カテゴリ「恋愛・結婚」の22件の記事 Feed

2010年11月13日 (土)

六百四十二: 男女の恋愛について

たまに、あるジャンルの漫画でその昔のものを読むと、以下のような光景を見ることが多いです。

ある主人公がその人の好きな異性と幾らか話し合った後、彼等同士の部屋の扉を閉ざし合い、つまり、その人との別れが訪れるのです。
(その主人公はその人に「私はあなたのことが好きだ」と伝えていないことが多いです。)
そして、彼等の間に、一つの扉が、まるで永遠の別れのように彼等の心の間をも閉ざすのです。
そして、扉のこちら側にいる私達の主人公は顔を静かに赤らめながら、静かに恋の思いの嬉しさの喜びと苦しみに悩み始めるのです。

その主人公は自らの恋の思いを何とかして、打ち消したいのです。
かと言って、その愛の思いを打ち消すことが出来ないのです。
それこそが恋愛の喜びと苦しみでしょうか。
しかし、その主人公の扉にいる異性の側も、同じ思いなのです。

世のほとんど全ての男女も、同じような経験をしているかと思うのです。
だから、愛の思いの経験と言うのは、誰にとっても恥ずかしい行為ではないと私は思うのです。

それは誰もが経験済みなのですから。
だけど、その漫画のように、恋愛の思いには

    「私は恥ずかしいから、恋愛は罪なのだ」

という思いがなぜ誰にでもつきまとうのでしょう?

これも誰もが抱く思いでしょう。
私はわからないです。
「恋をする」というのは、罪ではありません。
しかし、恋の思いが罪の思いのように感じるのはなぜでしょう。
私はわからないです。Img7d92bfdadf53

         坂本 誠

2010年8月 5日 (木)

五百四十三: 織姫と牽牛

今は七夕の季節だ。
織姫はこと座α星で1等星のヴェガで、牽牛はわし座のアルタイルの星に象徴されているそうだ。
中国の古代伝説に織姫と牽牛が出てくる。
それによると、織姫と牽牛は共に働き者だったが、結婚して以降、あまりにも仲が良くて、お互いに授けられている仕事をサボっていたそうだ。
怒った天帝が織姫と牽牛の仲を無理矢理引き離し、一年に一度、ちょうど、この季節にしか、出会えないようにしたらしい。

一年に一回しか会えない織姫と牽牛も、きついだろうが、この伝説から考え付くのは、一年という時間を現代の一週間に置き換えても、話が通じるところだ。
普通の街の恋人でも、大体、一週間に一回ぐらいしか会えない。
一年間も一週間も似たような感覚かもしれない。
また、若夫婦も今では日中の10時間ぐらいは出会えない。
これも似たような時間感覚かもしれない。

古代から男女というものは引き裂かれている。
最初から男女の区別が無かったら、この世界はどうなっていただろう?
つまり、性の区別の無い世界のことを考えているのだが。
アメーバ等は分裂して増殖しているだけだ。
それが私達の状態だったら?
きっと、想像も付かない程、変わった世界になっていたに違いない。
だから、織姫や牽牛のような苦しみは全く無いだろうけれど、今度は出会う楽しみも全く無い。
そんな世界を空想してみると、あまり、嬉しくなる人はいないだろう。

         坂本 誠

2010年6月 5日 (土)

四百五十一: 住む場所

別に僕達の世界で、今現在、二酸化炭素や公害を排出している世界でも、その世界の存在自体は許されても良いと思う。
なぜならば、自分達の与えられている環境で、その環境を維持するための精一杯の努力をしたのだから。
二酸化炭素の大量の排出が必要な時代も地球にとって、必要だったかもしれない。

でも、たとえ、有毒ガスに囲まれた生活であろうとも、二酸化炭素を吐き出している世界であろうとも、人が生きていけて、恋をして、自分達の世界をより良くして行こうという心がけがあったなら、地獄に居ても、それはそれでいいんじゃないだろうか。
そんなことを素朴に思う。

戦国時代の刀を交し合う世界でも、男女は恋をすることが出来た。

今の時代でも、遥かな後世から見たら、「とても男女の恋愛の出来る時代ではなかった」、といわれるかもしれない。
有毒ガスが排出されているから。
でも、有毒ガスが排出されている現代の空の下でも、男と女は愛し合うことが出来た。
明日の世界のために。

男女の愛が続いている。
だから、どんな過酷な環境でも、愛は生まれる、、、、、
、、、のかも知れない。

         坂本 誠

2010年1月 6日 (水)

二百八十八: 恋愛

普通の男女は学校にいる時に異性の教師に恋心を抱くことは当たり前だと思う。
それを罪と見なす方が悪いと思う。

私の幼少の頃の事からも考えると、男女の恋愛なんて死ぬまで続くものだと思う。
私がヨボヨボのお爺さんになっても、異性に恋愛の感情を持つのは自然ではないだろうか?
私は男だが、老齢の女性にしても、同じ意見を言う人は多いと思う。

街角で自分の配偶者よりも素晴らしい異性を見ることなんて、誰でも当たり前のように起こっていると思う。
ある程度、恋愛についても人は、おおらかな気持ちを持つべきだろう。

人の心には柵が無い。I_love_you_1

I Love You -1

    坂本誠  2009/12/15   作

         坂本誠

2009年10月30日 (金)

二百五十二: 性的なこと

人は二次性徴を迎えると、子供を生める身体になる。Img7d9406586541
人間だけでなく、全ての生き物もそうだ。
同時にあの恥ずかしくて、ちょっとこっけいなスタイルを誰でも、とらされる。
だけど、恥ずかしいスタイルをとらされるからこそ、

    「人って偉そうなこと、誰も言えないな。逆にへりくだっていられる」

と開き直ることが出来るかもしれない。
また、

    「人間、皆、同じ」

という平等感を得られるかもしれない。

         坂本誠

2009年10月 4日 (日)

二百四十: 男女

あまり、男女の恋愛のことについて語らない私だけど、やはり、何をか書いてみたImg7d91ab864d64 くもなる。heart
誰もが人間だし好きな異性のいない人は、まずいないだろう。
よく言われていることだけど、好きな異性と出会っている時間は大変短いけど、好きな異性と離れている時間は大変長い。

また、人間は二次性徴を迎えた後で、子孫の残せる身体になる。
小学校の1,2年生や幼稚園の頃は子供は作れない。
だけど、不思議な事に誰でもその幼少の頃でも好きな異性がいる。
小さな少年(少女)が

    「この女(男)は嫌いだ!」

と、よく言っているが、実はその大嫌いな異性を好きなことも多い。
だから単純に人間は子孫を残すために男女の性別があるのではないとわかる。

もし、遺伝子操作で仮に男(女)だけの世界を作り上げ、子孫を残せる世界を作っても、多分、その世界は滅ぶと思う。
どんな人間でも好きな異性ができるのだから、そのことを通じて、人は

    「愛とは何か?」
   
を学ばされていると思う。
人類愛と言う広い意味の愛もあるけれど、やはり出発点は男(女)が女(男)を好きになることだ。gemini

単純に男(女)が女(男)を喜ばせたがっている。
確かに相手の喜びと、こちらの喜びがはねかえりあって、お互いの幸福感がどんどんふくらんでいる。
幸福がふくらんで、ふくらんで、満ち足りた状態で新たな生命がこの世に出てくる。
愛が無ければ自己複製というものができないと言うことがわかる。
もちろん、ここで書いている「愛」とは精神的な意味での愛だ。
そして気付くのだけど、人は生まれてから死ぬ瞬間まで、男女の愛を続けていることがわかる。
人は生きている間に様々な問題に出くわすけど、生まれてから死ぬその日まで、男女の愛の問題を背負っている。
誰でもそうだろうけど、人は結婚した後でも男女の愛の問題に悩んでいる。

男女の愛の問題は掘り下げても、掘り下げても、尽きることがない。
底無しの泉と言うのだろうか。
どこまで考えても底が見えない。
人の歴史が始まって以来、この問題が続いているし、また、どんなに未来の世界になっても、この問題に終わりは無いだろう。

この男女の問題に比べたら、金融工学の何かの方程式はお粗末に見えるだろう。
単純に、ちょっと見渡しただけでも、犬や猫や動物園の中の動物もオスやメスがいる。dogcat
目にすることのほとんどの全ての動物には男女がある。
植物もそうだ。
男女の区別の無い生物とはアメーバとかウィルスぐらいなものだ。
だから、全ての犬や猫の動物でも男女の問題を与えられているのだから、驚きを感じる。

         坂本誠

2009年8月 8日 (土)

百九十四: 恋慕_4

恋慕_2」と「恋慕_No3」の姉妹編です。

男でもそうだし、女でもそうだと思いますが、別に身体の欲望の無い幼少時代でも、自然と異性を好きになっていたと思う。
そして、人間は死ぬ間際まで、恋愛をし続けるだろう。
性欲の消えた老年時代でも、人は異性を愛したりする。

heart

これは仕方の無い話だろう。
人の心は自由だ。airplane
柵がない。
肉体ならば拘束は効くが、心に柵は無いから束縛のしようが無い。

だけど、心は自由だが、現実の行動までは、セーブをしないといけないものだ。
心には柵がないが、肉体には法律や道徳や慣習や因襲と言ったものが存在するからだ。

そして、心の中で誰かを思うことも多分にあると思うが、現実の行動や、肉体を使っての行動をセーブするのが人に与えられた一種の仕事なのかもしれない。

もし、仮に心の中で悪を思っても、それを現実に、物理的に実行しない。
別に恋に限らず、これは他の多くの想念や行動に関してもそうなのだろう。
それが、僕達に与えられた課題なのかもしれない。

         坂本誠

2009年7月 6日 (月)

百五十九: 恋慕_No3

男女の間でよくある話ですが、自分(女)の惚れている男が、自分(女)への男の愛が冷め始めると、女は苦しみ始めます。
これは男と女が逆でも当然に起こります。
ちょっとよく考えてみたいのですが、「苦しむ」と言うよりも、相手を憎んでいることに気付きます。
浮気相手を憎むと言うよりも、愛の冷めかけている自分の惚れた異性を憎んでいます。
その憎しみが苦しみになっています。
そして、様々な結果が小説やテレビドラマで紹介されています。
その結果とは、多くの人々が見ていると思います。

そして、この苦しみが地球上の誰でもが経験しているのだから、驚きです。
別に男女の間でなくても、「多くの人から賞賛を受けたい」という人も同じ出来事が起きていると思います。

ハッキリ言って難しいです。
自分の愛している人が自分を愛さなくなり始めたら、なぜ、僕たちは自分の愛している人を憎むのでしょう?
誰でも恋人と別れて、2,3年もすれば、この憎しみは忘れて、普通の人間になっています。
しかし、よくよく見ると僕たちはほぼ毎日、この手の問題と付き合っています。
上司、部下、友人、教師、生徒、、、、、
数え上げたらキリがありません。
話を簡単にしたいので、男女の間だけにしておきます。
自分の愛している異性の自分への愛が冷め始めた時、なぜ、僕達は同時に愛が冷めないのでしょう?
また、相手の愛の冷めることが、なぜ、こちら側の憎しみの原因になるのでしょう?
難しい。
この手の問題は誰も解けないかも知れません。
この世には色々な謎があるが、これはほぼ最高の謎と思います。

なぜならば、この愛の問題を追及していったら、
    「なぜ、この世には愛があるのか?」
と言う疑問にぶつかるからです。
    「この世に愛なんか無くてもいいのではないのか?」
と言う別の疑問も湧くからです。
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スター・ウォーズで有名なアナキン・スカイウォーカーも愛の問題で苦しめられて、あのような悪の貴公子になってしまいました。
アナキン・スカイウォーカーについては百六十章を参照してください。)
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考えていると、この世の全ての問題は、
    「愛を得られるか、得られないか」
または
    「愛を与えているか、与えていないか」
という、たった二つの問題だけだと言うことに気付き始めます。
例えば、
    「立派な学者になって、良い仕事を納めて、賞賛されたい」
と言うのも、実は学問の問題ではなく、愛の問題です。
大金持ちになると周囲の人から賞賛されたり、尊敬されたりするが、これも元をしっかりと見れば、おカネの問題ではなく、愛の問題であることに気付きます。
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この調子で世の中をずっと見渡してみると、目に入る全ての問題は愛の問題であると言うことに気付きます。
だから、この世に様々な難しい問題があるでしょうが、この愛の問題よりも難しい問題は無いでしょう。
この問題だけは、この世の終わるその日まで続くでしょう。
だから、僕達の周りにある些細な愛の問題も軽く見るべきではないでしょう。

冒頭に、「愛してくれない相手を憎む」という文章を書きました。
小学校の生徒が、自分の好きな相手が自分を好きになってくれない、と言う理由から相手をイジメている光景を見かけたりもします。
なぜ、このような天邪鬼(あまのじゃく)のような気持ちが発生するのか、考えものです。

         坂本誠

2009年6月 2日 (火)

二十三: 人の恋

昔から人の恋は変わらないようです。
ほら、小さな子供がよく言ってると思うのです。
「あのね、絶対、誰にも内緒だよ。私、Aさんの事が一番好き。二番目にBさんの事が好き。三番目にCさんの事が好き、、、」
これが大人になっても、死ぬまで続くようだ。

一見、苦しいようにも見えます。
しかし、人は死ぬまで、愛の喜びがあるということでしょう。

         坂本誠

2009年3月17日 (火)

八十二: 恋慕_2

恋愛とは苦しみに他ならない。

恋人と出会うまでの1週間の時の流れと言うのは、人は、100年の光陰のように感じる。
そして出会ったなら、出会ったで、喜びの苦しみとでも名づけたい苦痛を味わうものだ。

恋の想いが焦りの思いになり、身体の苦しみになってゆく。
身体の苦しみが、理性と知性を狂わせて、アヘンのように麻痺させてゆく。
どこか知らない遠い場所へ沈み込ませ、埋没させてゆく(どこへ?)。

世の中には、「ストーカー規制法」という法律があるらしい。
ひどいストーカーは刑務所の中の鉄の牢獄の中に閉じ込められるそうだ。
僕が考えるに、それは罰を与える刑罰ではなく、牢獄の中に閉じ込めれば、ストーカーの心の中の恋愛の火が鎮火するだろう、という簡単な思い付きから、その刑罰を定めたように思えるのだ。
人間は肉体というものは拘束も出来るし、破壊することも出来る。
しかし、心を拘束することは出来ないし、破壊することも出来ない。
だから少なくともある人の場合は牢獄の中に、肉体を追放されても、心がある異性を慕う限り、その人間はストーカーのままだろう。
たとえ、その人間を宇宙の外に追放しても、その人間が、ある異性を想い続ける限り、その人間は恥ずべきことに、ストーカーと言う罪人のレッテルが貼られているであろう。
誰もが、牡丹灯篭のヒロイン、お露(おつゆ)の想いを偲ぶのではないだろうか?

愛が悪になることもあるものだと思う。
たとえ、それが悪だと知っていても。
しかし、男女の愛と言えども、人が生まれてから死ぬまでに、異性をただの一人も愛さなかったら、それは素晴らしい人生と言えるだろうか? 
もし、この世に男性しかおらず、しかも、それだけで子孫繁栄もなんとかなるという世界にいたなら、男は楽しいだろうか? 
また幸せに死ねるだろうか? 
答えはNOだろう。
そうであるならば、恋愛の苦しみも実は喜びなのかもしれない。
その悩みも希望なのかもしれない。

         坂本誠

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