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2010年10月

2010年10月30日 (土)

六百三十七: 不可能を可能にする人

こんばんわ。

「不可能」を可能にしようという勇気ある人々のことについて考えてみました。

例えば、「占い」というのは、昔の世の中から伝えられていることです。
例えば、その占いで、占い師が私(坂本誠)に

    「坂本誠さんは、私(占い師)の今月の占いによると、大凶だと出ている。だから、坂本誠さんは、今月は行動を控えめにした方が良いでしょう」
   
と親身に優しく伝えてくれる占い師がいたとしましょう。
ですから、私としては、今月を控えめな生活にした方が無難と言うわけです。

その占いの当たる確率の問題もあるでしょう。
だけど、まあ、占いの通りに行けば、私(坂本誠)が行動を起こさずにいると、私は何となく安心無事な生活を送れるのではないでしょうか。
少なくとも、その月は。

ですが、あえて、その困難が予想される月に、何かの行動を起こし、遠い未来になって、自分で納得の得る成功を納めるしましょう。
すると、その成功の価値は、占いの域を超えて、つまり、占いの法則をも超えるほどの成功を得たと言えるのではないでしょうか。

普通は、人は占いの予測が当たると喜ぶでしょう。
未来の予測が出来たと。
しかし、未来の予測が出来る人にとっては、その未来の予測が立てられることを不満に思い、あえて、未来の凶と呼ばれている日に行動を起こすものではないでしょうか。
この周囲の予測を超えた成果を得ようとしている人は不可能を可能にしようとしている人と言えるかもしれません。

だけど、考えようによったら、そんな人は、ちょっと変わった人かもしれませんね。
そんな人は左腕にサイコガンが付いているかもしれないですね。

         坂本 誠

六百三十六: 母性について

『六百三十五:小さな悪について』の途中から、母性について書いていたので、この段は母性について書いてみることにしました。
私、坂本誠は男性ですが、なるべく母性について感じたことを書いてみます。

今(2010年)、日本のGNP(国民総生産)の数値が下がっていると聞いています。
私が学生の頃は、ずっと日本のGNPは世界で2番目でした。
このGNPは、やはり、物指(ものさし)の一つだと思います。
GNPは一種のテストの点数の高さだと思います。
私の学生の頃も、「テストの点数は高い方が良い。だから、テストの点数の高い方向を目指して、努力すべきだ」と誰も彼もが、暗黙の内に思っていました。
しかし、これはテストの点数の低い人の気持ちや内心を考慮した考えではないことに気付きます。

学校の中でテストの高い点数を取っていた人が、段々、低いテストの点数を取るようになった人も多いと思います。
その人は傷つき始めるのですね。
「テストの点数は高い方が絶対に良い」と多くの人が強く思い込んでいたら、その思い自体がテストの点数の低くなるその人自身の心を苦しめるわけです。

今の日本は、このGNPが下がってきていますから、多くの日本人は、その苦しい思いを抱いている人もいるかもしれません。
少しずつ劣等感を抱いているかもしれません。

だから、やっとここに来て、はじめて、多くの人は

    「テストの点数の高さが万能ではないのだ。偏差値が万能ではないのだ」

と、知るかと思うのです。
GNPの高さで各国が競争しているのですから、この競争の度合いに日本が負け始めているのですね。
敗者の苦しみを、日本が知り始めていると思うのですが、敗者の苦しみをやさしく受け止めるのは、やはり、母性豊かで、やさしい母の存在でしょう。

昔の漫画で、教育ママと呼ばれる女性が、我が子にテストの点数の高さのみを追及するという厳しい女性も描かれていたかと私は記憶しています。
しかし、やはり、母性豊かな女性ならば、

    「テストの点数が少し悪くてもよい。お前はよく頑張りました」
   
と言って、我が子を褒めてやるのが、理想の女性かと私は思うのです。
そして、その女性が

    「私がまた、何度でもお前をなぐさめてやるから、また頑張りなさい」
   
と言って、我が子を送り出すのが、本当の母性かと思うのです。

だからと言って、その戦場(競争の場)に送り出すのではなく、その戦場を無くし、世の改善のために、その子は努力しないといけないかと思うのです。
競争の場を作り出しているので、格差の世界が出来上がり、GNPというテストの点数の高さや低さに多くの国が苦しんだり、様々な問題点が出来上がっているかと思います。
その多くの苦しみを消すための努力をする子と、それを励ます母が必要かと思います。

         坂本 誠

ダンサー

                        ダンサー
                        
雑踏の中の
小さなカクテル・バーに来ています。

薄暗い店の中。
グラスの中の赤いカクテル。
赤いカクテルの中のチェリー。

ピアノの音が流れています。
グラスを片手に持って
ピアノの音に沿って
グラスを揺らすと、
チェリーが音に揺すられて  踊りだすかのよう。

赤いカクテルと言う空間の中で
ピンクの踊り子が
静かに舞います。

疲れを癒してくれます。

                       詩集『赤い炎と青い水』より

                        坂本誠
                        

六百三十五: 小さな悪について

ちょっとした小さな悪について、考えてみました。
例えば、車から投げ出されている空き缶とか。
あるいは、ある車がある道路の制限速度を時速20キロメートルで超えていることとか。
これらも小さな悪と言えるかと思います。

しかし、上の空き缶の件でも、ゴミの不法投棄だとして、その車のナンバープレートの数値をメモり、検察に告発すべきでしょうか?
また、上の制限速度を時速20キロメートルで超えている車についても、罰金を取られるほどの小さな悪ですが、それも告発すべきでしょうか?

そうなると、その人は、その人の心に寛容の心、つまり、やさしさの心が無いことを意味していますね。
悪は悪だけど、それを許す心も必要だと気付きます。
だけど、その小さな悪を放置していたら、海岸がゴミで埋まるような事態にもなりますから、小さな悪をどこまで許すべきなのか、ということも問題になると思います。
そして、その告発をするような人の近所に住んでいる隣人は迷惑でしょう、きっと。
隣人の人からしたら、「そんな小さなことで、刑事告発をするなんて、面倒この上ない」と言うでしょう。
だから、考えようによると、その小さな悪を見過ごせない程の潔癖な人の心自体が悪と呼べるかもしれません。

他人の小さな悪を許すという、広くて、やさしい心も必要ですが、その小さな悪が少しずつ大きくなってしまい、大きな悪と呼べるべきものにしてはならない厳しさも同時に必要になってくると思います。
また、悪というものも犯すべきものではないですが、「生きている間に悪を一つも犯さなかった人が一人もいるだろうか? いや、いないだろう」という自問自答をすることになります。

う~ん、、、ここまで、考えていたのですが、、、
この文章を読まれている読者の方は、

    「今、ネットの向こうで坂本誠さんは、さぞかし、難しそうな顔付きをしているに違いない」

と思うでしょう。
はい、そのとおりです、、、。
ひょんなことから難しくて厳しいことを考え付いたのですが、自分に厳しくあった後は、豊かで温かい母性にくるまれるべきかと思います。
人間、笑顔も大事ですしね。

今、世の中で色々とあっていますけど、豊かな母性でくるまれるべきかと思います。
今までは男性中心の世界で荒々しい世界だったので、争いが続き過ぎたと思うのです。
だから、その結果、荒い荒い世界が今でも出来上がっていると思うのです。
「男性中心の世界でなく女性中心の世界へ」と言ったら、少し語弊があります。
「女性中心の世界」と言うよりも、「母性中心の世界」と言うべきですね。
それを作って、世界中をやわらかな波動で包んだ方が良いかと思います。
そしたら、冒頭に挙げたように、「小さな悪がどうの、、、」なんていうのが、治まるかと思います。
つまり激し過ぎる波動の世界を終わらせたら、難しいことを考えなくても良くなるかと思います。
男性中心の世界だったら、一種の争いの世界ですから、その余波をかって、学校の中でも、社会の中でも色々と争いが絶えないと思うのですよ。
一種の丸い世界ですね。
丸い世界を作り上げる努力をするべきかと思います。

「競争に勝つことこそが、この世で一番素晴らしいことなのだ」という考えでいると、それは戦国時代そのままの世界かと思います。
今、世界を見ると女性首相が生まれてきていますけど、これも一種、正しいことではないかと、私は思います。
今まで私達は、「正しい競争とは何か?」ばかりを考えてきたと思うのですけど、「正しい母性とは何か?」は、あまり考えてこなかったかと思います。
ですから、女性首相になる人がいるとしても、豊かな母性のある人が望ましいかと思います。

         坂本 誠

六百三十四: 最近の美術界

美術館に行って来ました。
そして、現代画家の人々の絵を見て来ました。
素晴らしかったです。

レオナルド・ダ・ビンチのルネッサンスの時代は、どれだけデッサンのちからが優れているかが絵の素晴らしさの決め手となったでしょう。
時代が経つにつれて、

    「見ているものを単に描写するだけでは絵画とは言わない」

ということで、ピカソのように抽象画などが生まれたのでしょう。

その絵画の進歩は今でも続いています。
例えば、今回、私の見た展覧会では、これはあくまで一つの喩えなのですが、空を飛ぶ一羽の鳥が描かれているとですね、その絵のタイトルを見ると、「心」と書かれてあるのですね。
つまり、絵から詩が生まれたり、ないしは、それらの合作もあります。

上に挙げたのは、あくまで一つの喩えなのであって、要するに、絵を描くのに、頭を使っている、と言えるでしょう。
他にも様々な工夫を美術作品の中に見ることが出来ます。

だいたい、子供の方はインスピレーションが豊かで、アイデアの良い作品を見ることが出来ますが、そのインスピレーションを大人になっても維持し、専門の絵の技術を使って描く画家の方々に敬服します。
広がるイマジネーションと高まるインスピレーション。
美術界の進歩が伺えます。
そして、作者の純粋に美しい心が美しい作品を生み出しているのに気付きます。Sun

絵は『sun』    坂本誠 作

         坂本 誠

六百三十三: 無筆

こんばんわ。

ここ、しばらく、ブログの方を都合もあって、更新しませんでした。
別の用事もあったのですが、更新しないで、世の中の流れを見ていました。
まるで、暗闇の中で静かに耳をすませるように。

物凄い勢いで、世の中が流れているのに気付きます。
そんな時は自分自身も世の流れに巻き込まれて、正常に物事を見ることが出来なくなったりします。
そんな時は、自分の心の流れをピタリと止めて、世の流れを見て、適確な考えを持った方が良いかと思います。
禅でいう止観瞑想と言って、時代の流れや人の流れから抜け出て、自分の周りの出来事の本質を捉えるのですね。

今の世は「情報の洪水」とでも言うのでしょうか。
それだけ、世に起きる出来事の量も凄い数に上っているのに気付きます。
だから、情報も洪水状態なのですね。
何が真実か。
それを見極める一つの方法として、一歩世界から抜け出て、真実の自分を見つめて、自分の今の状態とそれから、何が自分の目標だったかを再確認した方が良いかもしれません。
その後で、世界の出来事を眺めたら、情報の取捨選択が出来るので、自分にとって本当に重要な情報は何かがわかれば、自分の周囲の出来事をスリム化することが出来るかもしれません。

大事なことに気付くのですが、普通に生活をしていて、多くの人々にとって大事なことは、捨て猫や捨て犬を見て、

    「かわいそうだなあ。何とかしないといけないなあ」
   
という、さりげない愛の思いを持つことが一番大事だと思います。
今は捨て猫や捨て犬をどうにかしてあげられなくても、心の底で思いやりの気持ち、愛の気持ちを持つことが一番大事かと思います。20100821124445
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あと、荒れた時代が続いていますから、こんな時はイチゴ牛乳のような甘い飲み物を飲んだら、心もまろやかになるかもしれません。
「甘いものは控えた方が良い」と言われていますが、こんな時は甘い乳製品を取った方が、心が静まるかと思います。
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また、つれづれなるままに、筆も取らないで、世間に流れる良い事悪い事を、そこはかとなく見ていたら、変な感じに、ものぐるほしい気持ちになってしまいました。

         坂本 誠

六百三十二: 奇跡について

奇跡について考えてみました。
本によると昔のモーゼ様やイエス様が、空中からパンを出したり、マナという食べ物を降らしたり、病人の病を治したり、海を割ったりするという奇跡を行ったそうです。

遠い昔の話ですが、ここではこの奇跡が起きたと仮定して、

    「どうやったら、そんな奇跡を起こせたのか?」

という方法について考えてみました。

上の奇跡で共通したことを考えてみると、モーゼ様やイエス様も自分の欲のために一切、奇跡を使っていないことがわかります。
空中から食べ物を出して、多くの人のお腹を満たそうとしています。
つまり、多くの人のために奇跡を起こそうとしています。
また、イエス様も他人の病気を治すために奇跡を起こしています。
モーゼ様が海を割ったのもユダヤの人々を襲ってくるエジプト軍から逃れさせるために、海を割らせて道を作ったわけです。

つまり、一切、自分の欲のために奇跡のちからが起きていないのに気付きます。

イエス様の時代でもおカネがあったそうです。
もし、イエス様一人が、大金持ちになりたかったのならば、空中からおカネのコインを降らせたでしょうが、実際、そのような奇跡は起きなかったわけです。
つまり、多くの人々のために奇跡のちからは起きるようです。

ちょっとした自分の考えをメモしておきました。

         坂本 誠

六百三十一: イスラム金融について

2010年10月23日のNHKの『海外ネットワーク』という番組の中で、イスラム社会の金融制度について、紹介されていました。

以下は番組の中で紹介されていたことです。
普通、私達の身近にある資本主義世界では、銀行が企業におカネを貸した後、ある程度、時間が経って、企業がその貸してもらったおカネに利子を付けて返さないといけません。
ところが、イスラム社会では「利子」が禁止されているのです。
その代わり、おカネを貸す組合(銀行)が、おカネを企業に与えて、企業がおカネを儲けた分、その儲け分を組合と企業が山分けするそうです。
この状態で、現在(2010年)、インドネシア等が繁盛しているそうです。

しばしば、私はおカネのことについて考えていますので、上のイスラム金融のシステムが将来の世界に何か影響を与えるかもしれません。
「世界にはまだまだ色々なシステムがあるのだなあ」と思いました。

しかし、テレビで一回見たきりなので、詳しくわからないのですが、「企業に赤字が出た際には、その赤字も山分けされるのか?」とか、色々と疑問も出てきます。

その辺は、少しずつ知りたいと思っています。
用語も聞きなれないものが多いのですね。
さすがにイスラム世界のことですから。

         坂本 誠

六百二十八: 無人駅について

私はなぜか知らないのだが、無人駅が好きだ。20101020162358
プラット・フォームがあるのだけど、普段は誰もいない。
がらんとしている。
街の大きな駅に行くと、多くの人でプラット・フォームや待合室が混んでいる。
そして、通路も人で混んでいる。
当然、駅の中に入るためには切符も買わないといけないが、無人駅だと切符を買わず、そのままプラット・フォームに入れる。

人気(ひとけ)が無く、がらんとしている。
どことなく廃墟に似ている。
その人がいない雰囲気がなんとなく奇妙な感じを自分に抱かせる。
それが面白い。
ちょっとした特殊な空間だ。

高速道路のサービス・エリアやパーキング・エリアも高速道路を走っている時しか、利用できないから一つの変わった場所だと思う。
今、私は無人駅の中のイスに腰掛けて、これを書いているのだが、こんな変な場所に来て見ると、自分のフィーリングも変になるので、それが面白い。
子供で言うなら、遊園地に来たような雰囲気だと言えるだろうか。
今、無人駅の「わび」と「さび」を楽しんでいる。

無人駅はよく田舎にある。
だから、周りを見ると、景色も良いし、空気も良い。
そして、たいてい単線の路線にある。
だから、列車がすれ違ったり、万が一の時のために、その無人駅の横に一つの引込み線と呼ばれるレールが設けられている。
だから、見ようによると線路がそこで終わるわけだ。
「線路は続くよ、どこまでも~」という歌があったが、それに反したもの、つまり、線路の終わりを見ることが出来る。
やはり、変わった場所に行くと常識破りのことも見られるわけだ。20101020162312

今、列車がやって来て、無人駅に停まり、幾人かの人を降ろした。

日本の「わび」と「さび」を追及したい人は、このような無人駅を訪ねるのも一つの手かもしれない。
                               
         坂本 誠

六百二十四: おカネについて_No.2

こんにちわ。坂本です。

ちょっと長い記事になりました。

またしても、おカネについて考えてしまいました。
どうしても、私の心の奥にあるうずきが、この件について考えさせるのです。

ある土地の難民を見ると、目が飛び出し、腹も大きく膨れて、栄養失調で、ほとんど治療も受けずに死んでゆく子供達がいるわけです。
つまり、貧しいから治療を受けられないのですね。

しかし、同じ事が日本でも起こっているのに気付きます。
例えば、中流家庭の病の人でも、富豪の家庭の病の人でも、受けられる治療の待遇に違いがあるでしょう。
そして、その中流家庭の病の人は最新の治療を受けられずに死んでゆく人もいるでしょう。
その人は富豪の家庭の人の受けられる治療を頂ければ、死なずにすんだかもしれません。
つまり、治療の受けられない難民の方と、大同小異かもしれません。
つまり、おカネについての差別が、今の日本でも多く見受けられるわけです。

別に日本の問題ではなく、海外の優れた治療を日本の富豪の家庭の病の人が、「おカネが足りない」という理由で受けられないかもしれません。
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もし、おカネの無い世界だったら、様々な最新技術が開発されても、世界中に様々に伝播して、それから、さらに様々な最新技術が生まれますから、世界中に素晴らしい製品が次々と生まれて、私達の生活をもっと便利にするかもしれません。
そのためには、「自分さえ良ければいい。他の人なんか、どうだっていい」という他人を見切ってしまう自己満足の哀れな心を捨てないといけないでしょう。
そうすると、『六百二十三:おカネについて』に書いたように、肉屋においてある牛肉は様々な品種改良が行われたりするでしょうから、肉屋においてある肉は全てブランド牛になるので、ブランド牛が絶滅することは無いでしょう。

問題は鉱物資源です。
この世からおカネの札(ふだ)が無くなったら、例えば、石油の乱獲が起こって、地球上の全ての石油が今すぐ無くなるかもしれません。

つまり、ある程度、これは人間の身体の方に問題があることがわかります。
これを読まれている皆さんも経験したことがあるかと思うのですが、

    「もっともっと物資が欲しい。物が欲しい」

と思ったことが無いでしょうか?
衣食住がこと足りているのに、物に餓えるというのでしょうか。

つまり、鉱物資源の問題とかも、人間の肉体から発せられる物資への強い欲望を抑えないと「物資の乱獲」という問題をクリアできないでしょう。

おカネの問題は物資の問題でもありますから、人間の強い欲を捨てないといけないかと思うのです。
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また、前、宝くじについて書いたことがあるのですが、1億円、宝くじを当てた人は、その時は嬉しいのですが、それを10万円使えば、もう、9,990万円です。
8桁のおカネが、もう7桁のおカネになるのですね。

つまり、たくさんおカネを持っている人は、そのおカネが「減る」という苦しみを持っているわけです。
その苦しみから逃れるためには、さらにおカネを増やし続けないと、その苦しみから逃れられないわけです。
だから、おカネによって、さらに欲望の深い世界が誕生しているわけです。

だから、富俗な人も富俗な人で苦しみがあるのですね。
そのおカネという数値を増やし続けないとその人に苦しみが訪れるのです。
やっぱり、これはおカネという器具の悪い点だと思います。
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つまり、今の世界はギブ・アンド・テイクの世界です。
「(おカネを)取る、取られる」の世界です。
太陽とブラック・ホールの関係に似ています。

やはり、私は全ての人が太陽がエネルギーを放出するように、お互いに愛を放出し合う関係のような世界になったら、この世は、うまく回転するかと思います。

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また、最近の本屋さんに行ってみると、経済学者のマルクスさんの本がよく売られているようです。
昔は、マルクスさんの本はよく売れなかったのですね。
なぜならば、マルクスさんの共産党主義自体が、おカネを否定するような考えだからです。
おカネを否定するような考えの本を普通、本屋に置かれたり、宣伝したりすると、その本屋が売れなくなったり、宣伝した人が儲けなくなったりするのが、怖かったのですね。
(でも、その「儲け」というものが、本当に人間にとって正しいことかどうか、もう一度、考えてみるべきかと思います。「自分の子供の命を救おう」という状況で、「儲け」というものを考える人がいるでしょうか? 自分の子供の重い病を取り除きたい人は、自分の持つ多くのおカネを支出していると思います。)

でも、マルクスさんの考えていたことのもう一つの面に、宗教の否定もあったと聞いています。
これは間違っていたと私は思います。
実際、これは今では誰でも「そうだ」と言うと私は思います。

実際、マルクスさんの考えを基に、旧ソ連とかが出来上がって、ロシアのキリスト教が全面的に否定されてしまったと思います。
それがやがて人々のものを考える自由を奪っていったと思います。

でも、宗教の否定という間違いを行ったとしても、経済のあり方や、その他の考え方が正しかったら、その方面での正しさは認められると思います。

誰だって、罪は犯しますから。
(罪の無い人間が、この世にいるでしょうか?)
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でも、私はさらりと言うのですが、人間の本当の繁栄とは、地球の上の人全ての繁栄だと思います。

私達が、ある大陸の人の貧しさを見ると、私達の多くは、「貧しくあったら、いけない。だから、多くのおカネが持つことが必要だ」と思ったりするんですね。
その難民の方々の苦しみを見て見ぬふりをしている。

それがまた格差問題を作るんですね。
「自分一人が繁栄したらいい。他の人はどうなってもいい。他の人は貧しくてもいい」と思っている人が世にまだ多いかと思うのです。
この考えは間違っていると私は思います。
だって、この考えは他の人を切って見放していますから。
本当の繁栄とは、たった一人の個人が繁栄する方向ではなく、全ての人が繁栄に向かう方向だと、私は思います。

他の人を見切って、「自分だけが繁栄すればいい」という考えの基に世界が動いていたので、こんなに問題を抱えた世界が出来上がったのですから。

格差の問題が、もう様々に地球の問題を作っているかと思います。
以前に述べたのですが、人権問題や、環境問題や、気候の問題も起こしているかもしれないのでしょう。
格差の問題、つまり、差別の問題が、地球をバラバラにしていると思います。

多くの人に様々な優秀な技術を伝播すれば、地球の人口爆発の問題も解決できると思います。
人口爆発の問題が地球全体を狂わせてもいるのですね。
だけど、その辺は、この文章を読んだ人ならば、これぐらいは考え付くかと思います。
さりげなく言ってしまうのですが、大変安価にコンドームやピルを分け与えれば、地球の上の人口爆発の問題を解決できるかと私は考えてしまいます。

おカネの問題を解決しようとすると、世界全体がスリム化するかもしれません。
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また、普通の私達でも、どうしても恋人が欲しくなり、恋人が出来たり、結婚したら、普通、どうしても子供が出来てしまうものです。
その恋人や夫婦にしても、今現在はとても幸せでも、自分の子供の養育費のことを考えてしまうと、顔が曇り、つまり、未来の世界のおカネのことを仮想して考えてしまうと、今現在が不幸になるのですね。
だから、容易に人々は夫婦の営みも出来ない。
つまり、これまた、おカネが地球の人々を不幸にしているわけです。
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おカネの問題に関して、身近な問題を再び挙げてみましょう。
求職活動をしている人が面接先で、面接官から、

    「うちの会社を選んだ理由は何ですか?」
   
と、志望の動機をよく聞かれるかと思います。
あの履歴書の欄にもありますよね。

で、その求職者は、その志望の動機を言う際に、

    「自分の生活費のために貴社を選びました」
   
という人は、ほとんどいないかと思います。
なぜならば、それを言うと、面接官からほとんど落とされるかと思います。
つまり、「おカネのために働きたいのだったら、他の会社で給与の良いところは幾らでもあるから。特にうちの会社を選んだ理由にならない」というのが、面接官の答えなんですね。
もっとも、面接官はその返答を求職者に決して伝えませんけど。
だから、求職者の方も、それがわかっているから、決して「志望の動機」を面接官に伝える際に、「おカネのために貴社を選んだ」と言わずに、何か適当な理由を、あらかじめ考えて、それを面接官に伝えているのに気付きます。
つまり、おカネの数値が職業の倫理観も狂わせています。
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また、おカネを中心に仕事をしていると色々と職場で不都合が起きたりするかと思います。
新しく職場に入ってきた人に、作業指示を出しても、嫌な顔で引き受けたりする人もいるでしょう。
それとは逆に、喜んで作業を受ける人もいるでしょう。

喜んで作業を受ける人は、その作業、つまりその仕事を本当にしたいからこそ、笑顔でその仕事をするでしょう。
つまり、おカネというものを度外視して、その作業を行いたいと思っているからです。
それとは逆に嫌な顔をして、その作業を受ける人もいるでしょう。
職場の人間関係の問題もあるでしょうが、その嫌な顔をして作業指示を受ける人は、最初から金銭目当てや何か他の目的で仕事選びをしている人が多いように見えます。

本当に与えられた作業を真剣にこなしている人は、その人の胸の奥底にある本当にしたいことが、そのまま、その職業になっているので、喜んで、その仕事をするわけです。
だから、仕事を終えた後で、はじめて給金が出るのですね。
しかし、最初から金銭目当てで仕事を選ぶ人は、その人の本当にしたい仕事とは限らないので、やがて、その職場から離れていくかと思います。
つまり、仕事を選ぶ段階で金銭(給与)を度外視してまでも、やりたい仕事がその人の本当の職業であるというわけです。
つまり、仕事=おカネではないと思います。
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以前のブログにも書いたのですけど、巷の光景に以下のようなものを見ます。

ニートと呼ばれている人に、周囲の人が「働きなさい」と言っているのですね。
この場合の「働きなさい」というのは、つまり、「おカネを稼げ」と言っているのであり、本当の意味で「世のため、人のために行動しなさい」と言っている意味で使用されているのではないのに気付きます。

やはり、おカネが世の職業の倫理感覚も狂わせていると私は思います。
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普通の会社員は自分の仕事について考えないといけないでしょう。
また、学校の教師は自分の教育方針について考えないといけないでしょう。
また、エッセイを書く人は自分のエッセイを書く内容について考えないといけない。
また、詩を書く人は自分の詩を、また、スポーツをする人、絵を描く人、政治家、、、その他、数え上げたらキリが無いほどの色々な人がいるのですが、それらの人々も、常に共通しておカネのことを考えないといけないので、私にしても、おカネのことを考えても良いわけです。
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要は、おカネの数値にも頼らず自発的に努力をし、そして、お互い同士に多くの人々のために働き、おカネの数値に沿って自慢することも無く、自ら太陽のようにエネルギーを放出し続け、そのエネルギーがお互いにお互いを満たし合う人々ばかりだったら、この世からおカネが消えるでしょう。
う~ん、だけど、そのような人々の集まりと言うのは、これは、もうイエス様やモーゼ様みたいな人ばかりの世界だと言うことを意味しますから、地球がそのような世界になるのは、まだ遠い未来の世界になるかと思います。

しかし、もし遠い未来に地球がそんなイエス様やモーゼ様みたいな人ばかりの世界になると、イエス様やモーゼ様にとっては、少し悲しいかと思います。
中学校を参考に考えてみると、ある中学校でも、その状態だとどんな人(生徒)でも、中学校の教師になれるレベルだとしましょう。
その中学校にいる全ての人が教師のレベルだと、もう、その中学校は「中学校」と言わなくなるでしょう。
だから、教師には生徒を教えるという喜び、つまり仕事があるわけです。
だから、この地球の上の人が全て、教師と呼べる程度になると、それはそれで一つの星の課題を終了したと言えるでしょう。

一つの意見を述べてみました。

         坂本 誠

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