カテゴリ「日記」の213件の記事 Feed

2013年3月18日 (月)

三千三十六: 落葉樹を見て(独白)

忙しい現実から離れて、腰を落ち着けて、落葉樹を見るのも、面白いと感じてしまう。
忙しい現代人は、このような機会も少ないと感じてしまう。

今は、3月だから、落葉樹には、うっすらとした緑色の目が吹き出ている。
その芽が小さいので、さらに可愛らしいものを感じてしまう。

夏になると、落葉樹は青々とした葉で覆われている。
それには、「盛夏」という言葉がよく似合う。

秋の落葉樹も美しい。
赤々と染まった葉が冷えた秋風の上に、一つずつ乗って流れていく。
その光景には、落ち着きを感じてしまう。

そして、冬には、落葉樹は一つ残らず葉を落としている。
春、夏、秋には葉があるのに、冬にだけは落葉樹は葉を持たない。
その葉の無い枝を見て、人は「無とは何か」を静かに考えることが出来る。

忙しい現実から一歩抜け出て、落葉樹について考えるのも一興だと考えてしまう。

                坂本  誠    Img7d913fc2e5eb

2013年3月16日 (土)

三千三十一: 忙しい時間の後に(独白)

忙しかった時間の後に、やわらかい音楽を聞きながら、美しい絵を見ていると、なんとなく別世界に行っているような気がする。
この騒々しい3次元の世界から抜け出て、別の次元に行っているかのようだ。

それは、就寝中の時間にも似ている。
穏やかな夢を見ている時は、誰でもが幸せを感じる。

そんな一時が地上にもあることがわかる。
ゆとりの時間を作って、美しい芸術に触れるのだ。

そんな一時に、人間の本当の心に近づいていくような気がする。
多分、そんな時間は、過去、私達の作り上げてきた社会の作ったと相対峙していると思う。
                        
                        
                        
                坂本  誠    20100808132657

2013年3月 9日 (土)

三千四: 土曜日に

こんにちわ。

日本の小説家の三島由紀夫の作品に、『小説家の休暇』というものがあります。
三島由紀夫は、小説家でしたので、「小説家が休暇を得ているならば、その小説家は、休日にペンを持っていないだろう」と、人は考えるかもしれません。

ところが、その小説家は、「自分は今、休みだ」と言いつつも、ペンを走らせて、日記のようなものを書いているわけです。
そして、その日記のようなものを作品『小説家の休暇』という私小説なような作品を作ったわけです。
ですから、三島由紀夫は、「休みだ」と言いつつも、その休みの日の仕事ぶりを伝えていたことになるでしょう。

ですから、何かの情報を発信したい人も、自分の休暇を得たければ、「その休暇に何をしたのか」とか「休暇に何を感じたのか」を書けば、休みを取っているのと同時に仕事をしていることにもなるでしょう。
この辺はちょっと面白いところですね。

今日は土曜日です。
窓の外には、青空が広がり、鳥の鳴き声も聞こえてきます。
また、最近は、梅も満開です。
鳥達も、その満開の梅に止まって、春の訪れを楽しんでいるかもしれません。
-------------------------------------
あと、「静かにする時間も大切だ」と感じてしまいます。
この「静かにする時間」というのは、心を静めて、騒音の少ない場所に行き、何をか考えを巡らせているのに気付きます。
結局、瞑想をしているのに気付きます。
そして、その瞑想の中で、良いアイデアを得たりするのに気付きます。

ですから、人間は動的な時間も必要ですが、意外に、この静かな時間も大切なことに気付きます。

                坂本  誠  20110328114432  

2013年3月 7日 (木)

二千九百九十八: 春のよそおい(独白)

気が付いてみたら、もう、コートを着る必要が無くなっていた。
暖かい陽射しを見ていると、3月の陽射しとは、こんなものかと感じてしまう。

1年の内に12カ月があるが、その月ごとに、陽射しの雰囲気に違いがあるのに気が付く。
3月の陽射しには、仄かなものを感じる。
ひな祭りがあるからだろうか。
5月の陽射しには、若葉の光線のような雰囲気がある。

3月の陽射しも面白い。
朝の頃は、まだうすら寒いから、2月の陽射しに似ている。
しかし、真昼ぐらいになると、暖かくなるので、4月の陽射しに似ている。

屋外の林を見ていると、朝は冬の木立を見ているようだけど、昼は春の木立を見ているようだ。
そして、季節全体が春に移っていくので、風も暖かくなり、鳥の鳴き声も増えて、「移行」というものを楽しめる。
人は「安定」という状態を楽しめるけれど、「移行」も楽しむことも出来る。

人は幾つか、自分のお気に入りの場所を持つ。
そのお気に入りの場所に行って、その季節の「安定」や「移行」を楽しむのも面白いかもしれない。

                坂本  誠  20100319090637  

2013年3月 2日 (土)

二千九百八十二: 休日

こんばんわ。

今日一日は、休んでいました。
また、明日以降に書きたいと思います。

では。

                坂本  誠   

2013年2月24日 (日)

二千九百五十八: 青空(独白)

最近は、青空についての独白が多い。20100805100809
冬場に青空を見ると、心も晴れる。
冬場はどんよりした天候が多いからだ。

しかし、休日の今日、再び、空は晴れてくれた。
心が落ち着く。

しかし、誰もが思うことが大気汚染の事だろう。
こればかりは仕方が無い。
一刻も早く、汚染が治まることを祈る人が多いことだろう。

最近、なぜ、青空についての独白が多いかとなると、こんな風に地球から青空を頂けても、頭の片隅に、どこか大気の汚染の事がひっかかっているからだ。
そして、「人類が地球の大気汚染をしている」となると、その大気汚染をストップさせるのも、当然、人間でなくてはいけないからだと思うからだ。

「空気が汚れているだろうから、あまり良くない気がする。その空気を汚しているのは、同じ人間だ。だから、その空気を汚している人々にストップをかけさせないといけない」と、誰もが考えると思う。
--------------------------------------------------
もし、地球そのものが、地球自身を汚しているのならば、それは人類の責任ではないから、その状態を人間が憂う必要は無いと思う。
例えば、地球の生まれたての頃、つまり、40億年前か、45億年前ぐらいは、地球は、亜硫酸ガスや有毒ガスなどで覆われていたことが知られている。
なぜならば、多くの火山が噴火していたことが知られているからだ。
だから、高等な動物は地球上に住めなかった。

なぜ、そんなに多くの火山が噴火していたかというと、これも地球の大地を作るためだったり、あるいは、希少な化合物も、後の地球のために、必要となる物質だったからだ。
だから、その状態を人間が見て、「地球は汚れている」と言えたかもしれない。
しかし、それは、後の地球を作るための活動だったのだ。
また、地球がそういう状況だったことは、もちろん、人間のせいではない。
--------------------------------------------------
しかし、今現在の大気汚染や海洋汚染は、これは、人間が汚している。
人間が汚したら、その汚れを清めるのは、人間の責任だと思う。

あまり、深く考えなくても、自分の部屋のことを考えてみたらわかる。
自分の部屋をある一定の時間、使っていると、どうしても汚れてしまう。
だから、その部屋の主人が部屋の掃除をしないといけない。
そうしないと、部屋が汚れ続けて、その部屋の主人であるその人間が病気になってしまう。

だから、「自分の出したゴミは自分でかたずけないといけない」という考えはここでも、当てはまると思う。
同じ人間が地球を汚している。
だから、反対の声を挙げても、全く不思議では無い。
また、積極的に、「公害反対」と言う方が正解だと私は思う。

普段、何げなく、私達の見ている青空に、何かの財産を感じる人は幸せだと思う。
そして、その青空を汚して、その青空を失った人は、何かの大きな損失を感じると思う。
この場合の「財産」とか「損失」という意味は、金銭的なものではない。
強いて言えば、愛の豊富さとか愛の損失という感じの意味合いになるだろう。

また、積極的に、工場製品などの生産を上げて、金銭の獲得を目指しているというのならば、金銭の上昇を目指すことが、愛の損失につながるという結果を導いていると思う。

結果的に、お金の上昇を目指すと、愛の損失を導くというのならば、「人間にとって、お金とは何なのだろう?」と、自分自身に問い直すことが出来ると思ってしまう。

                坂本  誠

2013年2月18日 (月)

二千九百四十六: 休みについて

こんばんわ。

普通、どんな人も、休日を持っていることに気が付きます。

また、休日でなくても、夜に寝ている時は、「休みを得ている」と言えるでしょう。
その休んでいる間は、常日頃の生活とは違っていることに気が付きます。
常日頃と違い、心身をリフレッシュするために休みがあるのでしょう。

だから、何かを書いている人は、その書くことを中断して、何も書かなければ、休んだことになるでしょう。
しかし、今度は、休んだことに、それ自体の感想が出て来るはずです。
ですから、その休みについて、どんな感じを得たかを書けば、今度は、休みについてのエッセイが書けることでしょう。

例えば、「ゆっくり休むためにはどうしたら良いのか」とか「短時間でリフレッシュするためにはどうしたらよいのか」とか「身体ではなく、精神がリフレッシュするためにはどうしたら良いのか」とか、様々にあるでしょう。

また、本当に、「人間の思考はいつ休んでいるのか」となると、これは、ちょっと疑問です。
なぜならば、寝ている間でも「夢」を見ます。
つまり、寝ている間でも、何かを感じていることは確かです。

だから、寝ている時の精神活動は、人間の精神活動のレベルの段階が違っていると考えられるでしょう。
-------------------------------------------
それにしても、上手な休み方を取ることは必要だと思います。

例えば、旅行先に行っても、仕事の事ばかりを考えていたら、それは、ほとんど「休暇」とは言えない状態でしょう。
だから、精神の切り替えをして、上手なリフレッシュをすることこそが大事だと、私達にわかります。
これから考えると、遠い地に旅行などもせずとも、近場で、ゆったりとリフレッシュすることも可能だと、私達にわかります。

このリフレッシュの上手な人は、作業の上手な人になれると私達は考えることが出来るでしょう。
しっかりと休憩したのだから、また、再び、快活に、日々の生活を歩んでいけるわけです。

ですから、「上手なリフレッシュの仕方」というのが、現代人にとっては、需要かもしれません。

休みについてのエッセイを書きました。

 

                坂本  誠20110126121816   

2013年2月14日 (木)

二千九百三十六: ゆったりとした時間(独白)

年齢が経つにつれて、ゆったりと出来る時間というものが少しずつ変わるらしい。

だけど、私の場合は、あまり、そんなに大きな変化が無い。

昔から、綺麗な音楽を聞きながら、自分の部屋にいて、なんとなく瞑想の状態になるのだ。
あるいは、読書をしながら、心が静かになる時だろうか。

私の場合は、あまり昔からテレビを見ないようだ。
テレビを見ていると、どうしても、心が乱れる時が多い。

なぜなら、そこには、激しい映像と音楽が多いから。

激しい映像と音楽から意図的に離れて、美しい映像と美しい音楽に囲まれるのだ。
心が安らぐ。
(もっとも、インターネットでも、激しい映像と音楽に触れようと思えば、もちろん出来る。それも自由だから)。

だが、インターネットの場合は、少なくとも、テレビよりも、自分好みの美しさに触れることが出来るように感じる。

「安らぎ」という言葉を思い出してみよう。
その言葉から出る雰囲気というのは、美しさとか、穏やかさとか、静謐さとか、曇りの無い清澄さとか、そのような言葉を思い出す人も多いと思う。

日々の情報を得るために、ネット上のニュースを見たりするけれど、そのニュースを見た後は、心のシャワーのような感じで、美しい音楽を浴びて、様々に変わる美しい絵画を眺めてみたりすると、そこに穏やかな安らぎを人は感じる事が出来るかもしれない。

                坂本  誠  Img7d920e9a6afe 

2013年2月13日 (水)

二千九百三十三: 陽射し(独白)

最近は、冬場のせいか、どんよりした天気が多い。
しかし、今日は陽射しが暖かい。P9260147

こんな冬場にこそ、「陽射し」というものがありがたく感じてしまう。

そして、雨の日でも冬の日でも、本当は、雲の上に陽射しが降り注いでいることを私達は知っている。
普段、私達は、太陽のありがたみに気が付くことが少ない。
太陽が一日でも、地球に日光を送らなければ、地球は大変だ。

今、地球の上に異常気象が多いけれど、「太陽が無ければ」と思うと、これは決定的なものがある。
すぐに、地球が冷えて、氷河期になるだろう。
また、それだけではない。
太陽が無くなるのだから、太陽系に周回している惑星たちも、その遠心力によって、宇宙にバラバラに離れて行く。
地球が大気を保てるのも、難しいかもしれない。

また、地球は私達が足をふみしめる大地を提供してくれている。
もし、地球が全て、突然、水の惑星だったら、私達は溺れてしまう。
当然、冬の陽射しに暖かさを感じる事は出来ない。

「冬の陽射しに暖かさを感じる事が出来る」というのは、絶妙なバランスの上に成り立っていることがわかる。
だから、私達の日々の生活を見ると、色々な事で、争いがあったりするのを見ると、実に、それらが虚しいことがわかってしまう。
「争いを作らないべきだ」と、私達は感じるだろう。
--------------------------------------------------------
そして、「争いを無くすためには、どうしたら良いのか?」を考えてみると、その原因は、私達の日々の生活を縛っている、あの拘束具であることがわかる。
または、肌の色の違いとか、民族的なポリシーとか、そんな感じだろうか。

テレビや新聞の中で、「国のGDPは幾らだから、大変だ」とか「経済摩擦」とか「国策が、、、」と言っている。

しかし、それらを外して考えてみると、一般の多くの人は、安心して付き合えることに気が付く。
国境の違いはある。
話す言葉の違いもある。

だけど、だいたい、世界の多くの人々の、90%ぐらいの人々が、自由に安心して付き合える状態ではないだろうか。
国境の問題や言語の違いもあるけれど、その90%ぐらいの人々にとっては、現在の地球に国境があっても、もはや無いのと同じだろう。

だから、テレビなどで、「国際問題」として、大きく取り扱われるような出来事があっても、一般の庶民にとっては、あまり、国際問題で無い場合も多い。
つい、最近、ロシアの戦闘機が日本の領空を侵犯したと報道で取り上げられていた。
しかし、「そのようなことを狙ったのは、せいぜい、国の上層部の人間か軍隊の上層部の人間が狙ったことだろう」と、一般庶民は考えることが出来るだろう。

なぜならば、ロシアの一般庶民の99%が日本の一般庶民を憎んでいるかと言うと、そんなことは無いからだ。
また、同じように、日本の99%の一般庶民がロシアの一般庶民を憎んでいるかと言うと、そんなことは無いからだ。
そんな感じで、色々な国の99%の一般庶民にとっては、国の上層部の狙いと一般庶民の願いとは違っているからだ。

つまり、国の上層部の人間や軍の上層部の人間が何かのハプニングを起こし、それを大きくマスメディアで流せば、多くの庶民の感情をあおることが出来る。
それは、多くの庶民に対するマインド・コントロールと言えると思う。

例えば、そのように、日本の中や外国の中で、それらの出来事を大きく報道すれば、多くの庶民が「あの国の人々は悪い」、「この国の人々は悪い」と、多くの庶民が思ってしまうことが問題なのだ。
なんとなれば、ロシアの99%の人間の意志が、「日本の領空を侵犯してまで、戦闘機を飛ばすべきだ」というマスメディアの報道とは、違っているだろう。
だから、それは、ロシア全体の意向とは言わないだろう。
ロシアという国の上層部のほんの一握りの人の考えが、戦闘機の領空を侵犯させたのかもしれない。

だから、そのような国の上層部の人間や軍の上層部の一握りの考えを流布させているマスメディアの情報をうのみにしない方が良いと思う。

ここから考えるに、国の上層部の人間の考えを多くの庶民の感情にしてしまう機関が、マスメディアとも言えるかもしれない。
--------------------------------------------------------
民主主義の政治が始まって以来、「政治家というものは、多くの人の考えを代表する人だ」と定義されている。
しかし、いつの時代も、決まって、以下のようになるらしい。
上の定義とは、逆に、「政治家一人の考えを、多くの人の考えにさせる」のだ。
そのために、マスメディア等が使用される。

戦争を起こしたい人間がそれぞれの国に1%いると仮定しよう。
だから、もし、領空侵犯とか領海侵犯とかがあれば、それぞれの国のその1%の人間同士で戦えば良いと思う。
残りの、それぞれの99%の人間は、政治家の言う事を聞かず、日々の生活をそのまま、送れば良いと思う。
「もし、戦争をする」と言っても、その両国の軍隊の内部の兵士たちの本当の願いは、戦争なんてしたくないのだ。
その軍隊の兵士だって、仕方なく、嫌々ながら、戦場に向かい、危険におびえながら、「死ぬかもしれない」と思いつつ戦うのだから。

だから、本当に戦争をしたい人は、それぞれの国の上層部の、せいぜい、1%ぐらいの人間だと思う。
その1%の人間同士で、戦争をすれば良いと思う。
(いや、1%よりも少ないかもしれない)。

あとの99%の国民は、日々の生活を送れば良いと思う。
しかし、もし仮に、軍隊同士で、戦争をするというのならば、それは以下の理由によるだろう。
軍隊だって、上層部の人間から、給料を頂いているのに気が付く。
全ての人が、上層部から、この給料(お金)をもらわないと生きていけないのだ。
だから、仕方なく、嫌々ながら、戦場の再先端に向かうのだ。

だから、ここでも、お金が人を毒していると考えないといけないだろう。
軍隊の兵士でも、本音は、人を殺したくもないのに、自分の給料のために人を殺すというわけだ。

だから、お金というものは、人を縛りつけている拘束具のような道具であると私は感じる。

また、通常は、お金をたくさん持っている人の方が上で、お金の少ない人は、そのお金をたくさん持っている人の言う事を無理矢理、聞かせるようにしている。
それはマスター・アンド・サーヴァント(Master & Servant)の関係だ。
つまり、お金のシステムは、人を支配するシステムが出来上がるというわけだ。
だから、お金は人を支配するための道具であることにも気が付く。
--------------------------------------------------------
ほんのちょっとの独白にしようかと思っていたら、国際問題や経済問題までも書いてしまった。

何はともあれ、冬の暖かい陽射しには感謝を捧げたい。Pb120158

                坂本  誠   

2013年1月20日 (日)

二千八百五十六: 歌声(独白)

休みの日に、ショッピング・センターに行った。
休みの日のショッピング・センターでは、どこでも、アトラクションが多い。

その日その日によって違うのだけど、様々なアトラクションがある。
テレビで現れるヒーローが、ショッピング・センターのそのアトラクションにやって来て、子供達と握手をする時もある。
また、ビートルズの音楽が流れる時もある。
あるいは、何かのグループが自分達で作った曲が流れる時もある。
また、何かのテーマ・ソングが流れる時もある。

当然、アトラクションだから、人が多く集まる。
老若男女が集まって、そのアトラクションを見て楽しむ。

歌声が、木霊すると、なんとなく、ホッとしてしまう。
どんな歌も芸術だから、その芸術に触れて、私達は心を癒すことが出来る。

人々のにぎわいの、さらにその上を流れる歌声には勇気づけられる。

ベンチに腰掛けて、その歌声を聞きながら、クッキーをほうばった。

                        
                坂本  誠20110126174034    

Powered by Six Apart
フォトアルバム