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2013年4月 4日 (木)

三千九十: 許しについて

許しについて考える機会がありました。

以前、私は、『二百四十八:反省について』で、「時おり、自らを悪魔と見なして、反省すること」という感じの文章を書きました。
というのも、生まれてきて、今までに、全ての人に、悪いことをしてきたりして、反省する内容があるからです。

ですから、時おりに、「自らを悪魔と見なして、反省する」という深い反省も必要かと思うのです。

そこから考えが進んだのですが、人は、何らかの形で憎しみを持つ人を許すことも大事だと感じました。
例えば、ある人、Aさんが、悪いことをしているとします。
そして、周囲にいるBさんが、Aさんの悪いことを見て、義憤に駆られて、Aさんのことを憎んでしまう時もあるかもしれません。
「誰かを憎む」という感情は、危ないものです。
なぜならば、「憎む」という感情は、ネガティブな感情ですから、そのネガティブな感情を心の中にずっと抱いていると、病気になったりするからです。
上の例の、Bさんも、病気になるかもしれません。
正義漢のような人は、特に、「悪い」と思われるような行為を見て、義憤に駆られ、逆に、その強い憤りの感情が、自分を苦しめるものです。

ですから、例え、悪いことをしている人を見かけても、「この人は必ず良くなるだろう」という思いで、許してあげて、愛してあげるのがベストなのだと感じる機会がありました。

許すのがどうしても難しかったら、今現在は、全く、その人のことを忘れてしまう方が良いかもしれません。
そして、何か、別のことに集中するわけです。
そして、忘れて、気分転換が出来たら、「悪いことをしているように見える人」を許してあげた方が良いと感じました。
そして、更に、その上に、出来るだけならば、その悪いことをしているように見える人を愛してあげた方が良いと感じました。
愛してあげることにより、お互いに良い方向に行くわけです。
例えば、お互いに、許し合い、和解し、愛し合えるようになるとか。

しかし、指摘というものはしないといけないかと感じます。
例えば、「私は戦争をしたいのだ」という人がいるとしましょう。
多くの人は、「戦争は人間の愚かな行為だ」とわかっているわけです。
ですから、「私は戦争をしたい」という人には、「戦争をしたらいけないですよ」と、諭(さとし)の気持ちを持って、語りかけないといけないでしょう。

ですから、例え、悪いことをしている人を見かけても、「自分も過去、ひどいことをした」と思い返して、その人の背後からピンク色の後光が出ているような感じを抱きながら、許しと愛といたわりの気持ちを持った方が良いと感じる機会がありました。

許しについてのエッセイを書きました。

                坂本  誠Img7d93f5777ef4    

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