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2011年7月28日 (木)

千百八十一: 光と闇について

私の詩集に『光と闇の唄』というものがあります。
「どうして、この題名にしたのか」と以前の私を振り返りました。

夜空の美しさを思い描いていた記憶があります。
夜空とは美しいものです。
黒い宇宙空間をバックに、きらめく星がちりばめられている。
そして、きらめく星で作られているスペースと、黒い宇宙空間と比較すると、かなりの違いがあります。
圧倒的に、黒い宇宙空間が広く、きらめく星で作られているスペースは小さい。

しかし、日中はこれとは全く逆です。
空には太陽が一つだけです。
そして、どこもかしこも光だらけです。
しかし、意外なことに日中には、あまり、その光の美しさがわかりません。

夜になって、空に小さく小さく多くの星が輝いている。
夜の空間に光は少ないですが、今度は多くの星が見れます。
そして、意外なことに、逆に光の美しさと素晴らしさがわかります。

日中に光の美しさと素晴らしさはあまりわからないものの、夜になると、光の美しさを本当に堪能できる。
「光は素晴らしいものだ」と多くの人が知っているのに、その美しさと素晴らしさを理解するのが日中とは反対の夜である、というのは本当に意外です。
だから、私達は夜になると光を欲します。

つまり、あまりにも光の量が多いと、かえって、そのありがたさがわかりにくくなると思います。

これは光に限らず、他の事についても言えるかと思います。
あまりにも、恵まれた環境にいると、かえって、その環境の良さがわからなくなります。
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そのようなことを考えながら、『光と闇の唄』という詩集名を思いついた記憶があります。

当然、光を際だたせるような感じで、この詩集は作られています。
私は明るい詩を書くのが好きなのですが、この明るい詩を際だたせるために、暗い詩も、この詩集の中に入れています。
つまり、コントラストを際だたせているのです。
明るい詩がより際立って見えるためですね。

しかし、暗い感じの詩を私はブログ『悲喜憐偉』の方にほとんど載せていません。
理由は、あまり、世の中を暗い感じにさせたくないからです。
ですので、私の暗い詩を読まれたい方は、私の詩集『光と闇の唄』を、お手にとってもらえると幸いです。
               
また、世の流行歌を聞いたりすると、やはり、悲しい歌詞のものも多いわけです。
世の歌でも失恋の歌で、人々を多く感動させるものがあります。
つまり、この世の中が、全て、明るくて楽しい事だけで作られてはいないことを意味しています。
ですので、私としても、そのような感情や経験がありますので、それを詩として、作品に作り変えたわけです。
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つらくて悲しい事というのも、「全然、全く駄目だ」という事は無いかと思います。
昔から、文芸作品で古典に残っているものには、悲劇物が多いです。
悲劇作品を読んだり見たりした人が悲しくて泣いたりした時があると思います。
そして、それらの作品には意外に感動物が多い。
そして、ジーンと涙を流す。
そして、記憶に鮮烈に残る。
だから、人々の間で長く伝えられる。
「悲しい、苦しいの一点張りだ」とはちょっと違った意味での、感動が残り続ける。
そして、その人の心の素晴らしい一面が後世に伝えられている。

また、現実、つらくて悲しい事の無かった人はいないかと思います。
そして、それを乗り越えた時に初めて、喜びが訪れたりする。

だから、つらくて悲しい事にも意味がある。
先にも書きましたが、世の歌でも失恋の歌で、人々を多く感動させるものがあります。
この手の感動の事を私は言っています。Img7d92cb71b6dc

               
                坂本  誠

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