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2010年9月

2010年9月28日 (火)

六百六: そぼふる雨

雨が降っている。20100927152559
やっと秋になった。
今年はとりわけ暑い夏だったから、このまとまった雨で、秋の訪れを実感することが出来る。

苦しい夏だったが、こんな、そぼふる雨に降られていると、どことなく嬉しさを感じる。
さりげないものにも、親しみを感じることは大事だと思う。

         坂本 誠

六百五: 人間賛歌

色々と世界の出来事を見てしまうと「人間とはなんて罪の子なんだ」と考えてしまうことが多い。

本当にそうなんだろうか。

人間は素晴らしい存在であると同時に、やはり、小さな存在だと思う。
私は巨大な自然を見ている時、人間の偉大さを感じてしまう。
広大な海を見たり、山の上で巨大な空を見ると自然のスケールのでかさに感服してしまう。Img7d932ef15553
人間の小ささと自然の大きさを比較することが出来る。
また、その自然を体感することが出来る。
そこが人間の偉大な点だと思う。
多分、犬や猫がその自然の美しさと巨大さを体感する事は出来ないのではないかと思う。
私は犬や猫になったことが無いから、その辺はなんともわからないが、少なくとも、私は人間だから自然の圧倒的な美しさを理解出来る自分が、今、ここにいること自体が人間賛歌になるかと思う。
もともと、人間は素晴らしい存在だと思う。
しかし、同時に罪も犯しやすいことも事実だ。
日々の生活の中でちょっとしたことで家族とケンカしたり、あるいは仕事の同僚とケンカすることは誰でもある。
そんな時は誰でもケンカした相手を憎んでいる。
つまり、小規模ながらも罪を犯している。
この罪が大規模なものに発展することも誰でも見ていると思う。
人間は大きな存在である同時に、小さな存在であることも忘れてはいけないだろう。
そう思う。

         坂本 誠

2010年9月27日 (月)

六百三: 正義について

前にも同じようなことを書いたのですが、テレビの中に出てくるヒーロー、つまり、「正義の味方が悪を憎む」というシーンを見かけたりすることがあります。
上の一文を、私達は読んで、どこか矛盾を感じると思うのです。
「正義の味方が悪を憎む」こと自体が、悪の行為ではないでしょうか。
つまり、その正義の味方の人が既に悪を行っていることになるのです。
つまり、矛盾です。
「ミイラ取りがミイラになる」という諺もありますが、これと似ています。

しかし、現に悪を行う人はいるわけです。
その人達を取り締まる正義の味方は、世に必要でしょう。

やはり、常々、どんな人も反省が必要だと痛切に感じるのです。
「正義の味方ですらも、悪を行うことがある」というならば、全ての人が常々、日々に自分の心を反省をしないと、その自分の悪を認識できないでしょう。
そして、その「正義の味方が悪を憎む」というホンのわずかな一瞬の悪の気持ちから、これまた、一瞬にして、深い悪のサイドに落ちることがわかります。

そして、直接的にも間接的にも、その悪の原因とは、軽く言ってしまえば、全ておカネが原因で人を悪の淵に引きずりこんでいることがわかります。
普通、メディアで見かける犯罪のほとんど、95%以上がおカネ絡みの犯罪かと思うのです。
戦争も犯罪と言えますから、その戦争行為の原因も、よく注意してみると、これもおカネが原因となっています。
つまり、格差が原因です。
また、多くの人々を日々の生活で苦しめているのは、これまた、おカネかと思うのです。
以前の私の文章にも引用したのですが、ここに再び引用しておきます。

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ナレルの言葉

「地球人類は貨幣制度を基として、競争社会にしています。
そのことが格差、差別、争いを生んでいるのです。
地球人類の進化の癌は地球人類がもっともありがたがっている貨幣経済にあるのですが、それをはっきりと認識し、脱却することを真剣に考えないと地球人類はエゴの塊となって自ら滅亡するでしょう。

                『プレアデス星 訪問記』                    上平剛史         たま出版
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バシャールの言葉

「お金、地球のお金ですか、これ?
他に行ったら何も使えません。
私たちの世界でお金はなくても必要なものは互いに奉仕し合い、分け合い、分かち合うのです。
何もお金なんか持って行かなくてもみな必要なものは一つのスーパーみたいなところがありまして、皆行って取ってくるのです。
『いただきます。ありがとう。つくってくれた方ありがとう』
『どうぞお持ちください。あなたが生きていくために役立つのだったら、私たちはこのような食べ物を生産したことをとても誇りに思います。とても幸せに思います。どうぞお持ちください』
みなさんそう言って、自分達の作ったもの、そういうものを皆置いていくのです。
そしてお互いに感謝をし合っていただいていく。
そしてその、たとえば果物とか野菜を作った人ならば、他の靴を作っている、色んな物をつくった人たちが置いていく、そこにおいて『ありがとう。じゃあ靴をいただきます。ありがとう』
みな感謝の思いです。
そして自らの同胞、仲間たちが幸せに暮らすことができる、役に立ったという思いが、彼らの人生におけるひじょうに幸福感の裏づけになっているのです。
幸せというのはそういうものなのです。
それが愛の輪廻と呼ばれているものなのです。
愛の循環と呼ばれているものなのです。

                『宇宙連合からの呼びかけ』  レムリア・ルネッサンス    まんだらけ出版
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         坂本 誠

2010年9月25日 (土)

五百九十八: 水と音楽

久しぶりに休日の街に出た。
人々の流れ自体が川のようだ。
ストリートの人々の流れが漂う街の中心に本物の川が流れている。
その川面(かわも)にちょっとしたコンサート会場が作られている。
そこで、子供達が音楽を演奏していた。

水と音楽はよく似ている。
どちらも何かの流れのようだ。
演奏されている音楽が水面の上を跳ねて、向かい岸に流れ着く。
音楽そのものが音符であり、川が五線譜のように感じる。

向かい岸には噴水があるのだが、その噴水の上に音符が乗って、噴水の上下に沿って、音符が弾け跳んでいるように感じる。
噴水に子供が手を触れて遊んでいるのだが、音符もそのまま、笑顔がはじけて、遊んでいる子供のようだ。

休日の午後に人の流れと音楽の流れと川の流れが合流して、融合してゆく。
そして一つの下流へと流れてゆく。
その下流には何があるのだろう。

波動と波動が響き合ってゆく。Photo

         坂本 誠

六百一: 学習と仕事

よく、「学生期間の間が学習期間で、社会に出たら仕事期間だ」と言われています。
しかし、私の経験では、社会に出ても、その道の方向で、学習ばかりがありました。
これは、技能的なことばかりではなく、社会のマナーのこと等もそうです。

だから、私が思うに、仕事そのものも学習かと言えると思います。
「学ぶことに終わりが無い」とは言いますけれど、このことでしょうか。
だから、学生、つまり、小学生や中学生だって、その自分の学習自体が仕事であると言っても過言ではないかと思います。
学習=(イコール)仕事であり、仕事=(イコール)学習と言えるでしょう。
つまり、生きている間、人はずっと永遠の入門者と言えるかもしれません。

         坂本 誠

五百九十九: 始まりと終わり

普通の人が感じる「始まり」というものには、期待と不安の二つがあると思います。
何かの行動を始めず、ある行動をそのまま進めていたら、始まりも無いから、危険も無いと考えられます。

だけど、何かの行動を始めたら、その行動には何かしらのリスクを背負っていることに気付くのです。
そのリスクの大小はあるでしょう。
だから、最初から何もしなかったら、全くリスクも負わないでしょうから、そちらの方が安全かと考えられます。
でも、それを考えていたら、人は「生まれなかった方が良かった」と誰でも考えが落ち着くでしょう。

しかし、何かの行動を始めたら、何かのリスクもあるでしょうが、成功を収める可能性も充分にあります。
その成功が予想以上の場合もあるでしょう。

そして、誰にとっても、その行動が終わる日があるでしょう。
そして、現状維持のままで何かの行動を起こさない人とか、起こす人もいるでしょう。
だから、何かの行動の終わりが、すでに、何かの始まりを含んでいることに気が付きます。

始まりと終わりは全然、違うようでいて、ほとんど似ているように感じます。
不思議ですね。

「行動」という堅い感じの言葉を使わなくても、普通に日々に暮らしていて、何か終わったら、その直後に、何かの新しい出来事が発生して、その出来事のために、頭を悩ましている私達に気が付きます。

例えば、「旅行に行こう!」と意気込んで、聞いたことのある旅行地に行く最中に、何か、もう悩むことがあるかと思います。

    「南極に、ぜひ行ってみたい!」

と思っても、旅行の際の安全やら、何やかやがあるかと思います。
南極に行く最中の船旅は、かなりのものがあるそうです。
南極は孤立した大陸ですから、南緯50度から南緯60度の間には強い風が年中、吹いているそうです。
ですので、旅行者は船酔いにあったりするそうです。
で、南極に行っても、最近は、かなり安全が確保されているみたいですけど、一旦、ブリザードが吹くと、旅行者にとっての危険地帯になるのですね。
そのブリザードの中で死ぬ可能性もあります。
また、実際に南極に行っても、当の自分にとって、「あんまり楽しくなかった」という結果を手に入れることもあるでしょう。
ないしは南極の氷河の青い氷を見て、「心が洗われた、、、」という人もいるかもしれません。

そして、南極から帰って来ても、再び、何かの生活の始まりですから、また、そこで、何かの課題に私達は取り組んでいるかと思うのです。
ホント、始まりと終わりは双子のようなものですね。
                               
         坂本 誠

            鳥      

暗闇の中で
長く  引き離されていた
左の青い翼と  右の赤い翼が
近づき合う。
青い翼と赤い翼が  一つになって
翼だけの鳥が  生まれ
宇宙の奥へと  飛び去って行く。

静かに。
宙に浮かぶかのように。
止まるかのように。

翼が
白くて  長い水脈(みお)を
暗闇の中に  引いている。

その中で
様々な  星々が
生まれゆく。


            坂本  誠

五百九十七: 夢と心

神社に来てみた。
前回と同じ神社だ。
今回は少しだけ、まどろんでみようと思い、ウトウトしてみた。
吉夢というものを見るかと思ったが、なかなかそのようなありがたいものを見ることが出来なかった。

人には生存の本能がある。
例えば、一日三食の卓の上に乗っているおかずやご飯というものは、これ全て、他の生物の死体と言えるからだ。
その死体を私達は毎食、口に運ぶ。
つまり、肉体の生存本能が弱肉強食の世界を作ってしまっていると思う。
その荒々しい本能の心が、私達の表面意識のすぐ内側にあり、協力とか、他の人の幸せを祝う心とか、お互いに喜び合うという高潔な精神は、その生存の本能の内側にあると思う。
その荒々しい心が、荒々しいこの世を作っていて、人間の本当の清らかで、高潔な心が、さらにその奥にある、と私は思う。

だから、「ウトウト」とした眠りぐらいでは、つまり、浅い眠りであるから、心の中心の側にある、清らかな側の眠りまでは手に入れるのは難しいと思う。

清らかで、やすらぎのある眠りを手に入れるためには、一晩、ここでぐっすりと眠り込まないといけないかもしれない。

そう思いながら、神社を後にした。
                               
         坂本 誠

五百九十六: 都市について

たいていの日本にある街の中心から、車で郊外に向かうにつれて、心がのびやかになってくる。
赤信号も少なくなり、車のクラクションも少なくなり、高いビルが少なくなるので、見晴らしが良くなり、空の青さが目に飛び込んでくるからだろう。

日本の街の中でも、かなり、その自然の景色と融合されているものもある。
街の中に居て、自然を味わえるものもある。

私は行ったことが無いのだけど、テレビの中のフランスのパリの街並みを見たことがある。
パリの都市作りの方針として、あまり高い建物を作ってはいけないと聞いたことがある。
だから、パリの街には、青空が多いのをテレビで見たことがある。
そして、その均衡を破っているのは、エッフェル塔とか凱旋門などのわずかな建物だ。
かなり人々が意識して、都市作りをしていると思う。
そして、パリには噴水も多いらしい。
きっと水の流れが人の心を癒しているだろう。

日本の街作りには、パリの街作りのような規制は無いみたいだ。
しかし、自然と融合されているような都市を見ると、それがその街の雰囲気とうまくマッチしているので感心してしまう。
たいていのその街に住んでいる人は自分の街の特色に気付きにくい。
やはり、毎日暮らしている自分の街の雰囲気は掴みにくい。

これからは街を作る際には、街の雰囲気に充分配慮した都市作りが行われると良いと思う。20100916125430

         坂本 誠

2010年9月20日 (月)

五百九十五: 幸福について

どうやったら、人が幸福になれるのか、ちょっと考えてみました。
人は生まれたら、すぐに母の乳を求めているのに気付きます。
その乳を飲むことによって身体を維持して身体を大きくするのですね。
乳を飲まないとその赤ちゃんは死んでしまうでしょう。
そして、普通の人間も「年収を上げたい」とか「異性が欲しい」とか「地位を上げたい」とか、欲望を持っていると思います。
自分の身体を維持したり、異性を欲したりしないと子孫が続きません。
だから、欲望が無いと人は死ぬわけですが、普通、欲望はどんどん強くなってゆきますから、この欲望自体が人を苦しめ始めるのに気が付くのです。
「人間、なぜ苦しむのか?」と考えたら、「欲望を持っているからだ」と言えるわけです。
そして、全ての欲望を捨てたら食欲とかも捨てることになりますから、今度は逆に死の恐怖を味わうことになります。

欲望を捨てたら幸福になれるのか、それとも不幸になるのでしょうか?
ちょっと考え込んでいたのですが、本屋に行って漫画を少しだけ読んで、軽く笑いました。
これもちょっとだけ幸せになれる方法かもしれません。
あと、甘いものを食べました。
難しい顔付きになりそうな時は甘いものに頼るのもいいですね。

考えるに私達のこの肉体から発している欲望に人間はかなり悩まされているような気がします。

この肉体が軽くて、鳥のように大空を飛べたら、人は幸せになれるかもしれません。
頭の中で鳥のように軽くて、翼の生えた自分の姿を想像してみたら少しだけ、幸せな雰囲気に浸れました。_

         坂本 誠

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