家

 ようやく一軒の家が建った。その家の主人、Hなにがしは建築会社の人間と道の上に並んで、その外観を眺めた。
 Hは言った。
「うーん。良く出来てるじゃないか。立派な家だ」
 建築会社の社員は言った。
「はあ。全くの見事な出来栄えです」
 Hは意気暘々と家に入り込もうとした。ところが玄関がない。家の四辺を歩き回っても、玄関のドアや戸の類いは一つも見受けられなかった。窓があるにはあるのだが、どうも玄関の名に値するものではなかった。窓の向こう側、すなわち家の内部を覗いてみると、それは、それは豪華な造りであった。だが、それらを堪能するためには、何としても玄関を探し当て、家の中に入らねばならない。
 Hはじっくりと丁寧に探しまわったが、どうしても玄関らしきものは何処にも見当たらなかった。勝手口らしきものもなかった。
 Hは不思議に思い、道の上で待っている筈の建築会社の社員の方に踵を返した。
 建築会社の社員はHを見かけると声をあげた。
「どうでしたか。私たちがよりに腕をかけて造ったんです。お気に召しましたか?」
「いや、それが家の中に入れんのだよ。玄関がない。何処にもない」
「なんですって」
 と、建築会社の社員は頓狂な声でHに返答した。そして二人共々、家の四辺を探したが、アリの子一匹でも入れるような扉は何処にもなかった。社員は、
「本当ですね。一体、何処にあるんでしょう。この家を設計した建築技師はこの道三十年のプロの筈ですが」
 と言いつつ、家の設計図、青写真を広げたが、やはり何処にも玄関に相当するものは見当たらなかった。
「一体全体、何ということだ! この道三十年のプロがこんな重大なミスを犯すなんて信じられん! 私が直接電話をかけよう」
 Hは激高しながら公衆電話に向かった。
 電話はすぐにつながった。
「ああ、○×住宅商事ですか。すいませんが、私の家が欠陥ものでしてね。すぐに責任者、建築技師を呼んで下さい。何? 私の名前? 私はHなにがしという者です」
 Hは何分か待たされた。
 やがて建築技師が受話器をとった。
「はい、もしもし、私があなたの家を設計した技師ですが、何処かにミスがあったでしょうか?」
「ミスどころじゃないよ! あんた、玄関、玄関がないんだよ! なぜそれを造らなかった。あんた、この道三十年のプロなんだろう! どうしたことだい」
「まあまあ、落ち着いて下さい。Hさん」
 と技師はHをなだめて、言葉をつないだ。
「まず、『家』というものの定義を考えてみましょう。その定義はまず第一に寝食ができるところ、第二にはくつろげるところです。そうでしょう。その定義から定理が導きだされます。つまり便所があるとか、電灯があるとか、大小さまざまの定理が生みだされると思います。そこで今回、私は発想の変換をして、玄関のない家を造ってみることにしたのです」
「しかし玄関がなければ家の中に入ることが出来ないでしょう」
 Hは反論した。技師がそれに答えた。
「いえ、そんなことはありませんよ。たとえば窓からでも家の中に入れるでしょう。猫を飼っている家では、大体の猫は玄関から出入りはしません。もっぱら猫が玄関としているのは窓です」
「しかし私は猫じゃない。人間だ。それに玄関とは、人間で例えて言えば『顔』に相当する重要な部分の筈だ」
 とHは言った。更に技師が説明した。
「それじゃあ、まあ、御想像なさって下さい。事故や何かで自分の顔をなくした人はもう人ではないのでしょうか。顔を失わずにいたとしても、まるっきり人相の変わってしまった人々はもう人間と呼ぶに値しない存在でしょうか? いいえ、違います。なんと言っても、彼等の内蔵の臓器は正常ですし、思考力もある。つまり立派な人権を持っている。彼等は人間だからです。それと同じことですよ」
 Hはなんだか自分が彼の詭弁にもてあそばれているような気がした。設計技師は更に説明を続けた。
「付け加えるならば、あなたの家は泥棒対策にも万全な筈です。心理作戦ですよ。泥棒があなたの家を狙うとしましょう。泥棒はまず玄関を見定め『これが玄関だ』と認知して、次に自分の入る『窓』を探します。おおかたの泥棒は窓から侵入しますからね。ところがあなたの家には玄関がない。すると彼は迷います。『玄関がないから窓と玄関の区別がつかない。何処が玄関で、何処が窓なのだろうか』と悩み始めます。そして結局、手がつけられないで、朝になり、彼は逃げてゆくでしょう。Hさん御自身も家に入れないから、こうやって私の元に電話をかけてきたぐらいではありませんか」
 確かにその建築技師の言うとおりだった。
「ハハハ、まあ、どうぞその家を使ってみて下さい。大変、機能的に造られていますから。きっと気に入ると思いますよ」
「はあ、わかりました・・・」
 とHは返事をして電話を切った。
 やむなく、Hは一つの窓を玄関として、その自分の新築の家を使い始めた。建築技師の言うとうり、その家は大変に住みごごちが良かった。彼の言ったとうり、家中の窓に鍵をかけなくてもHの家に泥棒が侵入したことは、今日まで、一度もない。
 しかし来客をむかえる時、Hは息苦しくなってしまう。『なぜ、玄関がないのか』と問われる度に、Hはいきさつを話す。客たちはいぶかしげな目付きでHを見る。
 客が来る度に、Hは『俺は顔を失ったんだ』と思うようになった。

                                                1993/5/28

     by 坂本 誠