カテゴリ「出産・子育て」の4件の記事 Feed

2013年5月23日 (木)

三千三百五: 子供とかペットとの触れ合いについて

子供とかペットとの触れ合いの時間も、大事な一時だと思います。P4140078

確かに、色々な作業をする時間も大事ですが、子供やペットと触れ合う時間は、「大事」というよりも「大切」な時間だと感じてしまいます。
仕事や作業というのも、必要ですが、それらばかりに従事して、子供やペットとの触れ合いの時間を、完全に無くしてしまうのは、これはいけないことだと思います。

「子供との触れ合いの時間」というのは、「子供と遊ぶ時間」とも言いかえれるでしょう。
しかし、その子供と遊ぶ時間に、人と人との愛情が深まるのに気が付きます。
なぜならば、子供という存在も、人間ですから、親と子の触れ合いというのは、人と人との触れ合いの時間であることがわかります。
ですから、親と子が遊ぶ時間というものは、「愛を交わし合っている時間である」ということにも気が付きます。
つまり、親と子が遊ぶ時間というものは、親と子の両者が愛を高め合う一時であることにも気が付きます。

ところが、何らかの仕事や作業の時間ばかりだと、その自分の心の愛情を深める時間が少なくなるのに気が付きます。
ですから、バランス良く、子供との遊びの時間を作った方が良いだろう、と私達にわかります。

ですから、「子供と遊ぶ時間は、決して疎まれる時間ではなく、むしろ、素晴らしい一時である」と私達は考えることが出来ると思います。

                坂本  誠    P3230148

2012年10月10日 (水)

二千四百九十三: 10月10日の日に(独白)

今日は、2012年10月10日だ。
昔で言うなら、「体育の日」だ。
今の休日の「体育の日」は、10月の第2週目の第一月曜日が、体育の日の休日とされている。
しかし、昔の休日としては、いつも、10月10日が割り当てられていた。

この10月10日が体育の日の休日と制定されたのは、以下の理由があるかららしい。
人間の胎児が、お母さんのお腹の中で育つのは、だいたい、10ヶ月と10日間らしい。
ひょっとしたら、これよりも、少しばかりの誤差があるだろう。
例えば、10ヶ月と7日間とか。
あるいは、10ヶ月と14日間とか。

その期間の違いがどれだけあるか、私はわからない。
しかし、人間の子供は、1年12ヶ月の内の、実に10ヶ月間も、母のお腹の中で生活するのである。
これを書いている私は、当に、母のお腹の外に出て、生活しているので、一年の長さはわかる。
しかし、胎児が、10ヶ月も、母のお腹の中で生活するというのは、ちょっと驚いてしまう。

当然、私は子供を生んだ女性ではない。
しかし、ほぼ、一年位、誰でも人は母のお腹の中で、母と共に生活するというのを聞くと、人は何か感慨深いものを感じるかもしれない。

そして、ちょうど、縁起良く、ぞろ目の日である、10月10日の日を隔てて、人は母の胎内から下界に飛び出してくる。
だから、この10と10の数字が揃うというのも、何かの祝福の意味があるのかもしれない。

                        

                坂本  誠   

2011年10月 6日 (木)

千二百九十五: 爪切りと「へその緒(お)」(独白)

人は誰しも幼い頃を持っている。
乳幼児の頃だ。
そんな時は、自分で自分の爪を切ることが出来ない。
だから、自分の親か家族から爪を切ってもらう以外に手が無い。

「乳幼児の頃に誰かが爪を切ってくれた」という記憶は、たいていは、記憶の下に沈んでしまい、普通は忘れ去られている。
しかし、自分が成人した後に、誰か他の乳幼児の爪を切ってあげると、

    「私も幼い時に、このように他の誰かから爪を切ってくれたのだ」
   
と感慨深く思い出すかも知れない。
自分の爪一つにも思い出が宿っているものだ。
------------------------------------------------
日本では生まれた直後に、赤ちゃんと母体をつないでいた「へその緒(お)」を保存しておく習慣がある。
今でも、その習慣が残っているかどうかは知らない。

しかし、私は自分の「へその緒」を見たことがある。
それは、タンスの中にしまい込まれていた。
そして、小さなプラスチックのケースの中に保存されていた。
また、紙にくるまれていた。
その自分の「へその緒」を見て、何か不思議なものを感じた。

今、私がその「へその緒」を見ても、きっと同じ気がするに違いない。
               
               
                坂本  誠

2010年2月27日 (土)

三百三十六: 性について

「性」と書くと、顔がニヤケる人もいるかも知れませんが、ここではだいぶ真面目に書きました。
どんな人も母から生まれており、つまり、性行為があったことが示されています。
性行為には喜びもあるでしょうけど、何かしら、恐ろしい面があることは誰も否定できないと思います。
女性が妊婦になって出産する時、出産失敗のために、その妊婦が死ぬ場合もあります。
また、母胎が助かっても、死産に終わる場合もあります。
だから、人間が母の身体から出てくる時は、実は人生における最初の最大難関でしょう。
これに比べれば、学校入学テストの難関はまだ軽い方でしょう。
また女性に限らず、男性にしても一児の父ともなれば、その子の将来にわたる責任を取らなくてはならないでしょう。
単純に妊娠したから、簡単に堕胎するというのは問題があるでしょう。
「気にしない」と口で言う人もいるかも知れませんが、心の奥底に嘘をついているかと思います。
また、何かの葛藤を持っているかも知れません。

しかし、だからと言って、完全に性を否定する訳でもないです。
男女の愛の時間がもし、人間に授けられていなければ、人間は酒や何かの放蕩に走っているでしょう。
この性の遊びは遊びとも言いがたいものがあります。
人間が人間を生み出す行為だから一つの社会がそこに誕生します。
父と母と子です。
その3人で一つの社会を構成して、一家の中で父なら父の役割、母なら母の役割、子なら子の役割を果たすことが前提とされています。
ですので、性行為の遊びと言うのは、やはり、遊びとは言いがたいです。
つまり、性行為が基本となって、社会を作り出しています。
また性行為があるから、男女の心の中の愛情も深くなります。
また、誰もが思うことですが、恥ずかしいスタイルを取らされていると内心、自覚しているかと思います。
どんな王、偉人もこの恥ずかしいスタイルを取らされます。
つまり、誰もがへりくだることを要求されます。
つまり、謙虚さを学ばされます。

食べること、排泄すること、自己を生き延びさせようとする意欲など、考えてみたら、まるで他の誰かがプログラムして、人間の心に与えた何かのような気がします(理性や知性だって、考えてみたら不思議なものです。「なぜ、人間は考えるのか?」と問われても、返答に窮する人は多いでしょう。きっと)。

少し話が横道に反れましたが、一人の人間が、もし、今ここに誕生したとしましょう。
その赤ちゃんに、ずっとブドウ糖を注射し続ければ、理屈から言えば、その赤ちゃんは大人になる筈です。
だから、普通の赤ちゃんは本能によって、母の乳首を求めようとしますが、この乳首を求める行為は必要が無いということになります。
また、成人しても一切口から食べ物を補給しなくても良い筈です。
しかし、私は今まで、「生まれてから、ずっと私はブドウ糖注射で生きてきた」という人の存在を聞いたことが無いです。
つまり、人間はほぼ必ず自動的に口から栄養を補給して、自分の身体を作り続けています。
それと同じように、もし、二人の少年少女を無人島に連れて行き、その二人が水や食やその他の生活の便宜を確保できた上で、かつ性行為に関する情報を全く知らされなくても、やはり、性行為を行って、子供を作るでしょう。
実際の私達の社会では発達したマスメディアや何かで「生き物には性行為という行動を持っている」と未然に知らされています。
しかし、普通の犬や猫やその他の生き物は、マスメディアによる情報に一切頼ること無く、性行為を行っています。
だから、人間もその例外では無く、全く、性の情報が遮断された世界に行っても、性行為をなすでしょう。

だから、性行為自体は笑われるべき行為ではないでしょう。
やはり、この世界を作り上げたものの、驚くべき不思議な何かを垣間見ているような気がします。

私にはわからない。
この世を作った存在が性行為を生き物に与えた。
この性行為の欲求に苦しめられなければ、生き物はどれほど幸せなことだろう?
しかし、もしこの世から性行為の欲求に消えてしまえば、生き物はどれほど不幸せなことだろう?
全く相反する矛盾を兼ね備えている理想を生き物に与えているこの世界を作られた方の深い真意がとても推測できない。
また、推測したとしても、それはやはり邪推になるだろう。

         坂本誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム