« 2009年12月 | メイン | 2010年2月 »

2010年1月

2010年1月30日 (土)

三百八: 生きるということについて

「人が生きる」というのは、たいていが苦しみを伴うものだと思う。
だから、人は生きるための努力をするのだろう。
しかし、

    「生きねば、生きねば。生きなければならない。生きねば、生きねば。何が何でも、生きて、生きて、生きねば」
   
というような思いはかえって、それ自体が生きる苦しみとなっている。
これは逆説的だが妙を得た考えかと思う。

上のような考え方だと人は他人を殺すこともあるだろうし、また死ぬ際に非常な苦しみをもたらすだろう。
生きているうちに、ある程度の生きるための努力はしないといけないから、その努力は苦しみとなるだろうが、必要以上に生きることに執着してはならないと思う。

なぜならば、上のように生きる願望自体が、その人の生きる苦しみともなるから。

         坂本誠

三百十二: 辞書について_No.2

百九十:辞書について』の2番目です。
百九十:辞書について』で、辞書を偶然にはぐって目に飛び込んだ単語を調べて楽しむことを書きました。

また、ちょっとした文章を書きたい時に、辞書のどこでもいいから、いきなり「バサリ」とめくって、目についた単語から、自分の思ったことを感想文にしてみると、色々な文章が書けると思います。

その目にした単語でも、いつも使う単語でも違う意味がある場合も多いものです。
英語の辞書でも、「have」という単語にたくさん意味があるのに気付きます。
私の手にした英語の辞書でも「have」の説明は3ページあります。
たくさんある意味の中で、haveには「だます」という意味もあるそうです。
また、haveには「許す、我慢する」という意味もあるそうです。

一つの単語でこれだけ、たくさん意味を持たせているというのも、便利なことかも知れません。
だけど、逆に言えば、一つの文章の中で、意味を特定させるのが、難しいです。

上のhaveでも、たくさん意味がありますが、これが逆に、パソコンのソフトで、翻訳ソフトを作成する際の非常に困難な障害をもたらしているのです。
パソコンの側だと、haveの何個もある意味のうちの一つだけを使って、翻訳しないといけません。

例えば、
   
    "I have you."
   
という文章を考えて見ましょう。

上の文章を日本語に訳すには、

    「私はあなたを持っている」

と字義通りに訳せます。
しかし、上に例を挙げた、「だます」、「許す、我慢する」を使うと、

    「私はあなたをだます」

とか

    「私はあなたを許す」

とも書けるわけなので、この辺が翻訳ソフトの難しさの一点になっています。

勿論、翻訳ソフトは「許す、我慢する」の意味を使う場合には、【won'tのあとで】と書かれていますから、その条件があるかないかを調べた上で翻訳するでしょう。
しかし、このように、意味をたくさん持った言葉はどの国の国語にも見られるので、これが翻訳ソフトの難点でしょう。

また、私達も普通に日本語を話していて、意味の取り違いなども多々起こっていますので、翻訳ソフトの問題よりも先に、「正しく語る」と言うのは難しいことだと思います。
普通のメールでのやり取りとか、ネット上のブログの書き込みでも、親しい友人同士の間で

    「おまえ、バカか」
   
と言われて、もし相手の顔の表情が笑っているのが見えれば、受け取る側は、「ああ、冗談か」となるでしょう。
しかし、メールやネットでは、普通、相手の表情が見えないので、相手が笑っているか、怒っているかがわかりません。
だから、受け取る側には「あの人は冗談で言っている」か「あの人は真剣に言っている」の判断材料が欠けているわけです。
だから、インターネット上でトラブルが多いのもうなずけます(しかし、逆を言えば、世の中にインターネットが現れたことによって、人々は「正しく語る」と言うことを勉強させられているのかもしれません)。
このように語ること自体も難しいので、翻訳ソフトになると、翻訳はなおさら難しい問題となるでしょう。

辞書をパラリとはぐろうとして、何をか書いてみました。

         坂本誠

三百十五: 私の街の古い写真

今、私の街、北九州市の古い写真集を見ている。26
昭和20年頃や、昭和30年代頃の写真を見ている。
当然、白黒写真だ。
現在の街の人々が、この写真を見たら驚くだろう。

確かに土手の形やトンネルの形は今のままだ。
しかし、今は車道のみの道の上にチンチン電車が走っている。
木々が生い茂り、その葉は緑色の筈だが、白黒写真なので、白と黒の陰影だけだ。
当然、今はある店も全く、そこには無い。
今は埋め立てられて工場の敷地になっている場所に海水浴場がある。

時の流れを感じるのは言うまでもない。
だが、この白黒写真の持つちからは不思議だ。
何十年分もの時が凝縮されて、その紙の上に時の陰影が閉じ込められているような気がする。
カラー写真だと、この時の重みを感じるのは難しい。
この白黒写真というのは、カラー写真とは違った一つの芸術のような気がする。

そして、私達でも今現在、1000メートル先のビルを見ると、当然ながら、その間には1000メートルの空間がある。
そのビルにたどり着くには1000メートルの空間を何かの方法で横切らなくてはならない。

今、私が目の前にしている写真は昭和26年のものだから、59年前の写真だ。
その白黒写真を見ていると、明らかに59年分の隔たりを感じる。
時がまるで距離のようだ。
私の街の古い写真を見ていると、不思議な気がする。
どこか甘い郷愁を感じる。

今、にわかにセピア色の写真が流行っているけれど、白黒写真の持つ時の重みや哀愁感を表現するのに、カラー写真よりも、はるかに効果的だろう。

(写真は財団法人 北九州市都市協会の作成した「記念写真集 北九州市 20年のあゆみ」からの引用。昭和26年頃の大里新町付近)

         坂本誠

三百十四: 考えるちから

ショッピング・センターに行くと、エスカレーターやエレベーターがあり、とても便利だ。
しかし、エスカレーターやエレベーターが出来たおかげで、人は階段を歩くことが少なくなった。
きっと足腰のちからと心肺機能を弱めただろう。
階段を使わないことが、色々と糖尿病や高血圧などの成人病を引き起こしていたり、子供の体力不足を引き起こしていたり、はては青年が少なからず成人病になっているというのを聞いたりしたら、ちょっと驚く。
エスカレーターやエレベーターだけでなく自動車も人間の運動不足を引き起こしているだろう。
だからと言って、私は「エスカレーターやエレベーターや自動車が人間の悪い産物だ」とは言わない。
本当に必要な時は多々ある。

今の世の中、多くの店が弁当を売っている。
しかし、もし、多くの主婦が毎日毎食の食べ物を弁当ですますと、やがて、その主婦はものを考えるちからを失っていくだろう。

また、今の世の中、大量の品物が店に溢れている。
例えば、ちょっと自転車の座席の乗り心地が悪いからと言って、その自転車を捨てて、すぐに他の新しい自転車を購入するようだと、その人は次第にものを考えるちからを失ってゆくだろう。
座席の乗り心地を良くするには、軽い座布団を敷いたり、ちょっとだけ、座席を下げてみたり、ないしは座席の部分だけ、取り替えるという、少し考えただけで、3つのパターンを考えつくことができる。
上に挙げたのは一つの例であって、別に自転車でなくても良いだろう。

太平洋戦争後のまもない頃、子供達はオモチャが無かったので、自ら、オモチャを考案したり、自らの手でオモチャを作っていた。
例えば、凧とか、メンコとか。
今現在(2010年)の子供たちから見たら、信じられないだろう。
それが逆に、子供達の創作能力を磨いただろう。
つまり、頭が良くなっただろう。
今の子供達は、オモチャを購入したいと、すぐにオモチャ屋へ行って買うことが多い。
つまり、頭を働かせない。

別に頭を良くするだけならば、自分で決めた道の上でだけ、頭を使用していれば、頭も良くなるだろう。
例えば、物理の世界に身を置きたければ、物理の問題をいつも解いていれば、物理の方面で頭は良くなるだろう。
しかし、本当に頭が良くなるためには、その人を無人島に置いてみれば良いかもしれない。
全く、その人の予期しない事柄がその人を襲い、予期しないことに対処していけば、凄い勢いでその人は頭が良くなるだろう。
物理の方面で頭を活かしたい人は、同じ道の上で様々にものを考えることが出来るから、さして頭を酷使していることにならないかもしれない。
その人が無人島で餓死する可能性も大いにあるが、その人は無人島で生き抜く為に、恐ろしいほどの知恵を発揮するかもしれない。
そして、その頭の回転のし具合たるや、はなはだしいものがあるだろう。
(その人が餓死するといっても、人間、いつの日にか死ぬけど。)
文明が盛んになるに連れて、欲しいものは簡単に手に入るようになるから、人間の想像力は、次第に小さくなるかも知れない。
だから、今、21世紀の初頭だけど、1世紀頃の人間の頭の良さと現在の人間の頭の良さは違っているだろう。
ひょっとしたら、1世紀頃の人間の頭の方が良かったかもしれない。

         坂本誠

夜景

Img7d92cb71b6cc
林立するビルの光を見ている。

イヤホンから流れる音と光を組み合わせると、
音に沿って  ビルが、
高くなったり、低くなったりし始めるようだ。
ボリュームを現す  ステレオの上下のように。

僕のワクワクした心は
その光の塔の上を  次々と蹴りながら、
遠くへ  遠くへ飛び跳ねてゆく。


                    坂本誠

三百十: カラオケ

私は色々と考えたりする人間でもありますが、他の人が見て、意外に思うのは、私が大のカラオケ好きという点でしょう。
しかも、大体、歌うレパートリーは、躍動的な音楽が多いです。
特にサザン・オール・スターズが好きです。
腹の奥底から大きな声で歌うと悩みも消えます。
また、大きな声で歌うと、汗が吹き出てきます。
大変、良い運動にもなっているでしょう。

何か詰まることがあったら、考えることを止めて、お日様のように元気よく歌うことが大事かもしれません。

         坂本誠

三百七: プログラミングについて

このエッセイ・コレクション『悲喜憐偉』には人文系のエッセイが多いです。
しかし、たまには科学技術系のエッセイも良いかと思い、プログラミングについてのエッセイを書きながら、後半にうまく人文系のエッセイを絡ませることにしました。
-------------------------------------------
私が中学生の時に、私の家族がパソコン(当時はマイコンとかとも言ってました)を買ってきました。
最近(2010年ぐらい)の記憶媒体はDVD-RWが多いようですが、私の中学生の頃はカセットテープでした。
月日の経つのが早く感じます。
当時は、例えば、ワープロ・ソフトやインターネットを見るためのブラウザなどを全て、自分でプログラミングしないといけない時代でした。
私の家族が、結局、プログラミングが出来ないので、パソコンを放置してしまい、結局、そのままだと非常にもったいないので、私は一人でプログラミングのマニュアルを学習しながら、ゲームソフトを作っていったものでした。
その時から、コンピューターの出すエラー、バグと言うのですが、これに付き合わされると、夜中の12時を自然と回っていたのを思い出します。

社会に出て、プログラミングをしてみると、さすがに、覚えることが多くて、泣く泣く会社のデスクに、毎日、坐ったのを思い出します。
私も上司に叱られて叱られて育ちました。
だけど、その叱られて覚えた技術が後で生きてきました。

-------------------------------------------
今でも、一つの会社の求人広告を見てみると、大体、特定のプログラミング言語で募集がかけられています。

C++言語とかCOBOLとか。
C++言語だと、『for』という言葉があります。これは幾つかの処理を数回行うものです。
しかし、COBOLを見ると、『PERFORM』という言葉があります。
説明文を読むと、これも幾つかの処理を数回行うものです。

C++言語だと、『if』という言葉があります。これは場合に分けて処理を行う分岐を意味します。
しかし、COBOLを見ると、『IF』という言葉があります。
これも場合に分けて処理を行う分岐を意味します。
このようにして、一つのプログラミング言語を覚えた人は、たいがい容易に他のプログラミング言語を習得できるでしょう。

私が思うに、
    「一つの企業で、特定のプログラミング言語で、募集していても、あまり意味が無いのでは?」
と思います。
アメリカのプログラマーも同じようなことを言っています。

ただ、私が思うには、C言語を習得した後、C++言語を習得する道が一番良いかと思うのです。
(ついでに、アセンブラというハードウェアよりの言語を習得しておくと、コンピューターの仕組みや内部の構造がハッキリと掴めるため、このアセンブラを知っていた方が良いと思います。)
そうすれば、大抵のプログラミング言語を習得できると思うのです。
-------------------------------------------
あと、実際の企業で働くと、他人が以前にプログラミング言語で書いた文章を読む技術が必要になってきます。
これは、あまり、私も言えません。
実は、言えないことの方が多いのです。
なぜかと言うと、そんなに簡単に技術の放出をしていると、この道に入ってきた人が、努力をしなくなるからです。
努力をしない人材は次第に人間的な価値も下がっていってしまうので、容易に技術の伝達は出来ない訳です。
これは、他のどんな道でもそうでしょう。

他にも、設計の仕方の技術とか調査の技術とかヒアリングの技術とか、、、、。
また、あまりにも専門的なことをここで言ってもいけませんし。
別に私でなくても、多くの人が色々な技術を持っているでしょう。
-------------------------------------------
誰でも自分の受け持つ製品には納期が定められるでしょう。
きっと、その納期の問題に一度は誰もが悩まされるでしょう。

しかし、最終の顧客(エンド・ユーザー)の側から見ると、実は納期を一ヶ月延ばしにしても良いのです。
エンド・ユーザーが「納期を一ヶ月延ばす」と言ったら、それで終わりです。

しかし、納期を延ばし延ばしにすると、製作者の士気が上がらないのです。
つまり、これも努力がないがしろにされないために、納期と言うのは定められています。
また、「納期は無限の先の未来」と言われると、誰もがやる気が無くなります。
しかし、いくら製作者の努力を見込み、納期を延ばしてやっても、どうしてもダメならば、製作者を外さないといけません。
顧客の側の目的が果たされないからです。

顧客が厳しくなるか、優しくなるかは、その時と場所によるでしょう。
-------------------------------------------
ここからは私の考えになるのですが、多くの技術者の心の中に『争いの波動』や『闘いの波動』を見るのです
(いや、技術者だけではないでしょう)。
技術と言うのは研磨が必要だと私も思うのです。

しかし、現在の世の中を見ると、科学技術の発達した国が、豊富な食料やエネルギーを手に入れられる仕組みです。
そして、後進の国と言われている人々を見ると、今まさに飢えで死のうとしている人や、一本10円の注射を受けられないために死んでゆく人もいます。
進んだ国の人たちは自分達の競争に夢中で、他国の飢えて死んでいこうとする人には見てみぬふりをしているか、テレビの中の出来事だと思っています。
人類愛の思いに欠けていると思うのです。
技術の研鑽の精神がどことなく、いつからか、争いと戦いの精神になっていると思うのです。

多くの人々は「平和を愛する」と口では言っているものの、実は、心の奥底では周囲との戦いに生きがいを見出しているような気がしてならないのです。

競争も過ぎれば、闘争になり、戦争になるでしょう。
だから、科学技術が戦争道具に応用されていると思うのです。

こういう状態は無い方が良いと思うのです。

         坂本誠

2010年1月21日 (木)

関門海峡

                    関門海峡

二つの山の間を
海の川が流れる。Img7d9331da6428_3
両岸の街には、
赤や青のネオンの明滅が浮かぶ。

武蔵と小次郎が  剣ではなく、
酒を交わしながら、
海峡の上の
夏の花火の彩(いろどり)を肴にしている。

今は亡き  平家と源氏の亡霊が、
ネオンに照らされた  川の海の上で、
にらみ合っているかのように
思えてしまう。

白い翼をした  関門橋は
黙って
私の心の中の彼等を見続けるのみ。

海の川は
時の流れの川なのか。

遊覧船の人々の笑顔を
川の潮風が  触り続けている。Img7d9331da6486


                    坂本誠

2010年1月20日 (水)

三百五: 口調について

私の周囲にいる人からの私への助言を聞いてみますと、Img7da788435a6_2
   
    「口調が鋭い」

と、たしなめられたりします。
そして、私の書き続けているこの『悲喜憐偉』を読み返してみると、既に、その文体の中に、ある種の鋭さを感じてしまいます。

少し残念に感じてしまい、また、申し訳なく思います。
実は今の私の身体は痩せてしまっています。
太っている時もあったのですが、その時はやはり性格にも丸みがあったと思うのです。
やはり、痩せていると性格にも鋭さのような物が出てしまい、少し残念に感じてしまうのです。

しかし、やはり、私の心の中にある、私の人生の目標が、このちょっと痩せてしまったような性格を作っているような気がするのです。
その目標自体は悪では無いと思うのですが、他の人が聞いたら、ちょっと変わっているかと思うのです。

そして、気付くことは、文章を書いていても、私の性格がそこに乗ってしまっていることです。
やはり、他の多くの人の文章を読んでも、そこに性格が乗っているかと思うのです。
と言うよりも、言葉になるよりも先に、人の想いがビジュアル化されて、それが文字の上に乗っていると言えるかもしれません。

だから、これを読まれている方は

    「ぜひ、坂本誠の心に暖かみを持たせたいものだ」

と思われているでしょうが、これは私の反省点、改善点として、捉えます。
最近はご飯も多めに食べるように心がけています。

しかし、誰もが、あまりにも自分の語る口調について考え込んでいると、ノイローゼになったり、何も語れなくなってしまうでしょうから、あまりにも深く考えない方がいいかもしれません。

         坂本誠

2010年1月19日 (火)

二百十二: 西日本のある日_下関

みなさん、こんばんわ。
m(_ _)m
何を書こうかと、考えていました。
で、色々、日本に住む方のことを考えて、以前に僕が行ったことのある西国の旅行先の事を書いてみようと思いました。
西日本なら、ある程度、僕の余裕と時間のある時に訪れて気分転換などが出来るからです。
普段、西日本を訪れる機会の無い方も、少しは見聞を珍しく感じてくれるかもしれません。

で、昨日は長崎市でしたが、今日は下関市のことを書いて見ます。
-----------------------------------------------------
「旅」とは言っても、下関市は、もう隣街ですので、これだと「旅」では無くて、「ちょっと隣の街まで行った」という程度でしょう。
関門海峡の700メートルの向こう側に広がる街です。
実際、お互いの市民が仕事やレジャーで、ほぼ関門トンネルを使って、行きかっています。

ちょっと今日は写真が多くなってしまいました。
下の写真は『赤間神宮(あかまじんぐう)の水天門』です。
Photo_2       

古来より、下関地方は『赤間』と言われていたのですね。
その地名が由来しているのか、大体に赤の色調で覆われた神社です。
ここには、源平合戦で亡くなられた安徳天皇が祭られています。
-----------------------------------------------------
下の写真は赤間神宮の横の『耳なし芳一(みみなしほういち)』です。
Photo_3      

源平合戦で亡くなられた武将や女性や安徳天皇の亡き霊を、美しい琵琶の音で慰めたと言われる盲目の琵琶師です。
亡き霊を払うために、身体中に仏の言葉を墨で書いて、亡き霊に姿を見られないようにしていましたが、耳だけ、墨の文字が書かれていなかったので、耳をとられた琵琶師ですね。
実在したかどうかはわかりません。
しかし、過去を趣深く、偲ぶ気持ちにさせられます。
-----------------------------------------------------
下の写真は『綾羅木(あやらぎ)の浜』です。
_2      

下関市の日本海側の海です。
美しい海が広がっています。
ここには海水浴場がたくさんあります。
ですので、高校時代の僕も、友人達と一緒に海水浴に行きました。
その時、やはり、中学時代の友人達と、ばったり顔を合わせました。
今となっては懐かしい思い出です。
-----------------------------------------------------
下の写真も『綾羅木の浜』です。
_1      

小さな石を撮っています。
しかし、石の周りに、海の方向へ向けた三角形の波紋があります。
潮が引く時に、石を中心にして軌跡が出来ているのですね。
この写真を見られる方々の、少年少女時代に見た、なぎさを思い出して頂ければ幸いです。
-----------------------------------------------------
下の写真は『綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)』です。
1      

綾羅木の浜のすぐ近くにあります。
『若宮古墳1号』と言う、前方後円墳です。
大きさは上下が25メートルぐらいです。
高さは4メートルぐらいでしょうか。
登って、遊べます。
-----------------------------------------------------
下の写真は『若宮古墳1号』の上に位置する『墳丘墓』です。
Photo_4      

ここに豪族の遺体が安置されていた訳です。
-----------------------------------------------------
下の写真は『岩谷古墳(いわだに古墳)』です。
Photo_5      

中央に、遺体を安置した棺室の入り口が見えます。
-----------------------------------------------------
下の写真は『下関市立考古博物館』です。
_      

このように遺跡が発掘されるので、博物館が建ちました。
そこに発掘された弥生式土器がたくさん展示されています。
-----------------------------------------------------
下の写真が復元された弥生式土器です。
Photo_6      

ですから、この辺一帯は、弥生時代から古墳時代に栄えていました。
海が近くにあるので、そこで魚を獲ります。
そして、この古墳群がある所が、なだらかな丘になっています。
ですので、稲作をしていたと。
今、行っても、2000年前と変わらない、なだらかな丘が僕を穏やかな気持ちにしてくれるでしょう。
-----------------------------------------------------
山陰の海から帰ってきて、関門海峡側の市街地に再び入りましょう。
下の写真は『日清講和記念館』です。
Photo_7      

日清戦争の終了後、条約が結ばれたのが、この建物です。
あの有名な一方的な条約がここで結ばれたのですね。
まあ、過去の話です。
これは『赤間神宮』の真横にあります。
-----------------------------------------------------
そして、再び赤間神宮に入ってみましょう。
下の写真は『埋蔵文化物(八咫鏡)(やたのかがみ)』を証明する石碑です。
Photo_8      

少々、諸説が色々とありますが、紹介しておきますと、

源平合戦の折、
最期を覚悟して
三種の神器である神爾と宝剣を
身につけた
二位尼(にいのあま)が、
安徳天皇を抱いたまま
壇ノ浦の急流に
身を
投じ
ました。

この神爾が八咫鏡なのですね。
諸説がありますが、今だに、海中にこの鏡が沈んでいると言われているのです。
ですから、多くの人の目に触れることは無いのですが、海中に埋蔵されていると言うことで、全国でも珍しい埋蔵文化物を証明する石碑が建てられているのです。
=====================================================
他にも、『唐戸市場(からといちば)』という有名な魚市場があります。
写真が無かったのですが、よく美味しい魚が獲れるのですね。
良い漁場が広がっているのです。
特に山陰の海は綺麗なので、太公望たちのメッカにもなっているのです。
今は、「ふぐ」が良く獲れます。
きっと一杯、売っているでしょう。

あと、関門海峡は昔から、ちょっと悲しいことに軍事上の要衝なのです。
地図で見てもおわかりのように、本州と九州の接点です。
ですから、例えば、本州から九州に兵を出すとしましょう。
この海峡を通って、兵隊を送り込むのが一番良いのです。
また、例えば、モンゴル帝国の元(げん)が畿内の京都を攻めに行く時、きっと、水軍を送り込んで来るでしょう。
その時、どこを通るかと言うと、この関門海峡を通るのです。
従って海峡を封鎖しないといけません。
だから、陸の交通、海の交通が、この一点に集まっているのです。
だから、昔から時の政府は、多くの武士を配置して、この関門海峡を守ったのです。
「軍事上の要衝」ですから、昔から戦も多いのですね。、、、、、
多分、これも過去の話になるでしょう。
小倉を描いた映画で、三船敏郎主演の『無法松の一生』という映画があり、これによって「小倉っ子は気が荒い」と全国に知られているのですが、若干、このような背景が流れているので、小倉っ子の気質は荒いのかもしれないですね。

では、この辺で。
m(_ _)m

Powered by Six Apart
フォトアルバム