カテゴリ「恋愛・結婚」の22件の記事 Feed

2013年1月 9日 (水)

二千八百十三: 結婚式について

こんばんわ。

結婚式について考える機会がありました。

二千八百十一:お葬式について』でも書いたのですが、結婚式というものも、かなり費用がかかるものです。
最近では、結婚式も済ませずに、役所にそのまま、入籍するだけのケースも多いようです。
多額の費用のかかる結婚式にお金をかけずに、そのまま、若夫婦のための新居であるアパートの敷金などに、費用を出した方が現実的かもしれません。

だいたい、第二次世界大戦中、つまり、太平洋戦争の時まで、都会では無い地方では、自宅で結婚式を挙げて、そこで、親類縁者を集めて、式を挙げたケースの方が多いようです。
また、戦争時代ではなく、もっと昔の世界とかは、結婚式というのも、ほとんどが自宅で挙げたものが多かったでしょう。
結婚式と言いますと、さすがに、めでたいことですから、多くの人が集まります。
ですから、自宅では、多くの人を入れるスペースが無く、大きな部屋のある神社とか仏閣の広いスペースが用いられるようになったのではないでしょうか。
そこで、「神前に報告する」というケースも多かったと思うのです。

ですから、堅い雰囲気を求めずとも、自宅の部屋で、親しい何人かの友人を集めて、肩の凝らない和やかな雰囲気の結婚式を挙げても喜ばしいことではないかと思います。
もちろん、多額の費用をかけて、結婚式場で結婚を挙げたい人がいても良いことだし、それはそれで良いことだと思います。

 

                坂本  誠   

2012年10月23日 (火)

二千五百六十一: 恋愛について

珍しく、私の恋愛論をします。
この世に生きている人で、異性を好きにならない人はいないと思います。
ですから、世の中、色々な恋愛論があります。

「恋が成就するためには、こうしたら良い」とか「結婚が成就するためには、こうしたら良い」とか、色々な場所で語られているようです。
ですから、私の書く恋愛論も、私の考えであって、「絶対に正しい」とは言えないものです。
何かの恋愛が成就するためには、その本人にとって、様々な時と場所が必用だったり、本人の努力とかが必要になるからです。

ただ、私が思うことには、お金の存在が様々な人の恋愛や結婚を阻害していると思います。
結婚について考えてみます。
ある人がいたとしましょう。
たいてい、女性について考えてみれば良いでしょうか。

女性の場合だと、男性の年収とかが気になると思います。
なぜならば、生活費の問題があります。
そして、子供が生まれたら、その子供の養育費や、場合によっては大学に行くまでの教育費を考えないといけないでしょう。
つまり、その男性も女性も、お金について苦しむわけです。
もし、お金の無い世界だったら、自分の生活費や子供の養育費や教育費を考えずにすむでしょう。

つまり、男性にとっても、女性にとっても、結婚生活の「くびき」になっているお金に苦しまずに済むわけです。
ですから、この世にお金が無ければ、男女は安心して、結婚できるのではないでしょうか。
少なくとも、安らかな恋愛が出来るのではないでしょうか。

現在、私達の目標となっているかもしれない「お金の数値を伸ばす」ことよりも、「多くの外国人との友好状態を作る」ことが目的となるのではないでしょうか。
逆に、このお金の存在が、地球の上の多くの外国人、つまり、多くの種族や民族の融合と平和を阻害しているような気がします。
そうではないでしょうか。

私の意見を述べてみました。P9100144

                坂本  誠

2012年1月31日 (火)

八百三十五: 恋愛について(独白)

恋愛についても私はいくつも語っているので、そのどれかに似ているものがあるかもしれない。

人は生まれてから、死ぬまで、恋をするものだ。
二次性徴の始まる前だって、人は恋をするし、晩年になっても恋をする。
そもそも、なぜ、男女の性別があるのかわからない。

しかし、誰でも恋をした時に感じると思う。
恋の始まりの頃には、なぜ、人は軽い罪悪感を抱くのだろうか?
少しばかり、後ろめたい、あの罪悪感を抱くのはなぜか?
しかも、恋の喜びと同時に。

恋の始りの淡い喜びと、恋の罪悪感が薄く絡み合い、心の中に落ちてゆく。

            坂本  誠

2011年12月12日 (月)

千三百九十: 愛について_No.2

こんばんわ。

八百九:愛について』の2段目です。

一般に、人々は「愛の深い生活を送るように」と言われています。
しかし、愛が深すぎれば、それは執着になります。
仲の良い男女の愛を見てもそうです。
普通、そのような男女というものは、愛の深い生活を送ります。
だからこそ、何かの際に別れるのが苦しみとなります。
しかし、逆に、仲の悪くなった男女関係も時に見かけます。
そのような男女が別れる際には、(私個人の見る限り)その別れ自体にあまり苦しみを見かけないように感じます。

今度は学校生活のことを考えてみましょう。
学校の中で何かの事を厳しく教えるのも正しい愛かもしれません。
しかし、別のある学校では、その同じ事をやさしく教えることが正しい愛かもしれません。

私達は愛を深く持たなくてはならないでしょう。
しかし、愛を深く持ち過ぎてもいけないのでしょう。
このようなことを考えると、愛というものを考え始めたら、キリが無いということに気が付きます。

私達は愛の深い生活を求められますが、それが深すぎると執着になり、かえって欲望となります。
こう考えると、愛の話題に終わりがありません。
どこまでもどこまでも広く広く愛についての話題が大きくなります。
その「どんどん、どんどん愛の話題が大きくなる」ということ自体が、言い換えれば、「愛は広がり続ける」ということだと思います。
それ自体が、愛そのものの性質なのかもしれません。

「愛」というものに雄大さを感じます。
その質と量が光のように永遠に変化し続ける。
それが愛なのかもしれません。

--------------------------
            愛と光      

    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように  触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が  織り合わされる中、
    速くもあり  遅くもある
    一つの  やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に  のせて
    光と愛が
    私達の胸に  やって来る。
    一組の男と女のように。

                                           Img7d939bd680e
                坂本  誠

2011年7月20日 (水)

千百六十五: ソウル・メイトについて

千百二十二:結婚について』で、ソウル・メイトについて書きました。
ソウル・メイトの意味は、魂の片割れであって、最上の男女のカップルのことを意味するそうです。

嘘かどうかはともかく、このソウル・メイトと結婚をすると、最上の結婚生活が送れると聞いています。
そこで、私なりに、このソウル・メイトの見分け方について考える機会がありました。

やはり、このソウル・メイトと呼ばれる異性の方は、自分と似たようなことをしているでしょう。
例えば、「天職」と呼ばれているものがあります。
世の中に様々な職がありますが、例えば、学校の教師を考えてみましょう。
数学や英語を教えるのが好きで好きでしょうがないとか。
あまりにも、英語が好きで寝食を忘れて、英語の研鑽(けんさん)に励み、また、生徒に教えるのが好きでしょうがない。
また、いかに職場が変わっても、英語好きが変わらない。
また、給与の額が変更されても、たとえ減額されても、全く動じず、英語の研鑽に取り組み、英語が好きで好きでしょうがない。
そして、それを生徒に教えるのを、自分の最高の喜びにしている。
当然、英語がバリバリ上手な人である、と。
こういうのを天職と言いまして、もう「天が与えた仕事である」と言われています。
また、他にも世の中を見まわすと、様々な仕事があります。
政治家とか、何かを作るのが好きな職人とか、医療関係とか、技術関係とか、その他様々な仕事があります。
普通、人間は何かの仕事を持っています。
ですから、そのソウル・メイトは魂の片割れですから、同じような思考回路をしているでしょうから、当然、相手は同じ職種を持っていると思われます。
しかも、自分にピタッとくる仕事を手にしているでしょうから、当然、もし自分が天職と呼ばれるものを手にしているのならば、自分のその仕事と同じ職種を、そのソウル・メイトは持っていると思います。
ですから、ソウル・メイトを探したければ、まず自分を研鑽して、本当にベストと思われる仕事を手にした後、その職種の上で、そのソウル・メイトを見出すことが出来ると思います。

しかし、これは、あくまで、私なりのソウル・メイトの見分け方であります。
見ようによれば、完全主義です。
ですから、「無理やりにも、天職を見つけ出すまでは結婚もせず、その天職を見出した後で、ソウル・メイトを見出し、結婚すべきだ」とは言いません。
それをしていたら、かなり長い年月が経ってしまい、結婚せずに人生が終わってしまう場合も多くなるでしょう。
ですから、普通に、誇張も無く、自分に応じたものを見出し、結婚すべきかと思います。

しかし、このソウル・メイトとの結婚生活は面白いものになるでしょう。
なぜならば、ほとんど魂の片割れと言えるのですから、同じ仕事をしており、自分の仕事の質を相手が高め、自分が相手の仕事の質をも高めるわけです。
そして、両者とも自分の仕事をしていて面白い。
完全に思考回路が同じというわけではなく、若干、違ったものの見方をしているから、自分の仕事のわずかなミスを相手が補完してくれるわけです。
「補完」という言い方よりも、「相手は自分のベストな相棒である」という感じでしょうか。

ある職場でも、上司が何人かの部下に仕事をさせて、やがて、その仕事上でピッタリと呼吸のあった男女を見かけたりします。
そして彼等は良い仕事をする。
仕事上で相性が良く、性格も合うが、別に肉体的に相性が合っているわけでも無い。
そして容姿や相手の収入にも関係しないけれど、あまりにもピッタリと呼吸が合うから、結婚してみたら、結婚した後でも、両者は同じ仕事を続けて、そのまま、結婚生活も仕事生活も同時にこなすことが出来るし、どちらの生活においても、両者は充実している、と。

このような感じで、ソウル・メイトを見出すことが出来るかと思います。
もちろん、あくまで、ソウル・メイトがいたとしての、私なりのソウル・メイトの探し方を書いてみました。

                坂本  誠

2011年7月 6日 (水)

千百二十二: 結婚について

おはようございます。

結婚について考える機会がありました。
と、言っても、私の結婚のことではなく、世間一般の結婚についての見方を持つ機会があったわけです。
先日、海外の有名な人が結婚をする様子も見ましたので。

「結婚に至るまでの男女の道のりは、長いものだなあ」と思いました。
男も女も最初は幼児として生まれて、学校生活を経て、多少、社会人の生活をして、結婚に至るわけです。普通の人は。
大体、20数年かかっているでしょうか、普通の人は。
その20数年という時間を当の本人達が振り返ってみたり、また、周囲の人が見ると、「長い年月であった」と喜びの思いと、どこか一抹の悲しみの思いが交錯しているかもしれません。
「どうして、こんなに私達は長いこと、別れて離して暮らしていたのか」という悲しみの感じで。

それにしても、結婚は、人生の上での一つの重要な通過点と言えるでしょう。
昔から、「冠婚葬祭」と言われていますからね。
また、人生の上での最大の喜びのクライマックスなのかもしれません。
周囲の人々からもたくさん祝福されます。
--------------------------------------
しかし、ここからは、ちょっと冷静な感じで結婚を見てみましょう。

最近は、結婚に至る前も、男女の交際が行われています。
それも、小さい形での結婚と言えるでしょう。
「結婚式」と呼ばれないまでも、男女に幸福が訪れます。
そして、ある程度、時間が経つと、普通は、幾つか、愛で結ばれている男女は別れます。
色々な理由は書きませんが、男女の愛が薄れる時が訪れて、その愛し合っている男女は別れます。
そして、何人かの恋人に出会って、どうしても、別れが訪れない場合に結婚式を挙げるわけです。
以前に巡り合せた何人かの恋人の面影を思い浮かべる悲しいような、嬉しいような一瞬でしょう。

しかし、結婚を生活を挙げた後でも、離婚が行われていることに、私達は気付きます。
まあ、離婚は、ちょっと悲しいものですが、お互いがそれに了承したのだから、仕方無いかと思います。

このように冷静な感じで結婚を見てみると、やはり、「結婚式」というセレモニーは行われているものの、結婚生活は、これも一つの恋愛の形だと、私は思います。

ですから、私が思いますに、結婚式というセレモニーが行われないまでも、心の中で深く愛し合っている男女こそが、本当の配偶者と言えるかもしれません。
--------------------------------------
最近、本屋に行ったら、「ソウル・メイト」という言葉が並んでいるのに気が付きます。
ちょっと調べてみたら、「魂の片割れ」、つまり、「本当の意味で、一つの魂から生まれた男女」という意味だそうです。
つまり、精神や心が本当に結ばれているカップルという意味だそうです。
この「ソウル・メイト」に出会ったら、人は最上の結婚生活を送れるかもしれません。
それでも、結婚生活には何らかの苦しみはあるでしょう。
人は結婚生活だけでなく、職業上での生活や、あるいは主婦業の生活という点もあるから、その結婚生活を支えるだけのちからが無いと、その最上と思えた筈の結婚生活にも暗雲が差してくるかもしれないからです。

ですから、その「ソウル・メイト」と呼ばれる自分の魂の片割れと出会っても、「周囲の生活が整わなかった」ということで、その「ソウル・メイト」と別れてしまうことにもなるかもしれません。
また、恋愛経験の多い人でも、「私はソウル・メイトに出会っていないようなので、苦しい。私のソウル・メイトはどこにいるのだろうか?」と悩まれている人もいるかもしれません。

しかし、そのソウル・メイトの理屈上から言ったら、必ず、どこかに自分のソウル・メイトはいる筈なので、焦って、苦しむ必要も無いかもしれません。
また、上に書いたように、そのソウル・メイトに出会って、生活をしていても、「人の旅に終わりは無い」と言われているように、その一つのカップルにも、何らかの苦しみや悲しみは訪れるでしょう。
普通の生活と同じように。
--------------------------------------
しかし、ソウル・メイトというのは、自分の最大の理解者と言えるでしょうから、自分の最大の助力者とも言えるでしょう。
ちょうど、一艘の帆船に似ているでしょうか。
船の水に接している本体部分を男性としましょう。
そして、船の風を受けるマストの部分を女性としましょう。
どちらも、互いの協力があって、荒波を乗り越えていくわけです。
船の本体部分もマストのことを知り尽くしているし、マストの部分も、常に船の本体部分を知り尽くしている。
帆船としては、お互いが欠ければ、海の荒波を乗り越えていくのは難しいでしょう。

そして、長い間、お互いに一艘の帆船として、海の荒波を乗り越えていこうと、知恵と努力を絞って、航海し続けていくでしょう。

航海はどこまでも続く。

--------------------------------------


                航海

  夕陽が大空と大海をあかね色に染めあげてゆく。
  真っ白な帆船が海に沈んでゆく太陽を目指し追いかけてゆく。

  この船に宿る女神がマストの頂きに立ち、太陽を見つめている。
  強い風が
  彼女の赤いドレスをなびかせ、
  彼女の漆黒の髪を波打たせ、
  彼女の顔にほほえみを与える。

  赤いドレスからは透いたバラが打ち出で、
  漆黒の髪からはオーラが流れ、
  ほほえみからは水夫たちにふりまく勇気が生まれる。

  やがて彼女はマストの上に浮かび、
  夕陽に向かって歌を歌う。
 『太陽よ、我等を導け。いざなえ。
  新しい未知の世界へ。
  荒れ狂う波風が湧き立とうと
  我にこの船を守らせたまえ。
  恐れを知らぬこの船の船乗りたちに
  我はさらに情熱を与えたもう。
  風よ、我等の船を海の上に走らせよ。
  海よ、我等の前に水の道を造れ。
  我等は水平線を破って、そのさらに奥の世界に
  突き進まん』

 

 

 

                    詩集『光と闇の唄』より20100817140617_2

                坂本  誠

2011年5月18日 (水)

六百五十一: 性について_No.2

こんにちわ。

性のことについて、幾つか書いている私です。
キリスト教や仏教では、性を否定する感じがありますけど、これは、ちょっと疑問に思います。
誰でもわかると思いますが、性を否定したら、人類絶滅します。
また、人は中学生ぐらいになると、二次性徴を迎え、どうしても、心の中に異性を思い描いてしまうものです。
まあ、心の中に異性を思い浮かべるなんて、物心ついた時から、誰にでもありますよね。
そして、死ぬまで異性を愛する心を誰でも持っています。

聖書の中のイエス様は、ちょっときつい言葉を残されているようですので(その言葉や考えについての私の考えは後で書きます)、今、ここでは仏教側に現れるミロク菩薩様のことを考えます。
ミロク菩薩様は世を救ってくださるという、ありがたい方だそうです。
もし、人間の性が完全に否定されると、人類が絶えてしまいますから、ミロク菩薩様が救う筈の人々がいなくなってしまいます。
また、そうでなくても、恋愛の思いや行為は、誰でもしてしまうものです。
ですから、ミロク菩薩様が、この世にいるならば、そのような男女の愛を温かい思いで許して下さると思います。

また、現実、学生の時というのは、彼氏、彼女のいない人の方が多いかと思います。
ですから、相手がいないという行為を、その人が行ったとしても、「その人々は全員地獄行き」というのは、これは無いと私は思います。
もし、「地獄行き」となったら、世の学生はおろか、かなり多くの人が「地獄行き」になるでしょう。
で、現実にそうなのか、となると、これはやはり違うと思います。

だから、ミロク様は男女の思いや行いを温かいまなざしで見ていると私は思います。

しかし、男女の遊び事も、お酒と似ていると思います。
お酒を飲んで遊んでもいいでしょうが、お酒を飲み過ぎて、アルコール中毒になったら、誰もが病院に連れて行かれるでしょう。
ですから、何事も「程々」が大事かと思います。

あと、一説によると、聖書は書き換えられていると言われています。
例えば、イエス様が誕生した時は描かれていますが、その後のイエス様の30年間の人生が書かれていません。

ですから、イエス様は厳しい人ではあったようですが、男女の愛を否定する人ではなかったと私は思います。
これも、上に書いたように、男女の愛を否定すると、人々を救う筈のイエス様にとって、その人々自体が地上から皆無となってしまうからです。
イエス様は人類愛や隣人愛を説いた方でしょう。
ですから、男女の愛も否定することはないでしょう。

それに、日本の秋になると青空にトンボがよく飛んでいます。
二匹、つながったままで飛行しているものは、これは性交しているのですね。
私達が、その姿を見て、「けがらわしい」とは、ほとんど誰も思わないでしょう。
宇宙サイズの目で私達人間の姿を見ると、極微の一点です。
宇宙サイズの目で、男女の行為を見たり、地球サイズの目で、男女の行為を見たら、きっと、上に書いた、つがいのトンボのようなものでしょう。

だから、男女の行為は恥ずかしくないものだし、また、それを行って、全ての人が生まれてくる筈です。
だけど、やはり上のようにお酒の飲み過ぎのような問題になるといけないでしょう。

あと、男女の怨恨絡みで犯罪なり、面倒事が起きたりしますが、これは今、私が書いているものとはちょっと別件になりますね。

性について書いてみました。

          坂本  誠

2011年3月24日 (木)

八百七十六: 男女の愛について

おはようございます。

八百七十二:愛と欠点について』の追加のような段になります。

愛情というものの最小単位が男女の愛情から始まっているように私は思います。
ここから始まって、兄弟愛や隣人愛や人類愛や地球の上の多くの生態系に対する愛情につながってゆくように思います。

男女の愛情というものは、男と女という二人の人間の間から生まれる一つの愛ということになります。
二人の人間がいて、その間に一つの愛が生まれる。
なぜ、こんな形で、愛がスタートするかというと、私が思うに、この世にたった一人では愛というものは生まれない仕組みになっているのではないかと思うのです。
不思議に感じます。

自己愛というものもあるでしょう。
たった一人で砂漠の上にいるとしましょう。
その人は生き延びるために必死の活動をしないといけないでしょう。
しかし、その場合は自己愛とは言わず、生存本能といわれるものでしょう。
また、苦しい時に自分を励ますために、自分を愛するのも、自己愛と呼べるかもしれませんが、この場合は愛情というよりも、「自分への励まし」といえるかもしれません。
なので、私は愛情の最小単位は一組の男女からスタートしているように思います。
また、男と女はどうしても愛し合う存在ですが、私達が愛情を決して忘れることが出来ないために、わざと男と女は分けられているのかもしれません。
男と女が分けられているので、私達の馴染み深い愛情を忘れられずに、すんでいるのかもしれません。
男と女がいて、愛情を感じられるから、私達は幸福感を感じられます。
これ自体が幸せなことですね。Img7d92bfdadf53

            坂本  誠

2011年2月16日 (水)

八百九: 愛について

こんばんわ。

愛について考える機会がありました。

男女の愛とか、兄弟愛とか、人類愛とか、最近はスーパー・ラブとかとも言われているような愛があるようです。
それらの愛の特長は、いずれも「引き寄せあう」という特長があるようです。
身近な男女の愛を挙げたら、わかりやすいかと思います。
男女の愛は引き寄せあい、そして出会ったら、お互いが幸福感を感じる、と。

だから、男女の愛よりも大きい兄弟愛とか、人類愛とか、スーパー・ラブと呼ばれているものも、同じ特長を持っているようです。
いずれの愛にしても、引き寄せあった後、お互い同士で、幸福感を感じる、と。
単に引き寄せあうだけではダメで、出会った後に、幸福感を感じるのが愛の特長でしょう。
何を持って、幸福とするかは、人々同士やグループ同士で色々とあるでしょうけど。
一口に幸福感を言ってしまえば、「ホッとする。安心する」という気持ちでしょうか。
そして、心の奥底から湧き上がる喜びや感動でしょうか。

だから、ミクロの愛もマクロの愛も共通して言えることは、

    1:引き寄せあう。
    2:幸福を感じる。
    3:心の奥底から喜びや感動が湧き上がる。

この3点が共通して言えるかと思います。20101103123646

            坂本  誠

2011年2月 9日 (水)

七百八十五: 恋愛について

こんばんわ。

以前の『悲喜憐偉(ひきりんい)』のどこかで語ったかと思うのですが、似たようなことを書きます。

人の心は『一念三千(いちねんさんぜん)』と言って、一瞬に様々な方向に向くのですね。
これは誰でもそうでしょう。
ですから、色々な人がいて、恋人を持たれている方や配偶者を持たれている方でも、街を歩いた時に、異性を見て一瞬の恋をしたことは誰でもある経験でしょう。
その他、生まれてから死ぬまでの間に一人の人の心の中で、様々な恋の思いを持ったことでしょう。

ですから、他人の恋愛について語りたい人は、まず自分のその現在の胸の中の恋愛感情を多くの人に語った後に、その他人の恋愛について語った方が良いかと思います。

こうなってくると、誰でも他人のプライベートなことを語ることは難しいことだとわかるかと思います。
また、他人のプライベートなことを語りたい人自身のプライベートなことを逆に多くの人に語られたら、きっと怖い気がするでしょう。

            坂本  誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム