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2012年8月

2012年8月29日 (水)

二千四百四: 風

            風
             
            
    誰もが
    風を感じることが出来るのに
    誰も風を見ることは出来ない。
    誰もが風を触ることも出来ない。
   
    だけど、
    風は私達の身近にあって、
    ただ、ただ
    ひたすら流れゆく。
   
    風が背泳ぎしながら、
    草原の上を流れゆく時、
    風は  太陽の周りの
    日輪を見続ける。
   
    海の上を飛んで
    氷山の腹に出来た
    洞窟の間も
    軽やかに  すり抜けてゆく。
   
    山の頂をも
    翼を付けているかのように
    軽々と
    越えてゆく。
   
    野原の上の
    羊たちにも
    やさしく
    触れてゆく。
   
    雲を自分の粘土にして、
    様々な形にして、
    そして  雲を  青空の中にそっと置いて、
    自由に空の中を泳がせる。
   
    風は
    流れに流れる。
    風が目的地を持たないこと、それ自体が
    風の目的だ。
     
   

                坂本  誠20100610135907

二千四百三: 金剛峯寺にて

                金剛峯寺にて
                 

    山の奥深い
    緑深い森の中
    一つの寺が建っている。

    緑という名の暗闇の中
    一体の金色(こんじき)の仏像が映え
    多くの僧が経文を祈りのように投げかけている。

    経文は  何を伝えているのだろうか。
    癒しと悲しみと慈しみの訴えが
    心の琴線をつまびく。

    山奥の寺の  伽藍の中で
    深い緑と読経と僕の心が
    響き合う。

 

                坂本  誠

二千四百二: 花畑

                花畑
                

    廃屋になった工場の片すみに
    花々があった。
    名前も知らない花々が
    咲き乱れていた。
    誰も知らない花畑の上に、うららかな陽射が
    流れていた。
    僕はただ一人、立ち尽くして
    彼女たちを見ていた。
    やわらかな一つの風が
    彼女たちをあおいだ。
    一瞬、僕の心は彼女たちの羽毛のような
    身体に身をうずめた。
    僕の心は彼女たちの
    あたたかい心にくるまれた。
    我に返ると
    僕はぼんやりと花々を見ていた。
    誰も知らない、名前も知らない花畑を
    僕は見ていた。

 

                坂本  誠20110601145031

2012年8月25日 (土)

二千四百一: 岬にて

                岬にて

 
    僕の愛する岬に行った。
    果てしなく広がる円い青空。
    足元に広がる青い海。
    僕のまわりは青。
    青で満たされている。
    僕の心は空と海の両方に吸いこまれてゆく。
    空高く、僕は散ってゆく。
    海深く、僕は溶けこんでゆく。
    空の頂きと海の底の接し合う誰も知らない地で、
    僕は再び集まる。
    僕は持ち上げられる。
    この岬の一点に。
    遠い世界からやってきた鳥たちが、
    風になびいている。
    海の底からやってきた魚たちが、
    潮に浮んでいる。
    鳥よ。風よ。魚よ。潮よ。
    僕をさらっていかないか。
    青い空と青い海の接する、
    誰もまだ見たことのない世界の、
    そのまだ向こうへ。

 
                        
                坂本  誠

二千四百: 我が家の二匹の猫(独白)

ちょうど、一年前ぐらいに、我が家に白い猫が舞い込んで来た。
以前から、我が家に住んでいた猫は黒猫だったが、今度は、白猫もやって来たわけだ。

黒猫の方は外来種で、白猫の方は三毛猫だった。20111015101101
人で喩えれば、黒猫は外国人であり、白猫は日本人と言えるような感じだろう。

個々の猫にも性格の違いがあるが、三毛猫と外来種の猫は、少しばかり感受性が違うようだ。
しかし、これはどんな猫にも同じことが言えるだろう。

たとえ、同じ三毛猫が二匹いても、その二匹の間には、性格の違いがある。
しかし、共に、大事な個性と言えるだろう。
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考えてみれば、「人それぞれが違う個性を持っている」というのも素晴らしいことだ。
もし、全ての人が、ほとんど全く同じ性格を持っていたとしよう。
そうすると、ほとんど全ての人が同じ思考パターンを持っているから、逆に、違いの良さがわからない。

日本でも、各々の都市で、それぞれ違う雰囲気を漂わせている。
どの都市でも、全く同じものは無い。
だから、人は旅に訪れた時に、その違いを味わって、楽しみを感じることが出来る。
逆に、旅行の際に出かけた街の雰囲気が、自分の住んでいる街と全く同じ雰囲気を持っていたとしよう。
そうすると、旅行者は味気ない雰囲気を持つだろう。

これは、世界旅行にしても同じだろう。
ヨーロッパの都市にはヨーロッパの雰囲気が、アジアの都市ならばアジアの都市の雰囲気がある。
アジアの全ての都市が、全くヨーロッパの雰囲気を持っていたら、旅行者は味気ないものを感じてしまうかもしれない。
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ちょっと、話が脱線してしまったのだけど、我が家の猫同士も話のウマが合わないことが多いように見える。
人間という、私の目から見て。
(だから、ひょっとしたら、私の考えと違って、我が家の猫同士は仲が良いのかもしれない。)

それは、上で書いたように、「個々の違い」から生じているのかもしれない。
主に、我が家の猫達が親しくなる時は、意外に冬だ。20111015121407
普通の猫は冬を嫌う。
だから、ほとんどの猫はこたつが好きだ。
我が家にはこたつが一つだ。
だから、二匹の猫は、仲良く、こたつに入るしか手が無いのだ。
そして、静かに、寝ていたりする。

こんなことを考えると、冬というのも、ありがたいものなのかもしれない。
だから、冬には冬の良さがある。

今は夏だ。
夏には夏の良さがある。
夏と冬は違っている。
主に温度の差から違っているけれど、それに準じた自然環境はかなり違っている。
そして、その自然環境の違いの良さを人は味わうことが出来る。

だから、違いがあり、その違いを認め合うことも、「良い」と言えることだと思う。
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しかし、単純な願いなのだけど、もう少し、我が家の黒猫と白猫は仲が良くなってもらいたいものだ。
しかし、これも、私の思い違いに過ぎないのかもしれない。
       
       

                坂本  誠

二千三百九十九: たてごと

                    たてごと
   
                     
                   
    朝の森の  湖のほとりに坐る。
    たてごとを弾いて
    音楽を奏でる。

    一音一音が  水滴のように、
    湖面に落ちて
    小さな噴水があがる。
    たてごとの音が一滴ずつ
    湖に吸われてゆく。

 

                坂本  誠Photo

2012年8月23日 (木)

二千三百九十八: アンドロメダ星雲

                アンドロメダ星雲

 
    アンドロメダ星雲の写真をながめると、
    それはシュークリームのような星の海。
    ふわふわとしてやわらかい。
    僕はその光の海の上に寝そべる。
    羽毛のような光に包まれて
    ゆっくり眠る。
    そして僕が眠っている間、
    アンドロメダ星雲は
    何回も何回も回転するのさ。

 

                坂本  誠

二千三百九十七: ピアノ

                    ピアノ
               
                   
    誰もいない部屋の窓が開いている。
    その窓から  ピアノの音が流れてくる。

    窓から  風が入り込んで、
    カーテンが揺れている。
    その風がピアノの鍵盤を叩いている。

    カーテンの動きに沿って、
    光が淡くなり、濃くなり、
    波を打つようにして、
    手の動きになって、
    ピアノの鍵盤を叩いている。

    透明な二人が
    ピアノを弾いて楽しんでいる。

 

                坂本  誠20101227100935

二千三百九十六: ステレオから

                ステレオから

 
    ステレオから
    やわらかな音楽が流れてくる。

    スピーカーから
    砂粒がにじみ出て、
    もやのように広がってゆくようだ。

    僕は湯浴みをするような心地で
    音のもやにとりまかれ、
    衣服として身にまとう。

 

                坂本  誠

2012年8月22日 (水)

二千三百九十五: 感謝

                    感謝
                   
                    
    母が
    リンゴの皮を切って  差し出してくれた。
    その時、あまり  リンゴを食べたくなかった。
    だから、少ししか  食べなかった。
    しばらくして、
    リンゴを食べたくなった時、
    自分で皮を切ろうとした。
    なかなか、皮をむけなかった。
    あの時のリンゴをたくさん食べておけば良かったと思った。

 

                坂本  誠

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