわ。

日本の将棋で、飛車(ひしゃ)と角(かく)という駒があります。
将棋には、色々な駒がありますが、この飛車と角は、もっとも強力な駒として知られています。

将棋をご存じない方のために、ご説明しますと、飛車の動きは、どこまでも上下に動き、また、どこまでも、左右に動けます。
角の動きは斜めの動きです。
斜めの四方向に、どこまでも移動できるのです。
しかし、将棋を愛好している人は、すでに感じているでしょうが、この飛車というのは、男性的な駒です。
見ていて、そのような動きをする駒です。
そして、角というのも強力な駒ですが、将棋を指す人にとっては、どことなく、この角に女性的な雰囲気を感じるかと思います。
ですから、角を盤上に打つ際には、棋士は注意を払います。
そして、良い場所に打ち、使い方によっては、飛車以上の強力な駒となるのです。
面白いものです。

西洋のチェスを見ると、「ルーク」と呼ばれる駒が、「飛車」に相当します。
「ビショップ」と呼ばれる駒が、「角」に相当します。
そして、日本の将棋には無いのですが、「ルーク」と「ビショップ」の動きを兼ね合わせ持った駒が「クイーン」です。
男女のちからを合わせて、はじめて、最強の駒となるのですね。

これと同じように、人の世界も同じかと思います。
飛車と角の動きがあってこそ、はじめて、世の中が上手く回り始める。
飛車と角の動きは違うものの、どちらも最強の駒であり、棋士にとっては、どちらの駒も平等に愛し、上手に使える訓練をしなければなりません。
飛車と角の存在も面白いものだと思います。20110822084150
               
               
                坂本  誠

2009年6月27日 (土)

百三十三: 麻雀

麻雀は本当に奥行きが深くて、面白いゲームだと思います。Img7d9269f54dc2
「大金を賭けている悪のゲームだ」という感じになったらダメでしょうが、不思議で、かつ楽しいゲームです。

最近では「健康麻雀」と言って、金銭を賭けずに老人ホームなどで娯楽として用いられているらしいです。
と言うのも、頭を使ったり、手を使ったり、仲間で楽しむので認知障害を妨げます。
だから生活技能訓練の一種として、また治療の一環として、福祉施設や介護施設に導入されています。
人間は多少の刺激と競い合いの気持ちが治療には必要とされるからです。
人の安静のみが人の治療に有効なわけではないのは多くの人が知っていると思います。

しかし、やはり麻雀の醍醐味とはそのゲーム自体が全く人生の縮図みたいなものだと言う点にあると思います。
頭を使ったり、知恵を使わねばならない。
ないしは経験が必要です。
そうかと思うと、麻雀で全く経験や知恵が勝利のためには役立たない時もあります。
それだけではなく、勝ちに向かわず、積極的に「オリ(負け)」に向かわなくてはならない時もあります。
ツキというのもあります。
俗に言うツイている時は苦労しなくても、どんどん勝ってゆきます。
又、ツイていない時はあらん限りのちからを使っても勝てません。

麻雀は人生そのものと言っていいぐらいです。
つまり、一人の人間に課せられた運命と努力と出来事です。
普通、麻雀は4人で競うから、「卓」と呼ばれる世界の上で4人の人間の世相が交錯するのです。
「人間のようなゲーム」と形容するしかないです。
不思議なゲームです。

         坂本誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム