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2012年1月 4日 (水)

千四百二十四: 映画『夢』について_No.3

こんばんわ。

千四百十四:映画『夢』について_No.2」の次です。
最近は、「映画『夢』について」の話題が多いですね。
この映画は8編の短編から作られていますが、私が「第七話:『地獄の鬼たち』」と呼んでいるものについて書かせてください。

核戦争後の地球の上を黒澤明は歩いています。
核戦争後ですから、地球は一面の砂漠になっています。
その中をなぜか黒澤明は、一人、ぽつぽつと歩いているのです。

霧の深い中、やがて、黒澤は一人の鬼に会います。
鬼と言っても、元は人間でした。
その戦争後の世界では、放射能汚染によって、人間達は角を生やした鬼になっているのです。
そして、遺伝子をやられてしまった生物が一様にお化けのような姿をしています。
そして、そのような世界ですから、鬼たちには食べ物がありません。
みんな、お腹を空かせています。

黒澤の夢の中で会った、その一人の鬼は人間だった時、酪農をしていました。
彼(鬼)のセリフを引用させてください。
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    「俺は人間だった時、酪農をやってたんだが、値(ね)が下がったからと言って、タンクローリーの牛乳を何台も川へ捨てたり、玉ねぎやジャガイモやキャベツをブルドーザーで踏みつぶした。、、、バカな事をした!、、、」

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上に出てくる「値(ね)」というのは、つまり、金額のことですね。
野菜の値段でも、上がったり下がったりしますので、その分、無駄が出来て、上の鬼はそれらの食べ物を粗末に扱ったのです。
ここでも、お金というもののトリックを私達は感じることが出来ると思います。

例えば、ジャガイモ一個でも、だいたい、100年前や1000年前のジャガイモでも、一個の中のエネルギー量や栄養量は今でも、ほとんど変わりが無いでしょう。
しかし、現実、私達の世界ではお金があり、それをずっとよく見てみると、例えばの話ですが、50年前にはジャガイモ一個が100円だったものが、現在では、ジャガイモ一個が200円になっているとか。
そうでなくても、現実にジャガイモやその他の野菜の値段が微妙に上がり下がりしているかと思います。

以下はジャガイモを例に挙げて話をします。
ジャガイモ一個の中のエネルギー量や栄養量は、ほとんど変わりないのに、よく見ると私達のお金だけが上下しているのです。
ですから、上の人間だった時に酪農家だった鬼は、その値段の高下によって、野菜や牛乳を廃棄しているわけです。
食べ物よりもお金の方を大事にしているわけです。
なぜならば、ひょっとしたら、今の多くの人間でも、「野菜や食べ物よりもお金の方が大事だ」というような感覚が無いでしょうか。
人間はお金そのものを食べることはできません。
人間がアルミニウムや銅やニッケルで出来たコインや紙で出来たお札を食べると、胃が痛み、病院に救急車で運ばれないといけないでしょう。
実際に人間の身体に役に立つのは、ジャガイモなどの野菜や海産物や、その他の食べ物でしょう。
その食べ物にお金の値段札が付けられており、「値が下がった。値が上がった」ということを持って、上の鬼のように、大量の食べ物を廃棄したり、あるいは消費者の方でも、値段の偽装によって、食べ物自体の本当の素晴らしさがわからなくなってきているかと思います。

実際に人間に役に立つのは、お金の方では無く、そのお金という中間器具を使って手に入れるところの食べ物の方なのです。
実際には、お金の方の価値が上では無く、食べ物の価値の方が上なわけです。

長い間、人間の生活に常習化されてきたお金というもののトリックには恐ろしいものがあると思います。
だいたい、「相場の値段が上がってきた。だから、これらの品の値段を便乗して上げよう」というのが、お金に仕組まれたトリックだと思います。
だから、次第に、上の鬼のような嘆きが現れてくるかと思います。

もし、その「値(ね)が下がった」からと言って、食べ物を放棄する必要は全く無く、他の多くの人々と分かち合いをすれば良いかと思います。
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以上のお金に対する考察は、私自身のものです。

しかし、黒澤明は、ただ、自分の夢を映画化しただけなので、私と同じ主張をしているのか、それとも、そうでないのかはわかりません。
あくまで、「映画『夢』は黒澤明の夢として語られているのみだ」と、私は思います。

                坂本  誠

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