十字軍の一兵卒

                            十字軍の一兵卒

 俺達は小高い丘のうえに陣取った。乾いた風が吹いていた。空は青く晴れていた。
 遥か彼方に敵の軍勢が見えていた。異端者、イスラム教徒供の旗が翻っていた。俺達の真上には、十字軍の証、十字架の旗が風になびいていた。
 俺達は聖地エルサレムを奪還すべく、ここまでやって来た。イエス・キリストが御活躍され、彼の聖墓まで祭られているエルサレムを、奴等は奪ったのだ。あまつさえ、エルサレムに向かう巡礼者まで迫害した。「エルサレムを取り戻せ」と教皇様の命が下った。各国の騎士が選び出され、寄せ集められた。
 俺達も寄せ集めの騎士団だったが、やる気で漲っていた。憎きイスラム教徒供を倒し、エルサレムを奪い返すのだ。
 俺は馬に跨がり、甲胄を身につけ、その中で考えていた。故郷に残してきた妻や子供は大丈夫だろうか。俺はこの戦闘で死ぬかもしれない。そうなると、妻や子供はどうなる? 俺は騎士だが、厚く、イエスの教えを信じているつもりだ。胸に十字架をつけている。だから、意地でもエルサレムを我等の手中に治めねばならない。己れの死の恐怖を感じる訳にはゆかない。俺達は神の兵士だ。
 その時、俺と同郷の出身で、敬愛する軍団長が、我等、騎馬団の前に進み出た。そして、サーベルを引き抜き、高々と天空に向け、俺達に言った。
「さあ、皆の者、我々の異教徒供を打ちに行こう。邪神を信じた彼等を征伐しよう。彼等は、現代における、イエス・キリストの憎まれたパリサイ人、サドカイ人なのだ!」
 その言葉は俺の心に勇気を吹き込んだ。俺達は、全員、サーベルを抜き放った。何百本のサーベルが太陽の光に輝いた。
「突撃」
 軍団長の命令が俺達の頭上に木霊した。
 俺達は遠方にいる敵の軍団に目がけて馬を走らせた。けたたましく、何百馬もの蹄の音が、荒野に響きわたった。同時に大量の砂煙が舞い上がった。何十本もの十字架の旗が風に流された。
 黒い敵の塊も俺達を目がけて突進して来た。
 衝突。
 血しぶきが血煙になって、俺達の上に降りかかる。
 血の臭いが辺りに立ち込める。
 サーベルのかちあう音。
 斬り落とされた手が見えたが、敵のものか、味方のものか、わからない。 次々と俺に斬りかかってくる敵供。
 斬らなければ、俺が斬られる。
 何かを考えている暇はない。
 無我夢中に、無心に、襲いかかってくる敵を斬る。突き刺す。
 それを何回も何回もくり返す。
 時が止まっていた。
「退却! 退却!」
 軍団長の命令が俺の耳に届いた。俺はサーベルを交わしていた敵に背を向け、俺達の陣営へと馬の頭を向けて、走らせた。敵と味方の屍を乗り超え、乗り超え、馬を急がせた。
 馬を走らせている間、やっと俺はまだ自分が生きていることに気付いた。擦り傷もあったが、五体満足だ。甲胄に、敵のものなのか、味方のものなのかは知らぬが赤い血がこびりついていた。俺は胸の十字架に感謝の意を捧げた。『神よ、我をお守り下さり、ありがとうございます』
 サーベルを握りしめている俺の右手に、今になって、敵の肉体を斬った感覚が蘇ってきた。
 俺は馬の上で考えた。『我らの聖地巡礼者を殺してきた当然の報いだ』

 夜になった。何十本ものかがり火の中で、俺達は円陣を作り、軍団長からの明日の作戦を聞いた後、眠りに入った。俺はかがり火の側で横になった。
 月が光っていた。
 辺りを見回すと、戦友の数が減っていた。戦(いくさ)で人が死ぬのは当たり前。神の兵士として役目を完うしたのだ。
 何故か、俺は眠れず、立ち上がって、軍団長のいるテントに向かって歩いた。テントの裾を開くと、彼はロウソクを灯し、甲胄を横に置き、葡萄酒を口にしているのが見えた。
「おお、おまえか、おまえも飲むか」
 と軍団長は俺に酒をすすめた。
「はい、少しなら、いただきます」
 俺は彼の横に座り、盃を手にして、酒を注いでもらった。
「今日の戦で我が同胞を多く失った。手強い敵だ」
 そう言うと、大柄な軍団長は少し首をかしげた後、盃の中の酒を一気にあおった。
「そのようですね。我々はかき集められた軍隊だから統率がとれていないのかも知れません」
 俺は少し酒を口に含んだ。
「悔しいものだ。この怒りを、聖なる怒りを、明日、奴等にぶつけよう。いや、明日だけではなく、聖地エルサレムを取り戻すまで」
 俺達は薄暗いテントの中で、しばし語り続けた。

 翌日、再び、俺達は戦った。
 砂煙と、甲胄の触れあう音。
 斬って、斬って、斬りまくる。身体が勝手に動く。
 戦う最中に、目的を思い出す余裕はない。
 不意に味方が乱れ始めた。
「退却! 退却!」
 軍団長の声ではなかった。俺はやむなく、戦っていた敵と離れて味方の陣営に戻って行った。
 味方の陣営に戻ってみると、皆が兜を脱いで、円陣を作り、うなだれていた。俺は馬から飛び降り兜を脱いで、皆をかき分け、中に進み出た。
 そこには軍団長の大きな死体が横たわっていた。やはり、そうだったのだ。軍団長が殺されたので、他の者が退却の合図を出したのだ。軍団長の声である筈がない!
 軍団長は、両の目をカッと見開き、口を開けたまま、横たわっていた。腹に敵のサーベルが刺さっていた。俺は彼の側にしゃがみこむと、股の上に彼の頭を乗せた。そして、両の手で、彼の頭を抱きかかえ、俺は声を上げて泣き始めた。
 全ての仲間が沈黙していた。今まで仲間の死んでゆく光景を見て、俺が激しい悲しみに襲われなかったのは、親しい者を殺されなかったからだ! 敵は俺の同郷の誼(よしみ)を殺した! 怒りと憎悪がこみ上げてきた。
 この怒りだ! この怒りが俺達の軍隊を一つにまとめあげるのだ! これが聖なる怒りだ!

 翌朝、俺達は先ず新しい軍団長を選び出した。
 そして敵と対陣した。一人一人の怒りの念によって、俺達の闘志は、はちきれんばかりだった。
 俺は右手にもっているサーベルに殺意を込めた。強い風十字架の旗をなびかせていた。
「突撃!」
 新しい軍団長の合図。
 俺達は「ウオーッ」と声を張り上げて、敵に向かって突っ込んだ。
 戦い。
 俺のサーベルは鬼神でも宿ったかのように、踊り狂って、敵を斬っていった。
 敵の肉を切り刻む感覚が、はっきりと、手に感じるようになった。
 いつの間にか、俺は一人の手強い奴と剣を交わしていた。
 俺は何度、サーベルを振ったかわからない。相手も憎しみの情を込めて、俺を殺そうとしていた。
 気が付くと、辺りに生きている者は俺達二人だけだった。主戦場が何処かへ移ったのだ。周りには敵と味方の死体が累々と転がっていた。
 奴が俺の馬を刺した。馬は悲鳴を上げて崩れ落ちた。俺も地面に転がり落ちた。俺にとどめをさすために、奴は馬の上から飛んで、俺にサーベルの切っ先を突きつけてきた。
 俺は間一髪で、身体を右に転がし、それを避けた。俺の胸のあった部分の地面に、両手で握りしめられた奴のサーベルが、深々と突き刺さった。奴がそのサーベルを地面から抜き取る前に、俺は起き上がり、奴の胸にサーベルを思い切り、刺し込んだ。この邪教徒め!
「ギャーッ」
 と叫んで、奴はゆっくりと自分のサーベルから手を放しながら、仰向けに倒れた。奴の身体は痙攣を起こし始めた。
 俺は肩で息をしていた。俺の右手には血で塗れたサーベルがあった。見回すと、荒野の上には何体もの亡きがらで埋めつくされていた。それらの間には赤い血が流れていた。空だけが青く、遠く澄みきっていた。
 不意に足元を見ると、俺は十字架の旗を踏んでいた。俺の右足が十字架を踏みつけていた! 泥に塗れた十字架の旗を、敵の血と、味方の血が入り混じってついた、甲胄の右足で堂々と踏んでいた!
 俺はすぐに足をどけたが、心の中では、踏み続けているような気がした。
 俺は自分がサーベルで突き刺した相手を見た。俺は訳も分からずに奴に近づくと、すぐに兜を脱がせてやった。俺も兜を脱いだ。顔を見合わせた。そいつは涙を流しながら、あえいでいた。そして、そいつの国の言葉を喋りだした。 俺は何もかも忘れていたんだ! この男にも故郷があり、そこには妻も子供もいる。俺と同じように。そして、この男の国で信じられているイスラムの神は、きっと、この男にも福音を与えていたのだろう。
 イエスの神とイスラムの神とは、どう違うというのだ! この世に神が二人もいるというのか!
 俺は、そいつのモジャモジャした顎髭のある顔を抱きかかえ、
「しっかりしろ! 死ぬな」
 と言った。そいつは異国の言葉を使いながら、何かを喋った。途切れ途切れに。
 やがて、俺の腕の中で息絶えた。
 俺は、軍団長が死んだときと同じように、そいつの上で、泣きじゃくった。
 そのままの状態で、俺は軍団長の言った言葉を思いだした。
「彼等は、現代における、イエス・キリストの憎まれたパリサイ人、サドカイ人なのだ」
 しかし、イエスは、本当に、パリサイ人とサドカイ人を憎んだのか?
 イエスは彼等に警告を与えたと、昔、聞いただけだ。ましてや、イエスが彼等を殺したりしたか? 神聖なるエルサレムを奪いあおうと、俺達、人間同志が傷つけあい、血を流しあうことを、イエス・キリストが御喜びになる筈がない!
 俺達は一体、何のために、戦い、友人を失い、他人を殺してきたのか!
 イエスの言われた「隣人を愛せ」とは、どういう意味を持つのか!
 俺はそう考えると、涙にあふれている目で、天を見上げ、叫んだ。
「エルサレムは我々の心の中にあればいい! イエスの教えを胸に刻み込んでおけばいい! 一つの土地を奪いあう必要はない! そうでしょう、イエス様」
 俺は胸に十字架をかけていることすら、全く忘れていた。あまつさえ、人を殺した後で、自分が助かったことを神に感謝するという愚かなことまでしていた。俺の十字架は嘆いていたに違いない。
『聖なる怒り』なぞ、ある訳がない。
 俺達は神の兵士でもなんでもない。
 俺は血の海と化した荒野の上で、俺の殺した相手の上にうずくまっていた。
 強い風だけが吹きぬけていた。

 空は夕焼けだった。
 俺は両手に自分の殺した男の死体を抱きかかえて、荒野の上をフラフラと歩いていた。今日一日の戦いは終わっているようだった。
 俺の足は自然と、敵の陣営へと向かっていた。
 やがて、敵の陣営の見張りが俺を見いだした。そして、陣営の中に入って、多くの軍勢を引き連れてきた。
 俺は歩みを止めた。
 彼等は俺を襲って来なかった。俺の腕に抱えている男の甲胄は敵のものだったから、それを見て、彼等は戸惑ったに違いない。明らかに、彼等は動揺していた。
 やがて、俺は、その自分の殺した男を地上に降ろし、横たわらせた。そして、俺は甲胄を脱ぎ、下着も脱ぎ、血に染まったサーベルも放り捨て、素裸になった。しかし、胸にかかっている十字架だけは着けておいた。
 俺は、敵の軍勢、目がけて、走った。突っ込んだ。
 敵の放った槍が、雨となって、俺に降ってきた。
 その一つが俺の左脇腹にくい込んだ。
 俺は仰向けにブッ倒れた。
 激しい痛みが俺を襲った。
 俺は妻と子供を置き去りにしてしまったが仕方ない。俺だって、俺の殺してきた男達の妻と子供を奪い取っていたのだ。
 何故か俺の心は安らいでいた。
 薄れゆく意識の中で、俺は知った。
 そうだ。俺は救われたんだ。自分の過ちを認めるという、そのことが、救いだったのだ。
 俺は深い静かな眠りに入った。

                                    1992/10/8

     by 坂本 誠