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2009年11月

2009年11月30日 (月)

会話

会社の経営の苦しい男がImg7d94bddf781
今日も  笑いながら  娘に
語りかけていた。

その娘は
自らの胸に  ひそめている恋を隠しながら
今日も  真剣に  父に返事をしていた。

                    坂本誠

二百七十三: 100点満点と旅の終わり

絵を描いている人は気付くでしょうが、自分の描いた絵に「100点満点の自信を得た」と自己評価できる絵が誰にでも一枚はあると思います。

だけど、その絵を描いている人が、もっと素晴らしい絵を描こうと思ったら、その100点満点以上の作品を描かないといけないのだから、その絵の点数を70点ぐらいに下げないといけなくなるでしょう。
そして、再び、100点満点の絵を描こうと努力し始めないといけなくなるでしょう。

つまり、この世に100点満点の絵というものは、一切、存在しないことになるでしょう。
パブロ・ピカソが

    「絵画に終わりは無い」

と言っていたけど、このことだとわかります。Img7d946381bf29

別に絵画だけではなく、全ての世界に同じことが言えるでしょうから、私達の旅に全く終わりは無いのだと気付きます。
「旅に終わりは無い」と気付くと、何となく疲れを感じてしまいます。
そんな時は、自分で自分に適当に休憩を与える以外に手が無いとわかるような気がします。

         坂本誠

2009年11月28日 (土)

二百七十二: 長崎の部屋から_No.5

                                    (ある日に)Img7d946381bf77_4

何とか都合をつけて、長崎に来ました。
今、いつものビジネスホテルの小さな一室です。
飯もシャワーも終えた後、ベッド上に寝転んでいます。
いつものようにテレビも見ません。
新聞も見ません。
インターネットも見ません。
音楽も聞きません。
ただ、目に入るのは真っ白な天井と壁だけ。
耳に入ってくる音と言えば冷蔵庫の低いうなり声だけ。

過激なまでの情報地獄から一歩、外に抜け出て、、、、、、、
日頃の疲れがいきなり「どっ」と自分に押し寄せてきます。

何となく自分が生まれる前の子宮の中にでもいるかと錯覚してしまいます。
今、真っ白な天井を見上げていますけど、母の胎内にいた時は、自分を下界から守ってくれる壁をこのように見続けていたかもしれません。
今の私は羊水の中に浸かり、これから眠りに入る胎児のようです。

白いまどろみの中に沈んでゆく私。Img7d946381bf96_4

         坂本誠

2009年11月27日 (金)

二百七十: 反省について_No.2

Img7d9465f44a66反省について」の第2段ですけど、やはり、反省は難しいと思います。
「岡目八目」という言葉があります。
人は他人の欠点はよく発見できるものですが、自分の欠点はあまり発見できないものです。

他人から、自分の欠点について言われるものなら、それは「反省」ではなく「欠点の指摘」になってしまうからでしょう。
反省とは自分の欠点を自ら発見してゆく行為だからです。

世の中に罪人となってしまった方々もいます。
これも本人はあまり自分の欠点について深い自覚が芽生えていないかのように見えます。
つまり、「自分は本当は罪人ではないのだ」と腹の中で思っているかのようです。
やはり、他人から自分の欠点を指摘されてそれに対する非を深く自覚するのは、難しいからでしょう。

「自分の非を悟る」と言うのは他人から指摘されても、腑に落ちないから、自分の非を悟るには自らが、日頃から内省する癖をつけておかないと難しいでしょう。
もっとも、「悟る」という行為自体は「全く、誰の手も借りず、完全な自力によって、何かを知る」という行為ですから、人は日頃から内省しないと、悟ることが出来ないかもしれません。
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追記:
上の文章で、「罪人」と言う言葉を使いました。
考えようによったら、この世の全ての人が罪人かもしれないし、また、全ての人は罪人でないかもしれません。

         坂本誠

2009年11月26日 (木)

二百七十一: 一枚の葉っぱ

たまに旅に出ます。Img7d946381bfd5
自分の街ではない街を歩くと、なぜか気が落ち着きます。
と言うのも、自分の知人と出会うことは、まず無いからです。

だから、なぜか安心できます。
自由の度合いが増すからでしょう。
そして、その街で実に多くの人の顔を見ている自分に気が付きます。

昔、女性の歌った「異邦人」という曲がありましたが、確かに自分は今、異邦人なのです。
「大勢の中の孤独」という言葉がありますが、それを味わうには、よその街に行くのが一番です。

海岸の砂浜の一粒の砂になったような気がします。

ですが、「淋しくて仕方が無い」という気はしません。
よその街に行くと逆に賑やかさと華やかさを感じます。

シャーロック・ホームズだったか、デュパンかのどちらかが、言っていたと思うのですが、
「一枚の葉っぱを隠すには森の中へ。一つの石を隠すには砂漠へ。」
と言っていた記憶が僕にはあります。
まさに自分が一枚の葉っぱになって、森の中へ紛れ込んだ気がします。
面白いものです。
そして一枚の葉っぱが森の中の他の葉っぱと触れ合い、交差し合い、埋もれて、何処かへ今、逃げていこうとしている、、、、、

         坂本誠

2009年11月25日 (水)

                    死
                   
                    Img7d9465f449f9
死は恐ろしくて  苦しい。
しかし、生き物が死ななければ、
どうして  命を愛することが出来ようか?

生き物は死ぬ。
だからこそ
危険に陥った  生き物を
死の手から奪い返そうと
私達は必死で闘う。
その命を救えた時の喜びに  勝るものはあるだろうか?

愛が深まる。

我が家の猫が
二日  帰って来なかった時、
そう気付いた。


                    坂本誠

家出

                    家出
                    Img7d946381be5e
                   
我が子が家出をすると、
親は発狂する程の苦しみと悲しみで
のたうちまわる。

普通、親は家出をして
帰って来た  我が子を叱りつけている。

しかし、よく見ると、
家から去られた
親の方に
家出の原因がある。

我が家の猫が
二日  帰って来なかった時、
そう気付いた。

                    坂本誠

2009年11月24日 (火)

二百七十四: 縁

僕にとって、大変恐ろしいことがありました。Img7d94644f2470
僕が出かけている間に、ある種の不注意で、我が家の猫ミリィが行方不明になりました。
嬉しいことに二日後に、ミリィは自力で我が家に帰って来ました。
つまり、急に我が家に大きな不幸が訪れ、二日後に大きな幸福がやって来ました。

僕の家の者同士で大きな個々の反省がありましたが、それらはプライベートな事なので、ここには書けません。
一気に谷の底まで突き落とされ、一気に山の頂上まで登りました。

それから、何となく苦しみの全てと言える生老病死の無い世界の事を考えてみました。
もし人間や他の生き物に生老病死が無かったら、こんな苦しみや喜びは無かったでしょう。
つまり、100億年も1000億年も、またそれ以上、ずっと僕達が生き通しの存在だったら、

    「ミリィが死んだかもしれない」
   
という恐怖と悲しみは無かったでしょう。
しかし、ミリィが生きて帰って来たからこそ、始めて、僕達は極上の幸せを味わえたのです。
つまり、死が無ければ、生の喜びもわからないし、また、愛の喜びもわからないでしょう。
「生き別れ」ということも世にはありますけど、僕がミリィと永遠に生きたままで、暮らし続けられるとすれば、だんだんと僕はミリィを疎んじてゆくかもしれません。
ミリィを生かすための努力や苦労を僕がする必要も無いから、結局、僕とミリィの仲は冷えてゆくでしょう。
つまり、愛が冷めてゆきます。

当然、以前、死に別れてしまった我が家の猫ベルにも同じことが言えます。
考えてみると、この世は「生老病死」という苦しみだらけの世界だけど、この苦しみが無ければ、逆に深く愛し合うことができないという不思議な組み合わせを持っています。

結局、苦しみが愛を深く際立たせています。
逆に、苦しみの少ない世界が愛を希薄にさせています。
例えば、世に言う大金持ちの人でも、生老病死は平等に与えられてはいるものの、比較的に生活が楽でしょうから、テレビドラマ等で、彼等の生活を垣間見てみると、どこか希薄な愛の世界が映し出されているような気がしてなりません。

今日は不思議な体験をしました。
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追記:
今、後になっても考えているのですが、少年少女が交通事故に会って、突然死んだり、ないしは突然自殺等をして、この世から他界した場合、メインの原因と言うものはあるでしょうけど、サブの原因を追究してゆくと、おそらく、数限りないでしょう。
そのような例で、よく子供を無くした家庭が離婚しているのを、僕は時々目にしています。
(あくまでも僕の目で見た場合です。)
つまり、家庭破壊が起こっています。
サブの原因を突き詰めていくと、例えば、

    「赤ちゃんの時に産着の着せ方が悪かったから、うちの子供は死んでしまった」

と、議論が闘わされかねないでもないかのようです。
やはり、「子供を亡くす」ということは、出来るだけ無い方が良いかと思いました。

我が家の猫ベルは16歳で死にました。Img7d94644f2450
猫で16歳は高齢と言えるでしょうから、さすがに諦めはつくものです。
しかし、幼少の、、、、、、、、、、、、、、

いや、ここで筆を置きます。

         坂本誠

2009年11月18日 (水)

二百六十: 我が家の猫ミリィの爪切り

ミリィが我が家に来て、一ヶ月になりました。Img7d93feb7c553
ミリィはすっかり我が家の猫になり、すくすくと育っています。
今日、我が家の猫ミリィの爪を切ってあげました。
家族の者が

    「ミリィの爪がだいぶ、伸びているので切って欲しい」

と言ってきました。
私も最近は切る必要があるかと思い、ミリィの爪を切ろうとしました。
以前もミリィの爪を切ってあげたのですが、人の手の親指に相当する爪がだいぶ伸びていました。

なんでもない話なのですが、ミリィは我が家の猫となり、このように爪も切ってもらえるのですが、野良猫は爪を切ってもらえません。
野良猫の事を考えると不憫でなりません。
これから冬に向かいます。
そうかと言って日本中の野良猫を我が家に引き取るわけにはいきません。

何か深い考え事をしてしまいます。

(写真はミリィが速いスピードで動くので写真ブレしたものです。)

         坂本誠

2009年11月17日 (火)

二百六十九: やさしさと苦しみ

このブログでは、結構、僕の苦しみなども書いています。Img7d93219628a6_2

過去に文章を書いた有名な人でも、突然、死んでしまい、さて、その遺書を開いてみると、意外にも、心の内は苦しみだらけだったことが意外にもたくさんあります。
そのような人でも、やはり人の子だったということです。

そんなに苦しみが暴発するまで、カッコ良い事を言い続けなかった方が良かったと僕は思います。
彼等は色々と自分の家族に悩みや苦しみを打ち明けて、解決の糸口などを見出すよう努力していたのかもしれません。

また、あまりにも目に見える形で、無茶苦茶にも自分の苦しみを語るべきではないかと僕も思ったりします。
愚痴は人に伝染して、他人の心をも苦しくさせるからです。

だけど、カッコ良い事を言い続けた人も、まず何よりも普通の人なので、あまりにもカッコ良い事を言い続けるのもおかしいかと思います。
超人なんて、この世に一人もいないからです。
どこかの国の国主でさえも、悩みの日々は多いと思います。

そのような人々は、自分の胸の内をうまく告白する術を知らないかと思うのです。
僕でも、悲しみや苦しみの文章は出来るだけ詩的表現を使って書くようにしています。

悲しみや苦しみの文章は詩的表現を伴ってこそ、人の心を逆に感動させ、胸を震わせると思うのです。
また、人々に膾炙されやすいものです。

ゲーテ自身も以下のように語っています。
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                心やさしき人々に
               
詩人は沈黙することを好まない。
あまたの人々に自分を見せようとする。
賞賛と非難とは覚悟の前だ!
だれも散文でざんげするのは好まないが、
詩神の静かな森の中でわれわれはしげしげと
バラの花かげに隠れて、こっそり心を打明ける。

わたしが迷い、努め、
悩み、生きたことのくさぐさが、
ここでは花たばをなす花に過ぎない。
老いも若さも、
あやまちも徳も、
歌ともなれば、捨て難く見える。

                『ゲーテ詩集』 新潮文庫  高橋健二  訳
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         坂本誠

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