一: M.A様への手紙08_4_30

       2008年4月30日
       
お久しぶりです。坂本です。
徒然なるままに筆が進むことを祈ります。
手元に控えが残るためにパソコンの方にも残しているのですが、これが本当に「徒然なるままに」ということになるのでしょうか、、、、、
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しかし、肉筆文書の方が確かに真心がこもるのですが、それでも、人の声はそこには書かれてありませんし、また、人の顔もそこには書かれていません。
当然、人の心のぬくもりも、そこには書かれてありませんが、なんらかの媒体の上には人の思いが残されている、ないしは、にじみ出ているのでしょう。
たとえ『方丈記』がインターネットの上に載っていても、インターネットが優れているのではなく、この作者の精神の方が優れているのは明らかです。
しかし、インターネットも素晴らしい道具です。

人間とは何と弱くて小さな生き物でしょう。
今日で、家族が出かけて5日目です。
いかに文明の機器に取り囲まれていても、大昔と変わらぬ姿かたちで生きている我々のこと。
裸で生まれて、裸で死んでいく。
1000年前もそうでしたが、1000年後もそうなのでしょう。
テレビよりも私の横にいます猫の方がありがたくあります。
寂しい思いが胸のうちに去来している、この2,3日です。
金銭で、猫の心が買えるわけがないですからね。
家にばかりいますので、自然、世の成り行きばかりに目が行き、昨今の少年極悪無差別テロ、ガス自殺無差別テロやどこぞの国の役人の汚職テロ、古来より変わらぬ税の引き上げテロには目に蓋をしたいぐらいです。

まあ、私にしても物づくりの世界にいますが、人間には物を作る喜びがあります。
他の職人でもそうですが、例えば、寿司職人にしても寿司をにぎるという喜びがあるのです。
また、大工にしても、柱となるヒノキにかんなをかける喜びがあるのです。
それと全く同じです。
その作ったものが人々を潤すのは、これは職人自身の喜びでしょう。
しかし、その喜びを計る道具として、この世では金銭も作られました。
昨今の時勢を眺めますに大した仕事も納めていないのに、また、作ってもいないのに、この金銭の方を獲得した方が、偉い人間なのだ、と思う人々が多いようです。
「カネが、カネが、カネが、、、、、、」
と、言っております。
人の精神の偉さが計られ、それを持ち、その上下によって、金銭が配分される社会システムが出来上がるのは、いつの日でしょうか?
昨今の世の中が、金銭を大量に持つ人間の方が精神的に偉い人間のように見えるのは私独りでしょうか?
逆のように、見えますが、、、、

上のような嘆きばかりを書いておりますと、やはり鴨長明みたいな感じです。
同じように、この手紙も4畳半の部屋から書いております。
ここは一つ兼好法師のように明るく風刺すべきでしょうか?
世の人々よりも、今、私の目の前にいる猫の方が、良く私に仕事をしてくれるし、また世の人々よりも明らかに幸せであると。
猫でさえも仕事をしているのだ、猫の方が仕事をしているのだとよくわかります。

上のように筆の立つ玄人の名前を挙げますと、「坂本の書いたものには全然、筆の匂いが無いではないか」、と言われそうなので、私独りで頑張ることにします。
ものづくりとは言っても、様々であります。
パソコンの上で物を作るのも大いに良いと思います。
しかし、先般お見せいたし、また捧げました私の詩集『光と闇の唄』の詩、これも人間の作りしもの、でありますが、その詩の方に一輪の花の香りがするのはなぜでしょう?
しかし、まあ、これとても、やはりA先生が叱ってくださったように、お叱り頂ける人がいますので、私の筆のちからは、さらに磨いていけるわけであります。
私も忙しくなれば筆を鍛える光陰も無くなりますので、やはり、このように先達たちが暇な時のように筆を取る時間があるように、運命が私に時間の配慮をして頂いたのかも知れません。
しかし、詩で飯を食べるのは難しくありますので職人であります私のもう一つの顔も日々、鍛え、早く一流の匠になりたく思います。
その世界にも、やはり喜びと苦しみが広がっております。
「一流の匠になりたい」と言うことは、また、一流の匠である秘訣は、実は自分のことをいつまでも、「私は一流の匠ではなく、まだまだ腕を鍛えねばならぬ」と思わねばならぬ、と昨今、気づき始めた所であります。
また、ショーペンハウワーというドイツの哲学者も同じようなことを言っていますが、「文を書くものは筆に優れるよりも先に精神に優れねばならぬ」と書いてありますが、その通りだと思います。
同じように物づくりの物の中にも、その作りし人の真心、優れた心がこもっていないと人は買わないものだ、と考えたりもします。

それにしても、誰にでもありますが、恋の問題とは苦しいものですね。
巷の街角を漂います恋の歌に耳の目で見ますと、やはり、恋とは喜びと苦しみの二つを同時に持つ、ヘンなものであると思います。
一応、ギリシャ時代の文献から、今日に至るまで恋愛小説が、いまだに書き継がれております。
いまだに「恋愛問題とは、このように解けばよい」という数学の2次方程式の公式なるものがないということがわかります。
これは人類が終わるその日まで「恋愛とは何か?」と神様が与えている問題なのかもしれません。
愛成就したる後も人は恋に苦しみます。
例えば、恋人同士も日曜日に出会いましても、次の日曜日を待つ一週間のいかに長いことか、、、、、、
結婚したる後も、若夫婦は苦しみます。
若夫婦が引き裂かれています、あの日中の8時間の何と長いことか、、、、、、
結婚後に落ち着いた後も、自分の配偶者よりも隣家にいます異性のほうが素晴らしい異性のように見えるのはなぜでしょう?
このように数え上げればキリがありません。
私の胸の奥に住みます、あの女性の残像が消える日はいつのことになるでしょうか?
また「あなたを忘れたいのだ」という想いが、あの女性の胸の内に届く日はいつになるのだろうか? という思いがあります(上の言い回しの意味を、A先生はおわかりになりますよね?)。

私の家の猫は早起きであり、朝の4時半に私を起こし、えさを彼女は要求しました。200602042219
したがって、この文(ふみ)も朝のすがすがしい陽射しを浴びながら、新鮮な気持ちで書いているというところです。
私を早く起こした、猫を叱らねばならないところでしょうか?
しかし、最近、私を悩ましていた寂しさ、わびしさも、今このように文を書くことで紛れていると言う所です。

今日は、このように私の筆もだいぶノッテいました。
しかし、『光と闇の唄』でA先生から、お叱り頂いたようにさらに私をお叱り頂ける事、お待ちしております。
例えば、この手紙をA先生が読んだ後に「今の坂本は多少、てらいすぎているようだ」云々、、、、
また、最近、出来ました私の詩の最新のものを以下に書いておきます。
ご存知のように「坂本誠」は私の筆名です。
また、文をお出しします。
失礼します。

        愛

僕は彼女を愛します。
まるで、胸を突き破って、心の手が伸びて、
彼女の心を鷲掴みにして、
この世でない世界に、さらっていきたいかのよう。
今、心の中の光が見える。

    ※上の詩『愛』は詩集『赤い炎と青い水』に挿入。
                                                                            
                    坂本誠    2007年9月6日