« 千百十六: 闇とピアノ | メイン | 千百十四: 笑顔 »

2011年7月 2日 (土)

千百十三: 心の掃除について

こんばんわ。

私は色々と人体が健康になるための方法を考えてきました。
そのためには「色々な場所の掃除が必要だ」とも書いてきました。

「色々な場所」となると、身体の特定部分や部屋の掃除だけではなく、「人の心」も含まれるでしょう。
「人の心が汚れている状態」となると、実は、これも病気を生むのです。
年中、怒っていると、やがて高血圧や胃潰瘍になるでしょう。
怒りの念を心の中に溜めていると、それが身体に影響するのですね。
怒りの念だけでなく、人間の様々なマイナスの感情や心が、やがて、その人の病気を生むでしょう。
また、苦労性の人や心配性の人は、心臓が弱くなったりするでしょう。
また、腸が弱くなって、腹痛に見舞われる人もいるかと思います。
この心の在り方と身体の関係は、病院に行っても指摘されます。
実際、病院に行ったら、上に書いた病気なども、「心因性から来ている病気だ」とも指摘されることがあります。
だから、病気を消すためには、自分の心も掃除しないといけないことになるでしょう。

幾ら身体を綺麗にしたからと言っても、心から来る病気があるというならば、心も掃除しないといけないでしょう。
だから、人には綺麗な心と綺麗な身体と綺麗な環境が必要でしょう。

世の中には、まだ、残念ですが、犯罪という行為が残っていて、犯罪者が捕まって、法の裁きを受ける、ということが、現実にあっているようです。
この犯罪というものも、心が一種、汚れている状態だと私は考えます。
犯罪者が捕まって、裁判所で法の裁きを受けていることが、現実にあっています。
ところが、犯罪者の方は、「自分は法の裁きを受けた」と思っている人が多いように見えます。
しかし、これは実際には、「法の裁き」というものではないと私は思います。
実は、その人々の心の在り様が裁かれたと私は思います。

(ちょっとした追加ですが、「犯罪の行為そのものが裁かれる」のではなく、「犯罪を犯そうとした悪い心が裁かれる」という意味です。)
ある何かの心の悪い状態が、ある人の心に発生して、その心の状態が、やがて犯罪を生み、それが、現実社会に存在している何とか法と呼ばれているものに、該当しているので、「その法にひっかかった」という感じになっているかと思います。
だから、犯罪者と呼ばれている人は法に裁かれたのではなく、その心の在り方を裁かれてしまった、と私は思います。

だから、犯罪者と呼ばれている人が「法の裁き」というものを受けても、改心しない時もあります。
「法」というものが紙の上に書かれている文章だと、思っているからでしょう。
しかし、実際には、その犯罪者と呼ばれている人の心の在り方が裁かれたわけです。
ですから、「裁き」という言葉が現実にあります。
しかし、その言葉は本当は不適切で、「その人を良い方向での改心をさせよう」という長い文章が本当に正しい適切な用語かと思います。

だから、改心という状態を起こさせるのが、本当の刑法の求めるところだと私は思います。
だから、刑法と呼ばれるものにも、まだ、人の心の悪いと呼ばれている状態(これが犯罪につながったとして)を、裁くものが無い状態があるかと思います。

ですから、心というものを綺麗にしないと、いつしか、自分の病気も生むし、他人にも迷惑をかけたりするわけです。

身体も綺麗にして、環境も綺麗にして、心も綺麗にして、はじめて、人は周囲の人々と共に心身の健康を築けるだろうと思います。Img7d9267dd1627

                坂本  誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム