七百二十八: 知覚について

人間は5つの感覚を持っています。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚です。

しかし、全ての生き物が、この5つの感覚を持っているわけではないです。
例えば、私達の身体を構成している一つ一つの細胞の感覚は、主に触覚でしょう。
アメーバ等の単細胞生物も触覚の一つぐらいかと思われます。

テレビで、南米だったと思いますが、洞窟の奥深くの水の中に、あるウナギだったと思いますが、洞窟の中は全く光の刺さない世界ですから、そのウナギは目が退化したらしいです。
つまり、必要性の無い知覚が一つ減ったのです。
しかし、そのウナギには目のあった痕跡があるのです。
同じような事例は深海魚でも言えるでしょう。
目の退化した深海魚もいます。
つまり、知覚が一つ減ったのです。

しかし、その上のウナギでも、長時間、日の当たる場所で生活させれば、再び、視覚が戻るかもしれません。
その視覚の戻った一匹のウナギと、目の退化した他の多くのウナギを地上の水の中に出してみましょう。
すると、視覚の戻ったウナギは様々なものを見て、行動範囲や生活に必要な情報が飛躍的に広がるでしょうが、目の退化したままの他のウナギは、以前と同様な生活をするでしょう。

つまり、生き物にとって、知覚が一つ減ったり、一つ増えたりすることは、物凄く情報量に変化があることがわかります。
人間も生き物だから、何かの知覚が減ったり、増えたりしたら、それこそ生活が大変に変わるでしょう。
人間も生き物だから、このまま生活していて、進化すれば、もう一つの知覚を得る可能性もあります。
(ある人によっては、それは第6感と呼ばれていますが。)
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しかし、知覚が一つ減ったり、増えたりすることは、生き物にとって、ある人にとってはプラスに、ある人にとってはマイナスにも働くでしょう。
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フランスの作家のアンドレ・ジッドの書いた作品で『田園交響楽』というものがあります。

あらすじは、以下です。
生まれつき、目の見えない少女が手術によって、視力を回復するのです。
しかし、少女は光を見ましたが、その光に照らされる人々の暗い顔を見て、絶望して、自殺してしまうというものです。
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このように一つ知覚を得ることは、人によって、かなり困惑することでもあるでしょう。
「情報量が大量になるから」というのも一つの理由でしょうが、その他のこともあるかもしれません。

しかし、私がその小説の上の自殺してしまった少女に伝えたいことは、

    「他の多くの人も、光によって、人々の顔を見ている。慣れれば、なんとかなるよ」
   
です。

         坂本 誠