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2013年5月25日 (土)

三千三百十五: 静かな土曜日(独白)

今日は、土曜日だ。
朝、目覚めると、静かなものを感じた。
やわらかい陽射し。
穏やかな、そよ風。

ここ、何日間か、掃除をしていなかったので、掃除をした。
晴れた天気の下で、掃除をしたら、なんとなく、サッパリした。

今まで、何か忙しさを感じていた。
「今まで、何か忙しさを感じていた」ということは、今の私は、静かな雰囲気を味わっているのだろう。
だから、休日というものを感じている。

他の人も、「静かさ」というものに、触れると、「休日」を感じるかもしれない。

                坂本  誠    20101227100935

2013年5月24日 (金)

三千三百十二: 名前も知らない花々

家に咲いている花々に水をあげると、なんとなく、花も喜んでいるように感じます。

花々の美しい季節になりました。
冬には、花の種類が少ないのですが、春や夏は、花が咲き乱れる季節です。
花の種類は、数が多いものです。
一体、何種類あるかわかりません。
しかし、その数の多さは、かなりのものでしょう。

付近を散歩していても、何の名前かわからない花の種類も多いです。
しかし、その名前のわからない花を見ていても、その花は美しさを与えてくれますね。
こんなさりげない、美しさを見ても、心が癒されるというのは、ありがたいことだと感じますね。

                坂本  誠    Img7d92c569de0b

2013年5月19日 (日)

三千二百七十七: おしゃべりについて

こんにちわ。

おしゃべりについて考える機会がありました。

時には、時間のある時に、何の意味も無く、友人と、ダラダラと、何の意味も無く、おしゃべりをし続けることも面白いことかと感じる機会がありました。
ただ、ひたすら、何も意味も無く、目の前にいる友人と話してみるわけです。
そうすれば、意味の無いおしゃべりにも、何かの意味があることをつかんだりする機会があるかもしれません。
だから、「意味の無いおしゃべりにも、意味がある」と、考え直すことが出来るかもしれません。

例えば、目の前に友人がいて、以下のような、「あまり意味の無い会話を、ずっとし続けよう」と、言いながら話し始めるとか。

太郎:「僕の爪の上に白い月のような形が出ている」
次郎:「なんで、そんな白い月のような形が、爪の上に出来るんだろうね」
太郎:「そんなの知らないよ」
次郎:「だったら、やっぱり、人体って不思議だよね」
太郎:「でも、そんな爪の上に白い月のような形があるから、『ネイル・アート』って、生まれたんじゃないだろうか?」
次郎:「そうだとすると、爪の上の白い月のような形にも、やっぱり意味があった、ってことになるよね」
太郎:「じゃあ、あんまり、意味の無い会話をしようや、って、言っても、やっぱり、意味を見つけたことになるよね」
次郎:「じゃあ、意味の無い会話も意味がある、ってこと?」
太郎:「そうかもよ」
次郎:「じゃあ、もっと、意味の無さそうな会話をしても、何かの良いアイデアとかが生まれてくるかな?」
太郎:「そうかもね」
次郎:「じゃあ、今、僕達の前に、一つのコップがあるけど、これについて、意味の無い会話をしたら、次は、どんな意味が出てくるかな?」
太郎:「じゃあ、そのコップについて、会話を始めてみようか」
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ついでに、会話を続けるから、友情が深まるとかなると、そのような、さりげないおしゃべりにも、やっぱり、意味があると考えることが出来ます。

                坂本  誠    Img7d92bfdadf53

2013年5月11日 (土)

三千二百二十一: 世界の時刻を見ながら

私は、意外と、時計を見るのが好きです。
「なぜ、時計を見るのが好きなのか?」と問われても、なかなか、返答に窮してしまいます。

なんとなく、時の流れが、川の流れに似ているからでしょうか。
少なくとも、私は時の流れが、せせらぎの流れに似ているように感じるのです。

ですから、時計を見たり、時刻を見たりするのが好きなのかもしれません。
普通、時間というと、人の生活形態を縛ってしまうような存在のように見えるのですが、この場合は、なんとなく、自然の芸術を見るような感じで、時の流れを見ていることになるでしょう。

インターネットでは、今では、多くのサイトで、「現在の、ある土地の時刻は何か」を知ることが出来ます。

例えば、ペルーとか、イギリスとか、ドイツとか、モスクワとか、スイスとか、様々な土地の現在の時刻を知ることが出来ます。
私が、インターネットで、それらの土地の時刻を見ると、その土地の人々の事を想像してしまいます。
例えば、その土地が、真夜中だったら、その人々は、ぐっすりと寝ているでしょう。
また、朝の時間だったら、人々は街の中で出勤しているかもしれません。
しかし、ある土地の朝だと、多くの人々が礼拝しているかもしれません。

ちょうど、お昼の12時ぐらいだったら、多くの人々は昼食タイムでしょう。
ですから、様々な土地の人々の食べているものも想像したりします。
その土地によって、人々の主食が違うからです。

ですから、インターネットなどで、あまり意味も無く、世界の現在の時間を見て、たった今の自分の違いを探してみるのも、面白く感じています。Img7d94078567c2

                坂本  誠   

2013年4月27日 (土)

三千百四十三: 休みの日に

以下の記事は、2013年4月14日に書いたものです。
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                        2013年4月14日

私がパソコンの修理に出して3日目です。
さすがに、休みというものを感じます。
これも運命が自分に与えてくれた休みだと、ポジティブな方向にとらえています。

志賀直哉の短編小説で、「城の崎にて」という作品があります。
志賀直哉さんがケガをして、その療養のために、旅に出て、落ち着いた先が「城の崎」だったというわけです。

志賀直哉さんにとっても休日だったわけですが、その休日にも彼はペンを動かしています。
彼のケガは、彼にとって致命傷になるかもしれないものでした。
ですから、志賀さんは療養先で、生き物の生と死について深く考えさせられるわけです。
それは、一つのサイクルの問題でもあることに気が付きます。

実は、私達の周囲でも、見回してみると、そのサイクルの光景がありふれているのに気が付きます。
たとえば、花です。
今は、もう、ほとんど桜の散る季節だと言えます。
「桜が散る」というのも、一つのサイクルの終わりを意味しているのに気が付きます。
また、寒椿の花も散っています。
しかし、春は花の季節でもありますから、種々の花が咲き乱れ始めています。
これも一つのサイクルと言えるでしょう。

私のパソコンを修理に出しました。
しばらく経って、復旧して、私の手元に帰ってくるのですが、これもパソコンがケガをして、そのケガの治療を終えた、と言えるものでしょう。
これも、一つのサイクルと考えられるかもしれません。

ですから、普段とは違ったライフ・スタイルが訪れても、そこから得られるものは、充分にあると感じます。
いや、普段とは違うライフ・スタイルの中にこそ、得られるものは多いかもしれません。

                坂本  誠    P3240154

2013年4月26日 (金)

三千百四十: 白い空間の中で(独白)

今、白い大理石で作られた空間の中にいる。
風に揺られるドアの音だけが響く。
大理石の空間の中に、陽の光が、ななめに差し込んでいる。
大理石の円柱が、ななめの影を作っている。

ここは瞑想の空間だ。
ずっと、その部屋にいると、頭の中に、「ピーン」としたような高い音を感じる。
ただの耳鳴りかもしれない。
それとも、この空間の波動だけが高いからかもしれない。

その空間の中で、紙の上にペンを走らせてみる。
こんな空間の中では、こんな小さなペンの音でも、響き渡る。

それほど、静寂な空間なのだ。
このような静かさ自体に、何かの美しさを感じる人も多いことだろう。

                坂本  誠   

2013年4月18日 (木)

三千百十三: パソコンの無い日

                        2013年4月12日

パソコンの故障があったため、修理に出した。
宅配便の人が私の家に、私のパソコンを引き取りに来て、持って行った。
今日からしばらくの間、我が家にパソコンが無い。

パソコンをいつも置いていた机の上が、やけに広く見える。
そして、やけに静かに感じてしまう。
そして、なんとなく、空虚な感じがする。
たとえば、いつもカバンを持ち歩く人がカバンを持ち歩かないと、どこか奇妙な雰囲気がする。
また、車に乗りなれている人が、車を使わない生活をすると、奇妙な雰囲気がする。
また、通勤等で、毎日、同じ電車を使う人が電車を使わなくなると変な気分になる。
それと同じだ。

背中に重い荷物を背負って山を登っていた感じだったが、いきなり、その荷物を降ろした、という感じでもある。
そして、部屋の壁掛け時計の音が、いつもより、余計に大きく感じてしまう。
いつもはパソコンの画面ばかりを見ることが多かったのだが、その画面が無いので、やたらと机の上を見回してしまう。

そして、自分のヘッド・ホンを治すことにした。
ヘッド・ホンの頭の頂点に接触する部分が割れていて、そのヘッド・ホンを使用することが出来なかった。
捨てて、新しいものでも買おうかとも思っていた。
しかし、パソコンが手元にない今、ちょっと、紐を持ってきて、その部分を結び合わせると、意外にも簡単に修理できた。
おかげで、新しいヘッド・ホンを買わずに済んだ。

パソコンが手元に無い時は、右脳の活性化に役立つ時間かもしれない。

                坂本  誠   

2013年3月28日 (木)

三千七十五: 花の季節

最近は、花の季節です。P3240150

郊外に、多くの桜の花が咲いているのを見かけます。
天気の良い日の桜に、落ち着きと静かさを感じます。

こういうのも、四季があるからこそ、それぞれの季節の花を楽しめると感じます。

桜だけではなく、最近は、スミレの季節です。
上を向いた時は、よく、桜の花を目にしますが、下の大地を見たら、よく、スミレが咲いているのに気付きます。

「花の季節に入った」と、しみじみと感じます。
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                すみれ
               
               

    ありきたりの
    街の片隅に
    振り向く人も少ないが
    小さなすみれが咲いていた。

    車の騒音や  人間たちの喧騒にも負けず
    彼女は誇らしげに
    自分の生の歓びを
    行き交う人々に披露していた。

    短い生命だが
    死を恐れることなく
    大きな世界に向かって
    自らの小さな美を  手を差しのべていた。

    その手が僕をつかんだ。
    すみれの小さな生命の大きな歓びを
    僕は胸の内にしまった。
    一点の光を抱きしめるように。

 

                坂本  誠P3280158    

2013年3月26日 (火)

三千六十六: 休みについて

こんばんわ。

休みについて考える機会がありました。
仕事の無い日でも、仕事の事ばかりを考えていたら、それは休みの日とは言えないことに私達は気が付きます。

なので、休みの日に、身体を休めたりすることは出来ても、心が休んでいなければ、それは休みの日と言えなくなります。

ですから、休みの日とは精神がくつろいでいるという状態が休みだと気が付きます。
さらに、身体と精神がくつろいでいたら、「さらに休めた」と言えるでしょう。

思考が停止する時が無いのに気付きます。
休んでいる時にも、心は、なんだかんだと考えますから、穏やかな事を考えたら、「休めた」と言えるでしょう。

                坂本  誠   

2013年3月22日 (金)

三千五十五: 大理石を見て(独白)

今、大理石の床を見ている。
真っ白な床が広がっている。
誰でも白い大理石を見ると、冷たいものを感じると思う。
実際、手に触れてみると冷たい。
それが良いと感じてしまう。

冬ならば、冷たいものは苦手に感じるだろうけれど、暑い夏場ならば、ひんやりとしたものは気持ち良い。
だから、時と場合によって冷たいものも良い。
また、そのように冷たいものを見ると、焦っている時に、心の落ち着き方も思い出すことが出来るかもしれない。
普段、私達は心の落ち着かせ方を忘れている。
色々な場所で、私達は心の落ち着かせ方を習っているものだ。

だから、大理石の空間に訪れると、普段とは変わった、何かを思い出せると感じてしまう。

                坂本  誠   

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