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2010年6月

2010年6月29日 (火)

五百三: 景気浮揚について

私はおカネの短所について、よく書いていますが、確かに今現在は、おカネが人々にとって大事なものであることには違いないです。
だから、いつもの私とは違って、どうやったら日本の経済が復活するかについての一つの意見を考えてみました。

今一つの方法としては、日本で採用されている派遣労働をやめさせるべきかと思います。
世界の金融危機を引き起こしたアメリカのリーマン・ショックが起こる前までは派遣労働者にとって派遣切りと呼ばれる労働形態終了もありましたが、そんなに多くはありませんでした。
リーマン・ショックが起こり、金融危機が発生して、世界的な経済の悪化が起きました。
そして、派遣労働者の大量の中途の派遣契約終了が起こりました。
結果として、失業者が増えたわけです。
このように派遣労働者の生活が安定していないですから、派遣労働者の財布の紐は固くなるのは当然でしょう。
つまり、そのような人々が増えたことにより、日本の企業が生み出す製品を次第に日本の国民が買ってくれなくなるでしょう。
企業というものも買ってくれる人がいるからこそ、利潤が上がり、それぞれの企業が富むことによって、日本の経済が浮揚していくかと思います。
ところが派遣労働者が多いと、財布の紐が固い人が多くなるので、次第に日本の企業が儲けなくなると思うのです。
つまり、国民の雇用を確保していないと、多くの国民の生活が安定しないので、国民の何かの製品の購入意欲が湧かず、さらに国の経済が悪化するかと思うのです。
国に失業者が多いのと同じですね。

つまり、派遣労働を無くして、多くの国民の生活を安定化させれば、多くの人の購入意欲が増し、次第に経済の安定化がなされるであろうと私は思うのです。
結果、多くの人が多くの品物を買ってくれるようになるので、多くの企業が倒産せずにすむようになると考えます。

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追加ですが、最近(2010年現在)、国の税収が落ち込んでいるそうです。
派遣労働者は派遣契約期間意外には給与が発生しなかったりしますから、その分、国が税を取れないことも多々あるでしょう。
だって、年収が不安定になりますので。
ですので、派遣労働をやめて、雇用の安定を図れば、きっと国の税収も良くなるかと私は思います。

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追加ですが、最近は学生の就職難だそうです。
卒業する学生にしても、自分の就職先に派遣労働の待遇を選ぶ人が多いでしょうか。
どのような待遇を選ぶかはその人自身の自由ですが、やはり正規雇用を選ぶ人が多いのではないでしょうか。
だって、生活が安泰で安全な方向ですから。
ですから、私は派遣労働は無い方が良いかと思います。

         坂本 誠

2010年6月27日 (日)

花火

            花火            
            
            
妻と我が子のいる夏の夜空の下、
七色の光たちが
一瞬だけ  離れ合い
賑わいながら  重なり合う。

花火そのものが私達のようだ。

私達の
しとやかなる
愛の爆発。

            
            坂本  誠            

四百四十一: 昆虫のこと

夏に向かう季節なので、昆虫のことを考えてしまいます。
昔のインドのヨガ行者の中で、

    「歩く際にも、足の裏に小さな昆虫が居るだろうから、踏み潰してしまうだろうから、歩くわけにもいかない。なぜならば、昆虫も生物であり、命は尊いのだから」

と考えて、苦しみ続けた人が居るらしいです。
その人はその考えを進めて、食べる際の魚や野菜も食べられず、苦しんだそうです。
食事の際の肉や野菜のことは今は考えないことにして、昆虫のことについて考えてみました。

夏の蚊がほっぺたに止まると、普通の人は条件反射的に手でほっぺたの蚊を叩いていると思うのです。
幼い少年頃は「命は大事だ」と思い、また、教わったので、蚊をわざと叩かなかった時もありました。
大体、この問題は無理矢理人が忘れていることが多いと思うのです。
上の考えを延長したら、食事の際の肉や野菜を食べるのを自分に禁じてしまい、自分を殺してしまうことになります。20100617093411
つまり、自分自身を愛していないことになります。
その人は蚊や魚や野菜を愛しましたが、自分を愛さない人であったと見なせるでしょう。
自分の周りの生物は愛しましたが、自分を愛さなかった、というのは不公平な話のような気がします。

蚊や昆虫を食べて、鳥や魚が育ちます。
鳥や魚は罪悪感を感じていないと思うのです。
上の話から考えると、その鳥や魚を食べる人間が罪悪感を感じて良い筈だと思うのです。
にもかかわらず、日々の生活で毎日、食卓の上に鳥や魚が乗るようになると、その罪悪感が薄れて、やがて消えてしまうことが多いです。
そして、私が今、ここに書いているように、人はときおり、ふと、蚊やその他の昆虫を殺す際の罪悪感に気付くと思うのです。
私は思うのですが、食事を取る前の「いただきます」と言う言葉と食後の「ごちそうさま」は人間の殺生の罪を消すための言葉ではないでしょうか。
確かに昔、私は他の誰かから

    「『いただきます』と『ごちそうさま』の言葉は人間のために魚や鳥が死んでくれたので、彼等に感謝を捧げるためのものだ」

と聞いたことがあります。
言われてみたら、当然の事ですが、常日頃は、その「いただきます」と「ごちそうさま」は常套句になってしまい、その言葉には何の気持ちも込められていないのに、気付きます。

蚊は人間にとって害虫ですが、蚊になる前の水の中のボウフラは蛍やメダカにとっての重要な餌です。
そのメダカをメダカよりも大きな魚が捕食して、やがてより大きな魚を私達、人間が捕食しています。
川で取れた魚を食べる際に「いただきます」と言う時に、ほっぺたの蚊を叩いて殺す時のシーンが重なれば、人は重要な何かを思いつくかもしれません。
この話の冒頭に挙げたインドのヨガ行者も、安心して道の上を歩くことが出来るかもしれません。

         坂本 誠

四百四十: つらい時

つらい時には、なるべく語らない方が良いものだと思います。
たいてい苦しかったり、悲しかったり、怒ったりしていますから、内心にあるそれらの感情が言葉や筆の先から出やすいと思うのです。
内心と外側の心の二つを持って、人は生活しています。
それらを二つの車輪と考えると、内側の車輪は右回転しているのに、外側の車輪を無理矢理、左回転させないといけない状態になります。
例えば、昨夜夫婦喧嘩をして、内心が荒れているのに、朝のオフィスの中で、にこやかな微笑を抱かねばならない時です。
二つの車輪が激しく逆回転しているので、なるべく口数を少なした方が、きっと良いのでしょう。

内側の心が激しく揺れていても、外側の心から良い影響を与えて、内心を沈めることも出来るのに気付きます。
理解者と語り合って心を静めることも出来ます。
また、美しい景色を見ても心が癒せます。
美しい山や川や海は無条件に人の心を癒すのに私は気付くのです。
山や川や海は何も言わないし、何も求めません。
目から美しい風景を心の中に注ぎ込んで、内心を癒せます。
また、川のせせらぎや、海の潮騒や、風にそよぐ木々の葉の音や木漏れ陽などでも自分の心を癒せます。
また、朝のスズメの声にも癒されるものです。
内心から外側の心を癒すこともありますし、美しい光景が内心を癒すことも出来ます。
自分の内部にある心と外側にある美しい光景が一体化する時間があるというのは幸せなものです。
つらい時をかいくぐれます。Img7d92bfdadf53

         坂本 誠

当たり前の光景

            当たり前の光景      
            
街の中で
すれ違った女の美しさに
心をときめかす  一時もある。

街の中で
すれ違った男の逞しさに
心をときめかす  一時もある。

みんな  こう  なんだ。

自然な人で良かった。

            坂本  誠

四百四十八: 祈りについて

時々、死にそうな我が子を見て、
「どうか、私の命を差し上げますので、我が子をお救いください」
と祈る親の姿を見かけたりする。
痛切な何かを感じる。

         坂本 誠

2010年6月26日 (土)

記憶

                    記憶            
                   
幼児の頃に、友達と共に遊んだ砂場。
もう、今では朝もやの中の  やわらかい夢のよう。

沖から、幾重にも押しよせる波。
時の波の向こうに
あの頃の記憶が浮かんでいる。

波が一つよせるごとに
記憶が一漕ぎ遠ざかる。

                    坂本 誠

五百二: 制服と勉学

学校が上がると共に、制服ではなく私服で勉強できる学校も多い。
多くの人は以下のことに気付くでしょう。
服装が自由になると結構、だれてしまう感覚がある。
でも、学生服を着るといかにも、「勉強しないといけないんだ」っていう気になったりするけど、私服だと自分を甘やかしてしまうかもしれない。
別に私服で悪いというわけではない。
私服だと、おおらかな感じになって、開放感の元に、そう、ギリシャの有名な哲人の下に広場で自由に語らいあう雰囲気があって、自由に学問できる感じ。

だけど、ある時には良くない感じもある。
冒頭に書いたように、ある人にとっては、自由な雰囲気があるので、ちょっとだらけてしまうかもしれない。
誰の言葉だったか思い出せないんだけど、「制服が兵士を作る」って言っていた。
つまり、戦場においては、堅い雰囲気のあのユニフォームを着ることによって、自分の気持ちをわざと引き締めるのだ。
だから、勉学においても同じで、ちょっとだらけてしまう雰囲気を自分に見出すと、制服、今で言うならスーツだけど、それをを身に付けて、学んだ方が良いかもしれない。
もっとも軽い感じで行きたい時は、やはり他の多くの人のように私服を着るとか。

あと学校の区別はともかく、やはり教室の一番手前、つまり教壇に一番近い席に座っている人の方がやはり比較的に成績が良いように見える。
というのも、教えを授ける人との距離が近いということは、それだけ教えを授ける人とのフィーリングがマッチしていると言えるからだ。
だから、その教えにかじりついてでも、付いて行こうとしているように見える。
だから、成績が良いのかもしれない。
また、教えを授ける人と自分の席をダイレクトに間近にすることによって、師と自分との間に一切何もしないようにしている。
つまり、師と自分との間に余計な何かが入らない。
それだけ集中できる。
「直伝」という言葉があるけれど、それに近いと思う。

まあ、もっとも、わざと自分の坐る席を遠くして、見守るが如くに熱心に学に励み、成績を良くする人もいるけれど。

         坂本 誠

                    潮             
                   

海に突き出た岬から
空を見上げている。
雲を見ていると
空が翼を広げているようだ。

遠浅の海から
少しずつ  潮が満ちてくる。
自然が少しずつ
エネルギーを放出しているのが見える。
それが  潮風のように  僕の  ほほを  なでてゆく。Img7da7884372d

                    坂本 誠

四百九十九: したいこと

以前のブログで似たようなことを書いたかもしれませんが、今は思い出せないので、気ままに書いてみることにします。
この辺がブログのよいところかと思います。
まあ、つぶやき程度に。

人間、誰でもしたいことがあるものだ。
一応、人間がしたいことは、身体を維持するための欲求や種族保存の欲求とかもあるけど、これは自然なことなので、あまり、「したいこと」に入らないだろう。
「恋をしたい」なんて、誰でも思うんだから。
「おカネをもうけたい」も誰でも思うんだから、特に、ここで考えることでないだろう。
人はそれらに縛られない別の何かしたいことを持っていると思う。

恋のことも考えず、おカネのことも考えず、何かしたいことを持っているのだと思う。
それが、本当にその人の仕事になるのだと思う。
何かの余暇に、私達は一生懸命になって脇目もふらずに熱中することがあるけど、おカネも無しに一生懸命やっている姿を見ることがある。
それこそが、その人の本当の仕事かと思う。

私達は生活用の賃金を得たいために、何らかの仕事に就いていたりすることがある。
だけど、おカネのためにそれをやっているのであって、本当にその人の心の奥底の欲求のために、それをしているのではないケースもある。
つまり、自分自身への奉仕にもならないし、本当の意味での他者への奉仕でもないし、つまり、真の意味での労働の改善や向上にもならない。
例えば、40万円の給与の職種に就いていても、何らかの苦痛を感じ、他人とのトラブルを起こし、また、体調不良になって、辞めるケースをよく見たりもする。
職場不適応というものだ。
ところが別の職種に移って、20万円の給与なのに、自分自身に満足して、それで生活していけることも多い。
後に挙げた職種がその人にとっての適職だったのだとわかる。
別の例は数多く考えられるけど、結局、おカネの額に沿って適職が定まっていないことがわかる。
こうなったら、おカネの額の違いが労働の質を向上させているとはあまり思えない。
世の中の色々な職業に、様々な値段札が付けられているけど、これはあまり意味が無くなってくる。

「自分が本当にしたいこと」を見つけるのは結構、難しいことかと思う。
でも、誰でも小学校の一年生ぐらいに、標語にして、教室の後ろの壁に貼った「自分の将来なりたいもの」が、その人の本当にしたいことであることが多いと思う。
色々と俗世間に自分の考えが汚れず、純粋な心持ちなので、その人の本当のしたいことだと言えるかと思う。
成人になって、もちろん、多くの人はその標語を無くしていることが多い。
だから、小学校の時に書いたその標語を持っておくことは意外に大事なことかと思う。

逆に今、胸に手を当てて、「今現在の自分のしたいこと」が他人を害することならば、これは、かなり間違った方向にいっているから、おそらく、その人はかなりの苦痛を感じているかと思う。
また、道徳的に見ても間違っている。

         坂本 誠

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