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2011年6月

2011年6月30日 (木)

千百十一: マイペースについて

おはようございます。

マイペースについて考える機会がありました。
この前、『千百三:初心について』というエッセイを書いたのですが、人は初心を立てた直後ぐらいは、一生懸命にその目標に向かって行動するものです。
しかし、いくばくか時間が経つと、その初心を忘れてしまい、その行動に向かっての行動を怠りがちになります。
これはどんな人でもそうでしょう。
ですから、「マイペースをキープする」というのも、かなり大変なことだとわかります。

初心を立てた直後ぐらいは、多量の仕事をするけれども、時間が経てば、あまり、その仕事をしなくなる、とか。
また、時間が経つと環境の変化も現れますから、その環境の変化のために、その初心もぐらついて、仕事の量がおろそかになる、とか。

「どんな人でもそうなる」ということは、その「どんな人」の中に、当の私自身も含まれていることになります。
だから、私自身もマイペースをキープすることに励まなくてはいけません。

マイペースをキープをするためには、ある日ある一瞬に、むやみやたらに仕事の量を増やすのではなく、また、急に仕事の量を減らすのではなく、マイペースで歩み続けるのが、やはり大事だと思います。
淡々と歩むのが大事でしょう。Img11111_1

                坂本  誠

千百五: 嘘について

おはようございます。

嘘について考える機会がありました。
誰もが自分の心を偽ることが出来ません。
これは、全ての人がそうであることに気が付きます。
ちょっと驚くべきことかと思います。
これと対照的に、他人に嘘をついて、他人をだますことは誰でも出来ます。

だから、人が幸せになるためには、自分の心に嘘をつこうとしないように努めるべきかと思います。
なぜならば、自分の心に嘘をつこうとしていると、その嘘の心は自分の本当の心を覆い隠しているので、本当の心と嘘の心が一致せず、やがて苦しむかと思うのです。
心がボールのような状態だとしましょう。
高校野球で使う硬式ボールのようなものとしましょう。
硬式ボールの中心部分のものは固く、外側のものは意外とやわらかめに作られています。
その中心部分のものが本当の心だとしましょう。
外側のものが嘘の心だとしましょう。
心の場合だと、中心のものと外側のものの材質が違っていることになります。
中心のものが軽くて美しい材質で作られているとして、外側のものの材質が汚いもの(嘘をついている状態)で覆われていると、お互いに悪い影響を与えてしまうと思います。
また、この状態だと二つの心を持っている状態になり、矛盾めいたものを自分の胸の内に入れていることになります。
矛盾したものを自分の胸の中に入れているので、その人は、やがて煩悶とした苦しみを抱くかと思います。
なので、自分の心に嘘をつくのはやめた方が良いかと思います。

しかし、ある事柄を、「他人に対して黙っておく」ということは、これは許されることだと思います。
何らかの理由があって、「他人に対して黙っておく」ことも必要だからです。
会社の機密事項でも、他人に漏らしたらいけないのと同じです。
また、何かのことを、あえて、他人に対して黙っている人も、これも全ての人がしていることでしょう。
プライバシーの問題ですね。
ですから、「他人に何かの事を黙っておく」ということと、「自分の心に嘘をつく」ということは区別しないといけないでしょう。Img7d9331da64b5

                坂本  誠

千百四: 医学について

こんばんわ。

私が思いますに、これからも医学は発展するでしょう。
しかし、ちょっと変わった方向に医学は発展するかもしれません。

今までは、

    「私は病気になった。だから、医者に行かなくてはいけない」    <--●

という考えよりも、

    「私は病気になりたくない。だから、予防しなくてはならない」

という、病根そのものの発生を防ぐ方向と、従来通りの医薬、医術の発展の二通りがメインになるかと思います。

つまり、病根を人間が持っていなければ、全く人間は病気にならないですむわけです。
歯を磨くというのも、予防法だし、成人病にならないために、日々に何かの運動に励むとか、ないしは清潔を保つなどの方向です。
これを書いている今は梅雨ですが、水虫を持たれる人もいるでしょう。
しかし、毎日、風呂に入った時に、足の指の間を綺麗に洗っておけば、水虫の薬を付けなくてすむわけです。
つまり、身体を洗うという掃除をしていれば、そのような皮膚の病を防ぐことができるわけです。
つまり、予防をしていれば、病根を人が持たないから、人が病気にならずにすむわけです。
つまり、掃除が重要だと思います。

ですから、上の●の文章ような時も多々、発生すると思われますが、

    「私は病気になった。一体、何の原因があって、私はこの病気を持ったのか?」

と類推して、その病根の原因を本人が掴み、その病根を取り去るような予防法をしていたら、自分の病が消える方向に向かうかと思います。

しかし、それでも、医薬や医術が必要な時はあるでしょう。
毒虫に刺されれば、皮膚の薬を付けないと治りが悪いでしょう。
あるいは何かの怪我をすれば、手術をしなければなりません。
あるいは、急病と呼ばれる状態で、全く、本人が病気の原因などを考える余裕もない時も人はあるからです。
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また、今一つ考えられるのは潜在能力の発揮でしょう。
これは以前も書きましたが、人は「火事場の馬鹿ぢから」と呼ばれるものを持っています。
自分の子供が軽トラックに轢かれそうになる時、その主婦が、とっさに「火事場の馬鹿ぢから」と呼ばれるものを発揮して、その軽トラックを持ち上げて、我が子を助けたのです。
その「火事場の馬鹿ぢから」なるものを自分の病巣か怪我をしている部分に放出して、病や怪我の部分を治すのです。

この潜在能力の発揮というのは、開発が待たれているところでしょう。
いや、すでに開発中か開発済みかも知れませんね。

                坂本  誠

2011年6月29日 (水)

千百十: やわらかい風

            やわらかい風

    やわらかい風が
    広大な草原を くすぐってゆく。
    僕の心の手は 身体を突き抜けて
    風に乗っている 見えない幸せを掴もうとする。

                                              詩集「赤い炎と青い水」より

                坂本  誠

千百九: 「法」について

こんばんわ。

私は、私の思ったことをそのまま書けるのが幸せに思っているところです。
何かの会社や何かのグループに属している人は、その内部での派閥の問題に苦しむことも多いかと思います。
会社の中でもグループの中でも、その派閥というのはありますからね。

(でも、私が思うに、この「派閥」という言葉自体が、嫌な響きを持っていると感じます。)

で、何かのグループにしても、その内部の派閥の問題で揺れることが多いと思います。
人間関係で苦しむのですね。
しかし、そんな時に、私の行動の指針とするべきことは、

    「人につかず、組織につかず、法につけ」

という言葉です。
よく宗教関係で昔から言われている言葉のようですが。

この上の「法」という言葉に、難しいものを感じてもらいたくないです。
この「法」というのは、例えば、会社の創業者の立てた会社の方針です。
あるいは、何かのグループの最初に立てた目標です。

最初に立てた「旗」というのは、外から見て、大きく見えます。
その後、人や組織の構成が変わり、内部で色々と考えが変わるかと思います。

「人」というものも、現在、自分の見ているものであり、理念というものでは無い状態です。
「組織」というものも、この「人」と同じ状態で理念というものではないです。
しかし、「法」というものは、これは会社で言うと、「就業規則」や「会社設立の目的」に当たるものです。
また、「法」というものが、理念というものに値するのです。
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何かのグループにしても、例えば、非営利目的の法人団体でも良いのですが、この「設立の目的」、「法」というものは、そう簡単に変更は出来ないのです。
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何かのグループにしても、時代というのは流れていきますから、途中で政策が変更されたりします。
その政策変更までは許されたりするのですが、「設立の目的」から外れると、グループそのものの目的も変わってきたりしますので、社名変更もしないといけなくなってきたりします。
ですから、「設立の目的」、つまり「法」に当たる部分の変更は、ほぼ変わりません。

ですから、何かのグループの中にいて、人間関係の軋轢や派閥の問題に苦しんだ時は、この「法」の部分をもう一度、思い出してみると良いかと思います。

    「今、自分の見ている人間関係や派閥の問題は、『法』の問題にまで絡んでいるだろうか」

と。

もし、「法」の問題にまで絡んでいると、「そのグループの旗のもとに人々が集まっているかどうか」の問題にまで発展するので、自分の進退問題まで考えないといけないでしょう。
しかし、自分の見ている人間関係や派閥の問題が、その「法」の問題にまで絡んでいなかったら、少しばかり、組織から離れていても、大丈夫だと思います。
また、離れている方が無難かと思います。
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最終的に、人が行うことは何かというと、そのグループの中で、「設立の目的」や「法」を実践することにあるのです。

人は何かのグループ内の人間関係から発生した問題を解決するために、そのグループの中に所属しているわけではないのです。
ですから、普通の人があるグループの中にいて、何か迷った時は、「法」に関係している問題かどうかを考えたら良いかと思います。

または、「設立の目的」や「法」というのは、何かの紙に書かれて、そのグループ内の人に配布されているだろうから、その紙を見て、「今のグループ内の問題は、『法』に関係したものだろうか?」と、自問しても良いかと思います。

しかし、その配布された紙、ちょっと難しい言葉で言ったら、『最初の根本理念』というものが変更されていたら、自分の進退についても、十分考えてみても良いかと思います。20110621131353

               
                坂本  誠

千百六: 苦しみと感謝について

苦しみと感謝について考える機会がありました。

普段、私達は自分たちの日々の悩みと苦しみに闘っています。
これは誰でもそうでしょう。
その悩みや苦しみを感じている最中に、それらよりも、もっと、大きな感謝の心を持てば、それらの苦しみや悩みを超えていけるかもしれない、と考えてみました。

例えば、「酸素が吸えて、ありがたい」とか「太陽が輝いて、ありがたい」とか「私達を支えてくれる大地が、まだ、ある」とか、「私達が暮らしていける宇宙がある」と、思えば、日々の悩みや苦しみが消えてゆくかもしれません。
実際、苦しみの最中にあって、上のことを思い出すことは、なかなか、誰にとっても難しい話ですが、私達、人間は努力しなくてはいけない存在です。

自分の悩みや苦しみを乗り越える程の圧倒的な感謝の思いを持つと、その暖かな感謝の思いで、自分のマイナスの思いを溶かしていけるかと思いました。

               
                坂本  誠

2011年6月28日 (火)

千百七: 自分のちからと他人のちから(独白)

自分のちからと他人のちからは同じものだと考えてしまう時がある。
ちょっと表現しにくい。

例えば、ある会社の社長でも、その下に社員がいるからこそ、本当に社長自身のちからが発揮できる。
自分独りでは、うまく、ちからが発揮できないのに気が付く。
その下の社員でも、仲間や同僚がいるので、うまく自分のちからが発揮できる。
また、トップに経営の上手な社長がいるからこそ、自分のちからがうまく発揮できる。
だから、自分のちからと他人のちからは無くてはならない関係にあると思う。

これは家の中に入ってもそうで、普通、夫と妻がいる。
夫は夫の仕事をしなくては妻が困ってしまう。
また、妻が妻の仕事をしなくては夫は困ってしまう。
妻が日中、家の中を守らなくては、夫は外で仕事が出来ない。
夫と妻は補完の関係にあると感じるのは他の人々でもそうだろう。
また、上の例に書いた会社の例でも、全ての社員は補完の関係にあることに気が付く。
適材適所に配置されて、互いに足りない部分を補い合っている。
みんなのちからが無いと自分のちからを発揮できない。
だから、「自分のちからは、みんなのちからだ」と言えるだろうか。
               
               
                坂本  誠

千百八: 祈り

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『祈り』

坂本 誠 作

2011年6月27日 (月)

千百三: 初心について

おはようございます。

「初心忘れるべからず」という諺があります。
読んで文字通り、「初心を忘れないように」ということですが、諺になるぐらいです。
つまり、返って、それほど、初心は忘れやすいということです。

何かの目的を立てて、その道の途中なり、ないしは目的を達成し終えた後でも、その初心を忘れてしまいやすいかと思います。
心の調子が何か浮き上がったり、ないしは落ち込んだりして、初心を忘れて、道を反れやすいかと思います。
ですから、私達は「初心忘れるべからず」という標語を目の前に貼っておいた方が良いかと思います。

あるいは、初心を忘れないために毎朝毎朝、朝日を見るのも良いかもしれません。
朝日というのは、一日の始まりです。
朝日を受けながら、外を歩くと、人はどこか新鮮な感動を覚えます。
何もかもが新しく、爽やかな雰囲気がすると思います。
その「爽やかな雰囲気」というのが、私達が初心を抱いた頃の雰囲気とよく似ています。

ですから、毎朝、新鮮な朝日を見ながら、「初心忘れるべからず」と口で唱えると、より、初心を忘れないための効果が上がると思います。Img7d9201e850ee

                坂本  誠

2011年6月26日 (日)

千百二: 友のありがたさ

こんにちわ。

誰でも、過去に罪を犯さなかった人はいないでしょう。
ですから、私の過去を探ってみますに、やはり、「私も罪を犯してしまった」と思える日々もあります。
人は毎日、心のゴミが出ます。
そのゴミが大きかったり、小さかったりします。
しかし、遠い過去の自分の大きなゴミを抱えている人も、いるでしょう。
しかし、これは全ての人にとって、そう言えるでしょう。

親しい友との集まりの中で、そのお互いの罪(ゴミ)を許し合ったり、励まし合ったりすることが出来ます。
「私の心をまっさらな白紙のような心にしてもらえる」というのは、とてもありがたいことです。
私は幸せです。
多くの人々も、このような友人を持たれていたら、かなり幸せになれるかと思います。

とにかく、この紙面上(ディスプレイ上)を、お借りして、私に言わせてください。

        友よ、ありがとうございます。

               
                坂本  誠

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