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2011年7月27日 (水)

千百七十四: 躾(しつけ)について

躾(しつけ)について考える機会がありました。

例えば、可愛い子を持っている身ならば、その子を叱ることは、親にとって苦しく悲しい事かと思います。
親は出来るだけならば、子を叱らずに済ませたいものです。
確かに、子にとっても叱られることは苦しいかもしれません。
しかし、叱る親の方も苦しい気持ちがするものです。

色々と世間の慣例などもあり、どうしてもしてはならないことがこの世にあるものです。
その慣例を犯してはいけないのに、子が犯してしまう。
それは、やはり、子にとって世間を知らないことから来ることであったりすることが多いものです。
また、子にとっては、それがわからないから、慣例に反していることを犯してしまう。

普通、親にとっても、子というものは、どうしても叱りたくないものです。
しかし、子がどうしても理解できないので、あえて叱らざるを得ない状況を持ち、叱らないといけません。
また、子にとっては、自分のやった行為がどうして叱られるのか、わからない状態が多いでしょう。
その子のやった行為というのは、大抵、世間の人の迷惑となる行為になっています。
ですから、子供を叱る際にも、その子供の叱られる理由を、その子供に伝えないといけないでしょう。
「これそれの理由があるから、おまえを叱らないといけないのだ」と、「これそれの理由」をうまく伝えないと、当の子供は、叱られた理由がわからず、成長が出来ないからです。

と、言っても、全ての人は未熟なものです。
その親でさえ、さらに年長の老人から見たら、子に見えたりするでしょう。
ですから、どんな人も、他の他人から叱られる何かの理由を持っていると言わざるを得ません。
ですから、普通、自分の子供を叱る際には、その親も何がしかの苦しみを持って、叱るものだと思います。

                坂本  誠

2011年5月25日 (水)

百五十七: 言葉

テレビや新聞やネットの中の壮絶な現代の時事から目を離して、ネットの何かを見ている時があります。

若干、英語の文章を見ていて、思うのですけど、学校時代に習った英語とは、結構違っているのに気付きます。

例えば、中学校で英語の文章を作成する時、「名詞の前に必ず"a"か"the"を付けよ」と習いましたが、生の英国人が書いた文にも、"a"か"the"も付いていない文章をしばしば目にします。

単純に
    「speaker」
と書いても、
    「a speaker」
と書いても、読む側に言わせて見れば、ほとんど全く問題が無いかと思います。
それは中学校で英語でそのように作文をしても、その文を読む人間にとっても充分意味は通じるかと思います。

また、英語の文法に則っていない文章をよく目にします。
日本語で書かれた新聞でも何かの記事の見出しと言うのは、全く日本語の文法に沿っていないものが多いです。

私は日本人ですが、生活していて、確かに、日本語の文法とはかけ離れた日本語の文章を耳にしたり、読んだりすることが多いです。
だから、私は
    「日本語とは文法主体の言葉ではないのではないのか?」
とよく考えることがあります。
    (しかし、それでも意味はよく通じています。)
もしかしたら、イギリスに住んでいて、一回も他国に行ったこともないし、他国の言葉を習ったことも無い、という人も、自分の母国語の英語を
    「英語とは文法主体の言葉ではないのか?」
と考えているかもしれません。

                坂本  誠

2011年3月27日 (日)

八百七十九: セミナー参加

こんばんわ。

具体的な固有名詞を書くのは控えますが、あるセミナーに参加しました。
友人や私を指導して頂ける人が増えました。

そして、そのセミナーで、心がツルツルでピカピカしたような講師に出会いました。
その人が、ある他人に近づくだけで、その他人の肩の重荷や心の重荷を、その人が独りでに取り去ってゆくような人です。
「歩くこと匂うが如し」とでも言うのでしょうか。
こういう人が世にいたら、他の多くの人は、

    「ぜひ、その人の側にいたいものだ。なぜならば、私の苦しみを取り去ってくれるからだ」
   
と思うでしょう。
以前から、私は

    「いつ、どんなに激しい時代でも、このような人は必ず一人以上はいる」

と聞きましたが、「なるほど」と思いました。
そして、他の人も気付くでしょうが、そういう人に会うのは、ごく稀であり、「こちらから会いたい」と願う時には、運命の方が勝手に、その人に出会わせるのを拒むのです。

このようなことを「有難い」とも言うでしょう。
読みは、もちろん、「ありがたい」ですが、上の漢字だと「そのようなことが有るのが難しい」という意味でもあります。
つまり、「滅多に無い」という意味が「ありがたい」という意味でもある、と私は以前、聞いたことがあります。
私達が普段から何気なく使っている「ありがとう」の意味には、そんな意味もあります。

有難いことを経験させていただきました。

            坂本  誠

2011年3月20日 (日)

八百七十: 学習について_No.5

最近は、「生涯学習」という言葉が聞かれる。
「一生、勉強しよう」ということだ。
学習だから、何を学ぶかは、その人にゆだねられているけれど、たいていの学習は、やはり、本を読む人が多いかと思う。
そして、やはり、自分が感動できる本に出会えた時は嬉しい。
喜びがともなう。
胸の中の喜びが光のように感じる。

「学習」とは言っても、全ての人が学習していることに気が付く。
生きている間の全ては、これ、学習といえるからだ。
                      
            坂本  誠

2011年3月17日 (木)

八百六十二: 学習について_No.4

こんばんわ。

前の段『八百四十:学習について_No.3』の続きです。
人は、どんな時にでも、学習できるものだ。
何かの仕事でさえも、それは経験と呼べるのだから、後から見直したら反省点もあるし、改善点もある。
だから、どんな出来事によってでも、そこから何かの学習点を導くことが出来るだろう。
嬉しいことや楽しいことがあった時でも、それからも何かの学習点を得ることが出来るだろう。
その嬉しいことや楽しいことが後になって、災いの種となることがあるのだから。
その嬉しいことや楽しいことが起こった後でも、少しばかりは反省の目を持ってのぞむべきだろう。
逆を言えば、人は自分の嬉しかったことや楽しかったことを反省のまなざしで見ることがほとんど出来ない。
嬉しいことや楽しいことの中に、一点の曇りを見つけることは難しいからだ。
また、その嬉しいことや楽しいことを全くの面白くない事柄として見なすのは、とても難しいからだ。
この理屈から考えたら、「逆も然り」と言えるだろう。
悲しいことの中に光を見出すことは難しい。

生きている間の一秒一秒は実行と学習の不断の連続だと言えるだろう。
実行と学習は紙の裏と表のようなもので、はがすにはがせないものなのだろう。

            坂本  誠

2010年12月28日 (火)

七百十二: シンクロニシティー

おはようございます。

世の中に「シンクロニシティー」という言葉があります。
日本語では「共時性」と訳されています。

これは、スイスの精神医学者のユングという人が命名しました。
つまり、ユングさんの書かれた文献を読まれた方が、この「シンクロニシティー」の意味を正確につかめるかと思います。
私が以下に軽く説明しましょう。

私が一冊の本のあるページのある1行を探していたとしましょう。
私が本棚を探しています。
ところが偶然、手がすべり、ある本が本棚から落ちて、その落ちた本の開かれたページを見ると、それこそが、まさしく自分の探していた1行だった。

こういうのが「シンクロニシティー」と呼ばれています。
ユングさんの本の中に、具体的な「シンクロニシティー」の例について、幾つか紹介されています。

また、有名な例では、電話の発明でしょうか。
アメリカで電話を発明した人はアレクサンダー・グラハム・ベルとなっています。
しかし、彼の特許の出願の同日のほんの数時間後にイライシャ・グレイという人が彼自身の電話の発明の特許を出願しています。
このベルとグレイという人の間で、平素、何かのやり取りがあり、彼等が意識して激しい開発競争をした、とは聞いていません。
つまり、全く、同じ時間に平行して、しかも独立して、同じものが進行していたと考えられます。
私達は、このベルとグレイの間柄を見て、「これはシンクロニシティーだ」と言えるでしょう。

この他にも、私達自身がある程度、似たような「シンクロニシティー」を経験しているかと思うのです。

この「シンクロニシティー」という不思議についての私の考えもありますが、、、
まずは、この私のエッセイの読者の方はユングさんの本を読まれた方が彼の考えを得られるので、そちらの方が良いかと思われます。
最近では、難しい手の本もわかりやすくマンガ形式で表現されたものもありますからね。Img7da788436cf

         坂本 誠

2010年12月20日 (月)

六百九十七: 戦争について

色々と世の中で、問題がありますけど、一番、急いで考えないといけないことは、戦争問題かと思います。
温暖化問題とか経済問題とか、色々ありますけれど。

この戦争を起こしたい国を見ると、「欲しい。欲しい。欲しい」と言っているように感じるのです。
まあ、この「欲しい」というのは物資ですね。
物資をたくさん持つと、おカネにも換金できるかと思います。
ようするに、物資への欲望が戦争への欲求につながるかと思います。

他の国も物資を他国から輸入しているかと思います。
しかし、フェアな方法で輸入しているでしょう。
国際ルールに基づいて輸入しているかと思います。
しかし、その輸入を行う前にやはり、国の主だった方が、その国に出かけて、

    「友好関係を築こう」

と言って、お互いの信頼を築いて、それから、国際間のルールに基づき、輸入によって、物資を調達していることに気付きます。
しかし、そうではなく、どこかの土地を奪って、それを自分のものにしよう、となると、これは戦争になります。

ですから、他の国々は一応、笑顔を持って、お互い物資のやり取りをしているのに気付きます。

ですから、戦争も、人の心の物資への欲望から発生していることに気付きます。
だから、戦争問題を無くすためには、人の心を治さないといけないことに気付きます。
単純にたくさんの小麦かお米か、その他の物資でも、大量に持つと人は威張ることが出来るでしょう。
それは、日本の平安時代の貴族の所有していた荘園の多さを競う姿を見ても、わかると思います。

ですから、大量の物資を所有することが、イコール、幸福とは限らないことがわかります。

         坂本 誠

2010年12月15日 (水)

六百八十四: 想像力の育て方について

ちょっと以下のことを考えていました。
最近、日本では、想像力を持った学生がなかなか育たないそうです。
学力とか応用面とかは持っている人は多いようですが、いざ、「想像力を鍛える」となると、ちょっと難しいのでしょうか。

私は以前、どこかで似たようなことを書きましたが、一つは、経済の豊かさが、この想像力を鍛えることを邪魔していることに気付くのです。
例えば、ホームセンターに行くと、猫のオモチャが比較的に安価で売られています。
しかし、普通の家庭にある、あまり使用されていない定規(じょうぎ)に、紐をくくりつけ、その先に、音の鳴るボール等をくくりつければ、立派な猫のオモチャが完成します。
その他、これを応用して、もっと複雑なオモチャや、犬のオモチャも作れるでしょう。

ところが、おカネがあると、「ホームセンターに行けば、幾らでも、ペットのオモチャが売られているから、そのような面倒をしなくて良い」となるかもしれません。
つまり、その分、頭を回さなくなります。

第二次世界大戦後の日本は、大変な物資の不足に悩まされたので、まず人々が生きることが優先されたでしょう。
しかし、幾らか経った後の日本の子供達は、まだそんなに豊かで無いので、自分で遊ぶオモチャがありません。
ですから、まず自分自身の手でオモチャを考案し、それを自分の手で作っていったそうです。
メンコとか、凧(たこ)とか、その他、幾らかあったでしょう。
つまり、そのような環境が、あえて、その時代の子供達の想像力や発想力を豊かにしたと思うのです。
そして、推測ですが、そのような子供達が大人になって、日本の工業社会に入り、子供時代などに獲得していた想像力を使って、大いにモノづくりに貢献したのではないでしょうか。
ところが、最近の日本では、オモチャを手に入れるためには、まずおカネを手にし、そして、オモチャ屋に行って、そのオモチャを購入すれば良いことになります。

だから、想像力を鍛えるためには、第二次世界大戦後の日本のような環境が必要なのかもしれないですね。
だから、今の普通の子供達は、オモチャを作ること無く、オモチャを買って、遊ぶだけですから、これより後の工業社会にとって、今の日本の世界は、かなり不利な環境を維持していると言えるかもしれません。
今現在でも、ヒットしているオモチャを見ていると、そのオモチャを作った人自身が、まず、そのオモチャ自体を作る際に非常に苦労したことが知られています。
だけど、「苦労」もありますけど、それは喜びを持った苦労でもありますよね。
オモチャだけでなく、車もそうだったかと思います。
第二次世界大戦、直後ぐらいの日本車は、全く世界的に認められない車だったのですね。
だから、その当時、日本で車の好きな人は自分の手で、何とかして、より良い車を作ろうとしたから、現在の世界で誇れる日本車が誕生したわけです。
その日本車を作った人は、第二次世界大戦の直後に、やはり、自分の手でメンコや凧を作ったり、自分の手で、何か新しいオモチャを考案しようとしていたかもしれません。
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学校の教師でも、入試問題を作らないといけません。
数学の問題について考えてみましょう。
その数学の入試問題を作る際に、学校の先生が手を抜きたければ、本屋に行って、色々な問題を探し、少し数値を入れ替えれば、入試問題の作成終了です。
しかし、受験者にとって、「似たような問題を私は以前、解いた事があった。だから簡単に解けた」ということはよくある話ですよね。
だけど、その入試問題の際に、「見たことの無い難しい新手(あらて)の問題があり、解く事に困難がある」というものがありますよね。
これは、その入試問題の作成者、つまり、教師の側が、必死になって、その見たことも無いような問題を作っているのです。
まず、その教師が、ぼんやりと、

    「このような問題は、まだ誰も考え付いたことが無いだろうし、実際、どんな本屋の入試問題集にも掲載されていないだろう」

と、おぼろげに自分で考え、教師がその問題の作成に着手するわけです。
そして、自分で作った問題をまず、自分で解くわけです。
その際に、アンフェアな方法を用いてはいけません。
「中学生の入試問題なのに、絶対に大学の知識が無いと解く事が出来ない」となると、それは入試問題として意味をなさないからです。
そして、「その教師が自分で、フェアな方法を用いて解けた。そして、その解答の方法を自分で手にしている」という状態で、はじめて、入試の際に、その問題が受験生に披露されるわけです。
つまり、新手の難関問題と呼ばれる入試問題を一般の人がはじめて目にするわけです。

つまり、問題作成の際に、教師自身がまず必死になって考えるわけです。
だから、世の中、新たなテストの問題を私達は見続けることが出来るわけです。

このような事情がありますから、入試専門の予備校の先生でも、有名校の新たな問題が出てきた際に、かなり必死になって考えるそうです。

しかし、受験生も、その問題を解くことは難しいですけど、予備校の先生も、その問題を解くことが難しいそうです。
高校生や、大学生でも、彼等の数学の知識を持っているけれど、彼等が時々、どこかの中学の入試の算数の問題を解こうとすると、難しくて解けないものもあるでしょう。
だから、新しい問題というのは、受験生の方が予備校の先生よりも先に解けた、ということもあるそうです。

それでも、その新しい問題を解く側の受験生や予備校の先生は、「問題の解法は必ず存在している」ということがわかっているから、受験生や予備校の先生にとっては、比較的に楽だそうです。
しかし、その新しい問題を作る側の教師の方は、全く誰も見もしない問題をまず自分で考案して、受験生の側の知識を使って、解けるかどうかを模索し、「解く事が可能であった」と確認して、その解法を手にして、それから受験生にその問題を配布するのですから、受験生よりも、はるかに苦労していることがわかります。

だから、その新たな問題を予備校の先生や高校の先生だって、解けないことがあるわけです。
(しかし、かなり多くの時間をかけたら、その問題を解けるかもしれませんが、入試の際には時間制限もあります。)
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物づくりの世界でもテストがあります。
上の受験問題と同じですが。

車や電子レンジでも多くのテストをくぐりぬけ、はじめて、市場に出るわけです。

例えば、その電子レンジにしても、その会社の内部の人がまず、その製品に対するテスト項目書を考えるわけです。
これも以前、書いたことですが、そのテスト項目書自体が完全なものとは限らないわけです。
なぜならば、完璧な存在の人間はいないでしょう。
だから、「テスト項目書をテストしないといけない」わけです。
つまり、「テストをテストする」わけです。

実際、その電子レンジを作る会社も、その多くの人が携わって、「テストをテスト」しています。
しかし、その多くの人も、やはり、人間ですから、つまり、その電子レンジと同じようにテスト項目書も人間の産物の一つですから、完全完璧なテスト項目書もこの世に存在しないことを意味します。

つまり、全く完全完璧、神の作ったというようなテスト項目書、そしてテスト自体も存在しないわけです。
想像力について、考えていたら、ここまで考えていました。

         坂本 誠

2010年11月27日 (土)

六百六十: 他山の石

タイトル名の『他山の石(たざんのいし)』ですけど、これは中国の故事成語です。
中国は歴史の古い国ですから、故事成語や諺が多いのですね。

この『他山の石』とは約2000年以上前の中国の戦国時代に作られた故事成語だそうです。
『詩経(しきょう)』という詩集の「鶴鳴(かくめい)」という詩の中にもあります。

この『他山の石』とは他国の山から出る粗悪な石でも、それを砥石として自分の宝として使うことが出来る、という意味だそうです。
転じて、よそのもので、それが悪いものでも、それを自分のものにしてしまえば、自分にとって良いように活用できる、という意味でもあります。

                                他山之石、可以攻玉。(小雅・鶴鳴)

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また、紀元前221年、秦の始皇帝が中国本土を統一しました。
その時の大臣で李斯(りし)という人が、

    「中国は統一されたので、秦の政治にとって不要な書物は有害だから、焼いてしまいましょう」
   
と、大体、上のようなことを言って、始皇帝は中国全土の多くの書物を焼いたそうです。
これは、『焚書(ふんしょ)』と呼ばれています。

また、同じような理由で、始皇帝は当時の460人ぐらいの学者を生き埋めにして殺してしまいました。
その学者には孔子の教えを継いだ儒者(じゅしゃ)と呼ばれる人が多かったので、これを『坑儒(こうじゅ)』と呼ばれています。

ですから、まとめて、焚書坑儒とも呼ばれています。
この焚書坑儒という故事成語は思想・言論の弾圧の比喩として使用されたりします。

                                焚書坑儒。(『史記』)

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また、『殷鑒遠からず(いんかんとおからず)』という故事成語もあります。

さらに昔の世界に「殷(いん)という国が中国にありました。
その最後の王様に紂(ちゅう)という名の王様がいました。
紂王は淫楽に耽って、また、国民に重税を課しました。
当然、多くの人々が批判の声を上げます。
しかし、紂王は徹底した弾圧を行いました。
だから、やがて、革命が起こり、紂王は殺されてしまいました。

しかし、その殷王朝の前に夏(か)という国が中国にありました。
この夏王朝の最後の王様は桀(けつ)という人です。
この桀王も殷王朝の紂王と同じような淫楽を耽って、殷王朝の最初の王様となる人に滅ぼされたのですね。

西伯昌(せいはくしょう)という人は、殷王朝の紂王に、

    「私達の国、殷が鑒(かがみ)[●注]とすべき先例は、遠い過去に探さなくても、前の国家の夏の最後にあるではないですか」
   

と言ったのですね。

ですから、ここから、『殷鑒遠からず』という故事成語が出来たそうです。
[●注:つまり、鑒は鏡の意味で、つまり手本です。]

                                殷鑒不遠。(『詩経』大雅・蕩)

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他にも中国の故事成語はたくさんあります。

これらの故事成語が近隣諸国に伝わっていますので、私達、世界の人々はこれらを『他山の石』として、諺のように使うことが出来るでしょう。
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また、以降は蛇足(だそく)なのですが、中国では、王様が悪い政治を行うと、天が天災として彼に警告を与える、と言う考えがあるそうです。
まあ、これは、日本にもありますよね。

                                蛇固無足。(『史記』楚世家)

では。

                        (参考文献:「人物  中国の歴史 全10巻」 常石  茂   他  編集    集英社)

         坂本 誠

2010年11月13日 (土)

六百四十四: 『ベルリンの壁』崩壊の日

                                2010年11月9日
                               
こんばんわ。
今日で、ベルリンの壁が崩壊して、早、21年が経ちます。
月日の経つのは早いものです。
ベルリンの壁を崩す市民達は喜びながら、ハンマーで壁を崩してゆく映像がテレビで流れていたのを私は覚えています。
あと、ベートーベンの第9交響曲『合唱』が流れていました。
この『合唱』はたいてい年末に演奏されますが、この1989年11月9日に『合唱』が演奏されたのを今でも覚えています。
この『合唱』は昔からドイツでは、おめでたいことがあった時に、演奏されると聞いています。

ベルリンの壁が崩壊したのは、社会主義国と資本主義国が手を取り合った日でもありました。
社会主義が崩壊したように見えましたが、昨今では、資本主義もリーマン・ショック以降、崩壊しているかのように見えます。

資本主義も社会主義も、どちらも人間の幸福を追求する制度なのでしょうが、どちらの制度も、ほぼ、傾き状態にあるということは、結局、どちらの制度も多くの人々を幸福に導けなかったことを意味しているでしょう。
現代は「人々を幸せに導く制度とは何か?」を新たに人々自身が考え出さないといけない時代なのかもしれません。
だから、本屋に行ったら、今、様々に経済のあり方についての本が並べられています。
時間は流れてゆきますから、何か一つの糸口があるかもしれません。

『ベルリンの壁』崩壊から、何年か経った後のベルリンの市民の家庭がテレビで紹介されていました。
その家庭の父は長く社会主義の時代を生きていたので、資本主義に憧れていました。
しかし、その父の息子は、壁の崩壊の後に生まれたので、社会主義を推していました。
この家庭のように、今は世界中が経済のあり方を模索しているかと、私は思います。

         坂本 誠

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