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2013年4月18日 (木)

三千百十五: 瞑想をする時

                        2013年4月12日

こんにちわ。

瞑想をする時は、文字を見ない方が良いことに気が付きます。
文字には、特定の情報が込められているため、文字を見ながら、瞑想をすると、その文字に関係した瞑想をすることになります。

それも悪くはないのですが、同じ瞑想をするにも、何かの風景や画像を見て、瞑想をするとイメージが膨らむことに気が付きます。
何かの風景というものは、あまり特定の情報が無いのに気が付きます。
「風景」というものは、私達に何かのイメージを与えるものです。

ですから、瞑想をする時に、文字よりも、風景を見たり、音楽を聴いたりして、瞑想をすると右脳がよく働くことに気が付きます。
これらは、「風景」とか「音楽」は、右脳に関係しているから、右脳の瞑想には良いと感じます。P4160159

逆から考えてみたら、左脳をよく働かせたいときは、文字を見て、瞑想をすれば良いと考えます。
「文字」は、何かのもの、たとえば、風景の中の木とかの「木」ですが、その木に、一つの特定の意味を与えていることに気が付きます。
実際、自然の中の「木」というものは、かなりの種類があります。
ですから、「木」と言っても、千差万別です。
風景の中の「木」を見て、瞑想するのと、文字の「木」を見て、瞑想するのは、かなりの違いがあります。

たとえば、私の好きな木が楓(かえで)だとします。
私が「木」という文字を見て、瞑想していたら、頻繁に楓の風景を思い浮かぶでしょう。
しかし、実際の野原の「木」を見て、瞑想しているとします。
実際の野原にある「木」は、大量の種類があるので、「木」についての、多くの瞑想が出来ることに気が付きます。
それだけ、多くのイメージを作ることが出来ます。
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音楽についての瞑想も上と同じことが言えると感じます。

歌詞のある音楽と歌詞の無い音楽があるとします。
「歌詞のある音楽」は歌詞があるので、だいたい、特定のイメージが思い浮かびます。
しかし、「歌詞の無い音楽」だと、イメージが制限されていないので、より、幅広く、瞑想をすることが出来るのに気が付きます。P4160156

また、普通の日本人が日本語の歌詞のついた音楽を聴く時と、英語の歌詞のついた音楽を聴く時に、大きな違いあることがわかります。
日本語の歌詞のついた音楽を聴けば、歌詞の内容がすぐにわかります。
しかし、日本人が英語の歌詞の音楽を聴いても、その歌詞の内容がわからないので、その音楽に対して、「何を語っているのだろう?」と、考えていることに気が付きます。
つまり、これも「瞑想」というわけです。
英語で何を語っているかわからないので、聞く度に、様々なイメージを考えるから、これも、面白いタイプの瞑想だと感じます。

                坂本  誠    P4160152

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