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2011年2月

2011年2月28日 (月)

八百三十: 赤い炎と青い炎

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八百二十七: 仲間について(独白)

仲間と会う機会があった。

ずいぶん、長い間、会っていなかったので、その喜びはひとしおだった。
その長い間、喜びあり、悲しみあり、苦労もあったりした。
会っている最中でも、友は友なので、礼儀を尽くしたり、気を使わないといけない部分もあったり、逆に注意しないといけない部分もあったが、喜びがあったことには変わりない。
良かった。
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社会を見ると、何かの組織がある。
それが元になって、社会を動かしている。
その組織というのは、これは元は仲間と言っていいだろう。
「仲間」というものが進化していって、「組織」と呼ばれるものになった。
だから、組織というものは、仲間と言えるのだから、組織には仲間意識が重要だ。
だから、仲間というものには、人と人の連携意識が重要だと思う。
その「連携意識」というものの原点を探ると、これは「愛」だ、と言えると思う。
この「連携意識」と呼ばれるものは「兄弟愛」とか、「チーム愛」とでも呼べるものだろう。
人と人との密接なつながり合いだ。
そして、それは組織の中での人と人を結び付けあう糸とも言い換えれる。
相互に結びつけ合うちからは、やはり愛の糸だと思う。

最近の組織、つまり、私達がよく目にする会社とかをよく見ると、「就業規則」で人と人を結びつけあっているのを見る。
これは一種の法治主義だ。
本当の意味での「チーム愛」で人々をつなげているのではないのに気付く。
つまり、規則で人を縛っている。

これは、今の多くの国でもそうであって、憲法とか法律で社会の秩序を生み出している。
仲間意識で人々を結びつけあっているのではないように見える。
規則で人々を縛っているように見える。
法治国家は法治国家で、それはそれでいいことだろうけれど、やはり、多くの人々を「仲間意識」でつなげることが必要だと思う。
つまり、それは兄弟愛だ。
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だから、たまによく目にする優秀なチームでも、そのチームの内部の人々を見ると、あまり、規則で人が縛られていないのに気が付く。
そのチーム内での人々の目標が一つであり、あとは深い「仲間意識」で結ばれて、あとはひたすら目標に目がけて努力している。
(少しは、そのチームの内部で、意見の相違があるのは勿論だけれど。)

普通の大企業でも、深い「仲間意識」の元に結ばれている方が良いと思う。
最近の世界では色々と複雑な社会システムが出来上がってしまっているので、単純にスリム化された「仲間」というものを作ることが難しくなっていると思う。

だから、結構、人の少ない少数のチームが「少数精鋭」みたいな感じになって、そちらの方が、うまく目標に向かって邁進(まいしん)しているのを多く見ることが出来る。
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久しぶりに仲間に会って、色々と思った。
                      
            坂本  誠

八百二十八: 浄化について

八百二十四:清潔さについて』で、色々なものを清潔にすることを書いたのですが、「清潔さ」とか「掃除」とか「消毒」とか、「体内を綺麗にする」ということは、結局、「浄化しよう」の一言で言い換えられると思います。

全てのものが浄化されていたら、身体も病気をしないし、心の病気もしないし、地球の天変地異も起きないと思います。
二酸化炭素も人間の出したゴミだと言えますから。
色々なものが浄化されていたら良いと思うのですが、まず、一番最初に浄化されるべきは、自分の心でしょう。
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自分の心が浄化されていたら、身の周りのものが次第に綺麗になるからです。
その自分の心を浄化する手早い方法は、地球の美しい自然を見ることかと思います。
地球は無償で美しい自然を提供してくれています。
ほとんど誰もが、美しい自然を見たら、心が癒されます。

だから、「美しい自然を見る」というのは誰にでも出来る心の薬かと思います。
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また、美しい音楽を聞くことも大事かと思います。
綺麗な音楽を聞いていると、気持ちが良くなりますからね。
「心が洗われる音楽」という表現を聞いたりしますが、心が清められるでしょう。
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また、単純に音楽というのは非物質的なものであることに気付きます。
「目に見えないものは信じない」と言われる人もいますが、その非物質的なものの一つに音楽があります。

確かに音楽は物質的なものではありませんが、誰もがその存在を知ることが出来ます。
そして、その音楽に込められた精神を人は感じることが出来ると思います。

だから、言ってしまえば、音楽というのは一種の幽霊みたいなものかと思います。
目には見えませんが、確かに、誰でもがその音楽に一つのエネルギーと意志を感じるでしょう。
まるで生き物のように。
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自分の心が清まったら、そこから次第に身の周りが綺麗になっていくでしょうから、心を綺麗にするべきでしょう。
また、当然、美しい景色もずっと保存した方が良いかと思います。Shashin_4

            坂本  誠

八百二十九: 城

こんばんわ。
掌編小説を作りました。
『城』という作品です。
ホームページにして、そこに一括掲載しています。
以下、そのURLです。

http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/shiro.html

            坂本  誠

2011年2月25日 (金)

八百二十六: 「まっさら」独白

人は自分の心を真っ白にしないといけない時があるようだ。
かと言って、自分の心を「無」にすることではない。
自分の心を本当の意味で、「無」の状態に出来た人はいないと思う。

単純に自分の心をまっさらな白紙のような状態にしないといけない時がある。
清純、汚れの無い心の状態とも言うべきか。

生まれたばかりの赤ちゃんは、普通、泣いているだけで、あとはあまり何もしていない。
その時の心の状態こそが、「まっさら」とでも言えるだろう。
しかし、赤ちゃんも手足を動かしていたり、少しばかりは他のこともする。
だから、赤ちゃんも心が「無」という状態ではない。
人は生きていて、その「まっさら」な心の状態を持たないといけない時が幾つかあるようだ。20110225165101
                      
            坂本  誠

2011年2月24日 (木)

八百二十四: 清潔さについて

おはようございます。

清潔さについて考える機会がありました。
古来の日本より、大和撫子(やまとなでしこ)の教えとして、

    「清潔さを心がけよ」    ●
   
というものがありました。
女性でしたら、清潔さを維持しようとするのは、わかりますが、上の言葉「清潔さを心がけよ」は特に、「身体について清潔さを心がけよ」とは書かれてありません。
清潔にするのは身体だけではないとわかります。
家の中の清潔さも上の●の文章に含まれるかと思います。
風呂場や台所を清潔にすると病気が少なくなったりするかと思います。
なぜならば、汚れた場所に菌が発生しやすいので、次第に人は病気になりがちになるかと思います。
ですから、病院の中でも風呂場とか調理場には、かなりの清潔さが求められています。

家の中の清潔さを保てば、病気も治るでしょうが、上の●の言葉だと、身体の中も清潔にしないといけないでしょう。
歯を磨くのはもちろんのこと、適度な運動を行い、血管内部の汚れを取って、糖尿病や高脂結晶を防いだり、新陳代謝を高めて、身体の内部も清潔にすると病気が少なくなるだけでなく、身体も美しくなるでしょう。

また、心の内部も清潔さを高めてゆくと、心も綺麗になりますから、その綺麗な心が自然と顔に微笑みとなってあらわれるでしょう。
その結果、他人から好かれるようになるでしょう。
また、昨今、流行っているノイローゼ等の心の病も少なくなるかと思います。

この調子で国土、つまり、土地を清潔にすると、やがて、流行り病も少なくなるでしょう。
たいていの伝染病というものは、どこかに汚染源があり、気温が温まったりすると、病が発生するからです。
ですから、ゴミの不法投棄はやめましょう。

その大和撫子の古来から伝わる「清潔さを心がけよ」とは、地球の上のすみずみまで摘要されるわけです。
特に「(どの部分の)清潔さを心がけよ」と書かれていないので。
ですから、人の語る言葉でさえも、清潔さを意識しながら、語らないといけないかと思います。

太平洋戦争の以前に生まれた日本の女性は、かなり、上の●の言葉を教えられたそうです。
しかし、戦後はその教えが少なくなったと聞きました。
しかし、私が見るに、この「清潔さを心がけよ」の教えが復活してきているように見えます。
もちろん、女性の間だけではなく、男性の間にもです。

            坂本  誠

八百二十五: 光

            光

    宇宙に  光が流れている。
   
    大きな河のように
    また、小さな川のように
    曲がったり
    くねったり
    伸びたりして
    流れ続けている。
   
    光が  まるで  煙のようだ。
   
    光なのに  音楽を奏でている。
    光なのに  喜びがあって、
    集まって、鳥の姿にもなる。
   
    形の無い  水のように
    全てのものに  光が宿ってゆく。

            坂本  誠

2011年2月21日 (月)

八百二十: 青空

こんばんわ。

今日は、2月の終わりぐらいですが、快晴でしたね。
そして、とても暖かかったですね。
澄みわたる青空を見ているとホッとします。
多くの人にとっても、落ち着ける天気だったのではないでしょうか。

暖かい陽射し。
暖かい青空。
暖かい風。
青空と陽射しと風の組み合わせにも、何か気付くことがあります。

青空が広がっていても、風が強かったり、陽射しが強すぎて、青空を素晴らしいものと感じることが出来ない日もあります。
また、色々な組み合わせにしてもそうでしょう。
だから、曇った日にも、色々な条件が重なって、良いものを感じることが出来るかもしれません。

色々と気象の激しい昨今ですから、こんな安らいだ日があると、落ち着いた天候に感謝できますね。20110221115925

            坂本  誠

八百十九: 共通点について

おはようございます。

共通点というものについて考える機会がありました。
人は誰でも共通点を持っています。
人の身体つきとかも、共通点といえるかもしれませんが、私達でも、遠い外国に行ったと仮定しましょう。
男女の身体つきは一緒でしょうが、かなり、異なる文化や風習に戸惑う人も多いはずです。
いや、戸惑ってばかりの人がほとんどでしょう。
なにせ、その地の言葉も違うでしょうから。

私達が、そういう土地に行った場合は、身体つきだけではなく、何らかの人間普遍の共通点を探さないといけなくなるでしょう。
そして、その共通点が一つの鍵となって、お互いに理解が進むかと思います。
その共通点について考えてみました。

私は神様が好きだから、その点はさらりと言えるのですが、人間の心の中の神性がキーポイントになって、お互いに理解が進むかと思います。
つまり、そのキーポイントが共通点というわけです。
今回は、有神論か無神論かの話ではないのですが、その手の話題を読まれたい方は、私が以前に書いた、「三十三:『神』と言う単語について」か「六百五十:無神論について」を読まれてください。

「きらめく神性」という美しい言葉があったと記憶しています。
その「きらめく神性」とは、愛とか勇気とか正しさとか美しさとか優しさとか丁寧さとか謙虚さとか素直さとか、ほとんど、人間の善とされる心の状態を意味しています。
人間は神様から生まれてきましたから、誰でも、この「きらめく神性」を心に持っているわけです。
ですから、私達が色々な土地に行っても、言葉や文化や風習がかなり違っていても、上の「きらめく神性」というのを相手の中に探して、それを手がかりとして、お互いに理解を進めたほうが良いかと思います。

しかし、誰でも経験があるでしょうが、この「きらめく神性」というものを常時、維持するというのは、結構、難しいことかと思います。
ですから、これも人が努力しないといけない部分ですね。
う~ん、考えようによっては、相当難しい話ですね。
でも、そこで難渋(なんじゅう)で、苦虫(にがむし)を、かみつぶした顔をせず、明るい陽射しのような笑みを持って、さらに心にも笑顔を灯して、それに励むべきかと思います。Img7d91a06ca4cb

            坂本  誠

六百十二: 矛盾について

こんにちわ。

矛盾と言ったら、話のつじつまの合わないことだと多くの人の知るところだと思います。
私は結構、「矛盾」という単語を使っていますが、私自身も「矛盾しているなあ」と思ったりします。
これは生きている人の多くが自分自身に対して、感じているのではないでしょうか。
どんな人でも自分の目標があって、今現在の自分自身はその状態と違っている。
その開きの差が矛盾と言えるかと思います。

         坂本 誠

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