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2012年12月31日 (月)

二千七百八十四: 大晦日

こんばんわ。

早いもので、今年も、もう年の瀬です。
振り返れば、この一年も様々な事がありました。

私の周囲を見ても、色々とあったものだし、世間にも、色々とありました。
「この一秒一秒、一瞬一瞬に、それぞれ、私の想いがこもり、それが過ぎ去ってゆくのだ」と思うと不思議な気持ちがします。
時の上に、私の想いが乗るのです。
そして、たとえ、どんなことがあったとしても、その一秒、あるいは、その一瞬は、私にとって、意味のある一瞬であることに気が付きます。

私は、「時間」というものの不思議さに気が付きます。
それは物体でもないし、エネルギーでもありません。
「時間は何に似ているか?」と考えるのも、面白いことか思うのです。
時間というものは、青空を漂う雲の群れとか、大海の上の波のうねりに似ていると思うのです。
私達が目にする雲の流れとか波のうねりというものは、その一瞬だけを見ていることに気が付くのです。
例えば、写真に収めた雲とか波のうねりというもの、つまり、その雲の形や波のうねりそのものは、もう二度と、未来に見ることが出来ません。
私達が一瞬だけ見た雲の形とか波のうねりを、もう、二度と見ることが出来ません。
だから、私達が何気なく見ている雲とか波とかも、貴重なものだと思います。
写真に納めない限り、その雲や波のうねり具合は、もう二度と見ることが出来ないのですから。

そう考えると、今、私の見ている指でさえも、新陳代謝によって、刻一刻と変化している筈です。
子供の頃の手の細胞とは全く変わっています。
また、普段、何げなく見る人の顔でも、一瞬一瞬、細胞が変化している筈なので、波のうねりのように、もう二度と見ることは出来ないようなものだと考えます。
だから、人間の顔でも、10年ぶりぐらいに出会った人の顔が変化している時があります。
しかし、その人の中に入っている存在自体は同じです。
確かに、人それぞれに心境が変わっている時はありますが、例えば、Aさんならば、Aさんの存在自体がその身体を司っています。
私達の見ている物体、さっき私が書いた書いた雲や波なども、物質で、変化はあるものの、雲ならば「雲」、波ならば「波」、人間ならば「人間」と、その奥に潜む、本質自体には変わりが無いことに気が付きます。
変わり過ぎゆく物質と、その奥に変わらない本質があるのを感じます。

時間は物質の変化を見届ける定規、あるいは尺度と言っても良いかもしれません。
こんな年の瀬や、何かの区切りの時に、私達は時間の不思議さについて考えると思うのです。

今年も、このブログのご拝読、ありがとうございました。
どうか、来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を。

                坂本  誠Img7d946aa237e8    

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