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2009年10月17日 (土)

二百四十六: 「ONの時代」を見て

2009年10月12日にNHKで「ONの時代」というテレビ番組が放映された。Img7d93f9c01491 tv
私はあまりテレビを見ないのだが、家族が留守にするので、まだ子猫である我が家の猫ミリィの世話をしないといけないため、テレビのある部屋に来て、ミリィを世話しながら、暇を潰すため、テレビのチャンネルを回した。
すると、番組「ONの時代」の冒頭がいきなり始まった。
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もしかすると、知らない人もいるかもしれないので、ここに書いておこう。
「ON」の「O」とは巨人軍の王貞治選手のことだ。
「N」は長嶋茂雄選手のことだ。
長嶋茂雄選手は天才打者と呼ばれ、王貞治選手はホームラン王だ。
そして、現役を退いた後で、二人とも監督になり、それぞれ苦しみながらも栄冠を勝ち取っていった。
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テレビ番組「ONの時代」はゴールデンアワーで行われているプロ野球の舞台裏を覗いたものである。
高校野球でもプロ野球でも、筋書きの無いドラマがくり広げられているが、舞台裏でも熱いドラマがそこにはあった。
普通、「野球」というスポーツは筋書きの無いドラマだ。
確かに、私達がテレビで見る野球には筋書きが無いかもしれない。
しかし、舞台裏は「如何にして勝つか」という完全な筋書きのあるドラマが書かれていたのである。
つまり、野球と言うのは表の世界では「筋書きの無いドラマ」ではあるが、裏の世界では「筋書きのあるドラマ」なのである。

試合の行われていない練習の段階で既に試合が行われている。
「練習」=(イコール)「試合」と言っても良いだろう。
両者とも限りなく練習している。

特に王貞治選手の方は真剣を使い、空中の紙を切ることで、一本足打方を生み出した。
なぜ真剣を使ったのかまでは語られなかった。
空中の紙を切るタイミングと紙を切る位置、紙の切り方がホームランを生み出す秘訣となったのだろう。
白球を遠方に飛ばすためのジャスト・ミーティングな状態を捕らえるために真剣と紙が使用されたのだろう。
しかし、それ以上に、つまり真剣や紙などの道具以上に感じられるのはその王選手の気迫である。

昔のサムライの果し合いでは、敵の刃と自分の刃が一瞬にすれ違うことで、敵の命が助かるか、自分の命が助かるかが決まっていた。
多分、王選手がボックスに立った時は、昔のサムライの心持だっただろう。
白球が敵であり、王選手のバットが刃だ。
ホームランが打てるかどうかは、やはり、これも一瞬で終わる。
ホームランが打てれば、王選手の命は助かるが空振りをすれば、王の命は亡くなる。
その差はやはりホンの一瞬だ。
後年、王はホームランが出ずに苦しみ始め、「様々な方法を試みた」、と番組で伝えていたが、もう一度、真剣を使った練習をしたかどうかまでは語られなかった。

両者が監督になっても、向かってくる白球が何万球あったかわからない。
ここで書いている「何万球」とは、勿論、困難さのことだ。
現役時代と変わらず、白球に向かい続けた訳だ。

今は両者とも監督を終え、老年時代を迎えているが両者とも病と闘い続けている。
つまり、野球で用いられる白球とは困難さを意味しているのだ。
白球とは困難そのものだ。
よく野球で、

    「白球を追う」
   
という言葉を耳にするが、この短い文章の中に、多量の文章と大量の精神が凝縮されているともわかる。

「ON」の両者とも、いまだに野球をしているように見えてならない。

テレビを見終えて私が感じたのは、
    「ON二人の野球に対する『執念』を見た」
というレベルではなかった。
「執念」よりも1ランク上の言葉をONの二人に感じる。

それは「念力」だ。
ONの二人の精神に強力な念力を見るように感じる。
ONの両者が現役時代から、彼等の心より白球に対して念力を放出し、白球を導き寄せ、よって、球を打っていたような気がする。
ON両者の生活に現れる困難さ(白球)を念力で曲げたり、3次元世界の物理法則を捻じ曲げてしまう程のサイキック・パワーを王選手と長嶋選手の心に感じる。

         坂本誠

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