メイン | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月27日 (金)

二十四: あいさつ

私は最近、毎朝毎晩、ジョギングをするようになった。
そして、母を連れて朝はウォーキングしている。
私の家は父が早く死んだからか、このような朝のウォーキングに母と共に歩いてあげると、母は喜んでいるようだ。
父が一緒に歩くわけではないからだ。
共に健康を築く。
これは大事だ。
しかし、他の人々から見たら、
「君の歳になって、そのように母とべったりで、それはつまり、母への依存がいまだに続いているのではないのか?」
と揶揄されかねないかもしれない。
しかし、母はもうある程度、歳である。
人間、死ぬ前に、幸せのひと時があっても良いと思うのだ。
また、これは親に対するささやかな親孝行だと思う。

もうひとつは毎朝、人々に「おはようございます」と声をかけている。
昨今の世界情勢は悪すぎる。
多くの人の心に不安を与えていることは間違いがない。
しかし、そのような時こそ、このように、あいさつを交わすことが、何よりもお互いの心を安心させると思うのだ。
簡単な一善である。
しかし、大きな一善でもあると思うのだ。
一善を積み重ねることを忘れたくない。

         坂本誠

2009年2月26日 (木)

六十三: 数値

芸術作品や文学作品が、数値の高いものほど信用されている。
例えば、値段の高い絵画の方が、名画だと言われている。moneybag
また、文学作品でも、

    「何部売れたか?  どれほどたくさん売れたか?」

という数値の高いものほど、素晴らしいと言う感覚が持たれている。
例えば、ゴッホの『ひまわり』だが、確か50億円だったと言う記憶がある。
しかし、生前は、0円だった。

彼の死後に、ある美術家が、

    「これは素晴らしい!」

と言ったから、だんだんと値が上がっていったのだ。
このように時間が経って、初めて、評価が固まっていき、それなりの高い値段が付けられたわけだ。
では、ゴッホがこの『ひまわり』を書いた時は0円だった訳だが、周囲の人達は、この絵の良さに気付かなかった訳だ。
たいがいの人は、ある誰か高名な人間が、

    「これは素晴らしい作品だ!」

と言って、初めて、その作品の良さに気付く訳だ。

例えば、ゴッホの友人Aさんがいたとしよう。
友人Aさんは、生前、ゴッホとお付き合いしていて、この『ひまわり』を見ていたのだが、全然、この絵の良さに気付かなかった。
そして、ゴッホの死後に、美術家が、

    「この絵は素晴らしい」

と言って、だんだん値段が吊り上がっていき、そして、友人Aさんは初めて、

    「『ひまわり』は凄い絵だったのだ」

と気付く。

それと同じように、どこか世界の未開の地の人間を『ひまわり』の絵の前に連れて来るとしよう。
彼はゴッホを知らないとしよう。
そして、『ひまわり』の絵の値段も知らせないとしよう。
とりあえず、その人間が、

    「良い絵みたいですね」

と言ったとしても、その素晴らしさがあまりわからないだろうから、

    「この絵の値段は50億円です」

と言ったら、その人は

    「そんなにこの絵は素晴らしいのですか?!」

となるだろう。

つまり、「値段が高ければ、この絵は素晴らしいのだ」、というように見えるだろう。   <----------★A
本当ならば、「素晴らしいから、この絵の値段は高いのだ」で、なくてはならないのだ。
だから、上の★Aのような、モノの価値とは逆の現実が行われていることが世の中には多いだろう。
あるいは、

    「数値が多ければ、このモノは素晴らしいのだ」

と言うことも、多々あっているだろう。

         坂本誠

2009年2月23日 (月)

喜びの色

ニジマスの幾つもの  うろこが
陽の光を浴びて
キラキラと輝いている。

幾つもの  うろこの上で
光が飛び跳ねたり、
踊ったりしているように見える。

喜びの色のようだ。

                    坂本誠

牧場の
なだらかな丘の  羊達を見ている。
羊が草を食んでいる。
羊は急がない。
人間のように  あくせくしていない。
羊は穏やかな心を持っている。

羊達のやわらかさが見えてきそうだ。
羊達の喜びまでも見えてきそうだ。

目の前の光景が
静かな雰囲気と
温和な時に包まれている。

                    坂本誠

七十五: 理由なき悪

人は生れ落ちて間もない頃は、誰でも綺麗な心を持っているものだ。
そして、美しい心だから、人を疑うと言うことも知らない。

ところが、小学生や中学生になって、イジメられたと言う読者も多い筈だ。
そして、多くの人は知る。

    「他人を疑わなくてはいけない」

とか、

    「正直者はバカを見る」

とか

    「あまりにも良い人であってはいけない」

とか

    「清濁を併せ呑むことが、この世を渡っていくのに最良の知恵だ」

とかだ。

ここまで上の文章を書いて、わかることだが、この世界は、ハッキリと悪い世界だと言える。

そして、私達が小学生や中学生の時に出会ったイジメっ子というのも、彼等の過去を聞いてみると、

    「実は私もイジメられっ子だった」

というケースが多い。
つまり、どこにイジメの起源があるのか、ハッキリわからなくなっている。
だから、単純に今でも小学校や中学校の内部でイジメが起きていると思うが、そのイジメの原因を探すことは困難であり、単純に悪が悪を拡大再生産しようとしているだけだろう。
理由なき悪とでも言えるだろう。
その理由なき悪が、世の上に渦巻いているだけだろう。

とにかく、この世界は悪いと言える。

         坂本誠

2009年2月22日 (日)

五十四: 読書

今、自分の部屋で読書をしている。
本は友人から紹介してもらった三島由紀夫の『小説家の休暇』だ。book

私の読書のスタイルはベッドに寝転んで、仰向けになって、布団をかぶって、本を読むというものである。
腕だけが布団から出ているので、いつも両腕が寒い。
この読書スタイルを小学生の時から続けている。

落ち着く。
安らぐ。

思えば、金融危機が始まる前までは、夜遅くまで仕事をしていたものだ。
読書なんて思いつきもしなかった。
別に私は自分の仕事が嫌いな訳ではない。
別に、そのような就業形態を採用していた企業を嫌いな訳ではない。
ただ、「心の安らぎを得られていたか?」と尋ねられたら、それは疑問だろう。

今、深い水の底にドップリと浸かり、まどろみながら、水面(みなも)に零れ落ちてくる太陽の光を見ているような、、、、、、、、
そんな気がする。

         坂本誠

2009年2月21日 (土)

三十一: 海と歯車

今、海辺に突き出た工場を見ている。
海というものはやわらかい印象を受けるのだが、工場というものは見ていて、堅いように感じる。
その工場の中にある大きな歯車というものも堅い印象を受ける。
そして、その歯車からつむぎ出される製品も、どこかしら、冷たい感じを受ける。
ブリキのカンヅメ。ブリキのオモチャ。ブリキの車。
元々、歯車も、職人が作り出したモノだから、職人の真心がその歯車に込められていたと思う。
しかし、人間がキカイを作り、そのキカイが、今は歯車を作り、その歯車が我々の手に届く製品を作っていると思う。

人間 ----> キカイ ----> 歯車 ----> 製品

キカイから歯車の間で人間の真心がすり落ちてしまったのだろうか?
人間から製品の間に職人の真心がどこかでストップしたのだろうか?

工場の中で回転し続ける大きな歯車には、油がギラギラと乗っている。
僕はその光景を思い描くと、その歯車がどうも不吉な笑みを浮かべているような気がする。

今、海を隔てた工場の中にある歯車を思い描いている。

         坂本誠

2009年2月20日 (金)

五十九: 公園の猫

家の近所の公園に、ちょっと出かけてみました。
そしたら、茂みの中から、「にゃー」と声がしました。
ノラ猫です。
何匹もいます。

僕はとっさに我が家の猫ベルを、どうしても思い出してしまいます。
僕の胸によぎる思いは、
「僕は一体、何をしているんだろう?」
と考えてしまいます。

どうして僕は、その猫達を拾って帰らないのだろうか、、、、、、、?
猫が可哀想なのです。

多分、公園を訪れる多くの人が見て、見ぬふりをしているでしょう。
「多く」ではなく「全て」かもしれません。
このような可哀想な光景が広がって、何も出来ない僕達。
僕、そして僕達は全て偽善者かもしれません。

心にやましいものを感じながら、公園を後にしました。

         坂本誠

2009年2月19日 (木)

三十四: ゆく人の流れ

ゆく人の流れは絶えずして、しかももとの人にあらず。
淀みに浮ぶ苦しみと喜びは、一枚の紙の裏表のごとく、また、淀みに浮ぶ悲しみと怒りは、一つの心のごとく、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。

世の中にある一切の相(そう)と宇宙(そら)と地球(ほし)と流れ(うん)は、またかくのごとし。

ゆえに、この小さき星の上において、心中に往来する全てのものを、日くらし、ディスプレイにむかひて、心の移りゆくよしなし事を、そこはかとなくPC筆で書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、、、、、、pc

なれど、ある人々においては、この地球(ほし)の上における暮らし、いと、をかし!?   

ゆえに、勇む心を忘れず、かつ、大和の心を忘れず、そこはかとなく、いと、いみじ、かりけれ、、、、、、、、、、、。

     坂本誠

三十六: 森林浴中に

森の中での瞑想。

森の中で色々なことを考えている。Img7d9dac96fa9
自分の生活のこと。
おカネのこと。
人との付き合いのこと。
自分が向上しなければならないこと。
反省しなければならないこと。

反省ばかりしていると自分をいじめるようになってしまう。
向上のことばかりを考えていると、居丈高になってしまう。
森の中の冷気の中で木々の放つ精妙な波動とうまく合わせられない。
そこでいつものようにペンと紙を持って文章を書いてみることにした。
文章を書くこと自体が僕にとってワクワクすることなのだ。
今、これをベンチに座って書いていたら、やはり気が静まってきた。
ウォーキングを楽しんでいる人々がノートとペンを持って、森の中で文章を書いている僕のことを、ちょっと変な目で見たりもする。
だけど、この冷気の中で文章を書いていると、気が静まった。
森林浴の最中に、森から受ける光は緑色なのだろう。
僕の心を整えてくれた。

         坂本誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム