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2011年3月

2011年3月31日 (木)

八百八十六: 音楽について

こんばんわ。

私は音楽が好きです。
最近は勇壮な音楽を聞いています。
テクノポップとかも好きですが、一昔前に流行ったアルファ波ミュージックというものをよく聞きます。
美しい音楽で半ば眠くなるぐらいなのですが、脳からアルファ波が出るそうです。
安らぎや感動を覚える時に、人は脳から、このアルファ波を出すそうです。
そのアルファ波を意図的に出す音楽なのですね。
その音楽を使って、「脳の持つちからを出そう」という試みで作られたCDが昔、流行っていましたので、それらを持っています。
本当に、現実に脳の持つちからが出ているのかどうかはわかりませんが、美しい音楽が多いので、大いに心が休まります。
この「心が休まる」という点では確実に成果が出ていると思います。
(今では、シータ波と呼ばれる波長を出す音楽も作られているようです。)

そうかと思えば、私は昔のクラシック音楽も好きです。
モーツァルトとかバッハとかも好きです。
元気を出したい時に、この手の音楽は良いかと思います。

また、日本の歌謡曲も聞きます。
また、変わったところでは、盲目の音楽家、宮城道雄の『春の海』なども好きです。
お正月によくかかっている音楽です。

つまり、私は音楽については特定のジャンルにこだわってはいません。
ただ、心で感じるままに、「これが良い」と思えば、それを好きになるだけです。
そして、多くの音楽の違いそのものを味わい、また愛することが出来ます。

そして、悲しい音楽や楽しい音楽や明るい音楽などで、自分の心を変えることが出来るので、「音楽の持つちからって素晴らしいなあ」と思います。

          
            坂本  誠

八百八十五: 愛行について_No.2

八百八十二:愛行について』の2段目です。
          
私達はお互いに愛行について励むべきでしょう。
そうすれば、次第に世の中のおカネが必要にならなくなるから、高齢者が高い高齢者医療費に悩まされることも無くなるでしょう。
また、介護が必要な人も高い介護料が必要にならなくなるでしょう。
その他、多くの人々が助かることでしょう。
格差によって苦しむ人々も多いです(いや、全ての人が格差に悩んでいます)。
貧しい人々も格差で悩み、富む人々も貧しい人々から恨まれ、その高い地位から引きずりおろされている光景を、最近見かけます。

私達はひたすら愛行を重ね続けてゆくべきでしょう。
つまり、愛行というものは周囲の多くの人々のために働く姿をもって、愛行というのです。
その愛行というものは、お金によって計られる数値のものでは無いことに気付きます。
愛行を行うことにより、自分も幸せになるし、他人も幸せになります。

    参考:『八百四十八:性格についてImg7d93219628a6
   
          
            坂本  誠

2011年3月30日 (水)

八百八十四: 銀河系

『銀河系』 坂本 誠 作

20110329173229

 

八百八十三: 経済的な意見

八百八十二:愛行について』の続きです。

今度の大震災の復興のために、日本銀行が相当多額のおカネを出したことは、多くの人が知っていることだと思います。
今、その具体的な金額を忘れたのですが、その多額のおカネを今度は税金などで、国庫に返還しないといけないでしょう。
その税金などで国庫に返還するのは、私達日本国民や、将来の日本人です。
他のメディアや私の友人も言うように、かなり大きな増税をして、震災復興のために出されたおカネを国が集めないといけないでしょう。
他のメディアや私の友人も言うように、「はたして、それは出来るのか?」というのが、経済界での大きなポイントとなっているかと思います。

震災を復興できても、今度は庶民が大幅な増税に苦しんで、大きな不景気が訪れるかもしれないでしょう。
私が思うに、やはり、おカネが人を苦しめていると思います。
ここでも、「おカネが無ければ良いのではないのか?」という私の意見につながってくる訳です。
愛行に励む人間がこの地上に満たされていれば、それで何もかも解決するのではないでしょうか?

しかし、外国等のつながりでおカネを使用されていますから、色々と意見が出る方が良いかと思います。

私の意見を述べてみました。

            坂本  誠

八百七十八: 憎む気持ちについて

こんばんわ。

他人を憎む気持ちも時として、全ての人は持ってしまいます。
「他人を憎む」という気持ちをいだいてしまい、その気持ち自身で、苦しんでしまう人もいるでしょう。
「憎む」という感情も人間の一つの情操です。
そんな自分を許してやるのも大事なことかと思います。
自分で自分を許すのも大事なことですが、それも結構、難しいものだとわかります。
しかし、自分を許して、一晩ぐっすり寝て、朝、目が覚めたら、幸せな気持ちになれるかと思います。
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厳しい性格の人が、世の不正をどことなく憎んでいる場面を見かけたりします。
私が以前から書いているように、どんな性格の人もその性格が長所となり短所となります。

厳しい性格の人も、これは素晴らしい性格です。
世に厳しい人がいないと、世の中は引き締まらないでしょう。
しかし、反面には、上に書いたような悩みを持たれているかもしれません。

しかし、悩みは悩みであって、自分の性格自体が悪いわけではないので、その辺は、自分の性格を肯定した方が良いように思えます。

            坂本  誠

2011年3月28日 (月)

八百八十二: 愛行について

こんばんわ。

「愛行」という言葉を私は聞きました。
今はその人の名前をあえて書かないのですが(おそらく、その人もそれが本望でしょうが)、その人が言うには、

    「色んなことがあるでしょうが、もう何も考えずに、ただひたすら愛行に励みましょう。
    他のことは一切考えずに。
    色んなこととは、例えば、『自分のサラリーが幾ら上がれば良い』、とか『病気が治ったら良い』とかです。
    それらのことを一切考えずに愛行に励みましょう。
    その他のことは付属的に解決できるようになるでしょう」
   

と、言っていました。
だから、愛行とは、自分の本職でもあるだろうし、ないしは、「これが自分の愛の行いだ」と思ったものが、その「愛行」と呼ばれるものになるでしょう。
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ここからは私(坂本誠)の考えなのですが、上の愛行に個々の人が励んだとしましょう。

例ですが、野菜を作っている人が、それを自分の愛行として、懸命に励んでいたとします。
また、医療を行う人が、それを自分の愛行として、懸命に励んでいたとします。
また、薬を作る人が、それを自分の愛行として、懸命に励んでいたとします。
また、電化製品を作る人が、それを自分の愛行として、懸命に励んでいたとします。
また、漁を行う人が、それを自分の愛行として、懸命に励んでいたとします。

で、その野菜を作る人が、病気になったりしたら、医療を行う人と薬を作る人が医療と薬を与えればそれですみます。
また、医療を行う人や薬を作る人が野菜を欲しくなったり、魚を欲しくなったら、野菜を作る人や漁を行う人が野菜や魚を与えればそれですみます。
野菜を作る人や医療を行う人が電化製品を欲しくなったら、電化製品を作る人が野菜を作る人や医療を行う人に与えればそれですみます。

上のようにしたら、つまり、個々の人が愛行を行えば、長らく人類を苦しめてきたおカネから人々は解放されるかと思います。

物資に対する欲望を抑えるために、おカネは使用されていますが、これも、人々が「自分で控える」という癖をつけたら、なんとかなるかもしれません。
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私達は愛行に励みましょう。

            坂本  誠

八百八十: 問答

            問答
            
    問:「今まで悪のように見えていたものを、善のものとして見直すことの出来る道具は何でしょうか?」
    答:「愛である」

            坂本  誠

2011年3月27日 (日)

八百八十一: 早春賦

こんばんわ。

「早春賦」(そうしゅんふ)とは、大正2年に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の歌だそうです。20110327170701_3
歌詞を見てみると、春なのに結構寒い風景が読まれています。
今日は、そんな感じの天気でした。
しかし、穏やかな晴天に恵まれました。
3月の終わりなのに、冷たい天気なので、桜はまだ蕾(つぼみ)でした。

しかし、なんとなく、春を思わせる光景が郊外に広がっていました。
春の小川も陽射しを浴びて、キラキラと輝いていました。
沢の静かな、せせらぎの音が耳をくすぐりました。
川面(かわも)の放つ陽射しの照り返りの光が、せせらぎの音と絡んでいたかのようです。

子供たちも川に出て遊んでいました。20110327170842_2
その音と静かな光の間で、子供達が遊ぶ姿を見て、なんとなくホッとしました。
また、川も嬉しかったかと思います。
また、スイセンも愛らしく咲いていました。

私も自然と触れ合うことに喜びを感じます。
郊外を歩いていると、落ち着きます。
          
            坂本  誠20110327171702

八百七十九: セミナー参加

こんばんわ。

具体的な固有名詞を書くのは控えますが、あるセミナーに参加しました。
友人や私を指導して頂ける人が増えました。

そして、そのセミナーで、心がツルツルでピカピカしたような講師に出会いました。
その人が、ある他人に近づくだけで、その他人の肩の重荷や心の重荷を、その人が独りでに取り去ってゆくような人です。
「歩くこと匂うが如し」とでも言うのでしょうか。
こういう人が世にいたら、他の多くの人は、

    「ぜひ、その人の側にいたいものだ。なぜならば、私の苦しみを取り去ってくれるからだ」
   
と思うでしょう。
以前から、私は

    「いつ、どんなに激しい時代でも、このような人は必ず一人以上はいる」

と聞きましたが、「なるほど」と思いました。
そして、他の人も気付くでしょうが、そういう人に会うのは、ごく稀であり、「こちらから会いたい」と願う時には、運命の方が勝手に、その人に出会わせるのを拒むのです。

このようなことを「有難い」とも言うでしょう。
読みは、もちろん、「ありがたい」ですが、上の漢字だと「そのようなことが有るのが難しい」という意味でもあります。
つまり、「滅多に無い」という意味が「ありがたい」という意味でもある、と私は以前、聞いたことがあります。
私達が普段から何気なく使っている「ありがとう」の意味には、そんな意味もあります。

有難いことを経験させていただきました。

            坂本  誠

2011年3月24日 (木)

八百七十七: 苦手なことについて

こんばんわ。

以前も、私は苦手なものについて書いたのですが、今回は、それに似ないように書いてみます。

誰もが苦手なことと長所を持ちます。
この長所を行い、広げてゆくと、やがて、その長所の部分が苦手なものに接触してゆくようです。
その姿を喩えて言うならば、光が広がってゆく際に、やがて、濃い目の闇に当たる感じでしょうか。
ですから、自分の長所が、やがて自分の短所に接触してゆくのを人は感じるでしょう。

ですから、いつの日にか、人は自分の短所と向き合わなければいけないかと思います。
この自分の短所に向き合い、この短所の部分を打ち消すためには、二つの方法があるかと思います。
真正面から自分の短所と向き合う方法と、自分の長所を伸ばす際に現れる障害物としての短所を打ち消す方法です。
後者の方が時間がかかるでしょうが、自分の長所を武器として、自分の短所と向き合っているので、後者の方が成功する確率が高いかと考えられます。
敵の背後に回って、相手を倒すような感じですね。

しかし、この世界は一人だけではないので、自分の短所の部分を、あるAさんが長所としている場合が多いです。
ですから、自分の短所の対応方については、Aさんにお願いすることが一番早い方法でしょう。

そうしているうちに、この世の闇が全て消えてゆくかもしれません。
だから、自分の短所を見て、

    「私には成長する機会がある。いや、探してみれば、いくらでもある。つまり、私は無限に成長する機会がある。良かったことだ」

と、プラス発想すれば、

    「短所も長所と見なせるのだ」
   
と、私達は思えるかもしれません。

            坂本  誠

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