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2010年2月

2010年2月27日 (土)

三百四十五: おカネ_No.6

「おカネ」シリーズの第6段です。
色々とおカネのことも書いているのですが、「なぜ、そんなにおカネのことを考えているのですか?」と尋ねてくる人もいるかもしれません。
しかし、普通、人間が生きていて、おカネのことを考えなかった日があるでしょうか。
だいたい、普通の人は、毎日、おカネのことについて考えて暮らしているのが普通ではないでしょうか。
ですので、私も生きて生活しているからには、おカネのことを日々、考えているわけです。

それだけ、おカネというものは、人間の生活に密着しています。
人間以外の生物はおカネのことを考えて生きていません。
今現在の貨幣経済というシステムは、物資の交換以外にも、様々な用い方を作り出してきました。
例えば、おカネをたくさん所有することによって、他人よりも威張ることができると言う便宜さです。
また、どうやら、権力と言うものも、このお金によって、交換可能なように見えます。
(ひょっとしたら、人徳も、、、、?)

人の目標とすべきものにおカネの多寡と言うものを設定しない方が良いかと思います。
なぜならば、このお金が高いか低いかを目標に設定にすると、人はおカネをたくさん所有した時だけ、幸福になるでしょう。
そして、その目標としたおカネより、少しでも低い収入になれば、人はたやすく不幸になるからです。
つまり、あっと言う間に自分の幸福の度合いが乱高下します。
「幸福」と言うものは人間の精神の良さの度合いですが、おカネというものは物質なので、物質に人間の精神がたやすく操られるようになると、精神がもろくなってくるかと思います。
ですから、人生の目標に、おカネの数値を持ってこないほうが良いと思います。
(生活上の便宜の点ではおカネの数値の目標を持っていても良いかと思いますが。)

人間以外の生物は意外に幸せかもしれません。

また、例えば、20万円以上する衣服を着て、他の人々に、「この服は20万円以上もするのよ」と言っている人々をたまに見かけます。
実は衣服の良さを他の人に示しているのではなく、自らの存在を自慢している行為なのだと気付く筈です。

昨日、私が立ち読みした本に以下の言葉が書かれていました。
引用しておきます。
-------------------------------------
「たとえば、特許権や著作権なども権益を守るシステムです。
素晴らしい特許技術を公開して誰でも使えるようにしたら、どんな素晴らしい新商品が生まれていたこでしょう。
ベンチャー企業が新たなビジネスを立ち上げるに際にしても、特許技術がタダで使えたら、いま私たちが想像もできないような新しいビジネスが生まれていたでしょう。」

「2012年の変化はすでに起きている」  船井幸雄 著  徳間書店

164ページと165ページからの引用

         坂本誠

            風
            
            
大宇宙の中を流れる風は
神の音楽か。
音楽が  オーロラのように
揺らめいて  光っている。
巨大な愛が
様々なものに  変換されてゆく。Img7dad9488481


            坂本誠

天の河

            天の河
            

天の河の流れは
流砂のよう。
静かに手をひたすと
清冽な水のように
光る流砂が
指の間を  すり抜けてゆく。
宇宙の黒い空間の彼方へ
砂が流れ続けている。
            
            
            坂本誠

三百三十六: 性について

「性」と書くと、顔がニヤケる人もいるかも知れませんが、ここではだいぶ真面目に書きました。
どんな人も母から生まれており、つまり、性行為があったことが示されています。
性行為には喜びもあるでしょうけど、何かしら、恐ろしい面があることは誰も否定できないと思います。
女性が妊婦になって出産する時、出産失敗のために、その妊婦が死ぬ場合もあります。
また、母胎が助かっても、死産に終わる場合もあります。
だから、人間が母の身体から出てくる時は、実は人生における最初の最大難関でしょう。
これに比べれば、学校入学テストの難関はまだ軽い方でしょう。
また女性に限らず、男性にしても一児の父ともなれば、その子の将来にわたる責任を取らなくてはならないでしょう。
単純に妊娠したから、簡単に堕胎するというのは問題があるでしょう。
「気にしない」と口で言う人もいるかも知れませんが、心の奥底に嘘をついているかと思います。
また、何かの葛藤を持っているかも知れません。

しかし、だからと言って、完全に性を否定する訳でもないです。
男女の愛の時間がもし、人間に授けられていなければ、人間は酒や何かの放蕩に走っているでしょう。
この性の遊びは遊びとも言いがたいものがあります。
人間が人間を生み出す行為だから一つの社会がそこに誕生します。
父と母と子です。
その3人で一つの社会を構成して、一家の中で父なら父の役割、母なら母の役割、子なら子の役割を果たすことが前提とされています。
ですので、性行為の遊びと言うのは、やはり、遊びとは言いがたいです。
つまり、性行為が基本となって、社会を作り出しています。
また性行為があるから、男女の心の中の愛情も深くなります。
また、誰もが思うことですが、恥ずかしいスタイルを取らされていると内心、自覚しているかと思います。
どんな王、偉人もこの恥ずかしいスタイルを取らされます。
つまり、誰もがへりくだることを要求されます。
つまり、謙虚さを学ばされます。

食べること、排泄すること、自己を生き延びさせようとする意欲など、考えてみたら、まるで他の誰かがプログラムして、人間の心に与えた何かのような気がします(理性や知性だって、考えてみたら不思議なものです。「なぜ、人間は考えるのか?」と問われても、返答に窮する人は多いでしょう。きっと)。

少し話が横道に反れましたが、一人の人間が、もし、今ここに誕生したとしましょう。
その赤ちゃんに、ずっとブドウ糖を注射し続ければ、理屈から言えば、その赤ちゃんは大人になる筈です。
だから、普通の赤ちゃんは本能によって、母の乳首を求めようとしますが、この乳首を求める行為は必要が無いということになります。
また、成人しても一切口から食べ物を補給しなくても良い筈です。
しかし、私は今まで、「生まれてから、ずっと私はブドウ糖注射で生きてきた」という人の存在を聞いたことが無いです。
つまり、人間はほぼ必ず自動的に口から栄養を補給して、自分の身体を作り続けています。
それと同じように、もし、二人の少年少女を無人島に連れて行き、その二人が水や食やその他の生活の便宜を確保できた上で、かつ性行為に関する情報を全く知らされなくても、やはり、性行為を行って、子供を作るでしょう。
実際の私達の社会では発達したマスメディアや何かで「生き物には性行為という行動を持っている」と未然に知らされています。
しかし、普通の犬や猫やその他の生き物は、マスメディアによる情報に一切頼ること無く、性行為を行っています。
だから、人間もその例外では無く、全く、性の情報が遮断された世界に行っても、性行為をなすでしょう。

だから、性行為自体は笑われるべき行為ではないでしょう。
やはり、この世界を作り上げたものの、驚くべき不思議な何かを垣間見ているような気がします。

私にはわからない。
この世を作った存在が性行為を生き物に与えた。
この性行為の欲求に苦しめられなければ、生き物はどれほど幸せなことだろう?
しかし、もしこの世から性行為の欲求に消えてしまえば、生き物はどれほど不幸せなことだろう?
全く相反する矛盾を兼ね備えている理想を生き物に与えているこの世界を作られた方の深い真意がとても推測できない。
また、推測したとしても、それはやはり邪推になるだろう。

         坂本誠

三百三十三: 黒い文章

スペインの中世ヨーロッパの画家、フランシスコ・デ・ゴヤの晩年の作品に『黒い絵』と呼ばれているシリーズがあります。
一言で言ってしまえば、人間の狂気を暴露し、告発した絵画のシリーズです。
そうでなくても、ゴヤの作品には、人の愚かさを暴いた絵が多いです。
しかし、ゴヤの絵には美しい作品も多いことも良く知られています。
美しさを追い求めている人は、次第に身の周りにある汚いものが余計に目立ってしまい、自分の内部にあるものと、外部にあるものとの差によって苦しむかもしれません。

例えば、自然の美しさを愛している人が、海に行けば、彼は海のゴミの汚さに閉口してしまうでしょう。
また、大きな公園に彼が来て、そこに動物などが捨てられているのを見たら、多分、彼は苦しむでしょう。
結局、彼が心を癒すために、どこかへ出かけても、そのような光景に出くわせば、いつも彼は苦しむかもしれません。
海岸のゴミにしろ、公園の動物にせよ、いずれも何を端にそれらが発生しているかと言うと、人の心の汚れから発生していると、多くの人はやがて気付くでしょう。

晩年のゴヤは一つの家を買い、その家の壁に『黒い絵』シリーズを描いていきました。
周囲の人から見たら、家に引きこもっているように見えたでしょう。

上のようなことを考えていると、ゴヤのように、やがて彼はあまり外出できない人間になるかもしれません。

         坂本誠

音楽

                音楽

鍵盤の上を
流れて  跳ねる指は
海に  たゆたう波のよう。
耳に入る音楽の上に
見えざる指の動きが見える。
かすれ合う指の合間(あいま)から
音楽が生まれ出る。
五つの指と二つの腕が
一つの糸になってゆく。

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    『シンセサイザー』 坂本 誠 作

            坂本誠

三百四十四: 悩みについて

悩みの無い人間はこの世にいないと思います。
もし悩みが消えたら退屈になりますから、その退屈が悩みになるかと思います。
しかし、その悩みを相談できる相手に範囲があるというのに気付くと思います。
自分の悩みの全てを伝えられるのは、普通、配偶者か肉親でしょう。
ひょっとしたら、これらの人にも伝えられない悩みもあるかもしれません。
そして、まるで同心円の輪を描くかのように自分の悩みを打ち明けることが出来る人々に範囲があるというのに気付くと思うのです。
比較的よく会っている友人には自分の悩みを打ち明けやすいと思います。
しかし、「出会って始めて」という人には自分の悩みを打ち明ける人はまずいないでしょう。
つまり、自分にとって交際の輪が近い人ほど自分の悩みを打ち明けやすく、交際の輪が遠い人ほど悩みは打ち明けにくいでしょう。
交際の輪が同心円状に広がっているかと思うのです。
だから、他人から見たら、「あの人は何を悩んでいるのかわからない。私にとってもどかしい」と思う人も多いかと思うのです。
そして、その悩みを抱いている人に対して、不審の目で見たり、疑念を抱いたりするかもしれません。
しかし、その疑念を抱く人も人に言えない悩みを同心円の輪を描くように悩みを持っているでしょう。
ですから、友人が

    「言えない悩みを持っている」

と言った時には、その友人に対して寛容な気持ちを持たないといけないかと思うのです。

         坂本誠

三百四十一: 真夜中

久しぶりに深夜に目が覚めた。
トイレに立つためだったのだが、ベッドに帰ってきた後、なかなか寝付けない。
眠れない夜の苦しみは誰でも同じだと思う。
暗闇の中で目をつぶり、あれやこれやと日々の反省をした。
「欠点の無い人間はいない」と言われるけど、そうだと思う。
日々に生きていて、他人のちょっとした摩擦が起きて、少しでも怒ってしまうのは誰でもあるけれど、そんな時は誰でも、もう、心が汚れている。

ベッドの中で悶々としていると言うのは、どことなくもどかしい。
変わった苦痛だ。
どこも身体が痛くないのに。
ちょっと考えてしまうのだが、なぜ人間や生き物は眠るのだろう?
世の中、当たり前のことが意外と謎になっているものだ。
別に「眠る」という行為が行われなくても良いかと思う。
「生き物は身体を休めるために睡眠を取る」と聞いたことがある。
身体を休めるためだけならば、何も眠る必要は無いと思う。
横になるだけで身体を休めることが出来るからだ。
睡眠について考えてみると「休む」だけではなく、意識の断絶が行われていることに気付く。
つまり、生き物には、一日のある一定の時間に、自分の意識の断絶を行う必要があるのだ。
そして、眠りに入った後、夢を見たりしている。
つまり、日中に活動している行動のための精神とは違い、全く別の精神活動を営まされている。
生き物の活動は面白いと思う。
SF映画並みに想像を働かせてみると、他の星に異星人がいたら、全く睡眠の活動が無い星があるかもしれない。

         坂本誠

コンピューター

            コンピューター
            
            
コンピューターの計算した大地が
画面の中に浮かび上がる。
コンピューターの計算した風が
画面の中で吹き渡る。
計算された波が
画面の中で  そよいでいる。
計算された未来の天気が
画面の中に  映し出されている。

計算から生まれた少女が
画面の中で  私に微笑みかける。
私は  その少女と  笑顔を交わすことが出来ても、
その少女の差し伸べている手と
お互いに  取り合うことが出来ない。
永遠に一枚の画面が
私達を遮断し続けている。


            坂本誠

2010年2月26日 (金)

三百四十六: 天職

一昔前、派遣という職務形態が全企業種に摘要された。
派遣をすると、色々と人の取替えが容易だ。
そして、最近の金融危機で多くの人が仕事を失った。
そして、おカネの欲しさから、人々は

    「どんな仕事でもよいから、仕事に就きたい」

と言っている。
仕事に就けば、おカネが手に入るからだ。
つまり、「仕事が欲しい」と言うよりも、「おカネが欲しい」と言い換えるべきだろう。
私が思うに、元々、人に与えられた仕事と言うのは、たった一つしかないと思う。
天職と言うやつだ。
この天職と言うのは、全ての人に与えられていると思う。
人はこの天職に至るまで、幾つか仕事を変えてもよいと思う。
しかし、この天職に至った後は、仕事を変えるべきではないと思う。
考えてみたら、この天職よりも、高い値段の付いた仕事を探せば、山ほどあるだろう。

「派遣」というシステムは容易に天職を奪っていると思う。
この天職に至るまでの幾つかの仕事はその人のサブ的な、つまり、アルバイト的な職種とみなせるだろう。

色々と会社の中で派遣社員も多いと思う。
一つのセクションに、本人や周囲の人が気付かずとも、天職として、その仕事をしている人もいるだろう。
ところが派遣というシステムは、そこに入っている天職の人間から、その地位を外す。
その理由は、派遣会社が、その人材の値段を吊り上げたかったり、他の部所に持っていけば、「もっとその人間に付けられている値段が吊り上がるだろう」と考えていたりするからだ。
ないしは、派遣先の人間がその人間を嫌っていたりするからだ。

天職と言うものは実は、おカネでは換算されない。
天職とは、それを与えられた人間が、いかに多くの人を幸福に出来るかが、本当に換算されるべき量だからだ。
つまり、天職を与えられた人間も、周囲の人間も派遣システムによって、狂わされている。
おカネを得たいがために。
早い話がおカネが人を狂わせている。

私も毎日、新聞を読んでいるが、そこに書かれている99.9%以上の事件が、おカネ絡みだ。
おカネが欲しいがために、人は強盗や殺人も犯す。
また、おカネが無いから、人は自殺もしたり、無理心中もしている。
おカネが手に入るならば、人は陰に隠れて、汚職もする。
人がおカネを操ると言うよりも、おカネが人を操っている。

単純に、古代から現代に至るまでの偉人と呼ばれている人は、もちろん、今は死んでいる。
だが、その人たちの成した仕事は現代の私達を助けている。
その人達が、死んだ後まで、おカネを取ろうとしていないのに気が付く。
彼等は本当に自分のしたいことをしたのだ。
それが天職なのだ。
だから、天職と呼ばれるものはおカネの量で換算されず、その仕事によって、幸せにした人の数の分で、換算されている。

おカネが人々を幸福にしていると言うよりも、多くの人々を不幸にしている。
金融危機で仕事を失った人も多い。
彼等は充分に働ける能力はある。
なのに、何かの都合で、ほとんど企業側の都合で彼等を雇わない。
その理由は、彼等に支払うだけのおカネが無いから、と言うことが多いだろう。
つまり、派遣というシステムは、「日本の国の雇用を守る」という仕組みを完全に放棄したシステムだと思う。

私もプログラマーとして派遣で、色々な会社でプログラミングした。
しかし、ある一定の期間が過ぎたら、多くのプログラマーは契約終了を告げられ、現場から立ち去る。
変わりに新しいプログラマーが入る。
例えば、あるコンピューターシステムを操って3年と言う、ちょっと、その製品に詳しい技術者がいるとしよう。
その製品をベースに新しい製品を作る際には、その技術者が担当になって、新しい製品を作る方がはるかに安全だということが、誰でも容易に推測できるだろう。
しかし、プログラマー達は派遣で容易に切り替えられているから、プログラムミス(バグ)が多く発生するのに気付く。
確かに新しい技術者を養成させるために、何らかの製品を触らせることは、別にコンピューターでなくても、どの分野の世界でもあることだろう。
私が聞いたところによると、日本の大工さんもベテランの大工さんに長年付き添って、技術を習得してゆく。
ところが、派遣システムはこれではない。
上司や部下がごろごろと変わる。
私が思うに派遣システムは技術者の養成を困難にしていると思う。

また、派遣社員は派遣契約を延長してもらいたいがために、必死で働く。
その結果、プログラマー達の夜は遅い。
健康を壊すこともいとわないようだ。
今の世の中は全てが派遣だから、きっと、プログラマーだけではないだろう。
競争を激化させることだけが完全な美徳だと世に思われている。
その競争の具合の良さを示しているのが、これまた、おカネだ。
人は周囲の人々を幸福にするために労働するのではなく、自分の元に大量のおカネを吸収したいがために労働している。

昨今、「政治とカネ」という見出しで、新聞記事やテレビでの報道を見たりする。
おカネをたくさん所有している人間が偉い人間なのだ、威張れる人間なのだ、という感覚が強い。

先程、バグの話をしたついでに少しだけ、付け加えておきたい。
新しいコンピューターシステムを作る際に、ベースになる製品があり、これを流用して開発することがほとんどだから、これをする際にも、ずっと、同じ担当者が引き継ぐことがベストで間違いの無いことだと誰もが自然に思うだろう。
派遣システムはこれを壊している。
しかし、私が実感した所では、そんなにたくさん、コンピューターシステムを開発する必要性があるのだろうか、と思う。
例えば、電話だけど、現在、たくさんの豊富な機能が付いている。
しかし、ほとんどの人が、この電話の全ての機能を使っている人は、ほとんど居ないのが現状ではないだろうか?
お年寄りだと、電話の機能と電話帳の機能だけで充分ではないだろうか?
それは確かに人によって、電子メールが必要だったり、インターネットが必要だったり、カメラが必要だったり、ビデオが必要だったり、メモ帳、スケジュール帳、留守番電話、赤外線、、、、、、
必要な人は必要な機能だけ使用すれば良いだろうけど、作り過ぎではないだろうか?
また、作り続けないと、プログラマー達の給金が発生しない。
無理やり、新たなものを作ろうとしている。

         坂本誠

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