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2009年12月

2009年12月31日 (木)

二百九十一: 大晦日

今日は2009年12月31日の大晦日だ。
私にとって神聖な日だ。
いつも毎年そうなのだが、朝から自分の部屋にこもり、一年を振り返る。

今年の大晦日は寒い。
朝から雪と風が冷たい。
今朝は道路が多少、凍ってもいたので、途中でジョギングをやめた。
朝食を取ったが、いつもより多めに食べた。
昨今、いくら健康増進のために運動や控えめな食事が奨励されているとは言え、鬼のように身体を鍛え上げることは間違っていると思う。
それでは、滝に打たれていた昔の修行僧と同じだ。
朝食の後で二度寝してみた。
身体にご褒美をやることも大事だと思う。

ブラインドまで閉めているので、部屋の中は暗い。
風でブラインドがガタガタと音楽を奏でている。

いつもながら、大晦日に思うことは自らの小ささだ。
自分のいたらなさとつまらなさを思う。
普通は実感できないのだが、自分の身体の小ささと地球の大きさの違いを感じてしまう。
それだけ、まだまだ精進できる余地と喜びが残されているのかもしれない。

悩みも多い。Img7d83eae6dcd3_2
悩みの無い人間がこの世にいるだろうか?

苦しみばかりでなく、喜びもあった一年だった。
我が家の猫ベルは天に召されたが、天は我が家にミリィという猫を授けてくれた。
喜びの方には感謝の気持ちを捧げねばならない。

少年の頃からそうなのだが、大晦日の日には、

    「全てをやり遂げた」
   
という肩の荷が降りるような喜びがしてならない。

自分の部屋の中で、大きな安堵感を得ながら、神聖な気持ちになりつつ、さなぎが蝶に変身するかのような喜びを胸に抱いたまま、私は新年の曙光を浴びるのだ。

Img7d94c44116c4

坂本誠

宇宙の水

こんにちわ。
大晦日になりましたね。

今年もお世話になりました。Photo
m(_ _)m
来年もよろしくお願いいたします。
(=⌒ー⌒=)

今年の詩の紹介は、これで最後です。

激動の一年でしたが、明日の元旦には部分日食が見られるそうですね。moon1newmoon
宇宙時代を身近に感じられますね。
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        宇宙の水
                   
                   
黒い宇宙空間の中に
河のように  煙のように  水が流れている。
その水の上に乗る私。
水が音楽になっている。

掌の上にも水があり、
それがボールのように  膨らんだり、縮んだり。
また、幾つも弾けて、溶け合いもする。

多くの星々の光を見つめ、その光を浴びながら、
河の上を漂い、私はどこかへ流れてゆく。

        坂本誠

2009年12月30日 (水)

百七十六: 文章を書く難しさ

文章を書くのが、とても難しいと感じる時があります。Img7d83fae265ed
例えば、政治についてばかり語っていれば、本当は政治家になりたくない人でも
   
    「この人間は政治家になりたいのだ」

と心中が、他の人に推測されてしまうことがあるでしょう。
絵画のことに関してもそうでしょう。
経済、パチンコ、車、、、、、、、、
はては、文章論の事を語れば、

    「この人間は、、、、」

となってしまうかもしれません。

絵画や他の芸術でも、他の何とか論についても、そうでしょうけど、人が何かを作り出したものには、その製品に人の精神が何かしら、にじみ出ていると思います。
陶器にしてもそうでしょう。
握り寿司にしてもそうでしょう。

とりわけ、文章を書いたり、口から発せられた言葉には、直接、その人の心情が込められていると思います。
ある程度、プライバシーが無くなっている事には否めないでしょう。
だからと言って、何も語らないべきだ、というのは、これも間違いでしょう。
生まれてから、死ぬまで全く何も自己を伝えなければ、その人はちょっとばかり、人生を無駄に終えたかもしれません。

語るのがとても難しく感じる時があります。

         坂本誠

2009年12月29日 (火)

百七十二: アイデア

色々とアイデアを思いつきたい時は、いつも同じ事をせず、違ったことをしてみるといいかも知れません。
例えば、いつもと違う道を歩くとか。

僕は朝のジョギングの際にいつも同じコースを走っていますが、時々、全く違うコースを歩いたりすると、見知らぬ花が咲いているので、ちょっとした発見になります。Img7d93a04f2710
何か一つの仕事をしていたら、全く違う仕事の分野の情報を手に入れてみるのもいいかもしれません。

AさんがXという仕事をしていて、仮にYという仕事があるとしましょう。
AさんがXの仕事の中に新たにアイデアを湧出したい時、Yの仕事の中にあるアイデアを学習して、Xの仕事の中に応用してみるというのも一つのアイデアでしょう。

         坂本誠

2009年12月28日 (月)

二百八十九: 見えないもの

今年もクリスマスを迎えました。Img7d94bddfdcb
街はお祭りムードを漂わせています。
やはり神聖な一時を感じます。

思い出せば、聖書とか仏教聖典には人々の心に安らぎと潤いを与えるものが多いです。
だから、2000年以上経った今でも読み継がれているのでしょう。

    「人々に慈悲を与える行いをなせ」

とか

    「人々を愛せ」

等です。

しかし、よく見ると、そこに「神を信じよ」とか「仏を信じよ」と書かれています。
人々はこれを読んで、どう思うでしょう?
たいていの現代人は一笑に付すでしょう。
なぜならば、目に見えないからです。
歴史書を紐解いてみると、500年前の世界の人々は磁力や電波のような目に見えないものが存在するなんて誰も信じませんでした。

科学が進むにつれて、やっとその存在が当たり前になると、人は何の不思議も感じなくなります。
磁力や電波が発見されていない世界で、それらのちからを使ったら人々はまるで魔法か奇跡のように感じたでしょう。

当然、現代(2009年12月)でも、科学で解明されていないものは多いでしょう。
例えば、宇宙空間に存在していると言われるダーク・マター(暗黒物質)です。
詳細は以下のURLを参照してください。

「暗黒物質」
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%89%A9%E8%B3%AA

この物質は重さだけはあるのですが、形が無く、見えないと言われています。
科学の目はいまだ、それを捉えることが出来ません。Img7d94c76145bf
また、身近な秘密は私達がよく目にしている太陽にもあります。
太陽の表面温度は約6千度ですが、その外側に放射されているコロナの温度は約100万度です。
この秘密もいまだ、科学の目では解明されていません。
似たような例を挙げれば、幾らでも見つかるでしょう。

その暗黒物質やコロナの温度も、いつの日にか人々が知ってしまえば、何でもないことになってしまうでしょう。
だから、今、私達が大いに摩訶不思議で際物(キワモノ)扱いしているものも、順次、明らかになれば人々は

    「ああ、そうだったのか」

と自然に納得するでしょう。

しかし、その秘密が明らかにされていない、ないしは、その秘密を今まさに明らかにしようとしている人々は大変な迫害に遭っていることは歴史が証明しています。
例えば、天動説ではなく地動説の問題です。
あるいはアメリカ大陸の発見の問題でしょうか。

私達は「わからないことが多い」と謙虚になるべきでしょう。
科学でわからないモノ全てを「オカルトものだ」と決め付けるのは間違っているかと思います。

最近はよく、ゴールデンタイムのテレビで未確認飛行物体の番組をよく見かけます。
テレビ画像を見ると、そのような物体が映っていますが、私はその真偽は問いません。
また、マスメディア等で、よくスピリチュアルと呼ばれる関係の報道や雑誌を見かけますが、これも私はその真偽は問いません。

しかし、宇宙人という高度に優れた科学技術を持っている存在が地球を侵略することはたやすいことでしょう。
だから、今だに侵略してこないとなると、彼等は温厚な存在なのでしょう。

私が本屋で立ち読みした本には以下の言葉が書かれていました。

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エル・ランティの言葉

「大宇宙より多くの友が、あらゆる技術をもって応援しようと地球のまわりにきてくれています。、、、、
しかし、彼らが援助しようと、様々な知識を与えようと思っても、もし宇宙人があらわれたなら、ロケット砲などで円盤を打ち落としてやろう、などというような野蛮な民族の星の者たちに、どうして彼らが近づいてくることができましょうか。
他の星の者たちから見るならば、地球に住まうものは、非常に原始的な星の住人であるわけです。、、、、、
そうすることで、今その存在をけっして見せない、見せてはいけないのではあるけれど、、、、、、

            『宇宙時代の神の子たちへ』の29ページよりの引用

            レムリア・ルネッサンス編    たま出版
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今、世界中には食べるものも無い難民の方々もいます。
また、冬ですから、日本中の公園の野良猫や野良犬は寒さで死んでゆくでしょう。
そういう時に、私達一人一人がどういう政治、つまり、どういう心のあり方を持たねばならないかを自らの心に問わなくてはならないでしょう。
おカネ_No.5」にも色々と書いていますので、どうかそれも参照してください。
簡単に言えば、

    「おカネを取るか? 幸せを取るか?」
   
と聞かれたら、人はどちらを取るでしょう?

もし、宇宙人がいたら地球人を地球に閉じ込めておくでしょう。
宇宙に出たら資源は一杯あるでしょうが、それを一部の地球の人々が独占して、おカネという札をつけて、それを売り、その一部の地球の人々が益をなし、さて、

    「私は他の人々よりも偉いのだ」
   
と威張る地球人が宇宙に出て来られたら、宇宙人にとって、はなはだ迷惑でしょう。
また、地球には戦争の好きな人々が多くいるみたいですから、宇宙人にしてみたら、地球人を地球に閉じ込めておくしかないでしょう。

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バシャールの言葉

「お金、地球のお金ですか、これ?
他に行ったら何も使えません。
私たちの世界でお金はなくても必要なものは互いに奉仕し合い、分け合い、分かち合うのです。
何もお金なんか持って行かなくてもみな必要なものは一つのスーパーみたいなところがありまして、皆行って取ってくるのです。

            『宇宙連合からの呼びかけ』の201ページより

             レムリア・ルネッサンス    まんだらけ出版
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とありますから、やはり宇宙人にとって地球人は迷惑な存在かもしれません。
確かに宇宙人に地球人の間のおカネが通用するとは限らないでしょう。

『見えないもの』と題して、色々と書き綴ってみました。

         坂本誠

2009年12月26日 (土)

二百八十六: 休むこと

何だか色々していたら、フッと「休んでみるか」と、頭の中をよぎって、休んで見ることにした。
自分は焦っているのではないかと思った。

まず、いつもの床屋に行って散髪した。
髪を切ってもらったり、髭を剃ってもらうのは気持ちがいい。
散髪してもらう時は、活字を追うことも出来ないし、何も動くことが出来ない。
現代人には瞑想の時間が欠けていると思うけれど、散髪の時間が瞑想の時間なのかもしれない。

散髪から帰ってくると、近所の人が私を呼んだ。
その人の家の中にある道具を治して欲しい、と頼まれた。
私は何とかして、その道具を治すと、その人は私にビールセットをくれた。
以前も同じことがあったので、その時もその人はビールセットをくれた。
だから、今、我が家にはビールやお酒が2か月分ぐらいある。
ありがたい。

その後、私はかなり久しぶりに自分の親戚の家を訪ねた。Img7d94c8f016e3
年末の挨拶も兼ねてだ。
私の叔父と叔母は快く私と私の家族の者を迎えてくれた。
私は仏壇に入っている私の祖父と祖母に手を合わせた。

私は子供の頃、その親戚の家に遊ぶため、よく泊りに行った。

私が子供の時から見ていた壁時計がまだ時を刻んでいた。
叔母に聞けば、50年ぐらい時を刻んでいると言う。
今でもネジを巻いて、時計の起動力にしている。
時計の下にぶら下がっている振り子はダテに振れ続けているのではないのだ、と思った。

私はその家の2階に行った。
ちょっとしたテラスになっていて、私が子供の時はそこで、私の従兄弟達と相撲を取ったり、プロレスをしたり、望遠鏡で夜空を見上げたものだった。Img7d94c8f016d3

そして、その家の庭には今でもバラが咲いているのだが、そのバラの木が30年以上もバラの花を咲かせ続けているのを改めて知った。
確かに30年も前にその木にバラが咲いているのを、私のこの目で見た。
驚きを覚えた。
その他にもその家の庭に、私の名前の知らない植物が30年以上も生息しているのを見て驚いた。
植物は長生きだ。

又、私が小学生の時、私は祖母の畑仕事を手伝った。
その畑も残っていた。
その時分に畑に与えた肥料は臭いものだったが、それを肩に担いで畑に持って行き、祖母と一緒に肥料を野菜に与えたことを思い出した。Img7d94c8f016b4_2

しかし、今となってはそれらは懐かしく楽しい思い出だ。
人はこのようにして、タイムスリップすることも出来ると思う。

何かに感謝したい気持ちを得たい時には、子供の時によく遊んだ場所に訪れるのがよいかもしれない。
過去の思い出が蘇り、その思い出によって自分の心の中に愛情の火を灯せると言うものだ。

30年前にその親戚の家に行って遊んだものだが、30年経った今、再び遊びに行ったというところだ。

今日は休んだ気がした。

         坂本誠

2009年12月23日 (水)

二百八十四: 筆の流れるままに

私の家は日本によくある仏教です。
つまり、お葬式や法事の時にはお坊さんが来ます。
しかし、実を言えば、私が敬虔な仏教徒かと言うと、そうではないです。
仏事の時に、仏教事をしていると言う所が本当のところです。

しかし、私が骨休めで長崎に行きますと、そこにはよくキリスト教の教会が建っていますので、観光がてら、教会巡りをします。Photo
「観光」という目的もありますが、それらの教会を見て、私はその美しさに心打たれるのです。


まるで清冽な水で心を洗い流されるかのよう。
教会内部の新鮮な空気は朝の光で清められている冷気のよう。

実際、私はよく長崎に行きますから、ひょっとしたら私は内心キリスト教徒なのかもしれません。
事実、多くの人が自分の胸の内に尋ねてみると、どちらかと言うと「仏教建築を好む」とか「キリスト建築を好む」とか「イスラム建築を好む」とか色々と趣向があるでしょうから、面白いものです。

また、長崎の面白いところは、キリスト教の教会も多いですが、中国の孔子のための孔子廟もあり、また、有名な崇福寺(そうふくじ)、興福寺(こうふくじ)、福済寺(ふくさいじ)のような中国寺もあります。
鎖国時代に唯一開港されていた街なので、華僑が多いので孔子のお墓まであります。
ですので、中国建築も楽しめます。Photo_3

あと、長崎の祭りで有名な「長崎くんち」は諏訪神社が主催でやっていますので、立派な社が丘の上に建っています。
そこで古式ゆかしい巫女さんのはかま姿を見ることも出来ます。

その「長崎くんち」は龍踊りがあったり、「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」と言われる、オランダ人をかもしだした踊りがあったり、日本の獅子舞も披露されたりしますので、多彩です。
ですので、見ていて面白いものです。Photo_4

今でも各国の外国人の多い街で、その街全体の雰囲気をあの有名な長崎の夜景が取り囲んでいるわけです。

仏教の寺のことを書こうと思っていたら、筆が流れて、長崎のことを書き綴っていました。

また訪れたいものです。

         坂本誠

2009年12月22日 (火)

二百五十六: 考えすぎ

「考えすぎたらいけない、考えすぎたらいけない」と思いつつ、インターネットの動画のチャンネルを回していたら、今は亡き女性のCMの動画集に行き当たった。
何となく、小さな涙を感じた。
         坂本誠

2009年12月21日 (月)

銀の月

                    銀の月Img7d94c544562e
                   
                   
冬の夜に
銀の月が  かかっている。
月が銀の笛を吹いている。

黒い雲間から
糸のように  その音が流れてくる。
まるで  下り降りてくる河のよう。

その音が  雪風にゆられて
鈴のようにふるえている。

冬の夜の冷たさと  銀の音色の光が響き合っている。

                    坂本誠

2009年12月19日 (土)

二百八十三: 冬の日の朝

地球温暖化で、最近は雪が降らない冬も多いですが、今年の12月に珍しく大雪が降りました。_3
それも日本全国にです。
少しは地球が冷えたのかもしれません。

しかし、この寒さが私の40肩にしみています。

このブログを読まれている方は知っているでしょうが、私は詩を書いたり、絵を描いたりしています。
「その詩や絵で他の多くの人の心が清まればいいな」と思っています。
だけど、だいたい、綺麗な詩や綺麗な絵を作ることは鍛錬を積めば、やがて、色々な人にも出来るかと思うのです。

単純に私は美しい景色が好きです。
その美しい景色の中に、空き缶やペットボトルを置いていく人間がいるので、私はボランティアとして、それを片付けたりしています。

私が思うに、「綺麗な詩や綺麗な絵を作って、人々の心を潤そう」、という行為も良いことかと思いますが、「清掃ボランティアの方が点数が高いのでは?」と内心、考えたりすることがあります。

なぜならば、人はいくらでも、舌は回るからです。
頭の中で考えていることよりも、現実に身体を使った行動の方が点数が高いかもしれません。
この場合の点数とは、自分のやりたいことに対する自己評価です。
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世の中、「地球を綺麗にしよう」と言う、どこかの国の役人が、いざ、海岸などに行って、目の前に転がっている空き缶を見てみぬふりをして、そのまま帰っている役人も多いでしょう。
そのような人の内心は、

    「自分は偉い人間なので、多くの人の前で、そのような自ら腰をかがめることはしたくない」

と思っているでしょう。
だから、彼の「自分は威張りたいのだ」という心が彼の現実の目標とする行動を阻んでいます。
つまり、矛盾しています。
つまり、今、世の中にそれだけ差別意識や格差の考えが人々の間に蔓延しています。
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また、詩や絵の事ですが、美しい絵や美しい詩を製作すると、人々はそれを見て、

    「私の心は大変、癒された。だから、この作品を買おう」

と思って、購入したりします。
つまり、「多くの人々を幸せにしたい」という心が、多くの詩や多くの絵画を作り、それらを多くの人が求めるので、自分に潤いが返ってきます。

つまり、文芸活動をしたい人は自分の作品によって、「多くの人々を幸せにしたい」という思いがないとやっていけないかと思います。
文芸活動をする人も、おカネによって生活を立てないといけない訳ですが、おカネに関するエッセイは、この『悲喜憐偉』の中にも、たくさん書いていますので、そちらを参照してください。
『百十二:おカネ』、『百二十:おカネ_No2』、『百二十一:おカネ_No3』、『百九十九:おカネ_No.5
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にしても、最近は自分の街では、川や公園や海を清掃するボランティアの人が増えたように見えます。
これは素晴らしいことだと思います。
自分の住んでいる街が汚れれば、自分達の心も汚れるからです。
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と言うよりも、ゴミを海や川に置いてゆく人が一番問題でしょう。
他の清掃ボランティアの人も気付いているのですが、「海の浜の上のペットボトルが汚いと言うよりも、そのゴミを捨ててゆく人間の心が汚い」、と言うことに気付くのです。
その人間の心の汚さがゴミになって現れているのです。
つまり、海岸や山や川のゴミは、人の心の汚れなのです。

また、そのゴミを不法投棄をしてゆく人は、たいてい以下の事を思っています。

    「清掃ボランティアなんて、一文のおカネにもならないじゃないか」と。
   
つまり、そのゴミを捨てる人間は、すでに、おカネというものに苦しめられていることもわかります。

また、心と言うものは恋愛の時の心や、仕事の時の心や、家庭問題の時の心やその他、様々な状態を取ります。
それと同じように、心には深い浅いの問題もあります。
つまり、ゴミを海に捨てる人の心のはるかな奥底では

    「ゴミを捨ててはいけない」
   
ということを知っています。
しかし、その人の心の浅い部分では、日頃の欲求不満や何かの問題で、心の浅い部分が汚れているので、

    「ゴミぐらい捨てても平気だ」

と思って捨てています。
つまり、矛盾の心を持っています。

また、海岸や川のゴミを捨てる人間は「清掃ボランティアにゴミ掃除をやらせればいい」という強制や差別や支配の心も持っていることもわかります。

つまり、海や川や山のゴミは人の心の汚れから発生しているわけです。

結果として、多くの人々の心が清まらなければ、ゴミで地球は汚染されて、その汚れた物質が海の魚などに入り、やがて、自分がその腐敗物質を食べて、自らの肉体を蝕むでしょう。
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冬の日の朝、こんなことを考えてみました。Img7d93feb7c330

         坂本誠

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