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2012年10月20日 (土)

二千五百五十: 経済的な事

この記事は、『千三百六:経済的な事』の再掲載です。
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千三百六:      経済的な事      

               
おはようございます。

先日、出版された本に以下のものがあります。
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『SHARE<共有>からビジネスを生みだす新戦略』

        レイチェル・ボッツマン  著 
        ルー・ロジャース  著

        小林弘人  監修・解説
        関美和  訳
        NHK出版
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その中に、以下の例があります。
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    アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が電気ドリルを持っている。
    しかし、それらは、人間の一生の間に、一つの世帯で、合計して6分か13分しか使用されていない。
   
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だいたい、以上の例が紹介されてありました。
つまり、5000万個の電気ドリルが70年間の間に、一つの世帯で、たったの6分か13分しか使用されていないわけです。

上の本の宣伝が、比較的、最近に新聞に紹介されていたので、今でも、ご記憶の方もおられるかと思います。
やはり、「もったいない」と私は思うのです。
また、他の多くの人が、この報告を読んでも、やはり「もったいない」と思うのではないでしょうか。

上の本『SHARE』の中には、似たような例が多く紹介されているので、他の例を探し出してみるのも良いかと思われます。
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この電気ドリルの中にも、貴重な金属が使用されているのではないでしょうか。
いや、「貴重な金属」が問題なのではなく、物資そのものが節制の気持ちを持って、生産されていないことに気が付きます。

また、同書の中には、大変なゴミの量も紹介されていました。
そのゴミ自体も、地球の資源を大変に無駄にしている証拠です。

しかし、私が以前、書いたように、電気ドリルを作っている会社にしても、その他、人間の物資を作る様々な会社にしても、それらを生産して、多くの人に売り、お金を儲けて、納税したり、従業員の給与に宛てないと会社が潰れるわけです。

やはり、お金が悪いと言えるでしょう。
利潤追求の考えから行くと、電気ドリルでないまでも、他の必要物資もどんどん生産しないといけないわけであり、それらの資源が大量のゴミとなっている。
つまり、打ち捨てられている。
そして、地球の資源が枯渇してゆく。
やはり、「利潤追求の考え」、つまり、資本主義の考えが悪いと言えるでしょう。
「お金をどんどん儲けたい」という考えが、地球を食い潰そうとしていたわけです。
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仮に、上の電気ドリルがアメリカでそんなに余っているというならば、「先進国でない国」と呼ばれている国々に、それらの電気ドリルが配布されていたら、私達は、「アメリカでは電気ドリルは余っていない。有効に電気ドリルが生産されて、多くの人々に行きわたった」と言えるでしょう。
しかし、現実には、「先進国でない国」に、電気ドリルは行きわたっていない。
これも、お金の問題でしょう。
「『先進国でない国』に、電気ドリルを持って行って、売ろうとしても、アメリカは儲けないではないか」と、これが本当のところではないでしょうか。
つまり、ここでも、お金が邪魔をしているわけです。
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また、現実問題ですが、私達がお金で電気ドリルを買うことは簡単なことです。
しかし、その逆の、一般消費者が電気ドリルからお金を生むことは、結構、難しいことです。
一般消費者にしてみれば、

    お金       ---> 電気ドリル      (比較的、やさしい問題)
    電気ドリル ---> お金            (比較的、難しい問題)

でしょう。
なぜならば、1万円ぐらいで自分の手に入れた電気ドリルから、中古センターとか、リサイクル・センターで再び、1万円を入手するのは、難しい問題です。
中古センターとか、リサイクル・センターに、その電気ドリルを持っていったら、必ず、1万円以下の値段で取引されて、その具体的な値段はわかりませんが、せいぜい、7000円ぐらいで、その電気ドリルを換金されるのではないでしょうか。
つまり、一般消費者にとっては、損をする話なわけです。

また、リーマン・ショックを引き起こしたと言われるサブプライム・ローン問題にしても同じことが言えるでしょう。
あれは住宅ローンの問題でした。
今でも、アメリカには、あのサブプライム・ローン問題のための空き家が多いと聞いています。
つまり、私達がお金を使って家を作るのは簡単です。
しかし、その逆の、家からお金を作ることは難しい問題なのです。
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現実、空き家からお金を回収するためには、その空き家に人が住まないと話にならないでしょう。
しかも、いまだ、アメリカに多くの空き家があると聞いています。
それだけ、多くの資源がそれらの空き家に使用されたわけです。
つまり、多くの資源も無駄になった。
そして、それらの無駄になった多くの資源から、それに相当する額のお金を回収することは難しいことなのです。
上の電気ドリルのように。

「その中古の品から、新品と同様の額の金額を引き出せない」というのは、地球の昔からの慣習なのでしょう。
理由は、「中古だから」と、みんな思っているかもしれません。
「中古だから、傷が入っているに違いない」という昔からの考えが多くの人に残っているのでしょう。
ここが、また一つの資本主義の落とし穴だったかと思うのです。
その中古の品にしても、その中古の内部にあるレア・アース(希少金属)自体の価値はあまり変わらないわけです。
しかし、これまでの地球のその慣習的な考えにより、「中古とは新品よりも値段が下がるものだ」という習慣的な考えから、中古製品がどんどん廃棄されていた。
だから、どんどん、その新しい電気ドリルや新しい電気製品が作られ、新しい住宅が建てられていた。
そして、廃棄された電気ドリルやその他の電気製品とか、そのサブプライム・ローン問題で現在も空き家にされたままの家自体には、多くの資源が残されており、莫大な無駄が発生している。

しかも、特に空き家から、再び、お金を生み出すのは結構、難しい。
その空き家に新しく住む住人が出るのを待つしかないのがほとんどの手段でしょう。
しかも、その空き家になると、新築の家よりも値段が下がるので、不動産業者は困るでしょう。
そして、その空き家自体には、莫大な資源が投入されている。
家を作るものは木材だったり、コンクリートだったり、電気コードだったり、鉄だったり、あるいは人件費だったりしますが、空き家になると、それらが返ってくる見込みはあまり無い。
そして、あまり長期間、空き家であると、古くなるので解体しないといけない。
そして、今度は、その解体費用も必要になる。
そして、その解体された家の資源が、再びリサイクルされるかどうかもわからない。
しかも、その今までの慣習から行くと、リサイクルされる筈の資源は安くなるので、ますます、不動産業者にとっては苦しくなる。
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さらに問題だったのが、あのアメリカのサブプライム・ローンというローン・システム自体がほとんど、不良のものだったと聞いています。
どれだけ、不良の仕組みだったのかは、あまり私は知りません。
しかし、ローンはローンでしょう。
ローンというものは、つまり、赤字です。
つまり、最初から存在しないお金を使って、その家を建てるわけです。
存在しないお金を使って家を建てる、、、?
だから、そのローンを提供した側の人とそのローンを使って家を建てて住む人がいるわけですが、その家に住む予定だった人が、途中で死ぬというケースもあるわけです。
その場合はどういう処置にするのかは、色々なローン・システムがありますから、色々と処置の仕方が違うのでしょう。
サブプライム・ローンの場合はどうだったかはわかりません。
そのローンを使用して家を建てる人なりが、途中で死んだり、あるいは不慮の交通事故で死んだり、その他、失職なりでローンを払えなくなるケースもあるでしょう。
しかし、家の建設工事自体は進んでいる。
じゃあ、その建設途中の家はどうなるのでしょう?
その場合は様々なローン・システムがありますから、様々な処置があるのでしょうけれど、「ローンというものは最初は存在しないお金」なのだから、不慮の事があったら払えないことになり、双方に痛手をこうむるわけです。
だから、私としては、多くの人に「ローンというものには手を出さない方がいいでしょう」とお勧めしたくあります。
なぜならば、上でも書いているように、「ローンというものは最初は存在しないお金」だからです。

そして、国債というものも、いわば、ローンなのでしょう。
その国債というものを発行して、ある人(銀行など)がその国債を買って、ある期日が来たら、国がその人にその国債分のお金を返す、と。
あるいは、国債に見合わせた分の利子の付いたお金をその人がいただける、と。
だから、ある国が債務不履行になれば、その国の国債を買った人、つまり銀行などが、その債務不履行になった国から、現物のお金(紙幣やコインなど)を頂けず、大変な苦境に立たされるのでしょう。
上の例で言えば、国がローンを払えなくなった人に相当しますね。
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だいたい、ほとんど多くの人が、数多い金融用語に対して、頭の痛くなる思いがしないでしょうか?
パソコン関係の用語だって、どんどんどんどん、パソコン用語が増えて来るから、あまりパソコン専門でない人だったら、その増え続けるパソコン用語に対して、苛立たしさを覚えた人はいないでしょうか?

それと同じ感覚で、金融界が多くの金融用語を生み出し、多くの人の頭を悩ませて、「金融界とは恐ろしく難しい世界で、一般庶民の立ち入れる世界ではないのだ」と、ごく少数の人が、一般大衆を金融界から閉め出している姿に見えないでしょうか。

多くの人にとって、お金は大事なものなのでしょう。

少数の人が、その大事なものに対して、物凄く難しい金融用語を大量に作り出して、多くの一般大衆の人々に対しては、お金の事を考えさせられないようにしているように見えます。
多くの一般大衆の人々から、その大量の難しい金融用語で金融界のからくりを隠し続けて、ほんの一握りの人が大量の金融を扱っているような仕組みにしているように、私には見えます。
だから、ほんのわずかな人々が富(お金)を握りしめれるような世界にしているのではないのでしょうか。
つまり、多くの一般大衆の人が、大量の難しい金融用語により、金融界を見えないようにさせられているように私には見えます。

そうなると、やはり、お金が格差を生み出します。
なぜならば、その状況だと、大量のお金の状態を、大量の金融用語を知っている人しか金融界の事がわからないからです。

ですから、この地球からお金は無い方が良いと私は思います。
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また、工場で物を生産していることに本当に喜びを感じている人もいるでしょう。
しかし、そういう人達が、本当にお金目当てでやっていると私には思えません。
職人と呼ばれる方々は、自分のメンツとプライドにかけて、自分の品を作っているでしょう。

ただ、多くの人が、生活上でお金が必要だからこそ、自分の作った物資に値段札を付けているかと思います。
だから、その意味で言えば、工業製品だけでなく、農業製品や、本や、音楽製品でも、必ず、値段札が付いていると思います。

と、言うのも、政府国家が税を納めさせるために、それらの製品に値段を付けさせていることがわかるのです。
そして、市場で売らせている。
そして、税を集めさせている。
だから、上で言う電気ドリルの例で言えば、アメリカでは幾らか知りませんが、その品を売りたい人は電気ドリルに、1万円の値段札を付けてもいいし、2万円の値段札を付けてもいいわけです。
自分が売りたい品には、幾らの値段だって付けていいわけです。
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私達のほとんどは、ガソリンスタンドに行くことがあるでしょう。
そのAというガソリンスタンドでは、ガソリンが140円で売られている時もある。
Bというガソリンスタンドでは、ガソリンが150円で売られている時もある。
私達はそれを見て、「同じガソリンなのに、なぜ、場所によって、値段が違うのだろう?」と不思議に思うことはないでしょうか?
その理由をガソリンスタンドに聞くと、「いや、うちは24時間営業だから」とか「いや、うちは従業員の給与を減らしてでも頑張るところだから」と、その他、様々な理由が返ってくるでしょう。
しかし、「同じガソリンなのに、なぜ、こんなに値段が違うのだろう」と私達は考えたことがないでしょうか。
また、以前、ガソリン価格の高騰もありました。
その原因を調べていくと、メディアで紹介されたことには、石油会社のトレーダーが自分が儲けるために、ガソリンの価格を上げたりしていました。

読者の方は、「お金というものは、このように不公平なものなのだ」と思わないでしょうか?
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仮に、この世の中から、お金が消えて、それでも、勤労の意志にみなぎる人が多い、と仮定しましょう。
すると、工場やその他の生産物に対して、ある程度の、制限をかけるようにしないと、地球の貴重な資源が枯渇するでしょう。

だから、今は、地球のあらゆる産業、経済に対する見直しの時期と言えるかもしれません。
だから、ここで、本当に個々の人にとって、一番大事になってくることは、

    「私は本当に、心の奥底から、何をしたいのか?  私は何を持って、多くの人のために行動できるのか?」 <---●
   
ということになるでしょう。
つまり、上の●の問いは、既にお金によって、はかられているものではありません。
強いて言えば、多くの人への愛によって、はかられていると言えるでしょう。
なぜならば、上の●の問い、つまり、「多くの人のために行動できるのか?」という言葉は、「多くの人をいかに愛するか?」という言葉に言い換えられるからです。
だから、現代の地球は、産業、経済に対する見直しの時期だけではなく、人の心の在り方、つまり、心の学習についても、見直しの時期と言えるかもしれません。
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中国の2500年前の思想家、墨子は「兼愛」という思想を説きました。
その要約は
    『「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという思想。全ての人に平等な愛をということである。』
だそうです。
        「墨子 - Wikipedeia」より引用。
       
       

こうでなくては、ならないのではないでしょうか。
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私はそんなことを考えてみました。

               
               
                坂本  誠

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