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2010年7月26日 (月)

五百八: 税について

司馬遼太郎の本『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の68ページに以下の文章が載っている。
ちょっと長い引用になってしまい、すいませんが、司馬遼太郎さんの紹介でもあるので、読者の方にとっても面白いかと思います。

「明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。
維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。
『欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。ところが日本ではそれができない。というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである』
明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。
が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。
『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

つまり人間の歴史の長い期間、税を払うのは、実はお米とか麦だった。
ないしは、自分の生産物だった。
つまり、おカネで物のやり取りをしていなかったことがわかる。
また、平安時代や鎌倉時代などに、大量の硬貨や紙幣が無かったことも当然だから、誰でも納得できるだろう。
意外に徳川幕府の世界まで、それが続いたのだ。

結局、税やおカネ、つまり、人々が物資のやり取りするための媒介物も、これは人間の間の一つのルールだということがわかる。
上の話から考えて、現在、何もかもがおカネの世界になったと思う。
過去において、人間のルールが変わり続けてきたのと同じで、様々なルールが人間の間で変更されてゆくだろう。
遠い未来の社会においては、人間の間のルールも変わるということは誰でも想像がつく。
永久不変のものは無いからだ。

例えば、昔の世界のルールでは一夫多婦性だったり、ないしは一婦多夫性も認められていた。
しかし、今は一夫一婦制だ。

おカネを手に入れるための競争もはなはだしい。
長時間の労働が労働者の身体を壊している。
そして、労働者は病院に行くのだ。
その病院の医者に生活費よりも高いおカネを薬代や診察費に払ったりする場合もあるから、おカネを得るために労働者はさらにより長い長時間の労働を行う。
そのより長い長時間の労働がさらに、その労働者の身体をさらに壊し続けるのだ。
さらに壊れ続ける身体のために、さらにさらに長時間の労働を行い、病院に行くためのより多くの賃金を手に入れたりするのだが、いつの日か、その労働者の身体に限界が訪れるだろう。
そんなにたくさん働かなかったら、身体も壊れずに、そんなにたくさんのおカネを病院に払わずに済んだということがわかるだろう。

上の理屈から考えると、おカネを儲けるのは医者ということになるが、最近では、この医者の過労死の話もテレビで聞いたりする。
つまり、競争の激しい世界だから、上の例のような病人が続出して、病院の医者が自分の仕事で過労に苦しみ、その医者自身が病人になり続けていると考えられる。

ちょっと、はたから見たら、この世界は異常だということに気付くだろう。

         坂本 誠

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