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2011年11月

2011年11月30日 (水)

千三百七十五: 星(独白)

夜空の星を見ていると不思議な気になる。
普段、人は注意して夜空を見上げないものである。
夜空を見上げて、何かを得られるものが少ないからかもしれない。
そこには暗黒の帳(とばり)と星が輝いているだけだからだ。
あるいは、月が照っている。
それだけなので、人はあまり夜空に注意しないのかもしれない。

日中の天気ならば、人はよく気にする。
晴れた日とか雨の日とか、それらはよく人が気にする。
しかし、夜になると、多くの人は寝る。
だから、夜の空の風景は昼よりは注意されていないだろう。
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宇宙空間に数え切れないほどの星がある。
よく私達は、「それらは一体、何のためにあるのだろう?」と考えるだろう。
地球には色々な生き物がいる。
よく他の星に知的生命体がいるかどうかが議論されている。
これは、さておいて、「宇宙に数え切れないほどの星がある理由は何だろう?」と考える人もいるかもしれない。
では、そこから発展して、「なぜ、地球という星があるのだろう?」と考える人も出てくるかもしれない。

多くの星々の存在理由はわからないが、さて、「私達の住む地球の本当の存在理由とは何か?」と首を傾ける人も出てくるかもしれない。
多くの星の存在理由の事を考える人がいても、いざ、その人が自分の地球の存在理由を考えてみると、意外に謎を感じると思う。
他人の事をよく考える人がいる。
しかし、いざ、自分について考えてみると、「わからないことが多い」という人も多いと思う。
それと同じ感覚だろうか。
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夜空の星の不思議さと地球の存在の不思議さは同じだと思ってしまう時がある。
地球の場合は、普段、この星の上で私達が日々、暮らしているので、地球の存在理由などを考える余裕が無い時が多い。

夜空の星の存在理由を考えるならば、太陽系の存在理由を考えても良いと思う。
なぜ、太陽という大きな恒星の周りを幾つかの惑星が回転するのだろう?
また、なぜ、銀河系という星々の集まりが存在するのだろう?
別に、銀河系のように星々が密集しておらず、星々が散開していても良いと思う。
ひょっとしたら、星々の重力の関係もあるのかもしれないが、星々が密集する決定的な理由にはならないと思う。

また、その延長上で、「なぜ、宇宙というものは存在するのだろう?」と考えた人もいるだろう。きっと。
「宇宙というものは、なぜ、存在するのだろう?」と深遠な事を考えた人は、その不思議さ自体に対して、頭が垂れるかもしれない。
その不思議さ自体を解けないまでも。
そして、同時に自分自身(人間)の存在に対しても、何かの畏敬の念を抱いたり、深い不思議の思いを胸の内に抱くかもしれない。Img7d938b464f87
               
               
               
                坂本  誠

2011年11月28日 (月)

千三百七十一: 煩悩(ぼんのう)について

こんばんわ。

煩悩というものについて考える機会がありました。
「煩悩」という言葉を岩波書店の広辞苑をひいてみると、

    「衆生の心身をわずらし悩ませる一切の妄念。貪・瞋・痴・慢・疑・見を根本とするが、その種類は多く、『百八煩悩』『八万四千の煩悩』などと言われる」
   
と書かれてあります。

煩悩とは執着の事でもあります。
執着とは、「あれが欲しい」、「これが欲しい」という心です。
つまり、人間は自分の欲望に苦しめられています。

その他ならぬ欲望とは、実に、自分の希望だったり、目的だったりもします。
だから、「希望」というものと「欲望」というものは、紙一重の違いでもあることに気が付きます。
また、目的というものも、紙一重の違いで欲望になってしまうことに気が付きます。
そして、それらが煩悩となってしまい、人を苦しめてしまうわけです。

まず、人が幸せになるためには、欲望を捨てないと幸せになれないでしょう。
その欲望の中にはその人の希望と目的も含まれているわけです。

だから、瞑想などの時間によって、5分ぐらい目をつぶって、自分の全ての欲望、希望、目的、煩悩、執着を取り去らないといけないかと思います。
肉体から発せられる欲望も捨てて、現実の世界にある全ての悩み、苦しみを消して、さらに、自分の希望や目的も捨て去って、自分の心の白紙の状態を手に入れる状態が必要かと思います。
その状態を作った後、目を開き、それから現実の世界に再び、立ち戻った方が良いかと思います。
ちょうど夢から覚めた後のように。

普通は生きるために、希望や目的を持ち、人はそれを達成させようとします。
その希望達成、目的達成が喜びそのものだからです。
しかし、逆の目から見たら、その希望や目的自体が、その人を苦しめる源になっていることに気が付きます。

その瞑想の後に、つまり、幸福になった後で、人生の新しい設計や今までの問題を再び考え直すべきかと思います。
クリアな感じで、今までの自分の多くの問題を考えることが出来るかと思います。

                坂本  誠

千三百七十四: 著作権について_No.2

五百九十三:著作権について」の2段目です。
この手のものは、久しぶりですね。
以前のものにも書いておこうかと思ったのですが、『著作権法』も結構、長い文章でして、以前の「五百九十三:著作権について」も、この『著作権法』からの抜き出しだったわけです。
以前のものにも書いておこうかと思いましたが、ちょっと長くなるのでやめておきました。

この『著作権法』の第三十八条を見ますと、
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(営利を目的としない上演等)
第三十八条  公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
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と書かれてあります。

ですから、「無料ならば、何かの著作物を使用することが出来る」と解釈できます。

例えば、街角を歩いていて、最近の誰かの流行歌を口ずさんでいても、歌っていても、その流行歌を歌っている人の著作権や、作曲者、作詞家の人の著作権が侵害されない、と解釈できます。
子供達でも、街角で、誰の歌か忘れたけど、その歌を歌っていても、大丈夫なわけです。
その子供が、その誰の歌だったか忘れたけれど、名前も思い出せないですけれど、その歌でお金を取っているわけでは無いのですから。
無料ですので。

他人の歌ではあるけれど、街角で鼻歌程度に歌ったりする場合は誰からもお金を取らないから、上演、(つまり、この場合は他人の歌を歌うことですね)、これは出来る、と書かれてあります。
AさんがBさんの歌を街角で歌うけれど、Aさんは、街の人間からお金を取らない場合、AさんはBさんの歌を歌うことが出来る、というわけです。
または、街角の喫茶店で、友人同士で、政治家の語ったことを話し合っても、その友人同士が金銭を取り交わすことが無かったら、あるいは、その喫茶店の他のお客さんからお金を取らなかったら、政治家の語ったことを、話題に上げながら、飲み物を飲んでいても良いわけです。
自由に話題にしても良いわけです。

他にも、「著作権法」の第三十八条を見ますと、「営利を目的としない」場合、つまり、無料で誰かの著作物を使用する際には、上と同じような扱われ方をしています。
ですから、無料で誰かの著作物を使用する際には、あまり、『著作権法』の制約が効いてこないと解釈できます。
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他にも、著作権についての制約とか何かが、『著作権法』にはありますけれど、それは読者の方がご一読しておいた方が良いかと思います。

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追加です。

上の話に絡んで、もし、お金の無い世界でも、「他人のものを自分のものだ」と言って、人に語っていく場合は、本当に、「その人に独創性が無い」とか、または、「その人に努力が無い」とか他人に言われたりするかもしれません。
個人の部分での能力の努力もいるからです。
絵描きさんなら、絵描きさんで、自分で一生懸命努力して、自分自身の作品を作らないといけないからです。
上の例に挙げた他人の歌を歌う子供だって、その子供の作曲能力や作詞能力は評価されないと思います。
なぜならば、その歌自体は他人の作品であるとわかっているからです。

しかし、良い情報、素晴らしい情報というものは、多くの人に早く伝わっていく方が良いかと思います。
また、それが本来の良い情報の正しい伝わり方だと思います。
私は、しばしば、「お金は良くないものだ」と語っています。
現に、「著作権法」にしても、ほとんど、「金銭絡みにならないように」という観点で、金銭絡みのトラブルを未然に解決するために、作られているのに気が付きます。
もし、多くの人に安らぎを与えたり、あるいは何らかの点において、多くの人々の向上のためにある情報に、物凄く高い値段が付けられているとしましょう。
そうすると、その有益な情報は、たった一握りの人のために作られたことになります。
だから、その有益な情報はもう多くの人のために存在するものではなくなります。

良い情報、素晴らしい情報というものは、多くの人を富ますためにあると私は考えます。
この場合の「富ます」というのは、「金銭が増える」という意味ではありません。
「多くの人の潤いになる」という意味です。
多くの人々のやる気や知恵の源となり、それがさらに未来の人類社会を発展させていくためにあると思います。

それは愛の放出になります。
しかし、「多くの人にその富を与えるのではなく、私自身が金銭を欲しいのだ」となると、他人のために自分の愛や自分の能力が使われているのではなく、「自分の手元に愛を奪おう」という感じになると思います。
それだと、元々の意味で、「私は多くの人々のために良い情報を作った。良い知恵を作った。多くの人々の潤いとなるための情報を作った」とは言えないと思います。
自分の手元に愛を奪いたいならば、多くの人のために良い情報、多くの人のために愛ある情報を作っていることにはならないと思います。

やはり、お金というものが多くの人を狂わせている源になっていると私は思います。
人々の間の貨幣経済というものを再考しないといけないと思います。

しかし、個人の間での努力の認められ方も存在すべきであると思います。

                坂本  誠

2011年11月25日 (金)

千三百七十二: セミナー参加_No.3

こんばんわ。

私のセミナー参加ものの一つです。
九百三十八:セミナーのカラオケ』の続きです。

今は晩秋です。
屏風のような窓の外にも、「からっ風」が吹いています。
しかし、木々の緑の色は褪せていません。
それよりも、その「からっ風」が緑の木々に当たる光景に秋の趣があります。
また、秋の夕陽がその木々に当たる光景も美しいものがあります。
「からっ風」と夕陽が一つのもののように見えます。
秋の夕陽と「からっ風」とそれを受ける木々は一つのミックスと考えられます。

夏ならば、深い緑の木々と蝉の声と小川の音が、一つのミックスと言えるでしょう。
真冬には、緑の木々とそれにかかっているわずかの雪と、曇り空、そしてロウソクのようなひとすじの太陽の光がミックスと言えるでしょうか。

窓の外の春夏秋冬。
その美しさを感じるのも、大事なことかと思います。

                坂本  誠

2011年11月24日 (木)

千三百七十: 親と子について

こんばんわ。

親と子について考える機会がありました。
人間社会のどんな場所に行っても、父と母がいて、子供がいるものです。
ある家庭に息子や娘がいる。
そして、いつの日にか親と子は別れます。
結婚で別れたり、あるいは生きている間に、生き別れになったり、あるいは死に別れます。

やはり、別れというものはきついものですね。
結婚式で、父が娘を花婿に送り出すシーンを何回も見たことがあります。
死に別れをするわけではないのですが、ほとんどの父とほとんどの娘は激しく泣いています。
その光景を見て、もらい泣きをした人も多いでしょう。

そして、ほとんどの場合、娘よりも先に父が死にます。
葬式の時のその悲しみをほとんどの人は理解できます。
また、上の話の中の父を母に、娘を息子に入れ替えても、誰もがその悲しみを理解できるでしょう。

「人間は誰でも死ぬ」ということは、絶対に誰にでも人生という運命から、別れの経験をさせられることがわかります。
単純平明なことですが、「全ての人が別れの経験を持った」、また、「未来に別れの経験を持つ」ということです。

「別れなんて嫌だ」という人も多いでしょうが、全ての人に平等に別れの経験を持たされる、ということは、「その別れから何かを学びなさい」と運命が私達に教えているのでしょう。
「ある人と別れて悲しい」と思う人は、その人は、別れた人に愛の想いを持っていた証拠になります。
だから、私達は私達の悲しみの中にも、隠された愛を見つけることが出来ます。
もし、逆に「その父とその娘が永遠に別れない」と仮定したら、、、?
かえって、父と娘の間柄も冷めた付き合いになるかもしれません。

映画『銀河鉄道999』の主題歌の中で、

    「別れも愛の一つだと、、、」
   
と歌われていますが、たった一行ですが、その一行の中に深い意味があることがわかります。

そして、また考えられることには、運命が全ての人に、「別れ」という出来事を持たせているので、やはり、私達は「別れ」というものにも強くならないといけないことを意味していると思います。
宇宙の法則が私達に「別れ」というイベントを持たせている。
しかも、そのイベントの数は数え切れないぐらいでしょう。
私が思うに、宇宙の法則が人間や生き物に対して、「『別れ』にも強くなりなさいよ」と、教えているのでしょう。
きっと。Img7d939bd684d

               
               
                坂本  誠

千三百六十九: 黄金の地球

            黄金の地球
            
            
    透明な身体になって
    翼が背中から生える。
    大地を蹴って
    そのまま  大気圏を突き抜ける。
   
    丸みを帯びた
    青い地球の上に
    幾つもの  宇宙船が
    漂っている。
   
   
   
    眼下に青い海を見ながら
    私は翼を広げ
    鳥のように
    一つの宇宙船へと向かう。
    私自身が  一つの宇宙船のようだ。

    突然
    地球全体が光り始める。
    青い地球が
    金色の野原と化す。
    黄金の野原が  風にそよいでいる。
    その上に
    宇宙船が浮かんでいる。
   
    金色の野原の上の
    風に吹かれる宇宙船に
    私は見とれ続けるだけ。

                坂本  誠

2011年11月22日 (火)

千三百五十: 久住山への祈り

                    久住山(くすみやま)への祈り
                   
    若葉から漏れる青い光より
    音の葉を紡ぐ。
    頂きの大地より
    土の言の葉を汲み取る。
    空の音楽と土の言葉を組み合わせ、歌にして、
    久住(くすみ)の山の神々に
    私の感謝の意を捧げたい。

        お久しぶりでございます。
        何とか、無事息災に
        再び、あなたに会えました。
        日々、つらく、苦しい目に会っている私ではありますが、
        あなたの父なる美しさを見て、
        心の汚れが清まります。
        今、私は寒さを感じていますが
        この冷気にも、どことなく
        あなたのいたわりがこもっているかのようです。
        白雲が峠を越えてゆく様は、
        大気の水の流れが
        空の川となって
        あなたの肌を触ってゆくかのようです。
        再び、この美しさを見に来ます。
        久住の神々よ。
        また会う日まで。

                                                        詩画集『赤い炎と青い水』よりPhoto

                坂本  誠

千三百六十七: 科学技術と美しい自然について

こんばんわ。

以前、「千三百六十二:映画『夢』について」で、●第六話:『富士山爆発』、●第七話:『地獄の鬼たち』で科学技術が美しい自然を破壊した例を書きました。
そして、●第八話:『水車村にて』で、美しい自然を紹介しました。
●第八話:『水車村にて』では、「科学技術を用いずに、美しい自然を残したい」という黒澤明のメッセージが伝えられていたのかもしれません。
黒澤明の夢ですので、ひょっとしたら、そうでないかもしれません。

しかし、「本当に科学技術が駆使された世界に美しい自然は残されていないのか?」と考えてみました。
現代の産業だと、どうしても、地球の自然に与える公害の部分が見逃せないかと思います。
ですので、現代の産業から有害なものが出ないと地球の自然が破壊されず、科学技術の発展と美しい自然の共存が出来るかと思います。
ですから、科学技術の発展と美しい自然の共存の可能性はありえると思います。

問題は科学技術の発展と産業の発展のさせ方にあると私は考えます。
「科学技術の発展と産業の発展」となると、地球の人々の全ての生活に関わってくるかと思います。
なぜならば、人間主体で、科学技術の発展と産業の発展が行われているからです。
ですから、人の価値観とか今までの人間の生活スタイルを考え直さないといけないかと思います。

例えば、以前の日本では、公害問題が一切考えられていない時代がありました。
しかし、公害問題がクローズアップされてくるようになり、法整備などが整い、かなり日本の公害は少なくなってきています。
それでも、産業は発達していました。
しかし、東日本大震災を機にエコの運動が広がるようになりました。
東日本大震災以前にもエコ活動はある程度、行われていましたが、あの地震以後、エコ活動がかなり盛んになってきたかと思います。
「効率の良い節約とか効率良く無駄を省こう」という感じですね。
ですから、時代が経つにつれて、産業活動と自然の美しさを残そうという考えが普及してきています。
ですから、ここ50年ぐらいで、だいぶん人の価値観と生活スタイルの在り方は見直され続けたわけです。
しかし、まだまだ、クリアされるべき課題は多いかと思います。

ですから、それらの課題がどんどんクリアされると、科学技術の発展と美しい自然の共存は可能だと思います。
しかし、人の価値観や人間の生活スタイルの在り方を見直し、それらをベストと思われる状態に持って行くまで、ある程度の時間がかかるかもしれません。
短い時間で済むかもしれません。
また、長い時間がかかるかもしれません。

しかし、最善の組み合わせ方をすると、科学技術の発展と美しい自然の共存は可能になると私は思います。

                坂本  誠

千三百六十四: 経済的な事_No.4

こんばんわ。

千三百五十六:経済的な事_No.3』の続きです。
現在(2011年11月20日)、日本でもアメリカでも、ほぼ、「ゼロ金利政策」が続いています。

もし再び、金利が上昇したら、どのような世界になるのかを考えてみました。
何十年か前の世界に再び、戻るのでしょうが、その前に資本主義の根本を考えてみましょう。
資本主義の根本はお金と利子です。

ある例ですが、ある銀行で一年で3%の利子が付いたとしましょう。
そして、どれぐらいの金額を持っていたら、お金持ちと言えるのか、私にはわかりませんが、お金持ちの人で10億円を銀行に預けているお金持ちのAさんがいると仮定しましょう。
そして、あまり、お金持ちとは言えない人で、Bさんが10万円を銀行に預けている人がいるとしましょう。

10億円は、¥1,000,000,000ですね。
10万円は、¥100,000ですね。

そうすれば、一年後には、お金持ちのAさんは、

    ¥1,000,000,000 * 1.03 = ¥1,030,000,000

で、30,000,000円(3千万円)の儲けです。

Bさんの方は、

    ¥100,000 * 1.03 = ¥103,000

で、3,000円の儲けです。

この状況で、2年後や3年後のAさんとBさんの状態を考えてみたら、もっと、AさんとBさんの持っているお金に大きな差が出来るわけです。
資本主義だと、富む者はますます富み、富まない者はますます富まないわけです。

ですから、資本主義は良くない主義だと私は思います。
現に、上の例のように格差を作ってしまいます。
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「金利」というものも、つまり、利子です。
「利息」というものも、つまり、利子です。

どうして、同じ「利子」という言葉に対して、他にも、同じような言葉が二つもあるのかわかりません。
私にとっては、お金の世界を難しくさせているだけのように見えてしまいます。
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また、お金自体も、あまり良くないものかと思いますが、現に世界中に出回っているものですし、お金そのものはいきなり無くならないかと思います。
ですので、利子を禁止したイスラム金融というものに目を向けるべきかと思います。

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追加です。

銀行が預金者に支払う利子つきのお金もありますが、銀行が工場などの中小企業に貸す(融資)するお金にも利子が付くことを考えたら、やはり、資本主義という制度は良くないと思います。
別に中小企業だけとは限りませんが、銀行がある程度のお金を中小企業に貸したら、そのお金に利子を付けて銀行側にお金を返さないといけないです。
ですから、利子の高い状態が続いたら、中小企業も、その利子つきのお金を返すことが出来ずに倒産したりするわけです。
実際、中小企業でも倒産すると、その赤字を周囲の人がこうむったり、また、国や地方自治体もその赤字をこうむるでしょう。
ですから、利子の高い状態だと、中小企業なども苦しんでしまう。
なかなか、銀行からお金を貸してもらうわけにはいかないわけです。

だから、ゼロ金利政策の方が中小企業を保護することにもなるでしょう。
それが国内の産業の保護にもなるかと思います。

                坂本  誠

千三百六十八: 水

            水
            
            
    どうか、地球の海が
    美しい水をたたえていますように。
   
    どうか、地球の海から立ち昇る
    水蒸気が美しい雲を作りますように。
   
    どうか、地球の雲が
    美しい雨を降らしますように。
   
    どうか、美しい雨が
    山野の林や花を潤しますように。
   
    どうか、美しい雨が
    私達の貯水池にたまりますように。
   
    どうか、貯水池の水が
    やがて、私達の口から入って、私達の身体を浄めますように。
   
    どうか、私達の飲む清水が
    私達の喜びとなりますように。
   
   
    水が全ての物の中を
    循環してゆきます。
   
       
    美しい水が
    私達、生き物の喜びとなります。
   
    その美しい水を作るのも
    私達、生き物の役目です。
   
    私達の美しい心が
    美しい水を作ります。
   
    心は水のようなもの。
    水は心のようなもの。
   
    私達全ては私達自身のために
    美しい水を作りましょう。20101103084331
   

                坂本  誠

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