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2011年9月22日 (木)

千二百七十七: 将棋の駒について

こんばんわ。

将棋の駒について考える機会がありました。
最近、将棋の駒の記事を幾つか書いています。
千二百二十八:飛車と角について 』の飛車とか角についてですね。
また、『千二百四十三:歩』で「歩」という詩も作りました。

将棋を知らない読者のために書いているのですが、この将棋には、色々な動きをする駒があります。
「歩」ならば、ただ一歩進むだけ。Img7d92617ee53f
飛車は十文字の動きを、角は斜めに十文字の動きをします。
香車ならば、ただ一直線に進むだけ。
桂馬は前方に二つ分進んだ個所の二つに別れた場所のいずれかに跳んでゆけます。
銀ならば、自分の前のマスの3か所のいずれかと、斜め後方の二つのうちのいずれかです。
玉、つまり、王様の駒は自分の周りの8方向のいずれかに移動できます。
金は、その玉の動きに似ていますが、自分の斜め下の二つの方向には移動できません。

で、この将棋の駒のいずれも素晴らしい動きをしているのです。
例えば、「歩」はたった一歩前に進むことしか出来ないのですが、それが実はこの駒の素晴らしいところなのです。
それ自体が素晴らしい動きなのです。
また、香車はひたすら、前に進むだけの駒なのですが、このような駒が無いと困るわけです。
「全ての駒が飛車と角だったら良いではないか」と思われる人もいるかもしれませんが、実は将棋の駒はそれぞれが適材適所の配分が与えられているので、将棋は面白いことに気付きます。
仮に、もし全ての駒が飛車と角の動きしかしないのだったら、ここまで、将棋は面白さを持たなかったかもしれません。20110921162858

適材適所という考えも、実に味があって、面白いことだと思います。
               
               
                坂本  誠

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