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2013年5月22日 (水)

三千二百九十六: 経済システムと情報の取り扱いについて

経済システムと情報の取り扱いについて考える機会がありました。

CHDで取り扱っているように、第二次世界大戦の終わった直後ぐらいの時代は、「米ソ冷戦の時代」と言われたように、何かの出来事が軍事のため等に、トップ・シークレット扱いされるかもしれません。
その状態から、大がかりな情報の隠蔽工作が行われるかもしれません。

しかし、それを抜きにしても、現在の経済システムの状態だと、次第に、情報の透明性が無くなってくるのに気が付きます。
例えば、普通の民放と呼ばれるテレビなどを見ると、「スポンサー」という存在があるのに気が付きます。
そのスポンサーとは、私達も良く知るように企業です。

そして、スポンサーである何かの企業に汚職や良くない事件があったと仮定しましょう。
そして、そのスポンサーを持っているテレビが、そのスポンサーのそれらの汚職とか良くない事件を報道したとしましょう。
スポンサーの評判が落ちて、スポンサーの商品の売れ行きが落ちたり、あるいは、そのスポンサーが窮地に陥ったりするかもしれません。
すると、自動的に、そのスポンサーから、テレビ会社にお金が出なくなります。
その状態だと、テレビ会社自体が困るわけです。
ですから、スポンサーである企業の不祥事を隠したりするとも考えられます。
(その企業の不祥事というものも、その原因のほとんどが、お金に対する欲から来ていることが多いのですが。)
これも、情報の隠蔽になります。
これが常態化することも考えられたら、次第に、報道の世界でさえも、内部の状態に腐敗が起こるようになるでしょう。

また、その状態が続いたら、やがて、何かの不祥事が発覚する前に、スポンサーの方から、「これそれの事を言わないでください。もし、あなたが言ったら、あなたにお金をあげることが出来ません」となったりして、やはり、情報の隠蔽が進んだりします。
昔から、よく言われていることですが、「お金のちからで黙ってもらう」とか。
このスポンサーというものが、政府の事である場合も考えられます。
こうなってくると、やはり、「この世の中、お金を持っている人間の勝ちなのさ」という感じになってきます。

本当の正義と、お金の正義とは、これは違っていると思います。
なんでもかんでも、お金だらけになると、「お金の正義」というものが世に作られて、本当の正義というものが、どこか、背後に隠されてしまうことになります。
ですから、現在の経済システムと情報の取り扱いには、大きな問題があることがわかります。

経済システムと情報の取り扱いについてのエッセイを書きました。

(関連記事)
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『三千二百八十九:情報の隠蔽について』

http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/05/post-fde5.html

                坂本  誠   

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