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2009年7月

2009年7月31日 (金)

                    心

少女が  暗闇の中で  掌を上に向けて
両腕を広げる。
天からの愛を受け止めるために。

心から、
光の奔流が噴水のように吹き上がる。
何人もの妖精たちが
その流れの中で跳躍し続ける。

流れが上に向かうほど、
円錐のように  広がる。

流れが 
どこまで上に伸び続けてゆくのか 
わからない。

上に広がりながら、
下り続ける愛の流れと
出会い続けている。

                    坂本誠

2009年7月30日 (木)

百七十一: パンセを読みながら

今、ブレーズ・パスカルのパンセを読んでいる。
このパンセを読んでいると、意外にもパスカルが熱血漢であったことがわかる。
パスカルは幼い時に、身体の病弱を指摘された。
だからこそ、かえってこのような男になったのかもしれない。

熱血漢であったことがわかる一つの理由は文体が断定調で終わることが多いからだ。
また、イエズス会の攻撃もしている。
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又、パンセの中で、モンテーニュのことも語っている。
モンテーニュは自分の身の周りにある日常的な事を題材とし、それを出発点として、世界の眺めようとした人だ。
モンテーニュの主著はエセーだ。
パスカルはモンテーニュのように、自分の身の周りのことをあまりにも語るべきではない、と書いている(断章65)。
しかし、たいていの日本の随筆家を見渡してもわかるとおり、彼等は日常の小さなものを見て、何かの新たなことを発見して、それらを文章にしてゆく。
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世の中の問題を解決するのに、二つのアプローチの仕方がある。
一つは上に書いた随筆家のように身の周りある小さなものから、普遍の出来事を次々と発見して、世の中の大きなものにアプローチしてゆく方法だ。
これは工学の分野ではボトムアップと呼ばれている。
底辺から初めて、徐々に上に行こうという考えだ。

これとは逆の方法もある。
世の中の一般の大きな課題(命題)から初めて、少しずつ細分化して、底の方にある細部の問題を解決する方法だ。
だから、これらの問題は普通、哲学や政治家の問題となる場合が多い。
例えば、今、景気が悪いとする。
すると、大臣が部下に「景気を良くせよ」と指示する。
具体的にはどうしていいかはまだわからない。
しかし、部下の部下の部下の、、、、と続いてゆくうちに次第に細部の問題が解決されて、最初の景気の問題を解決できる。
これは工学の分野ではトップダウンと呼ばれている。
上から初めて、徐々に底に行こうとする考えだ。
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私が思うにモンテーニュ等の随筆家はボトムアップの方法を用いていると思う。
パスカルはトップダウン方式に考える人間のようだ。
私の知っている所、工業や情報業は最初はトップダウンで始めることが多いのだが、途中からボトムアップが多々、現れる。
なぜならば、大きな問題を下に降ろしてゆく際に、細部の諸条件によって、その大きな問題に少しずつ修正を加えなければいけないからだ。
たとえば、「景気を上げよう」という問題でも、もし、今現在、円高という条件が発生していたら、この「景気を上げよう」という問題をかなり再考しなくてはならない。
また、私達の問題のほとんどは、トップダウン方式で解決しようとしているが、実はボトムアップ方式で問題を作り上げようともしている。
たとえば「新車を作りたい」と思っても、必ずある種の旧車があり、それを元にして、新車を作っている。
これが延々と繰り返されて、自動車は新しいものにされ続けてきた。
つまりバージョンアップだが、このバージョンアップはボトムアップだ。
未来の自動車はかなり素晴らしいものだろうが、それを目指し続けている。
1800年代の旧式の自動車が進化を続けているのだが、これは「底」から「上」へ目指しているのだ。
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パスカルはモンテーニュを批判しているようだが、モンテーニュはモンテーニュのやり方で良いと思う。
世の中、ボトムアップ式の人々も求められるからだ。
そうかと言って、トップダウンの人々もいないといけない。
世の中の大まかな問題を扱う人々も不可欠だからだ。
世の中はトップダウンとボトムアップが複雑に組み合わされている。

だが、トップダウン形の人々は、それだけ社会の上部に位置するので、普通一般の人々と離れた所に行ってしまうのが問題だと思う。
なかなか社会の底辺を見るのが彼等の問題ではなくなってくるから。
ボトムアップ形の人々は、割りあい人々になじみやすい。
随筆家の多くの人々の身近な問題を捉えているかもしれない。

モンテーニュはモンテーニュで良いと思う。

         坂本誠

2009年7月29日 (水)

百四十九: 芸術家の神経

人の歴史を見ても、なかなか芸術家は多くの人とうまくやっていけない人が多いように見えます。Img7d92d66cd37c 

例えば、画家を見てもそうだと思います。
画家は絵を描く時に、花などを描く時に細部を捉えないといけないです。
今はアジサイの季節ですが、アジサイの花の輪郭はおろか、一つ一つの花の違いや色の違いの細かい部分を捉えないと精密画を描けないと思うのです。
細部を捉えないまでも、デフォルメという細部を省略する方法もありますが(マンガを描く時の要領)、これも細部を省略することにより、より被写体の本質を捉える画法なので、これも結局細部を捉えていることになるでしょう。
つまり細部を捉えようとすると、自然とデリケートな神経になると思います。

そしてデリケートな神経の持ち主が普通の工業社会や産業で、歓迎されるかと言うと、あまり無いかも知れません。
単純に工場の親方から叱られて、1時間も泣いていたら仕事もはかどらないでしょう。
労働力の問題はあまり関係ないでしょうが、神経の問題だったりするでしょう。

だから、芸術家がその道を極めようとすればするほど、一般の産業で働くことは難しくなるかと思います。
二律背反と言うべきものでしょう。
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どう解決するかと言うと、私が見たところ、うまい方法が見当たりません。
現在のところ、上の例で言うならば、画家と工場の親方の双方の歩み寄りしかないと思います。

         坂本誠

2009年7月28日 (火)

百八十: 僕の夢:雪山

冬の雪山に登っていた。
あまり目的はわからなかった。

僕の前には、ガイドが一緒にいて、僕と共に登っている。
たった、この二人だけだ。

しかも、吹雪の最中に山頂を目指して、登山をしている。
普通ならば、頂上アタックは諦めて、下山したり、どこかに避難していることだろう。
しかし、それでも登っていた。

頂上になるにしたがって、山の傾斜はきつくなるばかりだった。
最後は崖にでも登っているかのようだった。

やっと二人で山頂にたどり着いた。
やはり吹雪はやんでいない。

その山頂を見て、驚いた。
山頂は針のように鋭かった。
片足の足の裏が一つだけ乗るぐらいの小ささだ。
つまり、とても山頂に立つスペースが無いのだ。
だから、僕は不思議にも、その山頂から離れた空中から、それを見ていた。
山頂の真横は切り立った崖であり、その崖に屏風のように雪がこびりついている。
雪の壁と言っていい。
その雪の高い壁の上に山頂があった。

そして、ガイドが僕に言った。

    「さあ、下ろう。あとはゆるやかになる」

と。

僕はガイドの後について、山を下り始めた。

僕は山をおりながら考えた。

    「僕が登ろうとした山はこんなにも危険な山だったのだ」

と。
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ここで目が覚めた。

         坂本誠

2009年7月27日 (月)

百八十四: 人々が欲しいもの

人々の欲しいものについて考えてみました。
今は金融危機と言われている状態です。weep
恐慌とも呼べる状態です。
ですので、「人が欲しいもの」と考えてみると、

    「人が欲しいものは仕事だ」

と多くの人は考えつくかもしれません。
しかし、「なぜ仕事が欲しいのか?」と質問されたら、「それはおカネmoneybagが欲しいからだ」と人々は答えるでしょう。
だから、本当の事を言えば、仕事のある無しに関わらず、おカネがあれば「人が欲しいものは仕事だ」という欲求は必要が無いということになります。

では、「おカネがあれば、本当に人は満たされているのか?」と問われたら、これも考えものです。
もし仮におカネの無い世界で人々があらゆる物資を交換できて、車も手に入るし、家も手に入る世界があったら、どうなるかと言うと、きっと「より多くの人々に愛されたい」と願うでしょう。
やはり、これが最終的に人々の欲しいものでしょう。

「仕事を持っている」とか「おカネをたくさん持っている」と言うのは、やはり、「より多くの人々に愛されたい」という欲求を満たすための一つの道具でしょう。

また人々の欲しいものに「健康」というものがありますが、これも「自分の肉体から愛されるかどうか?」の問題でしょう。
例えば、内臓を病んでいる人がいれば、その人は内臓から愛されていない訳です。
内臓に苦しめられているからです。

結局、この最終的な「より多くの人々に愛されたい」という欲求を満たすためには、ちょっと逆説的に聞こえるかもしれませんが、より多くの人々を愛さなければならないでしょう。
何がしかの仕事に就き、より良い仕事をより多くの人に納め、それが、まあ、たくさんのおカネになって返って来て、それが、より多くの人々に愛される、という最終的な欲求を満たす手段になるでしょう。

自分の健康を保つと言うのも同じようなことが言えるでしょう。

         坂本誠

2009年7月26日 (日)

百八十一: 美術館にて_No.2

再び、うちの街の美術館に来ています。
長崎に行く時と同じに、ここに来ると、いつも眠くなります。
それほど心が安らぎます。

今まで椅子に腰掛けて、ウトウトしていました。
周囲の人の目のことも考えてみると、少し恥ずかしいです。
しかし、よく見ると他の人も目を閉じて、まどろみの奥に誘われている人も、しばしば見かけます。

いつものように目の前にオブジェが独り佇んでいます。
セミの声がかわたれに響き渡ります。
私の背後のテレビから、クラシック音楽が糸のように流れてきます。
雨が降りしきっています。
それらが入り混じって、まどろみの上に浮かんでいます。
Img7d92d66cd282 

         坂本誠

2009年7月24日 (金)

百六十二: 夜景

こんばんわ。
m(_ _)m

長崎県の長崎市の夜景は街が山の上まで伸びているので、稲佐山から眺める夜景はお花畑のように感じる。

さほど有名ではないが私の住む北九州市でも夜景が望めるのである。Img7d92cb71b6cc
皿倉山という山がある。
ここから見る北九州市はほぼ全体が眺め渡せる。
昼間でも眺望の良いこの箇所から夜景を望むと、それは素晴らしい。
山頂まで車道が続いているので、夜でも簡単にこの夜景を楽しめる。
この街は東西に長く伸びているから、山上から眺める夜景は、まるで光の大河のように感じられる。

音も無く、光だけが漂うこの河から、その匂いが漂って鼻をくすぐっているかのように感じられる。
地上の光と夜空に浮かぶ星の光が一つ一つ呼応するかのよう。
地上の一つの光が手を伸ばし、星の一つの光が手を伸ばし、お互いに結び合う。

河からあふれる光の靄(もや)が人々を浸している。 

なんだか、この河の中に飛び込んでみたくなるような気がする。
河の上に浮かんで、どこまでもどこまでも見知らぬ世界へ流れていきたくなる。

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Img7d92cb71b6dc 

         坂本誠

2009年7月23日 (木)

百七十七: 謙虚さ

こんばんわ。

m(_ _)m

人が謙虚になる方法について、考えてみました。
色々と街の中に行けば、色々な人が動いています。
人が自信を持つのは良いことでしょうが、この自信が知らず知らずにおごりになってゆくのだから、人って難しいと思います。
この自信からおごりになる瞬間と言うのは、どんな人でも見分けがつくのが難しいと思います。
この点は自分で発見するのは難しく、他人が見ないと気付きにくい点かもしれません。

ただ、ここでは、自分がおごっていると自覚できた後のための謙虚になる方法について考えたものを書いて見ました。

例えば、会社のトップに立った人が謙虚さを身につけようとするならば、

    「まだまだ自分の会社より実力の上の会社があるのだ」

と思うことも一つの謙虚になる方法かもしれません。

しかし、私が考えることには、瞑想の時間を持つのが一つの良い方法かと思います。

    「現代人には瞑想が必要だ」

と言われていますが、その瞑想の目標に、この「謙虚さの養い」を掲げるのです。
その瞑想の最中に、自分の生まれたての頃の事を毎日30分ぐらい、思い出すと良いかもしれません。
つまり純粋に真っ白な心で、父母から、無上の愛を得られていた時の頃を思い出すとか。

    「自分にもこのような時代があったのだ。心が安らかで潔白で、穏やかで、幸せな状態だ」

と常に思い出すと、慢心を防ぎ、謙虚さを養えることが出来るかもしれません。
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また美しい音楽をじっくり聞いていても、心が安らぐでしょうから、これも謙虚さを作る一つの方法かも知れません。
同時に瞑想してみるとか。
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また、同時に瞑想しながら、音楽を聞き、かつ、深呼吸をすれば、ますます心は安らぐでしょうから、もっと効果があるかもしれません。
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競争社会を無くしたら、おそらく、競争そのものも無いでしょうから、おごりなども無くなるでしょう。
また極端に自己卑下する人も出なくなるでしょう。きっと。
しかし、本当に、現在、世の中から競争が消えるのかどうかもわからないし、また、競争を無くしていいものかどうかは疑問な所です。

         坂本誠

2009年7月22日 (水)

日食

こんばんわ。
m(_ _)m

今日は日食がありましたね。
北部九州地方は部分日食で、やはりだいぶ薄暗くなり、気温も下がりました。
しかし、ちょっと見たところ、曇りの天気のような気がしましたが、やはり陽射はありました。

さすがに皆既日食はテレビでしか見れませんでしたね。
しかし、幻想的な雰囲気で、感動しました。
そこで一つ。
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                    太陽

日食を見た。
周りが夜のように暗くなった。
と言うよりも、
夜の太陽を見た。

昼の太陽は強い光で、まぶしくて、見えないが、
夜の太陽は、やさしくて、やわらかい光を、
僕達に与えていた。

どちらも同じ太陽だった。

昼間の夕焼けに包まれながら。

                    2009年7月22日
                    坂本誠

2009年7月21日 (火)

百七十五: 雨と鳥

夏の早朝に独り静かにパソコンを開いて、文章を書いています。Img7d92c569ddcd 

今、心は穏やかです。
しかし、どんな人間でも悩みはあるものです。
自分にやってきている悩み事。
それは誰もが一番よく自分が知っています。

当然、自分が喜ぶことも自分が一番がよく知っています。
なるべく明るい人間になりたいものです。
誰でもそうでしょうが、悩み事を考えていると、粘着気質の人間と言うか、どろどろとした人間になるでしょう。
あっさり、さばさばとした人間になりたいものです。
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まだ梅雨が完全に明けていないので、朝の小雨が静々と降っています。
しかし、雀達が鳴いています。

雨と聞くと、何となく「粘着気質」なものを感じますが、鳥の歌声と言うのは「さらさらした」ものを感じるのは誰でもがそうだと思うのです。
朝の雨にも負けずに鳥は爽やかな声で歌っています。

見習いたいものです。

         坂本誠

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