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2011年4月

2011年4月30日 (土)

九百四十一: パソコンについて_No.2

こんにちわ。

私が新しいパソコンを買ったことを、以前、読者の方々にお伝えしました。
今、私はそのパソコンを目の前にしています。
私が思うに、最近は、パソコンも、使い手のために芸術的な要素をふんだんに取り入れているようです。
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私が思うに、パソコンだって、人の心を癒す方向で行かないと売れ行きも良くないのではないのかと思います。

「パソコン」と言ったら、以前は「難しい物」の代名詞みたいな感じでした。

今、私の目にしているパソコンは、いつも私が目にする画像に自然のものの画像を取り入れて、

    「パソコンは難しい道具ではなく、人の心を癒す一面もあるのだ」

ということを強調しているかのようです。

また、これからは、そうしないと、使い手の方も購入しなくなるのではないのか、と思います。
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確かに、パソコンには、まだまだとっつきにくい部分もあったりはしますが、人がパソコンと接し合う部分に美しい物や芸術的な物を取り入れていないと、使い手の人からは

    「パソコンの表示画面は、いまだ無機質的な部分が多いのだ」

と思われて、購買意欲が、そがれるのではないのでしょうか。
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しかし、パソコンの表示画面が美しければ、それだけ多くの人を癒すので、多少、操作の難しさはあったりはするかもしれませんが、

    「パソコンの作り手の人達は、芸術的な要素で、使い手の人達を癒そうとしたり、また、触れ合いやすくしようとしているのだ」

という心遣いが見えて、購入意欲が高まるのではないでしょうか。
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機能の向上のみを追求するのではなく、人との触れ合いを重視したパソコンへ。

そのような流れがあるような気がします。

          
             坂本  誠

九百四十: 熟睡について

四百二十三:熟睡感』の続編です。

人は激しく疲れる時があるものです。
例えば、一日の24時間の内に22時間ほど労働して、それを三日ほど続ければ、それは誰もが疲れるでしょう。
その他のことで、人は深く疲れることもあります。
精神的なことも多々あるでしょう。

そんな時、時間を度外視して、ひたすら眠ると身体の疲れも心の疲れも無くなっているのに気付きます。
「眠る」という単純な人間の行動ですが、ここにも重要な健康の秘密が隠されていることに気付きます。
身体だけでなく、頭だけでなく、心まで疲れが睡眠によって癒されている。
色々な治療や薬も人によって重要ですが、「眠りも薬だ」と言えるでしょうか。

熟睡の効果について考えさせられます。Img7da12dc885c

             坂本  誠

2011年4月28日 (木)

九百三十九: あいさつについて

こんにちわ。

二十四:あいさつ』、『四百八十:あいさつ_No.3』の続編です。
やはり、あいさつがある世界というのは、安心してしまう。
仮に、全く、あいさつの無い世界を考えてみよう。
会社に行っても、あいさつが無いし、家庭に帰っても、あいさつが無ければ、この世は沈んでいくかと思ってしまう。

昨今、色々な場所で、あいさつが交わされる機会を見るようになった。
あいさつをする人がいれば、あいさつをされる人は、どことなく、安心するかと思う。
もともと、あいさつというのは、人がこの世に二人以上いないと交わされることが無い。
この世に自分たった一人だけだと、考えてみよう。
その世界には、あいさつは不要だ。
だって、あいさつの言葉をかける人がいないのだから。
また、あいさつをされる人も当然いない。

また、普通に考えても、会社に入って、あいさつをしない人は、それ相応に扱われてしまう。
だから、あいさつというのは、大事なことだと思う。
人と人との接点だ。
その接点を経て、人は何らかの形の交渉が始まる。
人と人が何かの活動をする姿は、喩えてみれば、歯車と歯車がかみ合い、歯車の動力が伝わって、何かの仕事をする様に似ている。
だから、人間の間での交渉、あるいは人間の間での行動をうまく進めるための最初の潤滑油が、あいさつだと思う。20110404112508

             坂本  誠

九百三十八: セミナーのカラオケ

私がプライベートで行く時のセミナーには、ちょっと驚くべきことに、カラオケ・タイムがある。
普通、セミナーというものは、なんにせよ、学習の場だから、セミナーにカラオケの場があるというのも、ちょっと変な話かもしれない。
もっとも、カラオケ専用のセミナーというものがあれば、そのようなセミナーでは、カラオケばかりが歌われても当然だろう。
しかし、「普通のセミナーでカラオケがある」というのは、やはり変な話かもしれない。

とりあえず、そのセミナーのカラオケで元気良く、歌うわけだ。
私はカラオケが好きな人間だから、当然、そのセミナーで元気良く歌えて気持ちが良い。
そこがポイントだ。
「元気が良くなる」とか「気持ちが良くなる」となれば、心が良くなる。
心が明るくなる。
セミナーというのものは、何らかの形で人を向上させるものだ。
「そのために、歌を元気よく歌い、自分を向上させよう」という風に私には思える。
また、歌を歌った人も、その周囲で歌を聞いた人も、歌のちからによって、心が高揚したりする。
だから、歌のちからは凄いものだと感じてしまう。

もっとも、なぜ、そのセミナーでカラオケ・タイムがあるのか明確な理由を私は聞いていない。
だけど、上のような理由で、そのセミナーがカラオケ・タイムを持っているのだ、と私は思っている。
          
             坂本  誠

九百三十七: 月の光

月の光を見ていると、淡いものを感じてしまう。

太陽の光は、普通、誰もが感じることが出来る。
また、太陽光線は強いので、その照度と呼ばれるものにより、日中であるのか夜間であるのかは、大体の人が知ることが出来る。
「今は昼だ」とか「今は夜だ」と、ほとんど誰もが知ることが出来るだろう。

しかし、月の光は違う。
その照度のためだろう。
月は満ち欠けもある。
その満ち欠けによって、月の光の強さも違ってくる。
太陽が満ち欠けをすることは、日食の時を除いて、ほぼ無い。

加えて、曇りの日や雨の日の夜間だと、月が出ているかどうかよくわからない時がある。
それらの日に実際は月が出ている時もあるのだが。
逆に太陽の場合は、曇りの日や雨の日であろうと、その照度によって、これも「今は昼だ」とか「今は夜間だ」とすぐにわかる。

また、月の出ていない夜だってある。

また、昼の夕暮れ時や朝の陽射しのまだ少ない時に、月が顔を出している時がある。
しかし、そんな時は私達は太陽の陽射しの方を意識して生活しているので、あまり、月の光を気にしていないのが、ほとんどかと思う。

また、太陽の光の下で生活していると、それは光の下で生活していると言えるものだが、月明りで本が読めるということは、ほぼ出来ない。
それほど、月の光は淡い。
また、満ち欠けのせいで月の光を感じることが出来ない時もある。
細い三日月からの月の光を感じる人は、あまりいないかと思う。
逆に満月の明かりならば、多くの人が屋外に出て感じると思う。
しかし、その満月の明かりと言えども、その光で本を屋外で読むことは難しいだろう。
その満月の光というものに、ただ、私達が屋外で椅子に腰かけている時に寒さをしのぐための薄い毛布かショールのようなものを感じるだろう。

また、太陽の光ならば、手を当ててみると、手の甲が強く日の光に照らされる。
そして、地面を見ると、手の影がくっきりと形作られている。
これに対して、月の光は少し違うものを感じる。
月の光を手に当てると、まるで、透明な光のようで、その光が手を透き通っていくような気がする。
また、そんなにくっきりと地面に手の影が形作られるわけでもない。
だから、月の光を見て、「透明な光」とでも表現することが出来るかもしれない。

太陽の光と月の光には、こんなにも違いがある。20110404205646
          
             坂本  誠

2011年4月27日 (水)

九百三十五: 紫の宇宙

        紫の宇宙

  紫色の宇宙がある。
  何本もの白い光が
  大河の流れのようだ。

  その中心に
  黄金の球が静かに輝く。

  黒い光でさえも
  紫の流れに
  手を携えられて
  救われているかのようだ。

             坂本  誠

九百三十二: ささやかな幸福

こんにちわ。

幸福を感じるのも、結構、難しいものです。
なぜならば、人は今、手にしている幸福を実感するのが難しいからです。

よく言われる話ですが、今、健康な人も、その自分の健康に感謝するのが難しいでしょう。
そして、不健康になった時に、過去の自分の健康のありがたさが、よくわかるわけです。
だから、健康な時に、その健康を持っている人は、大いに幸福感を感じても良い筈でしょうが、現実は、あまりそうではないようです。

人は何かの幸福や成功を手に入れたら、それで充実感を感じ続けるべきでしょうが、いかんせん、人間というものは意外に貪欲に出来ており、既に与えられている幸福なものをすぐに忘れて、次から次へと「あれが欲しい。これが欲しい」となるようです。
目の前の青い鳥が永遠に逃げ続けるかのように。

だから、私が思いますに、「今、現在、与えられている幸福とは何か」を一日の内の短時間内に思い返し、それを確認した後、その自分に与えられている幸福なものに「ありがとう」と言う方が良いかと思います。
そして、その後に、幾ばくかの目標を立てて、それに向かって進み、その目標を達成できた時、「さらなる幸福を手にすることが出来た」と幸福の実感をすべきかと思います。Img7d938b4650a0

          
            坂本  誠

九百三十六: 愛無き心

        愛無き心
  
  愛の無い時に
  心の扉が
  開ける時がある。
  それは
  愛の心が無いゆえに
  心が愛を欲するから。

             坂本  誠

九百三十: 色々な角度から

おはようございます。

色々な角度から、様々なことを見てみるのは大事かと思います。
たとえば、私の目の前にあるパソコンですが、これは便利な道具だと思います。
しかし、あまりにもパソコンに頼り過ぎる生活もいけないかと思います。
コンピューター・ウィルスにパソコンがやられることもあると聞きますが、それならば、パソコンがこの世に無かったら、そんなウィルスなんか出来なかったかと思います。
つまり、「パソコンがあるからこそ、コンピューター・ウィルスがあるのだ」と言えるでしょう。

一方、本などの紙のデータを考えてみましょう。
確かに読みやすさはありますが、大量の紙を使用していることに気が付きます。
「大量の紙を使用している」ということは、おそらく多くの森林が伐採されているでしょう。
また、本を保存するスペースを確保するのも難しくなる。

パソコンならば、世界中に設置されているサーバーと呼ばれているコンピューターがあり、それの容量も大きく、大変、多量にデータを蓄積できます。
そして、パソコンの中にあるブラウザと呼ばれるソフトから、検索をすれば、地球の裏側にあるデータを読んだりすることが出来ます。
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やはり、色々なものを色々な角度から見てみると、一長一短が見えてきます。

一般に「正しい」と呼ばれているものでも、詳細を凝らして見てみると、どこかに欠点があるかもしれません。
また、「愛は素晴らしい」とは言われていますが、どこかに足らない部分、あるいは不完全な部分があるかもしれません。

また、ペニシリンと呼ばれている抗生物質が作られて、多くの病の人を救いましたが、皮肉なことに、普通、私達が嫌うカビから作られたことは多くの人が知っているかと思います。
つまり、通常、まがまがしいものから、素晴らしいものが出来たことを意味します。
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ですから、あるものを色々な側面から考えてみるのは大事なことかと思います。
別に、善か悪かの方向で考えずとも良いかと思います。

例えば、もう少ししたら、扇風機の季節です。

扇風機を見て、「エアコンと扇風機を組み合わせたら、電力効率が低くなる」とテレビで言っていました。
また、扇風機を見て、「風車のようだ。風車と扇風機の並んだ絵を描いてみるのも面白いかもしれない」と考えてみるのも面白いことかと思います。
扇風機を見て、「電力ではなく、何か他の動力で稼働させられないだろうか」とか。
扇風機を外見上で見るならば、「汚れや綿ぼこりが多い。掃除をするべきだ」とか。
扇風機を外見上で見るならば、「この扇風機は白いが、部屋の中に置くならば、黒い色の扇風機が良いのではないのか」とか。
また、冷却効率を考えるならば、「もっと大きな羽であったら良いのではないのか」とか。
また、扇風機を見て、逆のことを考えたいのならば、「扇風機はいつも前面に風を送り出している。前面に風を一定の時間を送風し、後方にも風を送り出せば、前と後ろにも風を送れて、便利なのではないのか」とか。
扇風機を見て、「コンセントを抜いて、分解しよう。中身を見れて面白いし、仕組みもわかるかもしれない」とか。
扇風機を見て、「何かの作文が作れないだろうか」とか。
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様々な側面から、一つのものを色々な角度で見ることが出来るのは、人間に与えられた面白味の一つかと思います。

            坂本  誠

2011年4月26日 (火)

九百三十四: 天使_No.2

こんばんわ。

九百二十七:天使』は文語的な詩を載せたのですが、口語的に書き直したものを下に書いておきます。
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    天使

   闇に浮かび、
   かつ、天から降り注いでやって来る
   光が
   天使の姿に見える時、

   その光が形の無いものに
   変わりに変わりつつ
   歓喜そのものを歌おうとしている。
   まるで光に翼が生えたかのようだ。

   また、
   回り続ける  虹色の円の中心に
   ひとすじの愛の想いが  やわらかく  飛び舞い
   静かに  人の心に届いているかのようだ。


            坂本  誠

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