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2011年6月15日 (水)

千八十三: 猫の世話

こんばんわ。

六百九:普通の人』の最後の方にも書いているのですが、ここで、もう一回書いておくことにしました。
この梅雨の時期は、よく猫の手足も雑巾で拭いてやった方が良いかと思います。
猫に限らず、犬も同じことが言えるかと思いますが、猫や犬は手足で耳を掻いたり、目の付近を掻いたりするでしょう。
ですから、猫が角膜炎になったりするかと思います。
つまり、猫の手足にもバイキンが付いていますから、出来るだけ、猫の手足も清潔にしてあげた方が、猫も病気になりにくいのですね。
猫に限らず、犬も、そうでしょう。
もちろん人間もそうですが、外出したら、手を洗うのと同じです。

特に、最近は梅雨時ですから、乾燥した時期よりも清潔さが求められるのですね。
確かに、今では、ペット用品を置いている店では、猫の目の病気のための目薬も売られています。
しかし、猫の目の病気になるよりも先に、その病気にならないために、猫の手足も清潔にした方が良いかと思います。

やはり、色々な場所を清潔にすることが病気を防ぐ大事な方法の一つかと思います。
おまけに薬代も浮きますし。Img7d93ef59d60c

                坂本  誠

2011年6月 9日 (木)

千五十七: グルーミング_No.2

五百五十一:グルーミング』の二段目です。
夏が近づいて来ました。
人間もそうですが、ペットの清潔も意識しないといけない季節です。
ですので、我が家の猫のグルーミングを丁寧に長い時間してあげました。
グルーミングとは、ペットを櫛(くし)でといてあげることですね。

この前、風呂場で洗ったせいか、ダニもノミも見つけることは出来ませんでした。
しかし、これからはグルーミングの大事な季節です。
で、犬でも猫でも毛を持っていますから、人間が櫛でといてあげるとペットは気持ち良さそうな顔をしたり、おとなしくなったりします。
やっぱり、このような動物との触れ合いもとても大事ですね。
また、情が通います。
また、グルーミングをすると、ペットの異常なども発見しやすくなるため、愛猫家や愛犬家の方には是非、お薦めです。

しかし、あまりグルーミングをしてやると、だんだん私のイスを占拠してしまい、私がイスに座れなくなるので、あまりにもグルーミングし過ぎるのも、ちょっと注意が必要かもしれません。20110408080155

               
                坂本  誠

2011年3月10日 (木)

八百五十四: 猫の砂

我が家の愛猫が、猫のトイレで、おしっこをする。
そして、猫のトイレには猫の砂があり、そのおしっこの固まりを取って、安心する時がある。
愛猫家の猫が膀胱炎や腎臓病の時、血尿をして、猫の砂の固まりが血で染まっている時がある。
愛猫家にとって、これは非常に心が痛むことだ。
    
だから、現代の猫の砂は、猫の健康チェックの製品としても市販されている。
ある種の砂の色が変わっていれば、「腎機能か膀胱に異常あり」と言うサインを出して、飼い主に異常を伝える。
「猫の砂」というものが、市販されていなかった時代は、もっぱら、公園の砂が猫の砂として使われたり、ないしは普通の土が猫の砂として、使用された。
しかし、それらには猫の身体の異常を伝える砂も無かったし、また脱臭機能も無く、当然、砂も固まらなかったので、不便な思いをした記憶がある。
だから、今の「猫の砂」は、愛猫家に重用され、喜ばれている。
製品を作っているメーカーも、職人冥利を感じるだろう。

だから、逆に言うと、猫の膀胱炎の時、血が猫の砂に付着していた時、多くの猫の飼い主は青ざめてしまい、悲しんでしまう。
ここからは問題点の追求なのだが、猫には膀胱炎や腎臓病が多い。
「なぜなのか?」と考えると、文献にも出ていたりするが、猫の食生活に問題があるらしい。
現代の猫の主食は、俗に言う「カリカリ」と呼ばれるキャット・フードだ。
これは塩で保存されている場合が多い。
だから、保存食品として長期間、店の棚に置かれている。
人間の塩系統のお菓子と同じだ。
しかし、人間でもそうだが、塩で付けられた食品を食べ続けると、腎臓病になったりする。
ないしは高血圧になってしまう。
食品に塩が多いからだ。

あと、猫の主食のもう一つに、ウェット・タイプと呼ばれているものがある。
これはシーチキンのようなものだ。
「カリカリをやめて、そのシーチキンにすれば良いではないか」と言う人もいるかもしれない。
しかし、こちらは塩ではなく、主に油で魚の肉が保存されている。
人間でもそうだが、油料理を食べた後は、よく歯磨きをしないといけない。
油が歯に付着していると、虫歯になってしまう。

値段の点や、歯を鍛えるという点から「カリカリの方が猫に良いだろう」と言う人もいる。
しかし、上の膀胱炎や腎臓病のリスクもあるから、「カリカリとシーチキンを交互に食べさせるのが、ベターだろう」と言う人もいる。


余談だが、最近では犬や猫の歯磨きセットも売られている。
上のような事情から、最近ではペットも虫歯になることが知られているからだ。
私もその歯磨きセットを持っている。
最初のうち、我が家の猫は嫌がったが、最近では慣れてくれたので、ホッとしている。

もっとも、私はシーチキン状のキャット・フードを使わず、生身の魚を時々、与えてやるようにしている。
我が家の猫も喜ぶ。
また、腎臓病や膀胱炎になるリスクも少ないし、また、猫の歯の汚れも少ないだろう。

結局、猫にとって一番良い食生活は「新鮮な魚を与えることだろう」ということに気付く。
これも余談だが、奈良時代ぐらいに猫は中国から輸入されたらしい。
その頃の猫の主食は、ネズミやスズメなどの鳥だったらしい。
つまり、合成食品添加物が一切無かったから、かえって、猫の健康に良かったと思われる。
また、当然、膀胱炎にもならなかっただろうし、虫歯にもならなかっただろう。
これは今の人間の食生活にも同じ事が言えるだろう。

つまり、人間にとっても、猫にとっても、理想の食生活は、何も添加されていない新鮮な食べ物であろう、と気が付く。
ところが、猫の好物の新鮮な魚は、カツオとか鯛とかだ。
人間でもそうだが、毎日、寿司に使われるような新鮮魚には値段札が付けられている。
もし、おカネというものが、この世から消えたら、その値段札は消えるだろう。
しかし、最近の世界での寿司ブームにより、カツオとかマグロの値段が上がっているらしい。
つまり、値段札が付けられているからこそ、逆に漁業資源などの乱獲が防がれていることがわかる。
つまり、おカネによって貴重な資源が守られている。

だから、これは「おカネが悪い」というよりも、「人間や生物の肉体から発せられる物質への欲求が悪い」ということになる。
人間の真の問題点はここにあると思う。
チョコレートやステーキを目の前に置かれると、どうしても人はそれらを口に入れ、食べて、太りやすい。
また、それ程、欲求が強い。
真の問題点はここにあるのだ。
だから、この点は自分で物質に対する欲求を減らすか、物質に対する欲求の弱い肉体を作らなくてはいけないかと思う。
だいぶん、難しいことまで、ペンが踏み入ってしまったが、我が家の猫のおしっこの固まりが血などの不純物を含んでいないのを見て、安心すると共に、幸せを感じてしまう。

良かったことだ。20101214181523

                      
            坂本  誠

2010年12月28日 (火)

七百十三: 方丈記(我が家の猫ベルの帰天_No15)

今の我が家の猫は黒猫ですが、以前に亡くなった我が家の猫は白猫でした。
名前をベルと言いました。
読者の中には覚えてくれている人もいるかと思います。
そのベルをふとした機会に思い出すことがありました。

以下、いきなりなのですが、角川ソフィア文庫の『方丈記(全) 鴨 長明 著 武田友宏 編』の引用をさせて下さい。
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[二一] 子を失った武者の号泣

 ある武士に六、七歳ほどの一人息子がいた。この激震のさなか、その子は、屋根のついた土塀の下で、かわいい小家を作り、たわいなくあどけない遊びに夢中だった。と、突如、土塀が崩れ、一挙に埋められて姿が見えなくなった。
 ようやく掘り返したところ、小さな体は瓦礫でぺしゃんこに押しつぶされ、二つの目の玉なんか一寸(約三センチ)ほども飛び出してしまっていた。両親は愛児の遺骸を抱えて、声を張り上げて泣き悲しみ合った。私はその現場を胸をえぐられるような思いで目撃した。愛する子を失った悲しみには、勇猛な武士といえども、恥も外見もなくしてしまうものなのだと実感した。気の毒で、こんなに嘆くのも無理はない、と心の底から同情した。
 

:『方丈記』の原文

その中に、ある武者(もののふ)のひとり子の、六つ、七つばかりに侍(はべ)りしが、築地(ついひじ)のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなるあどなしごとをして、遊び侍りしが、にはかにくづれ埋められて、跡形なく、平(ひら)にうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりづつうち出だされたるを、父母かかへて、声を惜しまず悲しみあひて侍りしこそ、あはれに悲しく見侍りしか。子の悲しみには、たけき者も恥を忘れけりとおぼえて、いとほしく、ことわりかなとぞ見侍りし。
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         坂本 誠

2010年9月 7日 (火)

五百七十九: だっこ

ちょっと出かけた後で、家の敷居をまたぐと、我が家の猫がすり寄って来る。Img7d94656079a4
そして、自ら、「だっこ」をねだる。
いつもは「だっこ」を嫌がるのに、こんな時だけ、「だっこ」をねだる。
そして、いつまでも私の腕の中から降りようとしない。
困ったものだ。
その困ったところがいじらしくも可愛い。
困ったものだか可愛いものだか、わからない。

         坂本 誠

2010年8月14日 (土)

五百五十一: グルーミング

こんにちわ。
猫のノミ取り用の櫛で、我が家の猫をブラッシングしてあげる時があります。20100813102026
グルーミングですね。
すると、猫も気持ち良さそうにします。
特に我が家の猫は顎の下辺りをブラッシングしてあげると、せがんでくるぐらいですね。

グルーミングは猫と人との触れ合いで重要な時間だと言われています。
グルーミングをしてあげることで、猫にノミがいるかどうか、また、猫の健康をチェックできるのですね。
グルーミングをしてあげると、猫は気持ち良くなります。
だから、猫も幸せになるし、その姿を見て、人も情緒が落ち着いて、幸せになれます。
最近では、お年寄り達の介護施設にも優しい犬や猫を連れてきて、お年寄り達の情緒を安定させるのに、役立っていると聞きます。
ペットも医療に役立つのですね。

グルーミングという言葉自体が穏やかで暖かい雰囲気を持ってますね。
お互いが暖かいものに包み込まれてゆくような雰囲気をこの言葉は持ってますね。
「暖かいもの」ってお互いが交し合う愛情かと感じられます。

人や生き物は愛を学ぶ存在だと思うのです。
争いや戦い方を学ぶ存在だとは思わないのです。
自分の子供を愛する気持ちやペットを愛する気持ちの方が幸せを感じると思います。
他人と戦いを行う気持ちを持っていると自分自身が不幸な気持ちを持つと思うのです。

小さな子供や小さなペットを不幸にさせている人は、その時の自分の気持ちの方が、より不幸な思いを背負っていると思います。
やはり、「他人と戦ってやり込めてやろう」という殺伐とした心を持っていると、やがて、そのような人は自分の心が殺伐とした状態になっていくのに気付くかと思います。
今までの人の歴史の中で、多くの争いや二つの大戦を経て、争いの悲惨さを学び続けたので、人は平和と愛の精神を尊び、学び、また、そちらの方が正しいと充分に理解したと思うのです。
「争いや戦いを好む」という人と「平和や愛を望む」という人のどちらが正しいかは、これは多くの人が事前にわかるかと思います。

         坂本 誠

2010年2月20日 (土)

三百二十八: コンクリート(我が家の猫ベルの帰天_No14)

最近、我が家の猫ミリィの避妊手術のために、動物病院を訪れている。
だから、同時に我が家の猫ベルのことも思い出してしまっている。
私もつくづく、「人の子だな」と思ってしまう。
他の人も言っているけれど、男と言うものは瞬発力はあるけれど、どこか、もろい。
自分で自分を見て、コンクリートのように固くて、もろいと思う。
コンクリートは固いが故に、もろい。
何となく矛盾していると思う。
今、何がしかを思い出している。

悲しみを癒すために美術館にやって来た。
しかし、何かの疑問を抱えていた。
ノルウェーの画家ムンクの作品を見ている。
画家は生きる不安を描き続けた。
一体、不安の芸術とは何だろう?

人は生れ落ちた瞬間から、死の恐怖にさいなまれていることを思い出してしまう。
しかし、ムンクの芸術が悪いとは思わない。
しかし、なぜ不安と叫びがこの世を貫いているかわからない。

帰天したベルはもう苦しんでいないだろう。
しかし、生きている当の僕の方が精神的に苦しんでいる。
ムンクも少年や青年の頃に家族をたくさん失っている。
だから、死んだムンクの家族よりも、この世に残されたムンクの方が悲しみに引き裂かれている。
私は出来るだけ悲しいことは書きたくないつもりなのだが、まるで激流に流される何かのように、今、筆が流れてゆくのだ。
堰を切った水が何かに変化するかのように。
死人は死を怖がらない。
なぜならば、死んでいるからだ。
死というものは、生きている人間が恐れるものなのだ。
不思議な矛盾を感じる。

もし、「この世に悦楽や愉楽の絵しか描いてはいけない」となると、人々は苦しくなるだろう。
苦しみや悲しみも人間の一面だからだ。
いや、人の人生の大部分は苦しみの連続だから、ムンクやゴヤの黒い絵のような絵の方が多くて正解なのかもしれない。
逆に言えば、なぜ、死とはそれほど恐ろしいものとして、人に授けられているのだろう?
こればかりはわからない。
何度考えてもわからない。
多分、ほとんどの生き物が病を得て死ぬからだろう。
確かに病を得て、死んでゆく生き物を見ていると、病のために苦しみながら死んでゆく。
だから、私が考えるに、死が悪いのではなく、苦痛をもたらす、その病こそが悪いのだと思う。
もし、全ての生き物が病を得ず、苦しむ事無く、眠るように死んでゆけば、「死は悪である」という評価は無くなるのではないかと思っている。

あと、死はある生き物同士のお別れでもある。
別れの悲しみだけはどうしようもない。
別に死に別れでなくても、生きている間にも別れと言うものはよく起きる。
これだけは仕方ない。
しかし、、、、、、、、、
いや、これ以上はもうよそう。
喧騒の中に自分をさ迷わせることにしよう。Img7dace95d31e

         坂本誠

2010年2月13日 (土)

三百三十一: 猫の葉っぱ

小学校1年生の時の理科の授業の時に、朝顔を育てる実験をしました。Img7dace95d4b5
遠い昔の記憶です。
しかし、私は水をやり過ぎてしまい、根腐れを起こしたのか、朝顔は育ちませんでした。
(実は大分、悲しい思いをしました。)
幼い私は豊富に水を与えることが、何よりも花を愛でることだと考えていました。
しかし、現実は違っていました。
今でも「花への水のやり過ぎとは、どれぐらいの量を言うのか?」で考えてしまいます。
花への愛情が水になっているのですが、この愛情をやり過ぎてしまうと、植物が育たなくなってしまうというのは難しいものです。

今、私は「猫の葉っぱ」で同じ境遇を味わっています。
我が家の猫ミリィのために「猫の葉っぱ」を買ってきました。
購入当初から、その植物は弱っていました。
水を上げすぎたせいか、逆に弱ってしまいました。
今は日光をよく浴びさせるように努めています。

         坂本誠

2010年2月 6日 (土)

三百二十三: 不読(我が家の猫ベルの帰天_No13)

我が家の猫ベルが帰天して、早いもので、もう7ヶ月が過ぎました。
その間に我が家に新しくミリィがやって来ました。Img7daca594c4b

私はこの『悲喜憐偉』にベルの帰天シリーズを以前に書いたのですが、今になって、その部分を読み返すちからが無いのに気付きました。
どこか字が間違っているかも知れないですし、不適当な発言があるかも知れません。
にも関わらず、読み返せないのです。

また、たった今、夏目漱石の随筆『硝子戸の中』を幾分、読み始めてみました。
最初の方には夏目漱石の飼った犬、ヘクトーについて書かれた部分があります。
その部分に入ったら、その箇所を読めない自分に気付きました。
多分、私の書いた『我が家の猫ベルの帰天』シリーズは、もう私が読み返さなくても良い部分なのでしょう。

今、我が家にはミリィがいます。
もう、それだけで良いのかも知れません。

         坂本誠

二百五十七: 野良猫の歯

今朝もジョギングをしたら、野良猫を見かけた。
誰でも、野良猫を見かけると思う。
野良猫が増える原因も世間で色々と取り沙汰されている。

色々あると思うが、私は野良猫の歯が心配だ。
人間の出したゴミを野良猫が食べている。

猫は自分で歯を磨くことが出来ない。
最近では動物園のカバやサイも虫歯になっているそうだ。
人間が人間のお菓子などをカバやサイに与えたためだ。
今では動物園で動物に人間のお菓子を与えることが、ほぼ禁止されている。

今でもあっているかも知れないが、以前、アフリカの文明化されていない人々の子供にある人達が飴玉を与えていたそうだ。
その人達はアフリカを来訪した際に、その子供達に飴玉を与えたのだ。
なぜならば、その子供達が美味しい飴玉を喜ぶからだ。
結局、その子供達は虫歯に苦しんだ。
村には歯医者もいないからだ。
その後、その子供達がどうなったかは私は知らない。

似たような事が今、私達の目の前の猫や犬に起きている。
つまり、猫や犬が虫歯に苦しめられている。
やっと、それに気づき始めた私達が、今や遅し、とばかりにペット・ショップに犬用の歯ブラシとか犬猫用の歯磨き粉を置いている。
普通、私達はペットの内臓の事には気を使うが、歯の事までには気付かない。

今、我が家にはミリィという子猫がいるが、以前の我が家の猫はベルだった。
年老いた頃は歯の具合が悪かったのかどうかわからないが、キャット・フードをボロボロとこぼしていた。
もっとも、歯が悪くても猫の歯の具合を診察できる獣医はほとんどいないと思う。
猫が長時間、獣医に対して口を開いておく、という事はまず不可能だからだ。
また、当然、猫は喋ることが出来ないから、自分の具合を人に伝えることが出来ない。
また、私も

    「猫や犬に虫歯の疑いがある時はどうすれば良いか?」

と色々と文書を調べてみたが、

    「獣医に相談しましょう」
   
等の文面が見当たるだけで、具体策がほぼ無い。

つまり、猫や犬等のペットに人間の食べ物を与えてはならない。
また、最近ではペットショップに犬猫用の歯磨き道具が売ってあるから、毎日は出来ないとしても、定期的に犬や猫の歯を磨いてあげるべきだろう。

犬や猫の歯の事を考えると不憫でならない。
なぜならば、私自身、いや、人間自身が虫歯の苦しみをよく知っているからだ。

色々とペットの歯の事について思いついたけど、もっと大きなことまで考えてしまうことも出来る。

    「なぜ、野良猫は多いのか?」
   
とか、

    「猫を捨てなければいけない人間の家庭環境」

とか、

    「人間に深刻な影響を及ぼし続けている経済、云々、、、」

とか、

    「私達、生き物の目標自体は本当に正しいのか?」
   
と言ったところまで、考えが行き着いてしまう。

だけど、今はここで筆を置いておきたい。
   
   
         坂本誠

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