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2011年1月

2011年1月31日 (月)

七百七十一: ビッグ・バン

こんばんわ。
宇宙の始まりはビッグ・バン(大爆発)と呼ばれています。
約150億年前にあった、と言われています。
物凄い大量のエネルギーが放出されたそうですが、私達がその光景を想像すると、想像を絶する凄まじいシーンであろう、と、推測するかと思います。
私はその光景を想像してみました。
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                ビッグ・バン
               
    真っ暗で  広大な闇の中
    一つの思いが  静かに述べられる。

    一つの爆発。

    全ての光と  全ての色と  全ての音楽と
    全ての物質と  全てのエネルギーの爆発。

    全てのものが
    同時に奏でられる  シンフォニー。
    太初のオーケストラ。

    闇に打ち上げられた
    一つの  愛の花火が
    オーケストラとなり、広がっている。

    色が楽器であり、楽器がエネルギーであり、
    エネルギーが色となる。

    それら全てのものが
    一つの唄を  歌った  ビッグ・バン。

    全ての
    色と物質とエネルギーと光の手が
    取り合って、
    一つのダンスを踊り続けている。

    ビッグ・バンが
    そのまま
    今も続いている。 Big_ban_2_3

 

 

 

 

坂本誠 作『ビッグ・バン』

            坂本  誠

七百六十八: 書くことについて

私も何をか書いている時に、一番重要なことは書く主題を思いつくことです。
あまり、面白くない主題を考え付いて、それについて書いても、当の私自体があまり楽しい気持ちになりません。
ですから、面白い主題を考え付こうと努力しています。
「主題を思いつく」ということは、やはり、一種の閃きでしょうか。
どんな状態でもいいのですが、自分が少しだけボンヤリしていることに気付きます。

昔から、「トイレの中、車の中、ベッドの上」で、しばしば良い考えが思い付く、と言われていますが、その時が多いようです。
なぜならば、少しボンヤリしているからです。
で、思い付いた後は、まっしぐらに、それについて書いていきます。

私が二番目に重要かと思われる点は、「書くことにより自分自身を救いたがっている」という点でしょうか。
ちょっと変な感じですが、「言葉」と呼ばれる単語は、日本では昔は「言霊(ことだま)」と呼ばれていました。
つまり、「単語の中に、ある種の雰囲気が宿っている」と。
つまり、その美しい言葉を自分の口から発すると、自分自身が清められるように思います。

毎日、毎日、「美しい、素晴らしい、綺麗だ、尊い」等の単語を口ずさんでいると、なんとなく自分の心が清められるかと思います。
その反対に、毎日、毎日、悪い言葉を発してみると考えてみましょう。
その手の悪い雰囲気の単語を紹介しても、読者の方々の心持ちも良くなくなるので、あまり紹介しません。

だから、自分自身で言葉を発する時に出来るだけ、美しいと思われる単語を使っていたら、自分自身も素晴らしく、美しい心持ちになってきて、幸せになれるかと思います。
だから、自分自身も、その言霊のちからによって、自分を清めるために、書いています。
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あと、もう一つ思い付くことは、しばしば書いていますが、パソコンで書く時よりも、ノートとペンで書いている時の方が良いようです。
これも、しばしば書いているのですが、その上の理由がいまだによくわかりません。

パソコンだと、タッチタイプの時のカチャカチャと鳴る音が良くないのかもしれません。
ノートとペンだとほとんど無音です。
精神集中を行うためには、やはり無音の環境を人は欲するでしょう。
だから、ノートとペンの方が良いのかもしれません。

しかし、そのノートとペンで書いたものを清書をするためや、他の作業をするためにも、パソコンを使用します。
これも、やはり一興と思い、前向きにパソコンを扱うべきかと思います。20110131180316

            坂本  誠

七百六十七: レア・アースの問題点など

最近、「地球から産出される貴重な金属に高い値段などが付けられて、多くの人が困ったりしている」と、テレビなどで見かけたりします。
『レア・アース問題』とも言われています。

電話や車などによくその貴重な金属が使用されていると聞きます。
貴重な金属の産出量の問題もあるでしょう。
しかし、私は思うのですが、そんなにたくさん電話や車を作らなかったら、その貴重な金属の値段は高くならないかと思います。
なぜならば、そんなにたくさん電話や車を作っているから、貴重な資源が枯渇してゆくのでしょう。
だから、その資源が希少になり、高い値段札が付けられるわけでしょう。

別に電話や車ではなく、他の製品にも、色々な貴重な金属が使われるわけでしょう。
だから、私が思うに、「製品をたくさん作りたい」というよりも、「おカネをたくさん得たい」と思っていると、結局、たくさんの製品を作ってしまい、その地球の貴重な金属が少なくなり、結局、その貴重な金属の値段が上がり、人々自身がそれによって苦しむのでしょう。

だから、そんなにたくさん製品を作らない方が良いかと私は思います。
古くなった電話や車を解体して、資源を再利用するのも限りがあるから、新たなものを輸入しようとして、『レア・アース問題』などが起きるかと思います。

別にその貴重な金属でなくても、石油でも同じかと思います。
どんどん人が石油を使い続ければ、やがて、石油も枯渇し始めて、少なくなったら、「石油も貴重な金属となった」となるのでしょう。
石油でなくても、他の資源も同じ事が言えるかと思います。
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見ようによっては、資本主義が資本主義そのものの首を絞めているように見えます。

日本の平安時代の貴族の社会が、貴族の考えでずっと生活していたら、貴族中心の社会が終わって、サムライの世界が生まれた。
そして、サムライの世界も、サムライの考えで、ずっと生活していたら、江戸時代に入って、現実上、サムライの世界が終わった。
江戸時代にはサムライは現実、役人になっていた。

その時代、その時代で、その時代の中心の考えがあるのですが、当のその時代のものの考えが、自分自身を終わらせてゆくのに気付きます。

時代というのは、どんどん進化するからです。
例えば、仮想上のどこかの国が、「船を中心に作る国にしよう」と、国の方針が固まったとしましょう。
最初の頃は、造船技師を育てるための学校を作ったり、造船会社を増やしたりするでしょう。
そして、技術者が増えて、どんどん、船を作っていって、国の方針である「船を中心に作る国にしよう」という目的が達成されるでしょう。
しかし、ある一定の程度を超えれば、「船を作り過ぎた」となり、つまり、生産過剰になって、国全体の歯車がうまく回らなくなるでしょう。
上の日本の貴族とサムライと同じですね。
だから、上の国の方針である「船を中心に作る国にしよう」を変更しないといけなくなる。
何か別の扉を開けて、別の方面に目を向けないといけなくなる。

資本主義もそれと同じ感覚になっていると思います。

たとえ、この時代の方針が終わり、資本主義の考えが終わり、仮にABC主義とかいう主義が確立されても、やがて、そのABC主義も変更を余儀なくされるかと思います。
上の考えのように。

だから、この感じは「輪廻」とも呼ぶべきものかと思います。

            坂本  誠

愛と光

2011年1月1日に『七百二十一:音楽の輪』を掲載した時に、詩『愛と光』も同時掲載しました。
しかし、『七百二十一:音楽の輪』はカテゴリーが「音楽」になっています。
本来、詩は『詩』のカテゴリーで掲載したいので、詩『愛と光』を切り出して、『詩』のカテゴリーの方にも残して置きます。
他にも、『芸術』のカテゴリーにも幾つか詩を載せていますので、切りの良い頃に、『詩』のカテゴリーの方にも再掲載しておきます。
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            愛と光

    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように  触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が  織(お)り合わされる中、
    速くもあり  遅くもある
    一つの  やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に  のせて
    光と愛が
    私達の胸に  やって来る。
    一組の男と女のように。

            坂本  誠

七百六十六: 本当の問題点

『本当の問題点』というサブタイトルなんですけど、私達が様々に生きていく上でかなり、問題点を抱えてしまいます。
私も色々と語っているジャンルがあるわけですけど、その

    「人間にとって本当の問題点とは、これだろう」
   
と、私は考えているのですが、この上の文章の中の『これ』に値するものの目星は、大体、私は付けているのですが、私は、あえてそれを書かない方が良いかと思うのです。
これは読者の方々が、色々な情報を手に入れて、個々の方々が、それに対する解答を持った方が良い、と私は考えるからです。

運命とはたった一つであるのか。
それとも、運命とは無数にあるのか。

そんな言葉が頭をよぎりました。
                              
            坂本  誠

七百六十九: 媒体について

「媒体」というものについて考える機会がありました。

「媒体」というものは、一種の素材と考えて良いかと思います。
ヨーロッパの中世の美術家達の大抵の自分の美の表現手段は、自分の目の前にあるキャンパス(画布)と絵の具だったかと思います。
その他、彫刻もあったでしょう。

しかし、現代では、その媒体にも進化がなされています。
テレビの中で自分の美を表現しても良いわけです。
あるいはパソコンの中で自分の考えた美を表現しても良いでしょう。
先史時代にストーン・サークルや、その他何かの巨石文明と呼ばれている大きな石で作られた祭壇が残っているのを見かけます。
それらは祭壇とも言えますが、一種の美術表現でもあります。
だから、「大昔の美の媒体は石であった」、とも言えるでしょう。

また、音楽にしても、かなり変化が起きていると思います。
大昔は単純な太鼓のような打楽器だったかもしれません。
でも時代が進むに連れて、ヴァイオリンや立派なフルートやその他、色々な楽器が発明されたと思います。
現在では、コンピューターと絡ませて、シンセサイザーの音楽も多いです。

まだまだ時代が進むと、美術や音楽の媒体手段も変化するかと思います。
しかし、その媒体手段が変化しても、あまりそれ自体は重要なことではないかと思います。
ヨーロッパの中世のルネッサンスの絵画でも、今見ても素晴らしいものは幾つでもあります。

だから、媒体自体には、あまり重要な点を見出せないでしょう。

もし、人類が遠い未来に遠い星に行ったら、そこにはまだ何も無くて、岩や石だらけだったとしましょう。
そうしたら、その星に降り立った美術家達は、まず、その岩や石を使い、美術表現しないといけないでしょう。
上のストーン・サークルのような巨石文明のように。20100506144038

美の本質とか文学の本質自体には、媒体というものは若干は影響があるかと思うのですが、媒体にとらわれること無く、何かを表現しないといけないかと思います。

            坂本  誠

七百七十: 浅い眠り(独白)

おはようございます。
今度は熟睡の代わりに浅い眠りを得ました。
浅眠(せんみん)というものですね。
誰でも、熟睡することもありますが、浅眠も誰でも経験しているかと思います。
その浅い眠りを終えて、起床したのですが、眠ったような、意識が覚醒していたのか、よくわかりませんでした。
ただ、夢を一晩中見ていました。
ここまでくると、夢でもあり、また、半覚醒の状態とも言えるかもしれません。

しかし、その夢の中でも、自分は自分でした。
夢の中で私が全く赤の他人になったわけではないです。
「自分自身の個性からは何人も逃れることができない」とショーペンハウワーは言いましたが、「その通りだ」と思いました。Img7d938f889c6e
                               
            坂本  誠

2011年1月29日 (土)

七百五十三: 『装甲騎兵ボトムズ』を見て

こんばんわ。

日本アニメの一つに『装甲騎兵ボトムズ』という作品があります。
これは、戦争アニメです。
私も色々とアニメや映画について語っているのですが、これは、本当の意味でのハードでシビアな戦争ものです。
しかし、実は恋愛アニメでもあります。

アニメですから、架空の世界を語っているのですが、かなり、相当に深遠なものを語っています。

架空のアストラギウスという銀河があり、そこでは長い間、戦争が続いています。
そして、キリコという男性が主人公なのですが、生まれつきに戦いの中に生きているのです。
そして、戦場で、彼はフィアナと呼ばれる女戦士と出会うのです。

物語の最後の方で、アストラギウス銀河の戦争を古来から司っている、ワイズマンという存在の後継者にキリコは指名されるわけです。

(この『装甲騎兵ボトムズ』の最後はハッピー・エンドで終わりますから、大丈夫です。)

まるで、ワイズマンが悪の神のように描かれており、そのちからをキリコが欲しようとしているように、最終回近くで演出されています。
キリコは、ワイズマンを騙すために近づいているのですね。
キリコ自身も鬼のような雰囲気を纏(まと)って。

しかし、フィアナはキリコを止めようとするわけです。

以下、最終回の辺りの迫真の、かつ、緊迫のセリフを引用しておきます。
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キリコ:  「なぜだ! あんたがワイズマンなら、なぜ、俺を助けようとしない!」
ワイズマン:「全世界を敵にして、かつ、自身のちからで、私の元にたどり着く者。それが私の跡を継ぐ真の後継者だ」

キリコ:  「あんたのちからが欲しい。異能者として、痛めつけられてきた、この俺に、、、俺は来た。来たぞ。ワイズマン。万能のちからを、そのちからを、俺は存分に試したい。全宇宙の全てのやつらに復讐するんだ。果てしの無い戦争と混乱。地獄を与えてやるんだ。この銀河の絶対支配。それが俺の望みだ。生きたまま、神となってやる!」

                    (以上、第51話『修羅(しゅら)』から)
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フィアナ: 「本当に、あなたはそれほどまでにワイズマンのちからが欲しいの? 無意味だわ! そんなちからを手に入れて、どうしようと言うの? これ以上、進むと、打つわ! あなたを殺して、私も死ぬ!」

                    (以上、最終回『流星(りゅうせい)』から)
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、、、
、、、
、、、

そして、キリコは最後にワイズマンの元に近づき、ワイズマンを倒すのです。

しかし、キリコといえども、フィアナと出会っていなければ、ワイズマンを倒せたかどうかはわかりません。

上のセリフから考えて、男が女の愛を裏切る時、、、
それがどんな感じがするのか、上のセリフに、にじみ出ているかと思います。
私は男性ですが、女性の人が、上のフィアナがキリコに向けるセリフを聞いて、どう思うでしょうか。
(男は自分を愛する女性の愛情を裏切ってまで、大きな、ちからを手に入れるべきでしょうか。)

そして、ワイズマンが欲しいものは、巨大な、ちからです。
そして、ワイズマンはその巨大な、ちからで人々を屈服させようとしている。
(「その姿自身が、もう神の姿ではないだろう」と読者の方々は気付くでしょうが。)

この最後の悪役のワイズマン自身が、自分を支配の神と錯覚して、人々に恐怖と戦争を与えているのですね。

そして、ワイズマンはキリコに倒されるわけですが、その際に

    「怖い、、、怖い、、、」
   
と言います。
つまり、人々に恐怖を与え続けていましたから、その最後は、自分も恐怖を感じたでしょう。
どこかの誰かのセリフだったか、覚えていないのですが、「人に恐怖を与えし者は、自らも恐怖を与えられん」と言う言葉があったかと思います。
この『装甲騎兵ボトムズ』で、人は戦争の恐ろしさと虚しさを垣間見ることが出来るかと思います。

しかし、その戦争のさなかで、一組の男女の愛も物語られているのです。
その一組の愛が、そのワイズマンを倒すことに、この『装甲騎兵ボトムズ』を見た人は気付くでしょう。
戦争という暗闇の中に浮かぶ一輪(いちりん)の男と女の、愛の光を人々は見るかもしれません。

キリコにも仲間がいた。
キリコはその仲間を助けたかったかもしれない。
しかし、最終回では、結局、己自身の戦争への反感からワイズマンを倒すわけです。
その戦争を嫌う理由は、フィアナがいなければ、湧かなかった、、、と、私は思うのです。
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誰でも、自分の心の奥底に潜む闇と闘わなくてはいけない時があるかと思います。
そして、私達はその闇に、共に、勝たなくてはいけないかと思います。

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            『いつも  あなたが』    (エンディング主題歌)
                               
                               
    さみしい  ときも
    かなしい  ときも
    いつも  あなたが  めにうかぶ

    ひとりの  ときも
    あいたい  ときも
    いつも  あなたは  むねのなか

    とおく  はなれて  いても
    たとえ  わかれて  いても
    このよの  ひかりと  ともに  まぶしく
    あのひの  あなたが

                                作詞    :高橋  良輔
                                作曲    :乾  裕樹
                                ボーカル:TETSU

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            Abcdef_4
            坂本  誠

七百六十五: 旅の面白さ

『七百六十二:旅人の旅』にも書いたのですが、旅人は旅が好きだから、自分にとって安住の地を見出せないのかもしれません。
しかし、私達も「疲れた」と思った時は旅に出たくなるもの。
美しい土地へ旅をして、何年もそこに居たら、逆に、その美しさを見出せなくなるかと思います。
だから、そういう人にとっては、自分の足元にある土地の美しさを見出すことが自分の次の目標となるかもしれません。
旅人にとっては、これが逆に難しい問題になるかもしれないですね。
自分の土地こそが、真に自分が旅をしたい土地であったとか。

「住めば都」という諺を聞いたりもします。
しかし、旅人にとっては、自分の住む土地こそに旅の最終目的を見出すことも、一つの意義があることかもしれません。
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ここからは軽い感じですが、長崎では今頃から「ランタン・フェスティバル」と言って、街の中に多くのランタンが灯されています。
幻想的な感じがするかもしれません。

人々に癒しの心を与えてくれるかもしれません。

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            長崎の夜

    寒い  夜空の下
    多くの  カップルが
    街の灯に  見とれながら、
    ゆらゆらと  さまよう。

    その男女の  想い自体が
    街に
    ほんのりと灯(とも)る  ランタンのよう。
    ランタンから  ランタンへ
    男女の想いが  静かに飛び交う。
    光る綿帽子(わたぼうし)のように。
    光るタンポポのように。
    光って  遊ぶ  冬の白い妖精のように。
    花から花へと  飛び移る  蝶のよう。

    男女の想いが  多くのランタンと  かすみ合う。
    ランタンと淡い雪が  重なる。

    ランタンの  ほのかで
    静かな  光自体が
    揺れ動く  男女の想いのようだ。

    光のお花畑。

    寒い夜空の下に  咲いた花々か。

    静かな光達が
    色とりどりの  饗宴を奏でて
    重ね合わされてゆく。

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                        長崎
                        
                                        聖母に
                                       
    屋内の人々が  心を清めている。
    組み合わされた両の掌。
    そこから  一つの線が  天に向かって
    羽ばたき  飛び立っている。
    それらの多くの線を
    街の上に立つ
    巨大な女性が
    胸で受け止めている。

    洋風の館から  流れ出す気。
    カステラの味が  宙に漂っているかのよう。
    孔子の廟から  線香の匂いが流れている。
    北京ダックの味が  舌をかすめる。
    社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
    龍の動きの線が  社の外に流れ出す。

    西洋から来た時と
    中華から来た時と
    日本から来た時が  流れている。
    何本かの時が  交錯し続けて
    大和(やまと)している。

    おわんのような大地に
    夜  家々の放つ  光が共鳴し合い
    何本もの時が行きかう様を
    街の上から
    巨大な女性が  静かな笑みを浮かべて
    見守っている。

    かつて
    その女性は
    やさしさ故にか  甘んじて
    プルトニウムの臭いも嗅いだ。

    しかし
    プルトニウムの臭いは
    人々の心までも
    毒することは出来なかった。

    今、幾つもの笑顔が  行きかい
    混じり合う様を
    彼女は  静かに  見ている。

 20110125193209

            坂本  誠

七百六十四: 金融政策とその他のこと

現実的な話題です。

「10年前の日本銀行の政策が、10年後の現代に公開される」というニュースを見ました。

まず、最初に当時の政策がいかに、その後の数年間に影響を与えるものかを見ました。
この影響についても、多少、驚きを感じました。
それと同時に、「これは一つの密室政治なのではないのか」とも思いました。

というのも、人間の方がおカネに関する用語を、「これでもか、これでもか」と言うほど、作っているからです。
「金利」と「利子」はほとんど同じ意味を持っています。
それなのに、人間の方が様々に、「これは何のおカネ、あれは何のおカネ、それは何のおカネ、これらは何のおカネ、、、」という具合に、相当大量の金融用語を作っているのに気付きます。

これだと、多くの人が混乱するでしょう。
また、この調子だと、相当大量の金融用語を学んだ者で無いと、金融関係のことを、つまり、経済のことを考えられなくしているでしょう。
一般の庶民に対して、かなりわかりづらくしている。

これだから、金融詐欺とかも発生していますよね。
だって、ある人が難しい金融用語を乱発して、庶民に語れば、人々が騙される可能性も大きいわけです。
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「競争によって、人々の間の技術の進歩が高まり、人々は勤勉になり、向上性を持つ人々になるであろう。かつ人々の暮らしが豊かになるだろう」という考えも一つには理解できます。
なぜならば、全く、死の無い世界で、食べ物も自動的に生産され、衣食住に全く困らない、という生活を人が送れば、人は努力しない存在になるかと思います。

しかし、「競争も無いが、人々は自らを切磋琢磨し、己が技術を磨き、それを持って、周囲の多くの人々に奉仕する」という世界が出来上がれば、おカネの必要性も無いかと私は考えます。
この状態だと、人々は競争する必要性も無いでしょう。
この状態で自分の作ったものを多くの人に分かち合えば、何のトラブルも起きないかと思います。
当然、自分の作ったものを多くの人に分かち合っているので、自分も多くの人から多くのものを頂けるという状態になるでしょう。
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それどころか、おカネの存在が逆に人を不幸にし出しているでしょう。
海賊とか山賊とかが、自分達の山賊行為を、

    「私達は、おカネが欲しいので山賊行為を行った」
   
とも、言っているらしいです。
つまり、人々の間の不平等感や格差の問題が、怖いまでの犯罪行為までに高まっていることに気付くでしょう。
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私達、人間の要(かなめ)の問題とは、

    「人々は自らを切磋琢磨し、己が技術を磨き、それを持って、周囲の多くの人々に奉仕する」  <---●
   
これでしょう。
自らも努力し続け、多くの人を愛し続ける。
これが人間のクリアすべき大きな問題の一つかと思います。
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しかし、地球の上には3大人種と3大宗教と多くの民族もいます。

上の●を多くの人々が目指しながら、3大人種と3大宗教と多くの民族の違いを乗り越える、これが地球の上の最大の課題かと私は考えます。
ひょっとしたら、上の●の状態をある地域だけで成し遂げることも可能かもしれない。

しかし、地球の上には、様々な民族がいるわけです。

普通、私達が街で外国人に会っても、「ああ、私達と同じ普通の人だ」と思うことが多いでしょう。
それと同じように、「全ての人間は、平等に造られている」の精神を持って、上の●の状況を目指せば、地球の上から戦争も無くなり、格差の問題も消えて、人々を悩まし続けるおカネの問題も消えるかと思います。

おカネがこの世から消えても、人々は自分で自分の職業に磨きをかけますから、不断に技術の向上と進歩が行われてゆく。
そして、助け愛の精神もあるから、人々が餓えて困ることも無い。
また、人種と宗教と民族の違いも、ここに来て消えましたから、戦争も起こることも無い。

現代に「戦争をしたい」という人々も、これも「おカネ(富)が欲しい」というのが、ほとんどの動機らしいですから、おカネが人々を幸福にする道具と言うよりも、おカネは人々を不幸にする道具だ、とも言えるでしょう。
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しかし、人間の肉体から発せられる欲望を抑えないといけないかと思います。
なぜならば、おカネがこの世から消えたと仮定します。
そしたら、店に並んでいるたくさんのケーキをトラックに山積みして、持ち帰る人も出てくるかもしれません。
そして、朝から晩までケーキを食べる人もいるかもしれません。
しかし、その人は、やがて糖尿病や高脂結晶や高血圧になり、大変な苦痛を味わわされるかもしれません。

だから、一つは人間の肉体から発せられる物質的な欲望を消すことも、また、もう一つの重要な人間の課題かもしれません。

まとめたら、

1:人々は自らを切磋琢磨し、己が技術を磨き、それを持って、周囲の多くの人々に奉仕する。
2:多くの人種と宗教と民族の違いを乗り越える。
3:自分の欲望、執着の心を消す。

この3点がクリアできたら、地球は本当の意味で理想郷になるかと思います。
さて、それが出来るかどうか、、、
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しかし、この3点を多くの人が乗り越えても、また、人々の間に新たな課題が出来るでしょう。
一つの問題が終われば、また、もう一つの課題が出来るのは誰でも経験していることでしょう。

しかし、地球の私達、人間が本当に直面している現在の課題は、上の3点かと、私は思います。
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と言うのも、自分の子供を持った時のことを考えてみましょう。
自分の子供に何らの不自由の無い生活を与えると、その子供は努力する人になるでしょうか。
ある程度、何らかの不自由で、苦しい状態を与えないと、子供は努力する人にならないでしょう。
ちょっと厳しいですけど。
例えば、「おカネが無ければ死ぬ。だから、必死でおカネを得る努力をしないといけない」と、なると、その手の努力をするかもしれない。

だけど、ある程度、自ら努力出来る人になれば、おカネ無しでも、必死に努力出来る人にならなければならないかと思います。
逆に、「おカネ無しでも、あなたは努力出来る人になれますか?」というのが、より高次の人の課題となるかもしれません。
今までは、おカネを得ることが努力の目標だったかもしれないですが、さらにその上の、

    「おカネ無しでも、私は努力することの出来る人なのだ」

と、なれば、その人のその努力の質の方が上かもしれません。
より一段階上の努力のあり方かと思います。
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ある程度に達せれば、『真・善・美』を愛する心に至らなくてはいけないかと思います。
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たまに、この手の話をしましたので、あの文章を引いておきます。
時々、思い出すことも良いことかと思います。

            日本国憲法
            
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
、、、
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

            アメリカ独立宣言
            
われわれは、次の真理を自明なものと考える。
すなわち、全ての人間は、平等に造られている。

                            (翻訳は㈱有斐閣の『六法全書』より)Img7d939bd680e
                           

            坂本  誠

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