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2013年4月 2日 (火)

三千八十三: 読書について

こんばんわ。

忙しい時間が終わり、自分を振り返る時間がありましたので、過去の文献を読んでいました。
また、「過去の文献を読む時」というのは、今いる位置に立ち止まって、過去を振り返り、自分の足跡を見る時でもあります。

今現在の文献を読むのも大事ですが、こんな時は、過去の文献を読むと、意外に、自分を第三者の目で見ることが出来るのに気が付きます。
それは、その文献を読んだ時の心と、現在の心とが違っているからです。
ですから、「時間のある時に、ちょっとだけ立ち止まって、『過去の文献を読む』時間というのも、必要なのだ」、と改めて、気が付く機会がありました。
こうなると、やはり、時間に余裕のある生活というのも、大事であることに気が付きます。

色々な作業で、没頭している時は、なかなか、自分を第三者の目で見ることが難しいものです。
ですから、現代社会でも、作業のために、凄くたくさんの量の時間を使うのでは無く、点検の時間とかも必要だと思います。
会社でも、自分達のプロジェクトが終わった時に、すぐに、次のものに取り掛かるのではなく、少しばかりの時間を取って、成果の確認とか、問題点とか、難点だった場所とか、次への課題をふまえて、新しいプロジェクトに入るのが良いとされています。

「点検の時間が惜しい」とか「点検のための時間を取るならば、それを取らずに、その時間を何かの生産や作業を前に進めるための時間に使いたい」と考える人も多いかもしれませんが、意外に、点検の時間は、とても大事な事に気が付きます。
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それと、ちょっとだけ、話題が反れますが、私も、日常生活で、自分の事を、「僕」と呼んでいたりします。
日常生活で、自分を表す時は、「僕」を使用することが多いです。

なので、このブログ『悲喜憐偉』でも、かなり前の記事を見ると、「僕」を使っている記事もあります。
しかし、一応、文章表現をしているので、文章中で自分を表現する時は、統一して、「私」を使うようにしています。
日本語は、自分を表す単語が多いです。
「私」、「僕」、「俺」、「わし」、「あたい」、「うぬ」、「せっしゃ」、「手前」とか、まだ、あるかも知れませんが、普通に日常を送る時には、時と場合によって、「私」を使ったり、「僕」も使ってもいます。

                坂本  誠   

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