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2013年2月 4日 (月)

二千八百八十八: 散歩

こんにちわ。

昨日は、久々に晴れていましたので、近所のスーパーまで、買い物も兼ねて、ウォーキングしました。
冬の中でも、明るい陽射しの中を、気持ち良く歩くのは、とても気持ち良いものです。

歩く途中で、色々な家庭菜園を見ました。
車を使う道路で、いつも、車を使っていると、そういう小さな道端の光景にも、気付きにくくなるものです。
走っていると、道路沿いの花を見づらくなるのと同じですよね。

家庭菜園では、冬の野菜である大根や白菜が可愛らしく立っていました。
それが、私の気を和ませました。
私の住んでいる近所では、家庭菜園が多いのに、改めて気が付きました。
微笑ましい光景でした。

また、実際にそれらを食べると食費も安く付きますしね。

綺麗に澄んだ青空を見ていると、「いつまでも、こんな青空が続けば良いな」と感じたものでした。

                坂本  誠    Pc270146

2013年1月 3日 (木)

二千七百九十一: 湖を見ながら(独白)

湖を見ると、なんとなく、気が安らぐ。Img7d9406586532
理由はよくわからない。
川や海を見ていると、動きを感じてしまう。
川には流れがあるし、海には波のうねりがあるから。
しかし、あまり、湖には動きというものが無い。

だから、水にも色々な顔があると思う。
動きの豊かな水と静かさを持った水だ。

特に、湖に静かさを感じてしまう。
あまり動きが無いし、また、広々としているからだろう。
池というものは、湖よりも小さいので、広大さを感じる湖の方が静かさを感じるのだろう。

また、湖には、鳥達が集まりやすい。
その鳥を眺めるために、人が集まってくる。
人々も湖の持つ静かさの親しみやすさのために、湖に集まるのだろう。
白鳥や鳥達の動きを見るのも、とても、心安らぐことだ。
湖の上で鳥達がくつろいでいるというのは、とても、平和な事だ。
そして、人はそれらを見て、湖のほとりで和む。_

また、古来より、湖の美しさは愛でられてきた。
外国にも、秀麗とされている湖の存在を聞く。
それらは、よく、写真集の中にも納められていたりする。

水の美しさにも、それぞれの地形によって、顔が違うというのも面白い。
動きのある川の美しさ。
ゆったりと流れる川の美しさ。
動きの激しい海の美しさ。
あるいは、穏やかな海の美しさ。

動きのある川の美しさは、川の源流地帯や中流域が持つと言われている。
ゆったりと流れる川の美しさは、よく、大河の麓だと言われている。
動きの激しい海の美しさは、海峡とか、外海とか、磯と言われているだろうか。
穏やかな海の美しさとは、静かな内海かもしれない。

ただ、私としては、あまり波の無い静かな湖を見ていると、まるで、何かの高い音でも発しているように感じる。
高い音と言っても、人を不快にさせるような音では無い。
湖面の水に掌を近づけてみる時、水の表面から、やわらかい波紋が空中に、そっと浮かび出て来ているような感じがする。
その波紋が、その高い音というわけだ。
そして、ちょうどその時、私の手からも波紋が出ているような気がする。
私の手から出る私の波紋と、湖から出て来るその波紋が触れ合い、混ざり合い、溶け合い、静かに調和してゆくように感じてしまう。

疲れた時に、湖を眺めることは良いことだと思う。
いつの間にか、心が落ち着いてゆく。__2
                       
                       
                       
                坂本  誠   

2012年10月22日 (月)

二千五百五十八: 秋の野原

こんばんわ。
秋というものは、美しいものですね。

私は秋という季節が一番好きです。
というのも、夏が苦手だから、秋が好きなのですが。
春よりも秋が好きな点は、「これから気温が下がって、涼しくなること」です。
気温が涼しくなるのが好きです。Pa190151
そしたら、気分も落ち着きますし。

一昨日の土曜日と昨日の日曜日も、良く晴れた日でした。
郊外に出かけた人も多かったかと思います。

私の近くにも、高原に似たような場所があり、そこへ行くと、秋の野原の美しさを楽しめます。
多くの人も、秋の高原に行くと、とても気が休まるかと思います。

そこには、都会に無い安らぎがあります。
広々とした草原を見ていると、心まで広くなるのでしょうか。
それとも、ススキの揺れ具合が人を安心させるのかもしれません。
また、草原の緑が目を癒してくれると同時に、心の奥底も癒してくれるのかもしれません。
そして、まばらに木が立っているところも、また良いものです。
森だと、木がたくさん立っていますから、かえって、なかなか、木の美しさがわかりづらい時があります。Pa190148
木の美しさを愛でるのは、こんな草原地帯が良いのかもしれません。

そして、そんな場所をゆっくりと歩んでみます。
そして、ときおり、かがみこみ、両手を大地に付けて、胸の奥底まで、高原の爽やかな空気を深呼吸すると、身体の奥底まで、清らかになるかと思います。
まるで、太陽の光までも、胸に吸い込んでいるかのように感じます。
出来るだけならば、その感じで、おでこを大地にくっつけてみるのも良いことかもしれません。

今の現代人は、「土のぬくもり」という言葉を忘れているかと思うのです。
だから、休日に、緑の多い場所に行って、こんなことをしていると、気が休まったりすると思います。
また、病気を持たれている人も、こんな場所に行くと、病気の治りも早いかと、私は感じてしまいます。
保養地というのも、結構、自然の多い場所、こんな高原地帯にあることに気が付きます。
保養地があって、保養所もあるのに気が付きます。

高原地帯に行って、心を穏やかにすることは、私達にとって大事な事だと思います。
心が穏やかであって、次の行動に進めますから。

                坂本  誠Pa190153

2012年10月 4日 (木)

二千四百六十八: 赤い彼岸花と緑の田んぼ

こんばんわ。

上の『二千四百六十七:列車の旅』に続くのですが、列車の窓の外を見ていると、田んぼのあぜ道の横に、綺麗に彼岸花が咲いています。
田んぼは大体、緑色ですから、赤い彼岸花が、とても対照的です。
また、よく見てみると、今は10月ですから、イネの穂は、黄色に染まっています。
また、彼岸花は白い色をした彼岸花もあります。P9200147_2
赤、緑、黄色、白。

秋のこの季節は、色とりどりであることに気が付きます。
これから、紅葉の季節ですから、山中の色も、美しく変化してくるでしょう。

さりげない場所にも、様々な美しさが隠れていることに気が付きます。
また、自然は、それらをたゆみなく私達に与えてくれていることに気が付きます。
また、秋は収穫の季節でもあります。
ですから、人は、自然に感謝できる季節でもあります。
それは確かに、どんな季節にも、感謝しないといけないものですが、とりわけ、私は秋が好きです。
上に書いたように、田んぼの中の美しさもありますし、山の中の紅葉の美しさもあるわけです。
この「カラフル」な点を、私は愛しているのかもしれません。

秋の美しさは、この「カラフル」な点と、それに添えられる秋風の涼しさでしょう。
確かに、自然災害が最近は多いものの、大地は、たゆまず、米を育ててくれたり、その他の収穫物を育ててくれています。
ですから、秋の田んぼと赤い彼岸花の美しさを見て、どこか、「ホッ」と胸をなでおろす人もいるのではないでしょうか。
他ならぬ私自身が、心の中で、「ホッ」と胸をなでおろしました。

            坂本  誠P8310149

二千四百六十七: 列車の旅

久しぶりに電車に乗る機会がありました。
いつも見慣れていない場所を電車で移動している際に、窓の外を景色を見て、釘付けになる人もいるのではないでしょうか。

車の旅でもないから、ゆったりとひじをつきながら、窓の外の風景を眺めることも出来ます。
その窓の外の景色も、普段、見慣れていないので、いつまでも、眺めることも出来ます。
また、眠たくなったら、いつでも眠ることが出来ます。
これが、車の旅との違いです。
また、列車が揺れている間に、眠くなる人もいると思います。
その揺れ具合は幼児の頃のゆりかごを誰でも思い出すかもしれません。
だから、眠くなるのかもしれません。

「車の旅と、列車の旅に、これほどの違いがあるのだ」と今さらながらに感じてしまいました。

            坂本  誠

2012年4月17日 (火)

千九百三十四: 宇宙旅行について

今、朝の冷気の晴天の中を鳥が飛んでいきました。
可愛らしく鳴いていましたね。

それと、いつもの私のジョギングですけど、昨夜、ジョギングしていたら、金星が美しく輝いていました。

先ほど、見た鳥と金星を思い出して、考えるのですけど、やはり、背中に大きな翼を付けて、「私は金星まで飛んでいきたいなあ」と感じてしまいます。
優雅な宇宙旅行ですよね。

映画とかを見ますと、宇宙船に乗って、どこかの星に旅する、というのもよくありますけど、自分の身体に翼を生やして、そのまま宇宙空間を光速の速さで移動できるシーンを思い浮かべるのも楽しいものです。
また、現に、そうなったら、嬉しいものですよね。

そのような願い事を美しいヴィーナスの星、金星に祈っておきます。
                        
金星様、私の祈りを聞き届けてくださって、ありがとうございます。Img7d9392d02693

                        
                坂本  誠                   

2012年4月 8日 (日)

千八百六十五: 夜桜(独白)

                        
夜の通りを歩くと、夜桜を見かける。
月に照らし出された桜を見るのは美しい。

桜の木がぼんぼりのようだ。
その姿を見るだけでも、何かやわらかいものを感じる。

満開の桜の木に近づいて、桜の花びらに手を触れる。
あたたかい温度を持っているかのようだ。
私の周りに、幾つも幾つも桜の花びらが舞っている。

一つ一つの桜の花がまるで桃色の蝶に見える。

目を閉じると、桃色の蝶の大群が一斉に自分の周りを羽ばたいて、私の身体の中を通り抜けていくかのよう。
夜に舞う桃色の蝶の大群。

しばらくして、目を開けると、そこには夜桜があるだけ。
その夜桜の息吹きが、目を閉じている間、大群の桃色の蝶となったのかもしれない。

私は静かに夜桜を後にする。Abcdeg_3
                        
                        
                坂本  誠

2012年1月10日 (火)

千四百二十八: 地図について

地図について考える機会がありました。

「地図というものも人を安心させるものだ」と思いました。
例えば、誰でも良いのですが、仮に日本人だとしましょう。
その日本人が私とします。
アルゼンチンのブエノスアイレスに訪れるとします。
そして、私が日本にいる間、全くブエノスアイレスの街の地図も一回も見たことが無いとします。
そして、私が日本で目隠しされて、飛行機でブエノスアイレスに連れて行かれて、飛行機でブエノスアイレスに連れて行かれて、街のどこか一角で目隠しを外されたとします。
きっと、私は不安になると思います。

西も東もわからず、街のどこか一角に立っているわけです。
ですから、どうにかこうにかして街の外観がわからないと、どちらに向いて歩いて良いかわからないわけです。
また、言語も通じません。
同じ話は、ロンドンとかモスクワなどに話を置き換えても同じかと思います。

なので、街の地図というのも、言わば、その街の案内人です。
確かに地図は人とは言えませんが、一種の人に似ています。
車によく取り付けられているナビゲーション・システムも似たようなものです。
カー・ナビゲーション・システム、略してカー・ナビとも言われますが、そのカー・ナビが無い頃は、助手席に座って、地図を開いて、ドライバーを誘導する人のことをナビゲーターと言っていました。

ですから、旅先での、片手の上の地図も、心のこもったナビゲーターと言えるかもしれません。
また、そんな時、街を通りすがる誰もが道や街の状況を詳しく教えてくれる優しい案内人だったら、私達は地球上のどこでも安心して歩けると思います。
               
               
                坂本  誠

2011年10月21日 (金)

千三百十七: 砂漠を見ること

おはようございます。

以前にも似たことを書いたのですが、砂漠の写真を見ると、どことなく、不思議な感慨を抱きます。
何も無い荒野が広がっています。
また、日本にも砂漠に似たような砂浜があったりするので、多くの人はそんな砂浜に出たことがあるでしょう。
その広い砂を見続けると、全く、常日頃、自分の生活している環境とは別な何かを感じます。
多分、高い山に登っても、同じ雰囲気を感じるのではないでしょうか。
しばしば、富士山の登山者がその山頂に登っているテレビ画像が写し出されますが、やはり、砂と岩ばかりが続く不思議な光景を目にします。
山にはそんな土地が多いですよね。

普通、たいていの人は道路があったり、家があったり、ビルがあったり、草木があったりする景色を見ますが、砂漠というのは、ちょっと私達が慣れている環境とは違います。
だから、その不思議さに何かを感じることでしょう。
また、以前、テレビでも放映されていましたが、砂漠に落ちる夕陽の美しさに心を打たれている人々が紹介されていました。
真っ白な大地の上、何も起伏の無い、また、人工物が一つも無い荒野の上に、大きな赤い夕陽が落ちていくのです。
その光景を小さな人々が見続けている。
私がテレビで見ても、どこか圧倒される光景でした。
そういう光景は、アメリカのグランド・キャニオンをも彷彿(ほうふつ)とさせるでしょう。

砂漠という不毛の大地でも、どこか人にとって必要なものがあると、私は思います。

しかし、私達の普段見慣れない砂漠も、今、拡大の一途をたどっていることが知られています。
地球温暖化が絡んでいると言われています。
その他の原因も絡んでいるかもしれません。

一応、砂漠自体は人間にとって暮らしにくい大地なので、これ以上は拡大はしない方が良いかと思います。

しかし、私が砂漠を見ていると、「無とは何か」を考えたりします。
禅で言うところの「無」ですね。

砂漠を見ていると広漠な何かを感じます。20110404110756

                坂本  誠

2011年10月17日 (月)

千三百十: パワー・スポットについて

こんばんわ。

時々、パワー・スポットと呼ばれる場所に行くことがあります。
世間では、色々と開運のために行く人も多いですが、私もその一人でしょう。
確かに、誰でも良い運を持ちたいものですからね。

「運とは何か?」と考えたら、話が長くなるので、以前に書いた『二百九十四:幸運と悪運と人間』をご参照ください。
日本で、パワー・スポットと言えば、神社に多いようです。
あるいは山でしょうか。
確かに、神社には、神様が祭られていると言われていますから、その神様に祈ったら、良い運を頂けた、ということもあるかもしれません。
また、山の上にも神様が鎮座していると言われていますから、上と同じ要領で、良い運を頂けるかもしれません。

だいたい、私達が見て、山頂というのは特別な場所です。
大地がポイントになっています。
大地と天が接している場所と言えるでしょうか。
ですから、人の生活している場所と比較して、特別な場所と言えるでしょう。
その特別な場所に山の神様が鎮座していると言われている。
だから、山頂に神社や祠が建てられている山もあります。

しかし、もちろん、平地にも神社が建っています。
そして、普段、私達の見る神社とは、かなり古い昔に建立されていることに気が付きます。
で、地形的にも、少しばかり、人家の建っている場所とは違う雰囲気がします。

一説によると、風水師のような人が、古い神社を建立する場所を見つけるのに何年も何年も、「気」と呼ばれるものを感じて、その最高の気を感じた場所に、神社を建立したとか。
あるいは、昔の人がその場所に来たら、その神社に祭られている神様を見て、驚きと畏敬の念を持って、その地に神社を建てたとか、伝承があります。
ですから、平地に建っている神社にも、何らかの「気」の流れ出るものがあり、その「気」に触れて、人は良い運を頂けるのかもしれませんね。

また、私が思うに、神社の境内には、たいてい、ご神木と呼ばれるものがあります。
日本語では、「気(き)」と「木(き)」は、同音語です。
ですから、現在でも、パワースポットを探そうと思ったら、立派な木が生えている個所がそうなのかもしれません。

もっとも、これは、私の推測なので、はっきりとはわかりません。
しかし、屋久島には、巨大な屋久杉とかが生えており、それによく、しめ縄などがされています。
つまり、それらの屋久杉も、神聖なものとして祭られているわけです。
ですから、立派で大きな木を見たら、そこに、何かの気が流れているかもしれませんね。

                                                          写真は「阿蘇神社」20110721150252

                坂本  誠

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