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2012年3月18日 (日)

千七百四十四: 『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.7

こんにちわ。

千五百四十五:『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.6」の続きです。
とは言っても、今日はどこかの作品を見ての感想ではありません。
『装甲騎兵ボトムズ』の音楽について語ります。

『装甲騎兵ボトムズ』は、戦争アニメですが、恋愛アニメでもあります。
ですから、戦闘シーンはそれなりに、勇ましい音楽が流れたり、激しい音楽が流れたりします。
しかし、キリコとフィアナが会話するシーンなど、実に切ない音楽が流れます。
そのどの音楽も素晴らしいと私は感じます。

「勇ましい音楽も良いな」と、思うのですが、私は切ない音楽の方が良いと思います。
恋愛系の音楽の方ですね。
しかし、恋愛ものとは言っても、キリコとフィアナは、ほとんど戦場にいます。
ですから、戦場の中の恋愛とは自然に悲しく切ないものになるかと思うのです。

このブログの読者の方でも、「頭の中で自分の好きな音楽が自動的に鳴る」という人はいると思います。
私の場合は、よく、この切ない音楽の方が鳴ります。

このテレビシリーズの『装甲騎兵ボトムズ』の作曲は、全編、乾  裕樹(いぬい  ひろき)さんが担当しました。
ですから、この乾  裕樹さんの感性は素晴らしいと思います。
また、乾  裕樹さんは男性だったのですが、戦闘の雰囲気の音楽を作るということは、比較的に、簡単だったかもしれませんが、戦場の中での恋愛を飾る音楽を作るというのは、ちょっと、難しかったかもしれません。

この『装甲騎兵ボトムズ』の前でも、日本のロボット物アニメの中で、ちょっとした男女の恋愛を描いている作品もあります。
しかし、この『装甲騎兵ボトムズ』は、テーマの中に明らかに男女の恋愛をすえているので、そのための音楽を作らないといけません。
ですから、切ないメロディの音楽が流れるわけです。
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最終回『流星』でも、最後にキリコとフィアナが冷凍カプセルの中に入って、未来の世界に向かって、眠りながら漂流の旅に出るわけです。
その時、やっと、本当にキリコとフィアナが安息の中で、未来への眠りにつくわけです。
周囲は宇宙の暗闇です。

その暗闇の中をキリコとフィアナが漂う時、背後の音楽に、切ないメロディが流れます。
乾  裕樹さんは、その切ないメロディの中で、ピアノを使いました。
ですから、暗い宇宙空間の中をピアノの音楽が流れるわけです。
キリコとフィアナの冷凍カプセルも、宇宙の中に溶け込んで行きますが、それと同時に、甘いピアノの音楽も闇に溶け込んでいくわけです。

ちょうど、そのピアノの音楽自体がキリコとフィアナの恋愛のようです。
キリコとフィアナの愛の心が、結ばれて、一つのピアノの音楽と化したようです。

そして、そのピアノの音楽はどこに流れていくのかわかりません。
また、いつまで、そのピアノが流れ続けていくのかわかりません。
キリコとフィアナのように。

「『装甲騎兵ボトムズ』の音楽は素晴らしいなあ」と思います。

乾  裕樹さん(1949年9月29日 - 2003年1月)、どうも、ありがとうございました。

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            『いつも  あなたが』    (エンディング主題歌)
                               
                               
    さみしい  ときも
    かなしい  ときも
    いつも  あなたが  めにうかぶ

    ひとりの  ときも
    あいたい  ときも
    いつも  あなたは  むねのなか

    とおく  はなれて  いても
    たとえ  わかれて  いても
    このよの  ひかりと  ともに  まぶしく
    あのひの  あなたが・・・・・・

                                作詞    :高橋  良輔
                                作曲    :乾  裕樹
                                ボーカル:TETSU Abcdef_4

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                坂本  誠

2012年2月 4日 (土)

千五百四十五: 『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.6

こんばんわ。

『装甲騎兵ボトムズを見て』のシリーズも6段目になりました。
千三百一:『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.5」の続きです。

この装甲騎兵ボトムズというのは、シビアな作品として知られています。
まあ、戦争ものですから、シビアな部分も多いのですね。

特に、主人公のキリコ・キュービーは、ストイックなキャラクターとして設定されています。
あまり喋らず、ほとんど笑いもしません。
確かに、兵士として描かれていますので、そのようなキャラクターがいても良いのですが、この『装甲騎兵ボトムズ』の中でも、その主人公が無口で、笑いもしないキャラクターとして劇中で活躍します。

ですから、そのキリコが笑うシーンがこれまた珍しいシーンですので、視聴者の人々も余計に、そのシーンを覚えているかと思います。Img7d91f57ad561
しかし、そのキリコも、彼の運命の女性フィアナと出会わなければ、そのような笑顔を持つことは無かったでしょう。
また、そのように設定されていたのですね。

恋や女性と全く関係の無い兵士が、自分の運命の女性と出会い、笑顔を取り戻す、、、。
それは、キリコが普通の心を持つ男性に立ち返ってゆくことでもあります。

また、この『装甲騎兵ボトムズ』の作品は、実は、戦争によって心に傷を負った一人の男性が、その戦場の中で運命の女性と出会うことにより、戦いから次第に解放され、幸福を取り戻してゆく物語でもあるのです。

珍しくキリコが微笑むシーンを引用させてください。
戦闘が終わった後で、キリコは負傷して、疲れのために眠り、ジャングルの中で目覚めます。
すると、フィアナが川で朝食の用意をしているのです。
そして、フィアナは振り向いて、キリコに気が付きます。
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            第23話:『錯綜』      より
            
フィアナ:「は?  キリコ、、、!」
キリコ  :「あ、、、」
フィアナ:「もういいの?」
キリコ  :「あ、ああ、、、」
フィアナ:「ホントに大丈夫なの?  無茶しないで」
キリコ  :「ウッ、ッ」
フィアナ:「あ、あぶない!、、、まだ無理よ」
キリコ  :「あ、ああ、、、」
フィアナ:「は-------」
キリコ  :「腹が減った、、、」
フィアナ:「え?、、、ウフフフ、、、私も、、、フフフ」
キリコ  :「そんなに可笑しかったか?(キリコのスマイルで)」
フィアナ:「ウフフフ、、、、、、フフフ」
キリコ  :「フフフフ、、、」
                :
                :
                :
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本当の意味で「笑う」というのは幸せなことです。

「笑い」にも幾つか種類があります。
「嗤う」とか「笑う」とか「ほほえむ」ですね。
「嗤う」というのは、これは、相手を侮蔑する意味合いが込められているので、良くない笑いだと言えるでしょう。
「笑う」というのは、これは、普通に面白かったことを感じて、表現する笑いのことです。
最後の「ほほえむ」という笑いもあります。
この「ほほえむ」というのは、人が幸せを感じている時に、表現される笑いですね。
この「ほほえむ」時は、人は穏やかな心を持って、静かな幸せを感じていますよね。

ですから、幾つかある人の笑顔の中でも、この「ほほえみ」、つまり、「スマイル」が顔に現れている時、そのスマイルの表情を持っている人は、周囲の人が見て、周囲の人は

    「この人は今、静かな幸せを得ているのだ」
   
と、感じ取ることが出来ると思います。

人が幾つか持つ笑顔の中でも、この「ほほえみ」、つまり「スマイル」の笑顔こそが、一番良いのではないかと私は思います。
ですから、上のセリフの中でキリコはスマイルを出しているのですが、キリコが心静かな幸せを得ていることがわかります。

『装甲騎兵ボトムズ』の中でも、珍しいシーンの一つです。

私達はいつもスマイルを持ちたいものですね。

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            『いつも  あなたが』    (エンディング主題歌)
                               
                               
    さみしい  ときも
    かなしい  ときも
    いつも  あなたが  めにうかぶ

    ひとりの  ときも
    あいたい  ときも
    いつも  あなたは  むねのなか

    とおく  はなれて  いても
    たとえ  わかれて  いても
    このよの  ひかりと  ともに  まぶしく
    あのひの  あなたが・・・・・・

                                作詞    :高橋  良輔
                                作曲    :乾  裕樹
                                ボーカル:TETSU Abcdef_4

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                坂本  誠

2012年1月21日 (土)

千四百五十九: 「魔女の宅急便」を見て_No.2

こんばんわ。

千五十二:『魔女の宅急便』を見て」の2段目です。
宮崎駿監督のこの作品は、少女の魔女が空を飛んで、宅急便をしたり、また、その魔女のささやかな日常生活を描いているのですが、そこが何とも良いところです。
このような作品を見ると、心が落ち着き、つまり、私達の幸福な生活を作れるかもしれませんね。
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小さな少女の魔女キキは修行のため、父と母の元を旅立って、ある街で生活を始めます。
美しい北欧風の街にたどり着いて、そこで生活を始めます。

キキは箒(ほうき)で、空を飛べるので、宅急便を始めます。Img7d9392d02693
ある日、熱を出してしまい、魔法のちからが弱くなり、空を飛べなくなります。
空を飛べる彼女から見たら、それはとても悲しいことでしょう。

私達は空を飛べません。
しかし、私達の生活の中で、何か重要なものが一つ無くなれば、それは苦しいことでしょう。

例えば、学校で英語の得意な人が、英語の成績が落ちれば、苦しいでしょう。
他の学科でも良いのですが、つまり、スランプと呼ばれるものですね。

スランプというものは、誰でも経験するものですが、つらいものがあります。
しかし、スランプの状態だから良いものです。
なぜならば、後から見て、本人が、「あの時期はスランプだった」と言えるのですから、その言葉が出た時は、もう、スランプの時期を通り越しているわけです。
もし、スランプで終わらず、つまり、上の例の英語の能力が元に戻らなければ、スランプどころでは無く、本当に英語が下手になったわけです。
「スランプを脱した」ら、英語の能力は回復しているわけです。
しかし、そのスランプの時期は、英語の能力が低下している間、それが、ただのスランプなのか、それとも本当に自分が英語が下手になったのかどうかがわかりません。
ですから、そのスランプの間は、本人も何らかの努力をして、能力の回復に努めないといけません。
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キキは空を飛べないので、気晴らしもふくめて、森の中の絵描きさんのウルスラさんの家に泊まりに行きます。

そこで、色々とキキとウルスラさんは話し合います。
キキとウルスラさんの会話を引用させてください。
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ウルスラ:「魔法も絵も似てるんだね。私もよく描けなくなるよ」
キキ    :「ホント、そういう時、どうするの?」
                :
                :
キキ    :「私、前は何も考えなくて飛べたの。でも、今はどうやって飛べたのか、わからなくなっちゃった、、、」
ウルスラ:「そういう時は、ジタバタするしかないよ。描いて描いて描きまくる!」
キキ    :「でも、やっぱり、飛べなかったら?」
ウルスラ:「描くのをやめる。散歩をしたり、景色を見たり、昼寝をしたり、何もしない。そのうち、急に描きたくなるんだよ!」
                :
                :
            (美しい湖畔での散歩)Photo
            (二人でホットケーキを焼く光景)
                :
                :
ウルスラ:「、、、それがね、ある日、全然、描けなくなっちゃった、、、描いても描いても、気に入らないの。、、、自分の絵を描かなきゃって」
キキ    :「苦しかった?」
ウルスラ:「それは今も同じ。でもね、その後、少し前より絵を描くってこと、わかったみたい。、、、魔法って、さあ。呪文を唱えるんじゃないんだね」
キキ    :「血で飛ぶんだって」
ウルスラ:「魔女の血か、、、いいね。、、、私、そういうの好きよ。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神様か誰かがくれた  ちから  なんだよね。おかげで苦労もするけどさ、、、」

(引用終わり)
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結局、この後、キキは空を飛べるようになります。
男友達のトンボを助けるために、キキは夢中で空を飛びます。

だから、この場合、キキのスランプの脱し方は、それこそ、「血で飛ぶ」ことだったと思うのです。
魔女の血。
絵描きの血。
パン職人の血、、、

こんな発想はとても面白いですね。
               
               
               
                坂本  誠

2012年1月 4日 (水)

千四百二十四: 映画『夢』について_No.3

こんばんわ。

千四百十四:映画『夢』について_No.2」の次です。
最近は、「映画『夢』について」の話題が多いですね。
この映画は8編の短編から作られていますが、私が「第七話:『地獄の鬼たち』」と呼んでいるものについて書かせてください。

核戦争後の地球の上を黒澤明は歩いています。
核戦争後ですから、地球は一面の砂漠になっています。
その中をなぜか黒澤明は、一人、ぽつぽつと歩いているのです。

霧の深い中、やがて、黒澤は一人の鬼に会います。
鬼と言っても、元は人間でした。
その戦争後の世界では、放射能汚染によって、人間達は角を生やした鬼になっているのです。
そして、遺伝子をやられてしまった生物が一様にお化けのような姿をしています。
そして、そのような世界ですから、鬼たちには食べ物がありません。
みんな、お腹を空かせています。

黒澤の夢の中で会った、その一人の鬼は人間だった時、酪農をしていました。
彼(鬼)のセリフを引用させてください。
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    「俺は人間だった時、酪農をやってたんだが、値(ね)が下がったからと言って、タンクローリーの牛乳を何台も川へ捨てたり、玉ねぎやジャガイモやキャベツをブルドーザーで踏みつぶした。、、、バカな事をした!、、、」

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上に出てくる「値(ね)」というのは、つまり、金額のことですね。
野菜の値段でも、上がったり下がったりしますので、その分、無駄が出来て、上の鬼はそれらの食べ物を粗末に扱ったのです。
ここでも、お金というもののトリックを私達は感じることが出来ると思います。

例えば、ジャガイモ一個でも、だいたい、100年前や1000年前のジャガイモでも、一個の中のエネルギー量や栄養量は今でも、ほとんど変わりが無いでしょう。
しかし、現実、私達の世界ではお金があり、それをずっとよく見てみると、例えばの話ですが、50年前にはジャガイモ一個が100円だったものが、現在では、ジャガイモ一個が200円になっているとか。
そうでなくても、現実にジャガイモやその他の野菜の値段が微妙に上がり下がりしているかと思います。

以下はジャガイモを例に挙げて話をします。
ジャガイモ一個の中のエネルギー量や栄養量は、ほとんど変わりないのに、よく見ると私達のお金だけが上下しているのです。
ですから、上の人間だった時に酪農家だった鬼は、その値段の高下によって、野菜や牛乳を廃棄しているわけです。
食べ物よりもお金の方を大事にしているわけです。
なぜならば、ひょっとしたら、今の多くの人間でも、「野菜や食べ物よりもお金の方が大事だ」というような感覚が無いでしょうか。
人間はお金そのものを食べることはできません。
人間がアルミニウムや銅やニッケルで出来たコインや紙で出来たお札を食べると、胃が痛み、病院に救急車で運ばれないといけないでしょう。
実際に人間の身体に役に立つのは、ジャガイモなどの野菜や海産物や、その他の食べ物でしょう。
その食べ物にお金の値段札が付けられており、「値が下がった。値が上がった」ということを持って、上の鬼のように、大量の食べ物を廃棄したり、あるいは消費者の方でも、値段の偽装によって、食べ物自体の本当の素晴らしさがわからなくなってきているかと思います。

実際に人間に役に立つのは、お金の方では無く、そのお金という中間器具を使って手に入れるところの食べ物の方なのです。
実際には、お金の方の価値が上では無く、食べ物の価値の方が上なわけです。

長い間、人間の生活に常習化されてきたお金というもののトリックには恐ろしいものがあると思います。
だいたい、「相場の値段が上がってきた。だから、これらの品の値段を便乗して上げよう」というのが、お金に仕組まれたトリックだと思います。
だから、次第に、上の鬼のような嘆きが現れてくるかと思います。

もし、その「値(ね)が下がった」からと言って、食べ物を放棄する必要は全く無く、他の多くの人々と分かち合いをすれば良いかと思います。
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以上のお金に対する考察は、私自身のものです。

しかし、黒澤明は、ただ、自分の夢を映画化しただけなので、私と同じ主張をしているのか、それとも、そうでないのかはわかりません。
あくまで、「映画『夢』は黒澤明の夢として語られているのみだ」と、私は思います。

                坂本  誠

2011年12月30日 (金)

千四百十四: 映画『夢』について_No.2

こんばんわ。

千三百六十二:映画『夢』について』の2段目です。
前回は、ちょっとクールな内容の話をしたのですが、今回は芸術的な観点から見た感想文を書こうと思います。

短編映画のオムニバスで、八編の短編映画で構成されています。
前回も私の分類したタイトルを使わせてください。

    第一話:『狐の嫁入り』
    第二話:『桃の精とひな祭り』
    第三話:『雪女』
    第四話:『帰還兵』
    第五話:『ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと』
    第六話:『富士山爆発』
    第七話:『地獄の鬼たち』
    第八話:『水車村にて』
   
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黒澤明の他の映画も幾つか見ているのですが、この『夢』は何回か見ています。
黒澤明の名画とされているものは白黒作品が多いせいか、やはり、カラー作品である、この『夢』の画像の美しさには参ってしまいます。Img7d94c76145bf
昔から、世界の映画人から、「黒澤明の映像美術は凄い」と称されています。
ですから、カラー作品である、この『夢』だと、十分にその映像美術を堪能できます。

第一話:『狐の嫁入り』でも、人間の姿をした狐が嫁入りの行進をするのですが、嫁入りの行列が一糸乱れないので、よほど練習をしたのだ、と推測できます。
また、森の中を幼少の黒澤明が通るのですが、その森の美しさとかにも驚きます。
また、よく言われていますが、黒澤明は光と闇の織り成すそのバランスの美しさはここでも現れています。
これは、この『夢』全般にわたってそうですね。
黒い森の中に一条の光が射したり、かなり、効果的に霧が現れたりします。

第二話:『桃の精とひな祭り』でも、幼少の黒澤明がひな祭りの最中に、家の外の竹林に出ます。
その竹林の雰囲気も、かなりのものです。
そして、黒澤明が家の外で、ひな祭りを見るのですが、その祭りの美しさも圧倒されます。
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他にも色々と書けるのですが、この作品は直接、読者の方が見た方が良いかと思います。

で、細かく見れば見る程、映像の芸術を味わうことが出来るのですね。
最初、一回、見ただけだと、その画像の美しさを味わうことが難しいです。
映画の視聴者にとっては、最初、一回目を見る時は映画のストーリーを追うことに懸命だからです。
だから、映像美術の方にあまり目が向きません。

しかし、何回か見ていると、その映像美術の凝り方に凄いものを感じます。
映画製作者で無い人間から見たら、「最新の特撮技術を使えば、もっと凄い映像美術を作ることが出来るでしょう?」と考えたくなるかもしれません。
しかし、多くの特撮技術の無い時代でも、黒澤明は美しい映画を作っています。
この理由は個々の人の持つ美術センスの問題でしょう。
黒澤明は映画監督になる前は、画家が志望だったそうです。
その画家の志望だった頃に鍛えた美術センスが映画に応用されたのでしょう。

画家の人は、「どういうアングル(角度)で絵を描いたら、絵が綺麗に見えるか」とかをよく考えるでしょう。
また、光と闇の画家として有名なレンブラントがいます。
そのような感じで、光と闇の効果的な使い方を映画の画像の中で追及しています。

映画の世界で「世界の黒澤」と呼ばれていますが、「もし、黒澤が画家になっていたら、、、」ということを私達の多くは想像してみたくなるかもしれません。
と言うよりも、黒澤明はすでに自分の制作する映画の中で画家そのものになっていたのかもしれません。
黒澤明は映画監督であると同時に、画家でもあったのだとわかります。

映画のストーリー自体も面白いのですが、この映像芸術も凄いものがあると思ってしまいます。
確かに、世界の映画監督も上と同じようなことを言っていたと私の記憶にあります。
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映画のメッセージそのものも私達は心打たれるものがあるでしょうが、この美しい映像芸術に触れると、私の心は清まります。

こんな美しい映画を見せて頂き、黒澤明さん、どうもありがとうございました。

                坂本  誠

2011年11月19日 (土)

千三百六十二: 映画『夢』について

こんばんわ。

久しぶりの映画ものです。
黒澤明監督の『夢』を見ました。

短編映画のオムニバスで、八編の短編映画で構成されています。
色々な映画を取り扱う会社が、この八編の短編映画に名付けをしています。
しかし、黒澤明は、一つ一つの夢にタイトルを付けていません。Img7d92cb71b6dc
ただ、一言、

    「こんな夢を見た,,,」
               
で、各短編映画は始まります。

色々と映画を評したり、見た人がそれぞれの作品を分類するために、適当に各映画にタイトル名を付けていることがわかります。
一応、私もこの映画のことを語るために、それぞれの作品に名前を付けておきます。

    第一話:『狐の嫁入り』
    第二話:『桃の精とひな祭り』
    第三話:『雪女』
    第四話:『帰還兵』
    第五話:『ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと』
    第六話:『富士山爆発』
    第七話:『地獄の鬼たち』
    第八話:『水車村にて』
   
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黒澤明の言葉、「こんな夢を見た,,,」で始まるように、この映画は黒澤明の夢の内容を、映画化したものだということがわかります。

普通、私達でも、夢を見ると、その夢の中で不思議な体験をするものです。
ですから、黒澤明の夢の不思議な体験が、この映画で一つ一つ語られているのです。
ある程度、映画用にその夢に脚色した部分もあるかもしれませんが、その辺りについては、黒澤明は何も語っていません。
ですから、私達はストレートにその映画の内容をそのまま受け取るべきでしょう。
ただ、大変に美しい画像と美しい音楽とインパクトの迫る画像が多いので、この映画の視聴者は驚くでしょう。
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多くの短編のあらすじを書いて、私なりの考えを書こうかと思いましたが、止めておくことにしました。
ほんのちょっとしたあらすじを書いて、私の考えを述べることにします。

私の言いたいことを考えながら、短編の主題を伝えていきたいかと思います。
しかし、その短編自体が黒澤明の見た夢であり、本当に黒澤明の伝えたいことが画像で描かれているのか、それとも、違うメッセージを私達に伝えたいのか、これも私達にはわかりません。
なぜならば、私達でも睡眠中に夢を見ますが、その夢が何を意味しているのかわからない人がほとんどだからです。
ですので、この映画を見る一人一人に、その映画の解釈を委ねられるのです。

●第六話:『富士山爆発』

この短編では、富士山が爆発します。
そして、その富士山の爆発が起こりましたから、地震等が発生し、なんと、富士山の周りに作られていた6つの原子力発電所も順に爆発していくのです。
人々は恐怖で逃げまどいます。
その中の我が子を連れて逃げる、ある主婦のセリフを引用させて頂きますと、
   
  「でもねえ!  『原発は安全だ。  危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険は無い。  絶対、ミスは犯さないから問題は無い』って、ぬかした奴等、、、!」
       
です。
この後の凄いセリフを知りたければ、どうか、この映画を直接見てください。
   
   
●第七話:『地獄の鬼たち』

この短編では、水爆やミサイルの投下により、地上で放射能で汚染され、結果、砂漠の広がる大地が出てきます。
黒澤はそこを一人で歩いているのです。
そして、放射能汚染で頭に角の生えた鬼に出会います。
放射能汚染の結果、人間の頭に角が生えるようになったのです。
そして、言わば、放射能汚染の起きた後の地獄の情景が紹介されるのです。
   
   
●第八話:『水車村にて』

第七話とは打って変わって、天国のような情景が描かれています。
美しい自然と美しい水です。
人々は調和をして生き、自然と共に暮らしています。
つまり、人々は天国そのもの中で暮らしています。
黒澤はその中を旅します。

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しかし、総じて言えることは、前にも書きましたが、あくまで、黒澤明の夢なので、本当に黒澤明が何かの強いメッセージを私達に伝えたいのか、それとも、ただの黒澤明が漠然と見た夢を私達に伝えたのか、これも私達にはわかりません。

だから、この黒澤明の『夢』という作品も、ちょうど、私達が夜寝ている間に見ている夢と同じ感覚で見ないといけないのです。
ですから、人によって、様々な解釈が生まれるのです。
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また、この作品『夢』を見て、ある人は中世ヨーロッパのイタリアのダンテを思い出すでしょう。
ダンテは『神曲』という作品を書きました。
その『神曲』の中で、ダンテは「地獄」「煉獄」「天国」を訪れ、その様子を私達に見せてくれています。

ですから、この黒澤明の『夢』は、現代版の『神曲』と言えるかもしれません。
また、黒澤明が現代のダンテと言えるかもしれません。
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他にも、面白い短編や美しい短編が収録されているので、この黒澤明の『夢』は面白い作品だと思います。

しかし、私が言いたいことは、上のインパクトの強い作品を見て、人々は選択を迫られているかと思うのです。
普通、私達は自分の目標を心に抱きます。
「目標」とは、よく「夢」と言われます。
つまり、常日頃、心の中で抱くイメージ、つまり、「夢」をずっと、心の中に抱き続けていれば、やがて、その夢(目標)が現実化するのです。
その夢が現実化されるまで、人によって時間がかかりますが、いつの日にか、その夢は達成されて、現実化されるのです。
「なぜ、夢がすぐに現実化されないのか」と、人はよく言います。
夢の実現化には、ある程度の時間が必要だったり、あるいは日頃の生活や、何かの条件や、自分の人生行路のために、その夢に変更がかけられたりするので、夢がすぐに現実化しないかと思います。

ですから、多くの人々の進む方向の夢が、第七話:『地獄の鬼たち』の方向であれば、それがいつの日にか現実化してしまうでしょう。
しかし、第八話:『水車村にて』の方向であれば、それがいつの日にか現実化するでしょう。
例え、今、何かの困難な状況を抱えて、夢とは違う状況の中に私達が居たとしても。

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この『夢』という作品の制作された年を見ると、1990年でした。

ですから、第六話:『富士山爆発』という作品を今見て、今(2011年11月)から21年前に、福島原子力発電所の事故を夢で予言していたのではないのでしょうか?
私はそんな感じがします。
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もし、私達が何かの機会で、情報の真偽までは問わないまでも、「宇宙の中に地球以外にもっと平和で安心して暮らせる星がある」という情報があるならば、人々は、そちらの星に移住しても良いかと思います。
地球の他に安心して暮らせる星があるならば、そちらに移住する権利が人にはあると思います。
また、同時に、「私はどうしても地球にいたいのだ」という人がいるならば、そういう人は地球に残っていても良いと思います。
その辺は自由だと思います。

私達でも、「他の国に移住して、そこで永住したい」という人もいるでしょう。
また、現に、そのような自由は許されています。
また、荒れた国があっても、「私達はどうしても、この国に住み続けたいのだ」と言うならば、それもその人の自由でしょう。

それと同じような感じで、「私は地球に居たくないのだ」と思う人がいたら、ずっと、その夢を胸に抱いていれば、いつの日にか、その夢は達成されると私は思います。
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居場所を選ぶ自由もありますが、未来を選ぶ自由もあるでしょう。
この黒澤明の『夢』のように、個々の人が地球の明るい未来を選ぶのか、それとも、悪い未来を選ぶのかも、それも個々の人の自由でしょう。

多くの断片的な情報を手にして、個々の人が自分の胸の中に、自分の『夢(未来)』を思い描き、その未来を自分自身で選び取るべきかと私は思います。

               
               
                坂本  誠

2011年10月19日 (水)

千三百十五: 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4

こんばんわ。

七百三十八:『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』を見て_No.3」の続きです。
私はボトムズも好きですが、このマクロスも好きです。
その証拠に記事の回数も多いですしね。

この1980年代のアニメには、色々と感動させられるものが多かったと記憶しています。
確かに、アニメの世界ですから、なぜか戦争ものが多かったです。
これは地球が過去、戦争の多い星だったからでしょう。

『風の谷のナウシカ』も戦争ものでした。
しかし、これらの戦争ものの終わらせ方の多くが一致していたように思うのです。

人々は戦いの中にいる。
そして、双方、何とか戦いに勝ちたいと思い、激剣を交わしている。
それらが、最後、共通して、愛のちからに敗れていくわけです。
この「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見ていると、一人の女性の歌が宇宙中に大きく木霊して、悪と呼ばれる側を包み込んでいき、やがて、その巨大な悪を打ち負かしていくわけです。

ボトムズでも武器が使われているものの、結局、最後、悪を滅ぼすものは愛のちからなのです。
『風の谷のナウシカ』も、そうなのですね。

だから、「悪の反対とは何か?」と私が思うに、それは愛なのでしょう。
ですから、一般に「戦争行為は悪だ」と叫ばれています。
だから、多くの人の心が愛の心を持ち、それらが地球の上を覆えば、今、地球の上で行われている悪、つまり、戦争行為は終わらせられるのではないかと思います。
ちょうど、この映画、「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のラスト・シーンのようにですね。

また、この映画の最後にリン・ミンメイが歌う「愛・おぼえていますか」の歌は、そうですね、多くの人々の心の中の埋もれてしまった愛が呼びさまされているように作られています。
ですから、愛を忘れてしまった兵士たちの一人一人の心の中に愛の想いを呼びさまし、それが宇宙中に木霊して、巨大な愛の奔流(ほんりゅう)となり、一つの悪を打ち負かしてゆく設定となっています。

ですから、刃(やいば)を持って、刃に勝つのではなく、愛を持って、刃に勝ってゆくシーンが描かれています。

お時間のある時に、鑑賞されると心に残る何かがあるかと思います。
歌詞をお読みになりたい方は、以下のURLをクリックしてください。
   
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=13
では。
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    私達は愛の歌を唄おう。
    私達は愛の心を唄おう。
    なぜならば、私達の心は愛そのものだからだ。
    だから、私達は愛そのものだ。
    私達の心は愛で出来ている。
    だから、私達は愛の唄を歌おう。

    愛の歌は、愛の心は、あなたの周りの人々を潤し、癒す。
    なぜならば、あなたの周りの人も愛で作られているからだ。
    そして、あなたの愛の歌と心そのものが、あなた自身をも潤す。
    それは愛のエコー(反響)だ。

    幸せが私達の元に舞い降り続ける。
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                歌と刃(やいば)         
            
        激しい  戦いの中で、
        刃が  交わされる中、
        やわらかい  女の歌声が
        私達の  心の中に
        やさしく  響きわたる。
        やがて  その歌声は
        冷たい  刃の中にも
        届いてゆく。
   
        それは
        愛の奔流(ほんりゅう)が
        数多(あまた)の
        刃を折る  ちから  か。
   
        一人の女の歌声が
        翼を広げ、
        軽々と  空に  舞い上がる時、
        一人の男の  勇気が
        一つの闇を  裂(さ)いてゆく。
   
   
   
   
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                坂本  誠

千三百一: 『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.5

こんばんわ。

『装甲騎兵ボトムズを見て』のシリーズも5段目になりました。
『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.4」では、第十一話『逆襲』が扱われています。
このラストの方で、キリコとプロトワン(フィアナ)が戦うわけです。
しかし、以前、書いたように、この段階では、人造兵器であるプロトワンには名前が付けられていないわけです。
ただの兵器扱いされているわけですね。

しかし、キリコとプロトワンはお互いの人間の感情に目覚めた。
闘う兵士同士が、戦いの中で、戦いの虚しさに気が付いた。
その時点で、もはや、キリコとプロトワンは、もはや兵士や兵器では無く、普通の人間になっていたのかもしれません。
なぜ、戦いの虚しさに気が付いたかと言うと、愛の感情と戦いの感情のエネルギーは反しているからです。
プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーは反しています。
愛の感情がプラスのエネルギーであり、戦いの感情がマイナスのエネルギーと言えるでしょう。

ですから、この『装甲騎兵ボトムズ』という作品は、ただの戦争アニメでは無く、人間更生のアニメでもあり、戦争が人間の愛のエネルギーによって、終結されていくという、実に、ヒューマンドラマでもあることに気が付きます。
もちろん、友情というものも愛のエネルギーですから、このキリコの仲間もキリコを助けて、戦争を終わらせていこうとする、実に深遠なドラマであることに、私達は気が付きます。
つまり、愛のエネルギーが戦いを終わらせます。

第十二話『絆(きずな)』で、キリコはプロトワンに名前を与えます。
『装甲騎兵ボトムズ』の最終回で、アストラギウス銀河の戦争を司る存在(ワイズマン)が、キリコに操作を施して、「プロトワンに名前を与えさせた」と言っていますが、私としては、あまりそれを信じてはいません。
なぜならば、最終回でキリコは、そのワイズマンを倒してしまうからです。
つまり、ワイズマンを倒したぐらいですから、キリコの直感と愛情が、ワイズマンに負けていたわけは無いと思うのです。

ただ、ひたすら、キリコは自分の心の奥底からにじみ出てくる愛の直感によって、プロトワンに名前を与えたのではないかと私は思うのです。

普通、何気なく呼ばれる私達の名前。
普通、私達の名前を与えてくれる人は、特別な場合を除いて、私達の親でしょう。
私達の名前と私達の親との関係は一つの絆(きずな)と言えるかもしれませんね。

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            第十二話『絆』からの引用

キリコ    :「なぜ、俺を殺(や)らない!  出来る筈だ!」
プロトワン:「わからない、、、でも、あなたとは闘いたくは無かった、、、」
キリコ    :「一体、何者なんだ?」
プロトワン:「わからない。自分の名前すら思い出せない。プロトワン。この疑問が、今の私の名前」
キリコ    :「教えてくれ!  リドの研究所では、何が行われていたんだ!?  何が目的で、、、」
プロトワン:「わからない!  私には何もわからない!!、、、」
                :
                :
                :
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キリコ    :「フィアナ---!」
                :
                :
                :
キリコ    :「大丈夫か?」
プロトワン:「ええ、何とか、、、」
                :
                :
プロトワン:「さっき、『フィアナ』って、呼んだわね」
キリコ    :「え?」
プロトワン:「あれ、私に付けてくれた名前ね?」
キリコ    :「あ、あれは、、、」
プロトワン:「ね、そうでしょ?」
キリコ    :「そんなことは後だ。このまま、走り抜けるぞ。地下鉄道は、どっちの方なんだ?」

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            『いつも  あなたが』    (エンディング主題歌)
                               
                               
    さみしい  ときも
    かなしい  ときも
    いつも  あなたが  めにうかぶ

    ひとりの  ときも
    あいたい  ときも
    いつも  あなたは  むねのなか

    とおく  はなれて  いても
    たとえ  わかれて  いても
    このよの  ひかりと  ともに  まぶしく
    あのひの  あなたが・・・・・・

                                作詞    :高橋  良輔
                                作曲    :乾  裕樹
                                ボーカル:TETSU

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                坂本  誠

2011年10月 1日 (土)

千二百九十: 『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.4

こんばんわ。

この『装甲騎兵ボトムズを見て』のシリーズも4段目を迎えました。
確かに、この『装甲騎兵ボトムズ』という作品は戦争アニメです。
しかし、地球の未来においては、戦争行為自体は過去の遺物となっているでしょう。
なぜならば、多くの人の心の奥底では、戦争を嫌っているからです。
戦争を愛する人間がいるでしょうか?
いや、いないでしょう。
多くの人が戦争を撲滅したいと願えば、やはり、戦争自体が無くなっていくからです。

ですから、地球の上では、痛ましい戦争の爪痕を遺産として登録されているものもあります。
それは、二度と戦争を繰り返さないようにという願いをこめて、戦争の爪痕の残るものを過去の遺物として残しているのです。

ですから、戦争映画や戦争アニメも、地球の未来においては、過去の遺物として、取り扱われる日が訪れると私は思います。
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『装甲騎兵ボトムズを見て』_No.2でも、紹介したのですが、この『装甲騎兵ボトムズ』は4シリーズに分かれています。
ウド編、クメン編、サンサ編、クエント編の4つです。

この最後のクエント編で、主人公キリコ・キュービーとヒロイン・フィアナが、アストラギウス銀河の戦争を司る存在を倒しに行くわけです。
そのキリコとフィアナの出会いがウド編で描かれています。
キリコもフィアナも戦いしか知らない兵士として描かれています。

いや、私の間違いがありました。
キリコもフィアナもお互いが出会って、自分たちの恋愛感情に気付き始め、そして、普通の人間になっていくわけです。
普通の人間の感情を取り戻していくのです。Img7d92cb71b6cc_2
そして、最終回では、自分達を戦争で操っていた存在を倒すのです。
人間の本来の感情が無ければ、そのようなことは出来なかったでしょう。
なぜならば、戦争しか知らない、つまり、争いや憎しみしか知らない人間だと、戦争を無くそうとするでしょうか?
戦争、つまり、争いや憎しみを消す動機は、やはり、人間の温かい心、人間の普通の心だとわかるのです。
さらに突き詰めて考えてみると、戦争を無くす最大のちからは、やはり、愛の心だと言えるでしょう。

以下、キリコとフィアナの出会いの辺りを描いたシーンを引用します。
(フィアナは、まだ、人造兵器として扱われていますから、「プロト・ワン」と呼ばれていますね。これは「人造兵器としての、プロトタイプの1型(ワン)」という意味でしょう。)
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        (第十一話『逆襲』より)

キリコ  :「また会ったな、、、いつも二人きりだな、、、今、このビルにいるのは俺たちだけさ」
フィアナ:「ほどいてください。抵抗はしません」
キリコ  :「その気になれば、そんな縄など、わけでもないだろう」

        (キリコはナイフで、フィアナの縄を切り、ナイフの刃をキリコ自身に向け、ナイフの柄をフィアナに差し出す。)

キリコ  :「俺を殺すか」

        (フィアナは首を横に振る。)

キリコ  :「名前は」
フィアナ:「プロトワン」
キリコ  :「そいつは名前なんかじゃない」
フィアナ:「ずっと、プロトワンと呼ばれてきました」

        (この後にすぐ、キリコ・キュービーの締めくくりセリフ)

       
        俺の運命を狂わせた彼女は、もう、俺の敵では無かった。
        ますます、泥沼に引きずり込まれるような予感に脅えながら、一方、俺は驚いていた。
        自分が、これほどまでに願ったことがあるだろうか?
        「もっと生きたい」と。
       
       
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            『いつも  あなたが』    (エンディング主題歌)
                               
                               
    さみしい  ときも
    かなしい  ときも
    いつも  あなたが  めにうかぶ

    ひとりの  ときも
    あいたい  ときも
    いつも  あなたは  むねのなか

    とおく  はなれて  いても
    たとえ  わかれて  いても
    このよの  ひかりと  ともに  まぶしく
    あのひの  あなたが・・・・・・

                                作詞    :高橋  良輔
                                作曲    :乾  裕樹
                                ボーカル:TETSUAbcdef_4

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                坂本  誠

2011年7月 9日 (土)

千百二十八: 名セリフ

キリコ :「フィアナ!」
フィアナ:「キリコ!」
キリコ :「俺もおまえも戦って死ぬしか無いようだ」
フィアナ:「許して、キリコ! もう、離れない!」
キリコ :「俺と一緒に戦って、死ぬか?」
フィアナ:「いいえ、生きます! キリコと一緒なら、戦い抜いて生きるわ!」

               
-----------------------------------
    『装甲騎兵ボトムズ』
    第三十二話:「イプシロン」からの引用Img7d92bfdadf53
   
               
                坂本  誠

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