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2012年12月25日 (火)

二千七百六十九: 冬の読書

こんばんわ。

冬の読書というものは味わい深いものがあります。
一年の内で、もっとも夜の時間が長いので、夜に部屋の電気を灯して、読書をすることになります。

リラックスして、「賢者が語った」と考えられるような文章を読んでいると、心が洗われるものです。
そのような文章は、何度、読んでも味わい深く、また、読むたびに、さらに奥深さを感じていきます。

また、その証拠に、読むたびにその文章の下にアンダーラインを引いてしまいます。
また、そのような文章を読んでいると、私は以下の光景を思い浮かべます。
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昔の世界を想像してください。
そこに荒くれ者の野武士がいたとしましょう。
彼は荒くれ者ですから、村で、いたずらばかりをしているわけです。
ところが、その村に、徳の高い僧侶が訪れます。
野武士は、その僧侶に、たわいもない、困った質問を与えたとしましょう。
そして、僧侶は落ち着いた口調で、野武士に返答します。

すると、その僧侶の返答は野武士にとって、あまりにも的を得た解答であったり、あるいは、野武士にとって、全ての人にとって、あまりにも納得のゆく返答なので、野武士はその僧侶に対する返答も思い浮かばず、また、当然、野武士が村でいたずらをする動機も失われるわけです。
そして、僧侶は、黙って、静かに、その村を後にするのです。

(実は、私がある味わいの深い文章を読んだ時、「私も野武士だな」と笑いました。)
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上のような出来事は、ひょっとしたら、本当に、昔の世界で、あったかもしれません。
また、現代の世界でもあるかもしれません。

この上の出来事というのは、現代で喩えたら、やはり、「名著に出会う」ということに似ているでしょう。
しかし、「名著に出会う」と言っても、これは千差万別であることがわかります。
例えば、私達でも、本屋の棚に行って、「名著」とされている本を買っても、本を読むその人間にとって、あまり面白くない本であったりする場合があります。
しかし、他のある人にっては、非常に面白く感じる場合もあります。
これが、その人にとってのいわゆる「名著」となるわけです。

ですから、人の嗜好によっても、いわゆる「名著」と呼ばれるものは変わるわけです。
例を挙げるならば、恋愛小説を好きな人が道徳関係の本を読んでも面白くないと感じる場合です。

各々の人の心の奥底に、にじみ出てくる衝動、あるいは、文面を読んでいて、その文面の向こうから精妙な波長を持ったエネルギーの渦を感じたりすれば、それが、その人にとって、本当に心に益のある本となるでしょう。

冬の読書についてのエッセイを書きました。

                坂本  誠   

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