« 百八十二: 仕事_No.2 | メイン | 二百二: 西日本のある日:大分県_Part.1 »

2009年8月16日 (日)

百九十一: 蒸気機関車

蒸気機関車を見ていると、なぜか郷愁とちから強さの二つを感じる。Img7d9406586580

郷愁を感じるのは、やはり時代物だからだろうか。
どんどん速い列車が生まれていく中、蒸気機関車が取り残されてゆくように見える。

一般に「乗り物bullettrain」と言われるのは、速い方が好まれるようだ。
「人間の乗り物は速ければ速いほど良い」、と言う考えが浸透している。
だから、人間は全ての乗り物において時速の速いものを開発している。
乗り物のスピードの遅いものは第一線の開発現場では敬遠されているように見える。
「乗り物は速ければ速いほど良い」という考えは多少、何かの間違いを含んでいるかのように感じる。
だけど、乗り物の速さを競う開発もいずれは限界が来るだろう。
私達に知られている限り、宇宙空間で飛んでいる人工衛星が一番速い乗り物だろう。
しかし、人工衛星はたった一つの石ころに当たっただけでも、大変な被害が出る。
それだけスピードが速いからだ。
多分、人間の乗り物は速いスピードで移動する乗り物よりも、瞬間的に物質を移動させるようなスピードに依存しないような乗り物が遠い未来に作られるだろう。

だいぶ話が発展してしまったけれど、蒸気機関車の郷愁を感じさせる面としては、何がしか、人間の過去を思わせるからだろう。
どんどん速い乗り物が出来ていって、蒸気機関車が取り残される姿を見るのは、なぜか、人間の過去を見るような気がする。
なぜか蒸気機関車が私の幼少の頃の記憶に似ているように感じるのだ。
「取り残されるもの」の代表は人々の心の中の昔の記憶だからだ。
多分、他の多くの人も同じ事を感じるかもしれない。
--------------------------
いま一つ蒸気機関車に感じるのは、ちから強さだろう。
時代が進むに連れて、乗り物は流線型になってきている。
流線型でなければ、速いスピードが出ない。
空気の抵抗があるからだ。
それに比べ、蒸気機関車はなかなか流線型とは言いがたい。
かなり無骨な形をしている。
その無骨な形が、かえってちから強さを感じさせる。
流線型をした最近の新幹線は、空気を日本刀で裂いていくように感じられる。
しかし、蒸気機関車は、空気をハンマーで叩き割っていくように感じられる。
その空気を叩き割るような雰囲気と言うのは、これはちから強さだ。
蒸気機関車は無骨な男を連想させる。

蒸気機関車の全盛だった頃、子供達は公園などで、「列車ごっこ」とか言う遊びをしていた。
2,3人が前後に並んで、蒸気機関車のマネをするのだ。
その蒸気機関車のマネをする時に、手を前後に動かしていた。
蒸気機関車は駆動力を各車輪に伝えるために、車輪を連結させているロッドと呼ばれる腕状の鉄棒を使う。
シリンダーで生まれたちからを車輪に伝えるのだ。
そのロッドが腕に似ていると言うわけだ。
その腕に似ているところを持っているなど、やはり人間の男に似た乗り物だったと言えるだろう。

そして機関車が動き出す瞬間は、列車全体に「ギシリ」と大きな音を立てていた。
いかにも重量物を運び出そうとしているように感じられる。
現代の列車は改良が進んで、列車発車の直後のあの「ギシリ」はほとんど感じられないようになっていると聞く。
あの「ギシリ」という体感があったところも、やはり如何にもちから強い存在を感じないではいられない。

         坂本誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム