2012年5月15日 (火)

二千百六十五: 入り江

                        入り江

 

    深い深い森に囲まれて
    大地の奥にくびれこんだ入り江があった。

    人の気配のない  この入り江のために
    大空は歌を歌った。
    その歌は渦巻きのように集まり、回転しながら、
    水の上に落ちた。

    水の上の歌声。
    水の上で歌が広がる。漂う。

    やがて歌は水の中に溶け込んで
    水の底にしみこんでいった。
    そして、底にいる魚たちを
    やさしくなでていった。

 

                坂本  誠Img7d932ef156f9

二千百六十三: 海王星の花

                        
            海王星の花
                        
                        
    真っ暗な空の下
    氷の海が広がっている。
    しかし、その氷は  なぜか液体だ。

    その海の上で
    誰も見ていないのに
    一組の女と男が  スケーターのように
    踊り続けている。

    女は天頂を目指して  上に滑り続ける。
    男は女の周りを  回転し続ける。

    めしべは上に登り続け
    おしべは水平に広がり  回り続ける。

    人のいない場所でも花は咲く。
    海王星の花を見た。

 

                坂本  誠Img7d9267dd1637

二千百六十二: 僕

                僕

            
            
    僕の胸の中に、水晶宮が輝いている。
    心から翼が広がる。
    翼のはばたきから、もれる空気の波が
    光の音の粒となって、こぼれてゆく。

    僕は右手を水平に伸ばしている。
    その上に心が乗っている。   
    においのように、けむりのように、
    光が流れ出て、たなびいて、
    一つ一つの詩となってゆく。

 

                坂本  誠

二千百六十一: 昇華

                昇華
               

    僕に魂があるのなら、
    この肉体を破り、
    自由な大空へ  気体になって  溶けてゆきたい。
    月の光に流されながら、
    僕は青い海と緑の森で満たされた
    地球の丸みを眺めるだろう。
    そして日の出が地球を
    白く輝かせる時、
    僕もその曙光を浴びて、
    この世を超えたイデアの世界に
    さらに昇華してゆくのだ。

 

                坂本  誠

二千百六十: 青空

                        
                      青空
   

    僕が青空を見つめると
    青空も僕を見つめる。
    澄みきった青空が
    大きな見えざる手を差しのべて
    僕の心をすくい上げてゆく。
    どこまでもどこまでも
    僕を持ち上げてゆく。

    天の頂で
    人の気配なく
    永遠の静けさの中
    天使たちのかなでる
    音の無い調べが流れる。
    僕はその銀の音楽の上を
    浮かび
    ただよい
    流されてゆく。

    天の中で
    風に吹かれている
    一輪の花のように
    青空よ。
    僕を清めておくれ。
    僕の心の奥底まで。
    おまえの限りなく深い
    純粋無垢の
    透明な青さによって
    僕の魂の隅々までも
    洗い流しておくれ。

 

                坂本  誠Img7d9206723b05

二千百五十九: 宇宙の水

                    宇宙の水            
                   
                   
                   
    黒い宇宙空間の中に
    河のように  煙のように  水が流れている。
    その水の上に乗る私。
    水が音楽になっている。

    掌の上にも水があり、
    それがボールのように  膨らんだり、縮んだり。
    また、幾つも弾けて、溶け合いもする。

    多くの星々の光を見つめ、その光を浴びながら、
    河の上を漂い、私はどこかへ流れてゆく。

 

                坂本  誠

2012年5月14日 (月)

二千百五十七: News_No.71

(以下、「ロイター  2012/5/14」より)
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●日銀が突然の担当理事交替、政策の継続性が焦点に

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE84D05520120514

[東京  14日  ロイター] 
日銀は11日、金融政策を立案する企画局の門間一夫局長が理事に昇格する人事を公表した。
門間氏の異動とともに発表された人事で、日銀ウオッチャーが注目したのは政策担当理事の雨宮正佳氏の大阪支店長への異動だ。
「包括緩和政策」の立案に携わってきた中心人物であるだけに、政策が変化する契機になるか、注目される。
雨宮氏はこれまで銀行保有株の買い取りや量的緩和政策、最近では2010年10月に開始した基金で国債などを買い入れる「包括緩和政策」の立案に携わってきた。
夕方にロンドン市場が開くとなぜ円高が進むのか、など「市場の癖を熟知することも市場との対話で重要と指摘してきた」(日銀OB)とされる。
政府・日銀のパイプ役としても雨宮氏の実績を評価してきた一部の政府・与野党関係者には、今回の人事は寝耳に水だったようだ。

日銀は公式には今回の雨宮理事の大阪行きについて、支店長経験がないためと説明している。
2月に事実上のインフレ目標導入と追加緩和を打ち出し、デフレ脱却のため物価上昇率1%が展望できるまで強力な金融緩和を進める姿勢を示すなかで、「政策の継続性は担保される」(幹部)と説明している。

日銀が2月以降、景気の下振れがないなかで2度も国債買い入れ増を中心とした追加緩和に踏み切ったのを背景に、市場・政府関係者の間では、今後も景気が下振れなくとも追加緩和に踏み切るとの期待が膨らんできた。
四半期に一度の「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」公表時には、物価上昇率1%が展望できないことを理由に、長期国債の買い入れ増を軸に追加緩和するとの期待も広がりつつある。

門間氏の理事就任で後任の企画局長に就任した内田真一氏は、企画局ナンバー2の審議役より3年後輩にあたる。
現職最年少である点が話題を呼んでいるが、2006年の量的緩和解除時に企画局担当者を務めており、企画局長としての手腕が注目されている。
新体制による日銀の政策姿勢は今後の決定会合ごとに徐々に明らかになってくるとみられる。

(ロイターニュース  竹本能文:編集  石田仁志)

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(引用終わり)

                坂本  誠

二千百五十六: 天使の翼

            天使の翼
            
            
            
    天使の翼は
    音楽で できている。
   
    翼の羽の  一枚一枚が
    一つ一つの音で  できている。
   
    天使が  大空に舞い上がる時、
    まるで  彼の翼は
    グランド・ピアノの上から、奏でられ、
    あふれ出ずる
    一つの流れのよう。
   
    天使が大空を抜けて
    宇宙に飛び出ると、
    その音楽が
    宇宙にも  やわらかく木霊する。
   
    まるで、
    水面(みなも)の上の
    一つの船が
    二つの水脈(みお)を長く引くように
    音楽が広がってゆく。
   
    その音楽の上に
    鮮やかな  色彩も乗せながら。
   
    視界の中に
    様々な星が  瞬時に飛び込んでくる。
    その星々が
    ほとんど同時に
    後ろに  飛び去ってゆく。
            
            
            
                坂本  誠

二千百五十五: すみれ

              すみれ

 

    ありきたりの
    街の片隅に
    振り向く人も少ないが
    小さなすみれが咲いていた。

    車の騒音や  人間たちの喧騒にも負けず
    彼女は誇らしげに
    自分の生の歓びを
    行き交う人々に披露していた。

    短い生命だが
    死を恐れることなく
    大きな世界に向かって
    自らの小さな美を  手を差しのべていた。

    その手が僕をつかんだ。
    すみれの小さな生命の大きな歓びを
    僕は胸の内にしまった。
    一点の光を抱きしめるように。

 

                坂本  誠

二千百五十四: 仏の手

               仏の手

 

    星が全ての方位に
    光のとげを放つように、
    仏の胸の中心から
    光がほとばしる。

    無数の光のとげが
    無数の手になっている。
    その手は丸い。
    光が手なのか?
    手が光なのか?

    仏が振り向く時、
    その無数の手は、
    あおい風になびかれて、
    さざめく草原のよう。

    仏の無数の手は
    宇宙の隅々まで伸びる。
    仏の丸い手は
    僕たち全ての、
    生あるものの全ての、
    心に触れて、
    ぬくもりを残してゆく。

 

                坂本  誠20100610135952

二千百五十三: 強さ

                        
                    強さ            
                   
                   
    寒い朝の季節、
    目覚まし時計が鳴る前に、
    母のまな板の音に
    起こされていた日々があった。

 

                坂本  誠

二千百三: お金の話題_No.15

おはようございます。

久しぶりのお金についてのエッセイです。
お金についてのエッセイは、このブログ『悲喜憐偉』のカテゴリー「ビジネス・投資」に多くありますので、そちらをご参照ください。
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普通の日常雑貨について考えてみましょう。
一つの例として、衣服の事を考えてみます。

大型のショッピング・センターに行くと、数多くの衣服が並べられているのに気が付きます。
そして、どのように見ても、買う人の買う服の数と、衣服店に並べられている衣服の数の量が大いに違うのに気が付きます。

ある衣服店でも、一日に売れる衣服の数を20着だと仮定しましょう。
それなのに、20着よりも、はるかに多くの数の衣服がその衣服店の棚に並べられているのに気が付きます。
つまり、「衣服売り切れ」という札(ふだ)を目にすることは、ほとんど多くの人はいないと思います。
つまり、衣服に使われている大量の物資が、大量の衣服店にそのまま置かれていることに気が付きます。

また、売れなかった衣服が「50%、半額バーゲン」という形で売られている時期を目にします。
そうなると、別に、通常の時期にその服を買わずに、その半額の時期に購入すれば良いと考えられます。
また、それでも、売れない衣服があるでしょう。

それらの衣服の処分の仕方はどうなるのか、私は不思議に思います。
また、処分される衣服の処分代を考慮しつつ、あらかじめ、あのように新品の衣服に高い値段が付けられているのかもしれません。
こういうことを考えると、「私達はもっと安い値段で衣服を買うことが出来るのだ」と私達は考えることが出来るかもしれません。

つい、先ごろ、亡くなられたアフリカの女性が、「もったいない」という言葉を残していましたが、これが当てはまるかと思います。
大量生産、大量消費をモットーにしている資本主義が、この「もったいない」という現象を生み出しているかと思います。
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また、以前も書きましたが、幼いペットを商品として売っている店もあります。
ペットも商品ですから、売れ残りということもあるでしょう。
その場合は、流通元に返却されるのかもしれません。
いずれにせよ、「その売れ残りのペット達は、やがて、どこに行っているのだろう?」と、多くの人が疑問を持つかと思います。
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また、資本主義は大量生産、大量消費をモットーにしているので、上のように、大量の製品が作られています。

確かに店に行くと、今では、大量の製品を目にするでしょう。
こうなってくると、逆に、人は「物のありがたさ」に気づきにくくなるものです。

ですから、大量の余剰というものは、人間にとって、良くないものでもあるとわかります。
大量の不足というものも良くないことですが。
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以前から書いていますが、1万円札の製造原価は20円だそうです。
お札の製造原価は、そんなに安いんですね。
そして、便宜上、政府がその紙切れの価値を「一万円だ」と定めているわけです。

資本主義の原型は、大体、17世紀のヨーロッパぐらいで発展したそうです。
で、その銀行家と呼ばれる人達が、お札を世に多く普及させたそうです。
で、その17世紀のヨーロッパでも、お札は紙で作られたでしょうから、その製造原価は安価なものだったでしょう。

そして、ある時、ちょっと見知らぬ人が、その17世紀のヨーロッパの銀行に訪れたとしましょう。
その見知らぬ人とは、私(坂本誠)でも良いでしょう。
SF映画みたいに、私がタイム・トリップしたと考えても良いでしょう。

そして、私がその銀行家を目にすると、その銀行家は、大変な量のお札を持っているわけです。
で、私がビックリして、その銀行家と以下の会話をしたとしましょう。

●坂本誠:「銀行家さん。あなたは何で、そんなにたくさんのお札を持っているのですか?  それだと、あなたが、大変なお金持ちのように見えますね」
■銀行家:「いや、私は、他の人にも、お札を配ったりしないといけないので、人より余分にお札を持っていないといけないわけです」
●坂本誠:「つまり、『あなた(銀行家)が余分にお札を持っていないといけない』ということは、それがそのまま、あなたの財産となるわけですね。お札を持っていないと銀行業務になりませんから。しかも、安い製造原価で、お札を作り、そして、そのまま大変な量のお札を持っているわけですね。それだと、他の人から見たら、大変な安価を元手にして、あなたはまるで、あたかも大金持ちのようになっているように見えませんか」

つまり、その銀行家が、「自分の手元にお金が無い」と思えば、安価に大量にお札を作ればいいわけです。
そのお札が自分の製品ですので。
だから、周囲の人から見たら、

    「銀行家って、なんであんなにお札を持ってるの?」
   
と思っても、その答えは、「自分の製品だから」というわけです。
つまり、自分の作っているお札が、そのまま、お金になるから、いつも、銀行家はお金持ちだったでしょう。
そして、ほとんど、頭も使わず、お金を儲ける(製造する)ことが出来たでしょう。

そして、やがて、時の銀行家が時の政治家と手を組み、国民の間に、お札を普及させたとしましょう。
そして、国民に対する納税も、そのお札なりで、行わせる、と。
また、市場でも、どんどん、その要領で、お札やお金を組み合わせるわけです。
そして、政府の方で、市場での産物の交換も、徐々にお金以外での交換を禁止するようにするわけです。

やがて、お札、つまり、お金が地球の上で絶対的な権力を持つようになるでしょう。
そして、多くの人も、「お金こそが全てだ」と思うようになるでしょう。
つまり、俗に言う大金持ちの作り方とは、これだと私は思います。

そして、銀行家がお札を作る機関を作るわけです。
そして、そのお札を自分達が一番たくさん持っておくわけです。
なんとなれば、自分達がお札を作っているので。
そして、やがて、政府と手を組み、自分達以外にお札を作る機関を作らせないようにするわけです。
そうすると、自分達の作ったお札というものが、絶対的な権力(魔力?)を持つようになり、どんな人でも、自分達の作ったお札で他の多くの人々を支配することが出来るようになるでしょう。
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結果、人心よりもお金の方が尊ばれる世界が出来上がって来ると思います。

一般の本屋さんに行ったら、「こうすれば、大金持ちになれる」という類の本が多く売られています。
しかし、最高の大金持ちの作り方とは、私が上に書いた方法だと思います。

このようにお金のからくりを考えていると、だんだんと、多くの人は、労働意欲が失われてくるかと思います。

    「やはり、お金やお札を製造している人間の方が上で、私達は踏みつけにされているのだ」

と、考えると、やがて、

    「私という人間の尊厳はどこにあるのか?」
   
と、思う人も出てくるでしょう。
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お金に関するエッセイを書きました。

                        
                        
                坂本  誠

2012年5月13日 (日)

二千百五十一: 朝のボロブドゥール遺跡

            朝のボロブドゥール遺跡
                        
                        
    インドネシアの密林の奥深く
    ボロブドゥールという謎の遺跡が横たわっている。
   
    早朝の曙光の射す中、
    遺跡の千の仏塔の上に
    千人の千手観音がいる。
    千手観音が千の剣を持っている。

    千手観音が
    朝日に感謝の祈りを捧げるため、
    剣の舞いを始める。

    一糸乱れぬ千の剣。
    一糸乱れぬ千の観音。
    一糸乱れぬ千の笑顔。
   
    千の仏塔の上で、千の観音が軽く宙にステップする。
    朝の光が千×千の剣に反射して、きらめいている。
    遺跡が輝いているようだ。

    千手観音の  たゆたう虹色の衣から、
    虹色の香りが出て、
    緑の密林をかぐわせている。
   
    その香りは
    千手観音の喜びなのだ。

 

                坂本  誠

二千百五十: 浜

                    浜             
                   
                   
    浜に押し寄せる  さざ波。
    すじ雲も  浜の上空に押し寄せる。
    空を流れる雲は
    風の上に乗った音楽か。

    空の上に浮かぶ鳥は
    さながら  潮の上に漂う魚のよう。

    白い浜は
    白い  さざ波が崩れて
    積み重なったものなのか。
    波だけでなく
    崩れゆく潮騒の音も押し寄せる。

    たゆたう波の上にも
    幾つもの音符が乗っている。

    風と水と音の手が
    浜を作り続けている。

 

                坂本  誠

二千百四十九: いかつい男

                    いかつい男

 

    いかつい男が、辛気臭い顔をして、部下を叱りつけていた。

    だけど、家に帰ったら、
    自分の強い口調に苦しみを感じて、
    無言で、独りで、
    酒を傾けていた。

 

                坂本  誠

二千百四十八: 波

                        
                    波

         

    海の上には波がある。
    ただの水は  波を持たない。
    光を受けて  幾つもの波が輝く。
    ただの一つとして  同じ波は無い。

    太古の昔から
    波が打ち寄せている。

    その波の数は計り知れない。

    僕達の気付きにくい場所にも
    無数の芸術が隠されている。

                        
                         
                坂本  誠20100823150606

二千百四十七: 桜と音楽

            桜と音楽       
            
            
    冷ややかな風と共に
    桜並木の間を
    やわらかな  音楽が流れる。

    音符と花びらは  よく似合う。

    おだやかな陽射しを浴びながら
    花びらと音符が  手を取り
    舞い上がり
    一つに響き合う。
               

                
                坂本  誠

二千百四十六: 旅人

            旅人       
            
            
    旅人が  最後に  旅をする土地は
    自分の  生まれ育った  土地だ。
   

 
                坂本  誠

二千百二十一: 選択について

おはようございます。

選択について考える機会がありました。

選択についてのエッセイです。
以前にも、選択について書いた記憶があるのですが、以前の話ですので、どこかわかりません。

もし、私がその選択について書いた箇所を本当に探そうとしたら、探せるでしょう。
しかし、あえて、それをしないというのも、実は、選択の一つです。
「今は探したくないよ」という選択をしているわけです。

つまり、このように、一瞬一瞬、人は自分の人生を選択し、その一瞬一瞬の人生を作っていることに気が付きます。
つまり、「選択=(イコール)実行」とも考えられるでしょう。
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私達は、小学校の時に一年の初めぐらいに、一年間の計画書を作ったりします。
先生の手伝いもあるでしょう。
最初の内は、「今年は算数が得意になるように」と書いているかもしれません。
ですが、一年の途中から、「今年は算数と理科も得意になりたくなった」と思ったら、算数と理科の努力をして、一年の終わりに算数と理科が得意になっていたこともあるかと思います。
つまり、最初の計画がずれたわけです。

つまり、計画書というものも作りますが、それから大いに外れることもあります。
また、ほとんど計画書の通りに終わった、ということもあるでしょう。
つまり、計画書というのは、「絶対にその通りでなくてはいけない」ということでも無くても良いと私は思います。
計画書を途中で何かの理由で若干の変更をしても良いし、もし必要ならば、計画の大きめの変更をしても良いわけです。
ですから、この点から考えて、計画書というのは、ガイドブックのようなものだ、と考えることが出来ます。
ガイドブックというものは完全では無いわけです。
(しかし、自分の旅の方向にあまりにも大きな狂いがあってはいけないでしょう。)
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ですから、このブログの読まれる方でも、今までの人生を振り返って、その時その場所に応じて、それなりの友人が現れたと思います。
そして、何かの機会があれば、その友人と別れ、また、新たな友人が現れたと思います。
進学の時とかそうでしょうか。
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また、何かの行動にしても、時にはアクセルを踏む時が必要な時もあるでしょうし、ブレーキが必要な時もあるでしょう。

先生の教えが必要ならば、先生に聞かないといけない時もあるでしょう。
そして、自分の願いと現状の違いを見て、適切な判断をしないといけないのは、これは誰でも同じだと思います。
そして、自分の人生を幸福にするために、人生の計画書を作る場合もあるでしょう。
しかし、その計画書も、一つのガイドブックのようなものだと考えると、「私達は何が必要なのか?」と考え直す機会になると思います。
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私が思うに、それは自主性だと思います。
個人の自主性。
一瞬一瞬の選択の下に、自分の人生を作っている。
つまり、自主性が鍛えられている、と思うのです。
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今、結局、多くの人々は、この自主性に目覚めて来ていると思うのです。

「原発を動かしていて、本当に良かったか?」と多くの人が考えると、そうではなかったから、政府に対するあれだけの反対運動が起きたと思うのです。
放射能にやられて、ガンや白血病になって、嬉しい人がいるでしょうか。
いや、いないでしょう。

つまり、多くの人の自主性が目覚めてきたと思うのです。

そして、人は自分の人生の幸福と平和を誰でも願っていると思います。
これに例外は無いと思います。

そして、自主性の出来た心で、「自分の幸福と平和を阻害しているものは何だろう」と考えると思います。
私が思うに、多くの人が様々な規則とか縛りに拘束されていると思います。

多くの人の幸福と平和にとって、本屋にあるような幾つもの分厚い法律書が必要でしょうか。
ほとんど必要ないでしょう。
だから、ほとんど多くの人は、分厚い法律書は必要ないから読まない筈です。

また、お金が無いと飢えてしまうかもしれない。
だから、お金のために働かないといけないかもしれない。
つまり、お金が多くの人々を拘束していると考えられないでしょうか。

また、本当は人は自由に海外旅行に行きたいでしょう。
しかし、それを阻害しているものは、国境とかパスポートとか外国に行くまでのお金とか、さらには、その外国の法律だったりするでしょう。

つまり、多くの人々にとって、ほとんど、がんじがらめの鎖の中で生きている、と私は思います。
国家というものが国民の自由を管理していると言うならば、それは本当の自由と言えるでしょうか。
「自由を管理する」という言葉自体が矛盾していると思います。
納税とか、法律とかで、様々に多くの人に拘束を与えているのではないでしょうか。
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しかし、国家という先生が必要で、つまり、国家という名の庇護者のような存在が必要で、そちらの方が幸福だ、というならば、それはその人の選択でしょう。

しかし、その自主性が出てきた人間は、庇護者が必要ではなく、また、先生も必要ではなく、自ら、幸福と平和を作り出すと思います。
そして、会社と言う名の厳格なルールが定められた組織が必要であるとも考えられません。
自主性が出てきた人間は自ら幸福と平和を求めていくので、「他者に対する奉仕が必要だ」と気付くと思います。
だから、一般社会にある複雑なルールや数多くの法律は必要でなくなってくると私は思います。

しかし、それでも、何か行き詰った時は、自分の先生と思えるような人に助言を求めれば良いでしょう。
しかし、その先生が与えてくれた助言も、実は完全では無いとわかります。
なぜならば、その「先生」という存在も、人なのであり、「先生の助言」というのも、人の参考意見だとわかります。
(しかし、こちらが助言を求めて、わざわざ、助言を下さったので、それ自体には、ありがたく思わないといけないでしょう。)
だから、人生の旅をしている時に、先生から助言をもらって、その助言通りに生きていても、失敗する時があります。
その先生だって、人間だからです。
失敗しない人間はいません。
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ですから、自主性の芽生えてきた人は、まず、「自分の幸福と平和の状態は何か?」と考えるでしょう。
つまり、目的です。
そして、その目的に外れているものが目に見え始めると思います。

そして、その目的に外れているものから避ける選択もあります。
また、その目的に外れているものを訂正しようとする努力を行う選択もあるでしょう。
他にも、まだ、その目的に外れているものに対する何かの方法を選択する方法があるかと思います。

そして、自分の短期的な目標と長期的な目標があって、それに向かって、選択と人生の実行をしているだけになると思います。
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私が思うに、今までの人類の歴史を見てきて、自由が抑圧されてきたと思うのです。
今でも、そうかと思います。

だから、これからは、本当の意味での自由が与えられた時、個々の人は、どのように自主的に、自分の幸福と平和を追求するかが問題になるだけだと私は思います。

その世界では、大量の法律も無くても良いだろうし、多くの教えも参考になるでしょうが、純粋に自分の幸福と平和を追求するだけにあり、後は何も必要なかった、と言えるのではないかと思います。

単純に、私も動物を愛したりしますが、それだけがあるのみで、後は何か深く考える必要も無いと思います。
「動物を愛する」という行為に見返りも無いし、ただ、愛したいのみだから愛するだけです。
そして、それが自然な姿だと思います。

多くの法律やルールが人を幸せにするとは、私は考えません。
また、金銭のために人が働くならば、逆に金銭が人を縛っているようなものでしょう。
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自主的な人間がこの世界に増えて、それらの人間が幸福と平和を追求すれば、幸福と平和の世界が作られると思います。

今は、多くの人にとっての、選択の時であるかと私は思います。

選択についてのエッセイを書きました。

                        
                        
                坂本  誠20100316105005

2012年5月12日 (土)

二千百四十四: 春の午後

                        
            春の午後       
            
            
        一

    春の青空に  綿(わた)のような
    雲が流されてゆく。
    桜の花が散って
    綿になってゆく。
    綿と桜は  よく似合う。

        二

    テレビ・ゲームの中でなく
    川原で  子供が遊んでいる。
    川も嬉しかろう。
    川に  子供が  全く来なければ、
    川も淋しい。
    川の肌と  子供の肌が
    触れ合っている。

                坂本  誠20100501165428

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